第三話 リビングアーマー猫と出会う
(外だー!!)
「外か」
内心の感動に比べて、口から出た声は落ち着いたものだ。こっちの俺はこんなときでも冷静らしい。
長いようで短いような、いや、確実に長かった道のりの末に、ようやく外へ出ることができた。陽の光に思わず伸びをした。
進む先々で行き止まりに出くわした。運が異常に悪いのか、それともこのダンジョンが相当ひねくれているのか、兎に角行き止まりが多かった。
そのお陰で考える時間や試行錯誤する時間は山ほどあった。
まずはこの身体について。
中身があるのかどうかはわからないが、疲れというものを知らないようだ。休憩や睡眠なしで最低でも数日間は歩き通しだったが全く問題がなかった。
そして、食事や排泄も必要なかった。中身無い説がかなり有力になってしまった。ちくしょうめ。
次に魔力について。
リビングアーマーは倒した相手の魔力を奪うが、これは一種の栄養補給の役割を果たしていた。つまり、食物の代わりに魔力を食べていると言ってもいい。
魔力を枯渇させるとリビングアーマーを倒すことができる。俺の場合、魔力が枯渇するとどうなるのか試すわけにもいかないので、魔力量には注意しておこう。
そして、その魔力の吸収は頑張れば我慢ができた。例えるなら、おしっこを我慢する感覚に近く、魔力が霧散するまでしばらく耐えれば大丈夫だ。
これは非常に重要だ。リビングアーマーの特徴のひとつである魔力吸収をごまかすことは、リビングアーマーばれを防ぐための重要な要素だ。
最後に中身について。
これに関しては一切進展がない。相変わらず鎧は脱げないので確認しようがない。
ただ、身体の可動域が人間と同じ様なので、中身人間説をまだ捨てきってはいない。食事も排泄も睡眠も不要だけど。
ああ、知覚についてもわかったことがあったんだった。
最初に倒れてしまったのは、周囲に意識を向けすぎたからのようだ。五感を総動員して周囲を知覚しようとすると、頭――頭あるよな?――の処理能力を超えてパンクしてしまう。その結果、気を失って倒れてしまった。
今は半径十メートルくらいの範囲に視覚・聴覚・嗅覚を向けている。ひとつの感覚だけならば、半径百メートルくらいは広げられる。方向を絞ればさらに伸ばせるだろう。
この知覚については、魔力吸収並みに隠し通さねばならない。だってそうだろ?この能力を使えば……、痴漢し放題になってしまうだろ!!
相手に気付かれず、離れた位置から触覚や嗅覚、はては味覚まで……。考えただけで恐ろしい。
もちろん俺は紳士なのでそんなことはしない。
さて、確認できたことはこれくらいにして、目の前に意識を戻そう。
ダンジョンの入り口周辺は森になっており、様々な生き物の気配が感じられる。下草が踏み荒らされていないことから、未発見のダンジョンのようだ。
最近発生したのか、それとも人里離れた場所にあるのだろうか、後者ならまた何日も歩くはめになりそうだ。
真上にだけ絞って視覚を飛ばす。遥か上空から見下ろすと、かなりの範囲に森が広がっているのが見えた。
南には山々が連なり、北には東西へ続く道がある。道を東へ辿って行くと街が見える。ここからさほど離れていない。
良いか悪いかは別にして、人と接触することはできそうだ。飛ばしていた視覚を元に戻した。
(よし、街に行ってみるか。まぁ、なんとかなるだろ)
「ふむ、街に向かうとするか。なるようになるであろう」
まずは北へ向かって道へ出て、そこから街へ向かおう。
楽観的過ぎる気もするが、悲観的になるよりはずっと良いだろう。
個人に関する記憶がないので、急いたり焦ったり悲しんだりしにくい。抜けばかりの記憶に感謝――はしたくないな。
それにしても、まさに大自然といった感じの森だ。さくさくと踏みしめる地面はやわらかく、空気にはフィトンチッドがたっぷりと含まれていそうだ。胸いっぱいに深く空気を吸い込むと気分がやすらぐ。多分呼吸はしてないが、気分がいいからいいんだよ。
(はぁ~、いい気分だぁ)
「ふぅ、気持ちがいいな」
時折知覚の端に小動物の気配がする。森に不釣り合いな鎧を、遠巻きに警戒しているのかもしれない。
魔物に出会うこともなく、つかの間のピクニックを楽しんだ。
ふわりと鉄のような臭いが感じられる。こっちの俺には慣れ親しんだ、あっちの俺でも感じたことのある――血の臭いだ。
ピクニック気分を吹き飛ばし、自然と腰に手が伸びた。丸腰なのを忘れていた。今の反応を見るに、こっちの俺は戦いに精通しているようだ。
臭いの原因を確かめるべきか迷ったが、聴覚を飛ばした限り、争っている様な音がしなかったので確かめに行くことにした。
(気をつけていこう)
「油断はせん」
半径十メートルの知覚は簡単には奇襲を許さないだろうが、何があるかわからないのが戦闘だ。気を付けて気を付け過ぎるということはないだろう。
一歩一歩臭いの元へと近づいていく。血の臭いが段々と濃くなる。
風に乗って、微かに何かの鳴き声がする。今にも途切れてしまいそうな程弱々しいが確かに聞こえた。
「ー……、ー……」
血の臭いの元へたどり着いた。そこには一匹の大きな猫の魔物、ケット・シーが血だらけで横たわっていた。腹は食い破られており、へその緒が何本も伸びている。その先はどこへも繋がってはいない。
「ミィー……、ミィー……」
ただ一匹の幸運な子猫だけが、すでに動かなくなった母猫を呼んでいる。
ケット・シーは素早く、そして賢い。身重でなければこのように狩られることもなかっただろう。
そっと、子猫を両手で掬い上げた。片手の掌よりも小さい子猫は一生懸命に鳴いている。生きようと必死に鳴いている。
それに対して、無機質な鎧に包まれた俺は、生きているのだろうか。わからない。わからないが、この子は生きようとしている。
母猫の顔元へ連れて行ってやる。
(この゛猫ち゛ゃんは俺が育でる゛! だから安心じで眠ってくれ゛!!)
「ケット・シーよ、これも何かの縁だ。この子は、私が責任を持って育てると誓おう」
きっと俺は猫派だった。違ったとしても、今猫派になった。あっちの俺の心の中は涙でいっぱいだ。
子猫が鳴きながら母猫の顔をぺろぺろと舐める。
すると、生気のなかった母猫の目が一瞬だけ子猫を捉え、ぺろりとその顔を舐め返した様に見えた。
勘違いや幻想だったのかもしれない。けれどきっと、それは母猫の最後の愛だった。
子猫を抱き上げる。
周囲を覆う知覚にはしっかりと捉えている。
「恨みはない。これも自然の摂理であろう。だが、この子は渡せん」
ゆっくりと振り返った先には、口元を血に染めた魔物が一匹佇んでいた。
残虐な森の狩人の名前はレーシー、人間を二回りは大きくしたような巨大な体躯に鋭い牙と爪を持つ。
今はじっとこちらを窺っているが、その巨体で自由自在に森を駆る恐るべき魔物だ。
「去るならば追いはしない」
一歩後ずさりしたレーシーはそのまま後方へと走り去って行った。
「そうか……」
次の瞬間、背後からレーシーが飛び出してきた。逃げ出した個体とは別のレーシーだ。
前方のレーシーを囮とした奇襲なのだろう。だがそれも、わかっていた。
襲い掛かる火の粉は払わなければならないだろう。
首を狙ったであろうその爪をしゃがんで躱す。頭上を飛び越えるレーシーは、空を切った爪に不思議そうな顔をしている。
重力に引かれ、落ちて来たその顔に掬い上げるような蹴りを叩き込む。咄嗟に腕で顔をかばったようだが、勢いは殺しきれず、吹っ飛んで木にぶつかった。片腕が折れたのかぶらんとしている。
囮となっていたレーシーが戻ってきた。片腕になったレーシーも敵意を失っていないようだ。ギャーギャーと声を発してこちらを威嚇している。手の中の子猫もミーミー鳴いている。
「安心しろ。この程度、敵にもならん」
二匹が同時に突っ込んでくる。間近に迫った二匹は左右へと別れ、死角を突くように爪を振るってきた。
明らかに狩り慣れしている。だが、俺の知覚に死角はない。
片腕のレーシーにこちらから肉薄し、その爪の内側へ入り込む。大きく足を開き腰を落とす。自分の重心を相手の重心の下へ潜り込ませ、次いで跳ね上げる。するとレーシーは天地を逆さまにしながら、突進の勢いそのままに吹っ飛んだ。
飛んでくるレーシーをもう一匹のレーシーが慌てて受け止める。
その時にはもう俺の準備は整っていた。跳ね上げた勢いのままレーシー達の方へ一歩踏み出して上体を捻る。足首から膝、膝から腰へと伝わる回転のエネルギーを乗せて、後ろ回し蹴りを放った。
直接蹴りを受けた一体は胸の骨が砕けて即死した。もう一体も浸透した衝撃で呼吸困難に陥っている。
苦しそうに転げまわるレーシーに近づく。闇雲に腕を振り回し、その目には怯えが浮かんでいる。
このまま放置しても長くは持たないだろう。
「徒に苦しめる趣味はない」
落ちている石を拾い、顔をめがけて投てきした。万全のレーシーならば辛うじて躱せただろうが、しっかりと命中し昏倒させることができた。そして、無抵抗の頭を掴み頸椎を折った。
二匹のレーシーから放たれた魔力が鎧に吸収されていく。
「――ふむ。勝てるとは踏んでいたが、存外余裕であったな」
「ミィー、ミィー」
手を握ったり開いたりしながら振り返っていると。それに反応したのか子猫がじたばたと暴れ出した。
「おおぉ。もう目が開いたのか。ケット・シーとは成長が早いのだな。おぉ、よしよし、よしよし」
ちなみに、あっちの俺はレーシーと対面した辺りから気を失っている。まったく情けない。
「お前の母と兄弟を弔ってやらねばな」
母猫の所へ戻ると、その身体から魔力が放たれた。やはり子猫を舐めたのは幻ではなかったようだ。
すーっとこちらへ飛んできた魔力は、一瞬の間、子猫の側でやわらかく揺らいだ後、鎧に吸収されていった。これもきっと、幻ではない。
疲れを知らない身体にかかれば、弔うための穴掘りもすぐに終わった。その間にあっちの俺も復活した。今は子猫を構いたくて仕方ないようだ。
穴の底に母猫を横たえさせた。
(猫ちゃん、母ちゃんにさよならするか?)
「子猫よ、母に別れを告げるか?」
穴を掘っている間も側でじっとしていた子猫は、一度だけ大きく鳴いた。
「ミィーー!!」
胸を反らし、高らかに、精一杯の声で鳴いた。生を叫び、別れを叫び、精一杯鳴いた。
(ね゛こ゛ち゛ゃ゛ん゛!!)
「子猫よ……」
あっちの俺も泣いた。わんわん泣いた。泣きながら母猫に土をかけてやり、手を合わせた。
(こ゛の子を゛立派に育て゛ま゛す!)
「再度誓おう、この子を立派に育てると」
別れをすませた子猫は、ブーツにつかまり立ちしてこちらを見つめている。
これから一緒に生活するなら名前も決めなければ。だがその前に、子猫はいったい何を食べるんだろうか。
普通ならお乳だろうがいきなり壁にぶち当たってしまった。
(猫ちゃんは何を食べるんでちゅかー?)
「子猫よ、お前は何が食べられるのだ?」
抱え上げた子猫と視線を合わせて聞いてみた。コテンと首をかしげる仕草が大変可愛らしい。
視線を外した子猫は、じたばたと暴れだした。
(おーどうしたの猫ちゃん)
「どうしたのだ子猫よ」
ミーミーと手から抜け出そうとする子猫に、危なっかしくてたまらず座り込んだ。
地面に下ろしてやると、どうやら鎧のお腹の辺りに行きたいようだ。
(猫ちゃん、鎧からはお乳でないよ?)
「子猫よ、残念ながらお乳は出ぬのだ」
支えてやりながらお腹まで移動させると、ふみふみムーヴを繰り出してきた。そう、あの肉球をばっと開いて押し込んだ後にぎゅっと握り込むあれだ。
その瞬間、俺は神速でお腹の触覚に100%の意識を注いだ。ちなみに、こっちの俺も反対はしなかった。
一秒が何倍にも感じられる。目一杯開かれた肉球が鎧に触れる瞬間、肉球はそのまま鎧を通り抜けていった。
(え?)
「え?」
そして、子猫の身体も鎧の中に吸い込まれていった。