結婚するなら⑦
「では、今度はこちらの番ですね。わたくしの霊視、お話し致します」
神妙な顔つきで重い口を開いて語り出した占い師の女の顔を見ながら、亜里沙は隣に座る親友に分からぬようにこっそりため息をつく。ストライプ模様のストローを咥え、浮かんできたあくびを表に出ぬうちにと噛み殺した。
(昨日は準備が忙しくてー、ロクに寝られなかったのよねぇー)
自分の話を終えて気が抜けたせいだろうか、重くなってきた瞼が完全にくっつく前に占い師――いや、このペテン師の話がやっと始まりだした。深い響きを持つ、独特の声は相手に安心感を持たせる効果があるのだろうが、寝不足気味の亜里沙にとっては眠りに誘う子守唄のように聞こえてきて酷く忍耐力が試された。ある意味、とても辛くなっている。
「亜里沙さん、どうでしょうか。この家の恐ろしさをお分かりいただけたでしょうか?」
「ええ、恐ろしい話ですね(全く、内容なんて聞いてなかったけどね)」
亜里沙は怯えたような顔でそう答えた。ワンテンポ遅れてしまっただろうか? 実際、アホらしくて聞く気もおこらなかったが、どうせ呪いがどうのだとか、怨念がどうのとかだろうと辺りをつける。隣でブリキの人形のようにこの家の主の代わりにぎこちなく、だが熱心に相槌を打っている友の顔を見る限り、なかなか怖い話だったのかも、と内心拍手していた。
しかし、恐ろしいと嘯いたのはまぎれもなく亜里沙の本音でもある。とうに真相を知っている身であっても、そのこちらを案じている風体の迫真の演技には騙されそうになるほど。だからこそ、余計に嘘八百を並べ立てているこの女をそら恐ろしく感じる。
(占い師というよりも女優ね。ますますテレビ向き……でも、残念ながら今後出演されることはないでしょうけどね。――永遠に)
仕事人間の亜里沙としては、惜しいものだと少し悔しくすらあった。そんなことを考えているなどとは露とも思っていないだろう、ペテン師は熱心に説明を続ける。
「では、これより家の内部の霊視に移ります。わたくしが家の内部を歩き視て回ります。危険なのでお二人には此処で待って頂くことになりますが安心してください。問題のある場所には、わたくしの力を込めたお札と聖水で、責任を持って清めさせていただきます」
カトリーヌ雅は一人立ち上がり、持参してきた重たいバッグに手を掛ける。
「おひとりで大丈夫ですか? お邪魔はしませんので、鞄持ちに着きましょうか?」
亜里沙も精一杯、自分の身の内から(有るかは分からないが)女優魂を呼び起こして雅に声を掛ける。しかし予想通り彼女は首を横に振る。
「いいえ、霊感のない方にはかえって危険です。障りがあるので、ここでお待ちください」
(障り……ねえ?)
有無を言わせぬ重たい口調に、亜里沙は内心噴き出しそうになりながらもここは素直に引き下がる。
残念そうな顔で、お気をつけてと小さく呟いた。
(そうよ、気をつけなさい。どうせ行き先は知ってるんだし、一時間位したら後を追えばいいんだわ)
そこで、確たる証拠を掴めば――。亜里沙は自分に(家に)売られた喧嘩の末路とその先にある勝利を確信してほくそ笑みかけた。ところが、隣でオレンジジュースを飲んでいる女の声に頭の中の妄想が一時中断される。
「カトリーヌ先生、待ってください!! いつものタロット占いしないんですか? 私、今日生で見れるのを楽しみにしてきたんですよ~」
結城璃々は邪気無く笑う。
「えっ?」
カトリーヌ雅の気の抜けた声が茶の間に響いた。彼女は正しく、鳩が豆鉄砲を食ったような顔して立ち尽くしている。畳に落ちたバッグの音が重たく聞こえた。
「えっ? あれっ? いつもカトリーヌ先生はそうやってましたよね?」
今度は、璃々の口から疑問符がついてでる。なんとなく可笑しなこと、この場に相応しくないことを言ってしまった時に流れる居心地の悪さが辺りを覆う。
カトリーヌ雅は霊視の前に対象物をカードで占う。それがお決まりになっているはずだ。デモンストレーション的なものであるが、カード――この場合タロットカードを用いる場合が多い。
いわゆるお約束的な有っても無くても除霊には影響のない行為だが、後に行う霊視とピタリと符合する占いは見ていてスッキリとしたカルタシスを味わえる。彼女はテレビこそ出ていないが、雑誌の特集には何度も取り上げられている。主婦の娯楽の友ともいえるその本には、やはり一連の作法として、そのお約束が事細かにつづられていた。
言ってしまえば、璃々はそれを見るために今日やって来た。しかし、あろうことか、雅はその決まり事をあっさりと破ろうとしている。あとで、『こうこうこうでしたー』などと説明だけされても面白くもなんともない。やはり、フィクションにしたって臨場感が無ければこっちも気持ちよくノレはしないのだ。
ここまで考え、璃々は自分の理論は間違ってないはずだと弱気な顔で親友のほうへと向く。眉尻を下げ、救いを求めるように彼女を見上げていた。いつもならば、ここで璃々の意見を小馬鹿にするはずのこの家の持ち主は、予想に反してふむっと考え込むように顎に手をやり頷いていた。そして、おもむろに瞳を細め八重歯を覗かせてこう言った。
「それは私の不勉強でしたわ、カトリーヌさん。ぜひ、いつもと同じ手順、同じ作法での除霊をお願いします。これは、今後のテレビの企画を練るうえでも重要な要素になり得ますわ!」
実際、テレビの企画を練るのは下請けの企画会社だ。だが、そうとは知らぬカトリーヌには正論に聞こえていた。しかし何故だろうか。低く頭まで下げている亜里沙の姿は、殊勝な光景のはずなのに何故かネズミを捕らえようと準備動作に入った姿の猫と重なって見える。
「ですが……。いいえ、分かりました。いつも通り、先にカード占いでこの家の秘密を暴いておきましょう」
カトリーヌ雅は、先ほど手から落とした荷物の中を探り、四角い長方形の箱を取り出して開けた。中には美しい絵柄のタロットカードが一揃え入っており、それを慣れた手つきで華麗に並べていく。
こうして亜里沙、璃々、カトリーヌ雅、そして彼女たちを密かに見守っている守の前で占いという名の探り合いが始まるのだった。
「まずこの家の住人について占います。この家に住み着いている者たちの数は――」
カトリーヌ雅の爪先まで整えられた美しい指先が、円形に並べられた裏返しのカードの群れから一枚を選び出し、机の中央に絵柄が見えるように表向きにめくって置いた。
「これは――大アルカナ『皇帝』が出ました。カード番号はⅣ。つまり現在、この二ツ家にいるのは四名という事になります」
「ええっ、四人目って誰のこと!? 亜里沙、なんか私、怖くなってきたよ~」
「ふうん、どなたがいらっしゃるのかしら? 『許可なく勝手に』この家に」
許可なく勝手に――の部分を強調して亜里沙が呟く。思わず背筋が震えるような迫力があった。
「……『皇帝』のカードは支配・達成を表します。また、男性的、父親的、権威のある人間を暗示しています。年輩の男の霊でしょうね。(やはり、二ツ家玲はこの家にまだいる!)」
おびえたように身を震わせ亜里沙の腕にしがみ付いている璃々。そんな二人の様子を特に気にするそぶりもなく、淡々とカードの読み取りを続けるカトリーヌ雅の顔には一体何を考えているのか、簡単に外から伺うことは出来ないように見える。
(ふん、はったりかしら。それとも占い師としての力とやらはちゃんとあるのかしら? 四人ねえ……。私たち三人と、あの骸骨ってところね)
亜里沙は腕に感じる暖かい湿った温度の弾力ある丸みをうっとうしそうに手で制しながら、注意深くカトリーヌを見る。
そしてそのころ、この部屋の一部始終を隠し部屋から覗きみている守も驚きを隠せずにいた。
(四人って、もしかして俺の事バレてるのか!? 男性で権威のある人物って、まんま(元)社長の俺のことじゃねーか。すげーな! あのカトリーヌ雅ってのは!!)
「安心してください。悪しき邪悪な者はわたくしが必ずこの家から追い祓います。では、次の占いに移ります。この家を取り巻く問題の元を探り出しましょう」
(馬鹿野郎!! 俺は邪悪でもなんでもない、一市民だっつーの。勝手に追っぱらうんじゃねえよ!!)
守は拳を握りしめ、抱えきれぬほどのたくさんある文句を言いたい気持ちに蓋をする。そして、ドキドキしながら次のカードがめくられるのを見つめる。
「これは……大アルカナの『塔』のカードですね」
「うわっ! なにこれ、怖い絵だよ~!」
「確かに物騒ね。塔から火が出ちゃってるし、人が落っこちてるわね。これって、どういう意味なんですか?」
タロットには苦悶の表情を浮かべた男性らしき人物が、高い塔から真っ逆さまに落っこちる様子が描かれている。塔からは火も噴き出しているようで恐ろし気な意味が込められているように感じられた。しかし、カトリーヌ雅は大したことではない、とでも言いたげにアルカイックスマイルを浮かべている。
「そうですね、『塔』は災難や破綻・転落を表します。タロットの中で唯一、正位置でも逆位置でもネガティブな意味を持つカードですが、今回は正位置ですので、悪い状態でもすぐに終わることを暗示しています」
肩を竦めて説明した雅に対して璃々が恐る恐る口を挟む。
「でも、『塔』には悲劇・惨事っていう意味もありましたよね。やっぱり何かあったんじゃないかな、この家……。昔なにか惨劇が――例えば、一家惨殺・殺人事件とか……」
「まさか、ホホホ。そんなこと、あるはずありませんわ」
璃々の言葉を遮るようにしてカトリーヌ雅が言葉を発した。
若干、被せ気味に笑う姿は何か違和感を感じさせる。
「え~、そうですか? でも、結構ここ場所がいいわりに安かったんでしょ。ねえ、亜里沙?」
確かめるように亜里沙へと質問する璃々に対し、この家を現ナマ一括買いをした女はすんなり頷く。
「そうなのよね。不動産屋のクリーニング作業を入れなかった分、安かったのかもしれないけれど、確かに駅近のわりに格安とも言えるわね」
亜里沙の言葉に対し、カトリーヌが意外な部分で反応を見せる。
「クリーニング作業を入れなかったのですか。なぜです、それは間違いありませんの?」
思わず、っといったように強い口調で問うカトリーヌに対し亜里沙はニヤリと笑って頷く。
「ええ、一刻も早く入居したかったので。なにか不都合があればその都度直せばいいと思ったので、買った当時のまま、まったく手を入れていません。つまり、売られた当時の姿も同然というわけですわ」
「!!」
いままで涼し気な表情で占っていたカトリーヌの額にうっすら汗が浮かんでいる。
「じゃあ、もしかしたらこの家で殺人事件があったとしたら死体がまだ残ってるってことなの!? もしかしたら、四人目って殺人鬼の霊とかだったらどうしよう。怖い! 先生お願い、占ってよ!!」
すっかり、璃々の中ではこの家で何かしらの事件があったことが事実となっているようだ。慌てたようにカトリーヌに縋りつくが、よく見ればカトリーヌ自身も何やら焦っているように見える。
「璃々さん、そんな……。一体、わたくしに何を占えと言うのです?」
「そんなの決まってます! この家に、まだ殺人鬼がいるかどうかを占ってよ。もし、いたとしたら……先生が一人で霊視するなんてのも危ないですよ!!」
半泣きで詰め寄る璃々をアシストするように亜里沙も畳み掛ける。
「そうですね。それは大変ですね。ぜひ、占って確認してみましょう。私も怖いし、ここにいる全員の安全のためにも」
腕を組み、さも怖がっていますというような風で言い募る。二人の顔を見比べて、若干恐怖の表情に違いがある気もしないでもないが、カトリーヌもここまで言われてしまえば占いをせぬわけにはいかなくなった。どうも気乗りがしないような雰囲気でカードをめくる。
「このカードは、大アルカナ『死神』!」
めくった白馬に跨る髑髏の絵を見て、カトリーヌは苦い顔を、璃々はやはりという顔をした。
璃々は両手を胸の前で組み、震える声で叫んでいた。
「いやあぁー!! やっぱり死神、殺人鬼がいるんだよー!!」
「落ち着いて、璃々さん。『死神』のカードは悲劇の先にある未来や希望を指すことも……」
パニック状態の璃々を慌てて宥めすかそうとカトリーヌが占いについて講釈しようとする。しかし、まるでパニックが伝染したかのように占った本人すら狼狽しているその反応を目にして、亜里沙が手を顎の下にやり考えはじめる。
(やっぱり、この動揺! この女、確実にあの髑髏の主を殺っているわね!!)
確信した亜里沙は冷静に、しかしわずかに背筋にゾクリとした悪寒を覚える。
対して、カトリーヌ雅は思わぬ窮地に陥っていた。
(マズイわね! わたくしの占いの才能がこんなところで、わたくしの足を引っ張ってくるとは……。もしも万が一、アレが二人に見つかったとして、それでもなんとか病死や変死で誤魔化そうと思っていたのに! これでは、到底そんな言い訳は無理そうだわ)
一方、息を潜め成り行きを見守っていた、現時点においては一番真相に程遠い男『二ツ家 守』といえば、隠し部屋の隅っこで頭を抱えうずくまっていた。
彼の脳裏には亜里沙の部屋で見た光景が蘇ってくる。荒縄にガムテープ、そして一般には滅多に見ることのないだろう用途不明のツルハシ。さらには黒皮の手袋と大きな黒いゴミ袋。極めつけは、刃渡り三十センチもある出刃包丁だ。そう、まるで『初めての殺人入門セット』といったような物騒な代物の数々を。
(殺人鬼だと!? マズイな、どう考えても未来の亜里沙のことだろう! やっぱり亜里沙は占い師を殺す気なのかよー、血に飢えた殺人鬼になっちまうのかよ!!)
「「「「……ゴクリっ」」」」
様々な思惑が渦巻く、二ツ家家――。それぞれが、秘めた思いを隠しながら互いの顔を見合わせている。窓の外、上空にはその行く末を暗示するかのように重たい暗雲が屋敷を覆い始めていた。