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結婚するなら⑧

「急がないと。嵐が来そうな空模様だわ」


――カチッ……カチッ……カチッ…………


 時計の針が時を刻む音すらもが大きく響いているかのような静けさのなか、まるで魔法を解くかのようにして瞬時にタロットカードをかき消した女占い師が言う。これまで幾多の大物たちを占ってきて、時には知る必要のない、人々の薄暗い秘密をも呑みこんできた彼女は、その経験からかこの場の誰よりも立ち直りが早かった。


「ええ、そうですね。けれど、やはり占い結果も物騒ですし、私だけでもお供しますよ」


 カトリーヌに次いでそう発言した亜里沙は、立ち上がっては窓際にまで歩いて行く。そうして開け放たれた窓をきっちりと閉めた後、そこから見える大きく流れ広がっていく重たい黒色の雲を睨みつけた。繊細な彼女の指が臙脂色したカーテンに触れられ、さっとそれを横に引く。屋敷中がいっそう重苦しく沈み込んでいった。


 振り返った彼女は、次に発せられる言葉を遮るようにして、こう続ける。


「もちろん、なにかあれば自分の責任で請負いますわ。カトリーヌさんにはご迷惑を掛けませんし、文句も一切言いません。自分の家のことなのです。私も真実が知りたい」


 亜里沙の言葉に、さしものカトリーヌも反論がでないようであった。数秒間、両者は睨み合い、そしてカトリーヌが先に頭を振る。諦めたかのように、諦観の念をにじませた表情をみせ下をむいた。


「分かりました、着いて来てください。ただし、十分に気をつけて。ご自身の身を守ることを第一に考えてください」


「ええ、もちろんです。無理を聞いていただき、ありがとうございます。カトリーヌさん」


 ため息をこぼしているカトリーヌの傍らを通りすぎ、彼女の荷物を手にして屈託なく亜里沙が笑った。そんな二人のやりとりをボウっとして聞いていたもう一人の女――この家においては一番縁が薄いだろう傍観者の立場の璃々は、仲良く遠ざかっていく二人の背に困惑の声を上げていた。


「えっ!? ちょっと待ってよ、亜里沙。私は、これからどうすればいいの?」


「さあ? アンタは、もう関係ないんだから居間で待ってれば。ここから先は危険らしいから、そこまで付き合わなくても結構よ」


(アンタの役目は十分、果たしてくれたし――)


 心の中でそう呟き、労いの眼差しを差し向けた亜里沙であったが、当の本人は意味がうまく呑みこめていないようであり口をあけてポカンとした表情を浮かべていた。そして、その意味を咀嚼した途端、彼女の顔色がみるみるうちに青くなり、しまいには畳をずるずると這いずるようにしてこちらに追いすがる。


「うそっ、そんなの無理無理無理無理!! ここで一人で待つとか絶対、無理!!」


 髪を振り乱して這い寄る混沌、否、追いすがって来る親友の姿にわずかな恐れを抱き、亜里沙はじゃあ、と再度別の提案をしてみる。


「もう帰れば? 嵐が来る前に車を出せば、ちょうどいい時間帯に家に着くんじゃないの。心配しなくてもちゃんと後日、詳細を電話で報告するから。あ、ちゃんとこのお礼はするつもり――」


 ちょうどタイミング良く、先日、上司から貰ったケーキバイキングのチケットが脳裏によぎり微笑みかけた。しかし璃々は、亜里沙の言葉を遮り、頭を大きく振って拒否の構えを見せる。


「無理無理無理無理ー!! 嘘でしょ、亜里沙!? だいたい今、車で帰ったらこっちに幽霊が逃げて憑いて来るかもしれないじゃないのよ。そしたら、今度は私の家が幽霊ハウスになるかもじゃん!! それに私、いま車のバックミラーもサイドミラーも怖くて一人じゃ見れない~」


「アホか、子供みたいなこと言わないでよ! んなこと、あるわけないでしょ」


 涙目の璃々の言い分に呆れた顔でついつい大声で言い返してしまった亜里沙は、結局着いて来ると駄々をこねる親友に頷くしかなかった。



「それでどこから見ていきますか、先生?」


 未来にある危険よりもぼっちで取り残されるという現在の恐怖に耐え切れなかった璃々は、先程とは一転して二人の間でやる気と好奇心に満ちた顔をして元気に飛び跳ねる。

 対して目論見通りとはいかず落胆の色が見えるカトリーヌは、しかしその不満を一旦しまい込み、落ち着いた声音で璃々に答える。


「そうですね。まずは一階部分を見て回りましょう」


 それを聞いた亜里沙は先頭に立って案内を始める。客室、応接室、図書室、仏間、茶室、子供部屋、台所、風呂場、トイレ、玄関、洗濯室……。


 ときおりカトリーヌは立ち止まって読経のようなものを唱え、梵字が書かれたお札を目立たぬような物陰にそっと貼り付けていく。絵画の裏、仏壇の裏、ソファーの下、テレビの裏……目立たぬ場所に丁寧に貼られていくお札たち。それを黙って見守っていた亜里沙が静かに声をかける。


「カトリーヌさん、一階部分はこれで終わりです」


「そうですか……。一階は本当にこれで終わり、でよろしいのですね」


 念押しするかのようなカトリーヌの声に、一階の間取りを頭の中でさっと広げた亜里沙は抜けがないことを確認して、しかと頷き次に行くべき進路へと誘っていく。


「ええ。カトリーヌさん、次は二階部分をお願いします」


「先生、気をつけてくださいね。この階段、結構急な斜面なので走ると危ないんですよ~」


 先を行く亜里沙に追いつこうと璃々がパタパタと駆け足で上っていく。そんな二人の後ろ姿を切れ長の目を細めて見守っていたカトリーヌも、その足でゆっくりと一歩階段を登りだした。



(おい!! 亜里沙! どうすんだよ、この後。ついに二階を調べに来ちゃったじゃないか~!!)


 階段の踊り場にある回転式の隠し扉からわずかに頭だけを覗かせ、三人の後ろ姿をジト目で見送っているのは自称この家の警備員の守だ。


 ハラハラしながらも事の成り行きを覗き見るのみであった守は大変焦っていた。何故なら、二階には亜里沙の私室があるからだ。


(あの、どう見てもどうかしているとしか思えない犯人グッズ一式があるだろうに~!! まさか……亜里沙の奴……自分の部屋の惨状を忘れているんじゃないかろうな!?)


 とてつもなく印象に残っているその光景を思い出しながら守はその部屋の主の神経を疑っていた。そも、亜里沙がここに来てから、彼女の普通じゃない振る舞いに(勝手に)振り回されている身としては「なくはないかもな……」と遠い目で呟くよりほかない。


 そうこうしているうちに、亜里沙たちの姿は二階にある図書室へと消えて行った。この家の元の持ち主は結構な好事家だったらしく、古今東西さまざまな本を大量にこの家に集めていた。それは一階の図書室だけでは収まりきらず、二階にも密度の高い、一面本だらけの空間を形成していたのでよく分かる。


 図書の種類も豊富で、それこそ家庭料理の本から最新AIについての学術研究所の資料までと幅広い。なかには黒魔術についての、見たことないほどのぶ厚~い辞典のような本? も隠さずに堂々と並べられていた。


 守は開け放たれた図書室の扉の前にある廊下を音をたてぬよう一気に通り過ぎ、廊下の突き当り奥、亜里沙の私室兼寝室へと滑り込んだ。


(あの、ごちゃっとした図書室に入ったのなら出てくるまで時間がかかるはずだ。……多分)


 そう考えて守自身が多大なリスクを背負って表面に姿を現してきたのだ。それもこれも全ては目の前に広がっているこの光景をなんとかせねば、という一種の使命感にかられたからだ。


(それにしても――改めてこう目の当たりにすると、ゾッとするなぁ……)


 足元に転がる包丁には何やら赤黒いものが付いているし、よく見てみればツルハシにも得体の知れぬ物体Xが付着している。手袋や荒縄にも一度使用したかのような痕跡が残っていた。


(えっ! ナニコレ、事後? すでに事後なのかぁーー!? ちくしょう、遅かった!! でも、それにしたって一体いつの間に亜里沙は……)


 動揺のあまりガクリと力無く膝を突く守は、必死になって今週の亜里沙の動向を思い出していた。


 守は少し前までは亜里沙が寝ている深夜に起き、昼間は寝ているという本格的な夜型人間だった。それは二人の活動時間が重ならないように注意深く生活をしていたためであったが、しかし、最近になって事情が少し異なってきていた。


 そりゃあ、まだ、亜里沙の寝ている時間よりは多少長く起きているし、ご飯を食べたりシャワーを浴びたりしているのは深夜も深夜、丑三つ時だったりしているのだが、活動時間のズレについては極力少なく最小限度に留めている。昔のように完全な昼夜逆転生活ではなくなってきていた。


 そう変化していった理由については守自身深くは考えていないようだが、きっと、この場にいないチュー助ならばもしかしたら勘づいていただろう。呆れた鳴き声が聞こえてくるようだ。まったく、鈍い男なのだった。


(……駄目だ、分からん!! 俺が起きているうちは、亜里沙はそんな物騒な事件をここで起こしていないのは間違いないんだ。それならば多分、俺が亜里沙よりも若干遅く起きてくる時間帯――そうか、朝にやったのか!)


 守がある種の確信を持ちそう言いきったのには訳がある。何故なら、彼が起きている間中、守は何とはなしにいつも彼女の姿を目で追ってきたからである。立派なストーカーともいえる行為だがいかんせん、もともとが不法侵入者なのだ、今さらと言えることかも知れない。本人的には他意はない、つもりだし。

 欲望や邪心を持って見ているわけではないのだ。もちろん、風呂場や着替えといった際どいシーンを故意に覗き見ることはない。彼は意外と紳士的な男なのだ。


(まぁ、ラッキースケベだけは仕方ね~けどなぁ)


 先日、天井裏から見てしまった着替えシーンを思い出しながら鼻の下を意味もなく擦る。ちなみにこれは事故、うっかりのもらい事故のようなものだ。そんなわけで、あれは上下ともに白のレースだった。ちょっぴり意外であるが文句なし、眼福ものであった。


 話は脱線してしまったが元に戻そう。そうだ、ではなぜ見ているのかと言うと、なんとなくとしか言いようがない。本人的にも分かってないのだ。なんとなく、気になって、目で追っかけちゃう……。まだ中高生の子どもたちの話ならば可愛げもあるのだが、あいにくそれをやってるのはいい年こいた髭面のおっさん。これには彼の親友のチュー助くんもチューっと苦笑い、と言ったところだ。


 とにもかくにも、他意なく彼女を見てきた守にとっては、亜里沙がすでにホシになっていたとは青天の霹靂、大変衝撃が大きかった。ホシはホシでも人気者のスターでもお空の星でもない。煙草を吸いながらいかしたトレンチコートを着込んだ男に、薄暗い部屋でオレンジの光りの下、かつ丼奢られてしまうような『おホシさま』である。


 守は混乱していたが混乱中も時は進んでいく。ここでグズグズしているとあっという間に三人がやって来てしまう。そうなるとさらに大混乱、グズグズのゴチャゴチャになるのは目に見えている。最初に決心してここに来た通り、守はやるべきことをやるために手を動かしはじめた。



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