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結婚するなら⑤

「呪われた家……か」


 グラスについた水滴を掬い、独り言ちる。


「ふふっ。あれから、もう三十年もたってしまったのね」

 

 重ねて来た日々と罪の重さに胸が詰まる。


 サングラスで覆い隠されたその表情からは、いったい何に想いを馳せているのか外からは窺い知ることはできない。三日月の如く赤く吊り上がった唇。それを見て聡いバーテンは了解したかのように彼女のそばを音もなく離れていく。


「今度こそ間違わないわ。ええ、今度こそ……」


 すでにあの人には連絡済み。なにも聞かずに協力してくれたことにだけ感謝をして、連絡先の一覧から彼の痕跡を抹消した。

 これ以上は巻き込めない。否、巻き込むべきではないのだ。こちらの思惑など百も承知だろうけれど、それでもカトリーヌはたった一人の幼馴染にこれ以上迷惑を掛けたくはなかった。面と向かい言うこと叶わない詫び言を胸の内で述べる。


 なんにせよ、あの家に招かれた以上はカトリーヌにもう逃げ場はない。

 そしてもちろん、逃げる気など毛頭ない。


「すべてを終わらせなくては――」 


 今こそ三十年前のケリをつける。そして、そこから先の未来を生きるのだ。


 地上160メートルから見下ろす摩天楼。カトリーヌ(みやび)、いや『家鳥(かとり) (みやび)』は宝石箱をひっくり返したかのような眩い輝きを眺め続けるのだった。



⌂⌂⌂⌂⌂⌂⌂ ⌂⌂⌂⌂⌂⌂ ⌂⌂⌂⌂⌂⌂


「うわ~~っ!! 凄い!! 生、カトリーヌ先生だぁー!!」


 決戦の時はいま――。

 女たちの黄色い歓声で舞台の幕が上がる。


「あら、こんにちは。はじめまして、今日は貴女が手伝ってくれるのかしら? ええと……」


結城(ゆうき)璃々(りり)です。今日は亜里沙(ありさ)の家を見て下さってありがとうございます! 私、ずっとカトリーヌ先生の大ファンで――」


「ええ。こちらこそよろしくね、璃々さん。ファンだなんて嬉しいわ。ぜひ、新宿のお店にも――」


 亜里沙と璃々は車で来るカトリーヌ雅のため庭で待機していた。そして、お待ちかねの彼女が真っ赤なフェラーリで庭の手前、駐車スペースに車を停めて颯爽と地面に下り立った時、不思議なことに、見事な生垣から見える真っ赤な車体とその搭乗者は思いの外この純和風な家にしっくりときていた。


 ――そう、まるでそれが当たり前の光景のようだ。


 感嘆の声を漏らし待ち構えていた二人は、彼女の手から重そうなボストンバックを預かり、家のほうへと(いざな)っていく。


「随分、ずっしりしていますね。中身はなんですか?」


 先を歩く二人を後ろから眺めつつ、亜里沙がカトリーヌへと声をかける。


「そうねえ、中身は清めの水やお札。それから塩や灰が重いのかしら。ごめんなさいね、重いもの持ってもらって」


 申し訳なさそうな顔して振り返るカトリーヌに対し、亜里沙は爽やかな笑顔を見せる。


「いいえ。私はこう見えて仕事柄、体力には自信がありますので大丈夫ですよ。……ただ、カトリーヌさんがいつもこんなにも重い荷物を持ち歩いているなんて、占い師や霊媒師も大変な商売だなと思ったんです」


「そうねえ。いつもはアシスタントの方がいるのですけれど、今日はその方のご都合が悪くて。わたくしも、もう年ですから重い荷物で腰を痛めたこともあります。ほんとうに亜里沙さんに持っていただけて助かりますわ」


 カトリーヌの礼に笑顔を返すうちに庭を抜け玄関の前まで来ていた。璃々が興味津々な顔でボストンバッグを見た。


「へえ~。やっぱりいろいろと準備が必要なんですね! お清めの水に、お札に、お塩に、灰かぁ……。あの、灰ってなんの灰なんですか?」


「ああ……。それは黒壇(こくたん)(いぶ)して――」


 カトリーヌの言葉が止まる。足を止め、彼女は仰ぎ見るようにして上を向く。じっと家を見上げ動かなくなったカトリーヌ雅に、璃々が恐々と声をかける。


「あの……。やっぱり、なにか感じるんですか?」


「……っ! ええ。とても良くない、気を感じます」


「!? うそっ、やっぱり!! 先生、この家おかしいんです! この前も――」


 立ち止まり、短くはない話を始めようとする二人の間をすり抜け、亜里沙は玄関の扉をあける。


「取りあえず中にお上がりください。お話はそこでしましょう」


 振り返った亜里沙の顔を見て、挑むようにカトリーヌ雅は頷く。璃々は心配そうな表情で唾を飲みこんでいた。




「……ごくり」

 家の中に入ってくる女三人を、手に汗握りつつ陰より見守っているのは『二ツ家(ふたついえ) (まもる)』だ。

 何故、彼がここにいるのか――それについては少しばかり、そう数時間ほど時を(さかのぼ)らねばならない。



~~~数時間前~~~

 守は亜里沙による()()『チュー助殺害予告事件』からここまで必死に努力してきた。亜里沙をこの家から追い出すためのさまざまな妨害工作(いやがらせ)、正体がバレる危険も承知、玉砕覚悟で打って出ていたのだ。


 家中の扉を開け、タンスを漁り、洗濯ものを散らかし、窓ガラスを割った。そしてハンストだって決行した。実はこれが一番効いていたようだが、おおむね守が期待したような効果は得られなかった。


※ちなみに効果はあった。以下、確認された効果である。

(確認された主な効果:換気がされ、いつも清涼な空気で気持ちがいい。タンスの服は丁度衣替えの時機であり、タイミング良く片付いた。雨より先に取り込まれ洗濯物が濡れるのを防いだ。そして、無地だった窓ガラスは、透かし彫りが入った桜模様に取り替えられ、ますます素敵な屋敷へと変身した)


 ともかく事態は急転した。だが、望んだ展開は得られなかった。いや、むしろ……。


「悪化した……。なんてこった。なんだってこんなことにー! 一体、俺が何したってんだよ!?」


 イロイロしている。


「あ“あ”あ“あ”あ“―――!! どうしよう! どうしよう!? 俺、どうしよう!!!」


 頭を抱えしゃがみ込む男のそばには心優しき獣、チュー助の姿はもう見当たらない。彼はしばらく実家(?)に帰っている。守も賛成した。もう一刻の猶予もない。いつ何時、亜里沙がバル●ンを焚きだすか分からないのだ。このまま、この家でむざむざ宣告通りに亜里沙にヤられる未来(こと)はない。それこそ、ほとぼりが冷めた頃にまた守が呼び寄せてやればいい。


 だが、事態はそんなに単純にはいかなかった。守は抱えた頭がガンガン痛み出すのを堪え、嘘みたいな現実を目の当たりにした。


「どうしよう? これ、どうしよう? け、け、け、けいさつ……警察に言えばいいのか!?」


 守の足元――屋根裏部屋のすぐ下には亜里沙の寝室がある。


 今、そこには、荒縄とガムテープ、そして包丁が転がっている。ご丁寧に黒い皮手袋と黒いゴミ袋(大)も用意済みだ。


 守とて当初は見間違いかと思い、床板の隙間から二度見して確認したのだが、やはりなんの変哲もない出刃包丁が「俺はキレる、キレモンだぜー!!」とギラギラ光って主張している。なるほど、これは幻ではない、現実だ。……だって、これが10回目の二度見だもん。


(亜里沙は()る気だ!!)


 なんだかよくは分からない、何故かもよくは分からない。けれども、亜里沙は今日、()ろうとしている。しかも相手はコレ、絶対に小動物(チュー助)などではないよね? いや、小動物でもモチロン良くはないんだけれども――。


(にんげんだ、……人間を殺る気だ!!)


 しかもよく分からないが、亜里沙の動機は俺のせい――もとい、この家のせいらしい。彼女のちょっと危険な香りが漂う独り言から判明したのだが、なんでも、今、この()にちょっかいを出そうとしている人物(おんな)がいるらしい。そして、それに気づいた()が怒った。そんで、それは亜里沙()の逆鱗にも触れてしまった。


 結論:ヤるしかない★


(んなわけあるかいーー、なんでそこであっさり殺そうという結論に達するわけ!? サイコパスなの? 犯罪者なの? ……ていうか、このまま亜里沙が捕まったら俺はどうなんの? これって俺も捕まっちゃうわけ?)


 とんだとばっちりだ、この家にちょっかいを出してきた迷惑な奴を呪いながら男は肩を落とす。男のした行動は間の悪いことに、亜里沙を勘違いさせ犯罪行為へと走らせようとしている。

 今、仮に警察に通報して殺人事件を止めるにしても、このまま漫然と見過ごすにせよ、いつかこの事件が露見した時にきっと守も捕まってしまう。そのとき、果たして、守の無実の主張は認められるのか――。


(もし共犯に取られたら……。殺人を(そそのか)す、殺人教唆氾(さつじんきょうさはん)……。ええ~、そんなぁ~~)


 守は身体を震わせる。


(そんなんで捕まるくらいなら、もう住居侵入罪でとっ捕まったほうが……)


 そこまで考え守は警察に捕まった自分を想像した。惨めにも捕えられ牢屋で臭い飯を食う自分の姿――。


「クソっ。ふざけんな、俺は捕まらん!! とにかく亜里沙は俺が止めよう!」


 守は壁を床を殴りつけて立ち上がり、決意の雄たけびをあげる。日頃は細心の注意を払い無音生活を送っている守だが、今回ばかりはド派手な音を響かせた。だがあいにくと家主は現在、獲物を待ち構えて外に待機中だ。問題はない。いや、問題だらけだ。


(ともかく、今日を乗り切ればそれでいい! あとであのインチキ占い師の後を尾行(つけ)て、もうこの家に関わらないように警告すればいいんだ。よしっ、それでいこう! そうと決まれば――)


 男は屋根裏部屋から出て、三人の先回りをすべく走りだした。

 



「どうぞ」

「あら、ありがとう」


 カトリーヌの前に氷が入った冷たい麦茶が置かれる。亜里沙は自分の前にも麦茶を置いた。そして、璃々の前だけには氷の入ったオレンジジュースが置かれた。


(えっ。なんでソイツだけオレンジジュース? ま、まさか、コップに毒でも仕込んであるのか!?)


 覗き穴のそばに置いた手に力が入る。守が見た限り、普通に飲み物を用意していたように見えたがまさか……。守が心臓をバクバクさせ見守るなか、璃々が不満の声をあげた。


「ええ~、なんで璃々だけジュースなの? 私も麦茶がいい~」

「アンタ……。前、麦茶嫌いって言ってたじゃない……」

「ええ~。言ったっけ、そんなこと?」


 璃々の不満に亜里沙が呆れる。しかし、守は違った。


(いや~ナイス! ナイスだ、巨乳ちゃん! トロ臭そうなお前は、実はやればできる子だと思っていたよ。そうだ、そのまま、そこですかさずちゃぶ台をひっくり返せ!!)


「言ってました。会社で」


「ええ~。それって結婚前の本当に昔の話じゃない! 亜里沙ってばそんなことをずっと覚えてくれてたんだぁ」


 じ~ん。感激する璃々に、どこかばつが悪そうな顔の亜里沙。そんな二人を微笑ましそうに見つめていたカトリーヌ雅がこう言った。


「まあ、わたくし実はオレンジジュースが大好きなの。璃々さんが良ければ、わたくしの麦茶と交換して下さらない?」

「ほんとですか。ありがとうございます~」

「……はあ。馬鹿ね」


 亜里沙はため息をつき、肩を竦めてみせた。そしてカトリーヌに対し申し訳なさそうな顔をする。カトリーヌは茶目っ気たっぷりの笑顔で気にしないでと手を振ってみせた。


(あれ? なんか普通。なんだ、気のせいだったか。だよな。あの巨乳ちゃん、麦茶美味しそうに飲んでるし。亜里沙もこんな早く勝負を決めに来るわけないもんな。自分の手で直接っていう無駄に男前な性格だしな……それに刃物も用意済みだし。くそっ、なんか俺も喉かわいてきたな)


 そんな守の心情をよそに、カトリーヌ雅も笑顔でコップを持ちあげた。


「では、いただきます」


 そう断ってカトリーヌ雅が上品な所作でジュースを口に含んだとき、その両目がカッと開かれた。コップがいささか乱暴な仕草で机に置かれ、わななく両手で口許を押さえている。そして、そんな彼女の隣で亜里沙が密やかに微笑んでいるのがはっきりと見える。


 衝撃を受けている様子のカトリーヌ雅が呟く。


「こ、これは……!」


(え“っ。なに、突然どうしたの? はっ、ま、まさかのグル!? 亜里沙と巨乳ちゃんはグルだったのか? そういえばそうだ。もともと人を殺す気ならわざわざ殺人現場に友人なんて呼ばないだろ。目撃証言だされるじゃん。ってことは……これはマズイ!!)


 守は中腰から姿勢を正し、狭い覗き部屋から出ようとする。


(ここから、あの回転扉を使えばすぐに現場(茶の間)だ。いまなら、大量に水飲ませて毒を吐き出させさえすれば……っ)


 ――命は助かるかもっ!!


 そう覚悟を決め、一縷の望みにかけ陸上競技のようにスタートダッシュをしようとしたところだった。


「美味しい!! このオレンジジュース、とってもジューシーで美味しいですわ」


 そんな嬉しそうな声が耳に届いた。

 口に手を当て驚いた表情のカトリーヌに、ふふっと勝気そうな笑顔で亜里沙が応える。


「それは愛媛のブランド蜜柑、宝石オレンジの果汁が100%入ったものなんです。美味しいと評判だったのではるばるお取り寄せしたんですよ。カトリーヌさんのお口にあって良かったわ!」


「ええ~、嘘っ。なにそれ、私も飲みたい!!」 


 守は派手にすっ転んだ。

 幸い、彼が出した音は、亜里沙が璃々に拳骨(げんこつ)をかました音でかき消されていた。


 足を抱えてプルプル震えている守の横にもし、(チュー助)が居たらきっとこう言うだろう。


 頑張れ、守! まだまだ先は長いぞ!!


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