結婚するなら⑩
――ぐぅおおおおぉぉ……わぁおおおおぉぉ…………
「いやああぁぁ~~!! なにごとぉぉ~~!?」
突如とどろいてきた謎の叫びに璃々が悲鳴を上げる。
「真上から聞こえてきたわ!」
「この部屋の上……でしたら、きっと屋根裏部屋ですわ!!」
手で耳を塞いでしゃがみ込む璃々。その隣で亜里沙が素早く天井を見上げる。瞬時に謎の叫び主の居場所を言い当てたカトリーヌは急きこむように早口で続ける。
「この家には誰かいます。確かめましょう! さあ、亜里沙さん」
カトリーヌ雅が真っ先に寝室から廊下へと飛び出して行った。とっさに亜里沙は彼女を引き留めようと何か声を掛ける仕草をした。だが、結局なにも言わずに唇を噛みしめただけだった。しかし、すぐに顔を上げ後に続き走り出す。
「ええええっ!? 行動早っ!! 待ってよ二人とも。待って~~」
二人の背を慌てて璃々が追いかける。すでに二人の姿は廊下にはなく、三階、屋根裏部屋への階段を駆け登りだしていた。
慌てた足音と荒い呼吸音。
先頭が最年長のカトリーヌであったため、まだ若い二人はすぐに追いつき、なお追い越そうとする。彼女らは目的地に正確に辿り着く。
それは以前、亜里沙と璃々も訪れたことのある、あの屋根裏部屋。そして先日、亜里沙が一人で訪れた場所でもある。窓もなく薄暗いなか先行するカトリーヌに亜里沙が鋭く警告を発する。
「気をつけてくださいよ、足元。釘などが散らばっているかも知れません」
以前、亜里沙と璃々が来た際には掃除されることなく放置されていた埃だらけの屋根裏であったので、蜘蛛の巣があちこちに見受けられ、足元が危なそうでスリッパではなく靴を履いて上がって来た。しかし、今は柔らかな肌触りが却って頼りなく感じる来客用スリッパだ。錆びた釘でも踏んで破傷風になったり、まだ駆除していないネズミの糞で病気になられたら事だ。
そして、なにより――。
「誰なの!? 誰かいるの?」
目を凝らし、必死な形相で辺りにむかってカトリーヌが声を張り上げる。
――そして、なにより、ここから謎の断末魔の如きおぞましい声が聞こえてきたのだ。
誰か――いや、何かがいる。だが呼び声に応じる者の気配はない。
「誰かいるの? 誰なのよ、ったく! 出てこい、このバカヤロー!!」
亜里沙のイライラがのせられた怒鳴り声が周囲にこだました。壁までもがビリビリと震えるようなソレは、だが虚しく辺りに響いただけであった。
亜里沙は用心しつつ前に進む。スマートフォンを取り出そうとポケットに手を突っ込み、舌打ちをした。
(そうだった、さっきまでの会話……録ってたんだった)
亜里沙は録音ボタンを押し一旦機能を解除した。うっすら見える電池のマークは十分ではない。もう一度舌打ちをし、LEDの光りで照らされた青白い景色を見渡す。
前に璃々と二人で見たとおりに、ここにはガラクタの山々が布を纏って不気味に乱立しているだけだ。マネキンの前を通り過ぎ朽ちたピアノの前まで来たとき、足許に何かが落ちているのが目に入った。亜里沙が気が付いた時、残りの二人もソレを目にしていた。
「……これは」
「ウソっ!!」
「やはり……」
三者三様の異なる反応。共通してるのは皆、少なからず驚き、そして動揺しているという点だ。そこには包丁、荒縄、ガムテープ、黒い手袋、そして――人の骨。人骨が散乱していた。
「うっそーー、嘘うそ、うそっ!! これ何かの冗談だよね? ねえ、ねえ、亜里沙――!」
「……いいえ、本物よ。私が見たところあれはきっかり人間一人分。多分、正確ではないかもしれないけれど――おそらく男性のものね」
「……」
腰を抜かして座り込んだ璃々の隣に膝を突き、彼女の肩を抱いてそっと囁きかけた亜里沙は、油断のない厳しい目でカトリーヌの方を見上げた。だが、カトリーヌの視線は乱雑にぶちまけられた骨の一群に縫い付けられていた。
一心不乱にソレを見つめて無言で佇む占い師の目には、恐ろしく怜悧な刃物の如き鈍い光がのぞいていた。
「――これは探す手間が省けたわね」
すっと女は切れ長の目を細め虚ろに呟く。亜里沙は友人を庇い立ちあがり、カトリーヌに対峙して断言する。
「これ、貴女が殺したんでしょう。カトリーヌさん」
「……!!」
後ろで璃々がひゅっと息を呑む音が聞こえる。彼女は座り込んだまま後ろに半身をひねった。しかし前方には推定殺人者、後方には人骨と、彼女は行き場を失くしその場で固まる。
「貴女がわざわざ胡散臭い大嘘ついてまでこの家に来たかったのは、これをお探ししていたってことでいいすよね。仮にもお客様に手を煩わせるのは心苦しいので、私が、昨日探して見つけておいたんですよ」
亜里沙は冷たい目でカトリーヌを見た。言葉も態度にも怯えなど欠片も見えないが、それでも璃々は不安から親友を引っ張るようにして手を伸ばしていた。
「なんのことでしょうか?」
俯き加減で表情が見えなくなった占い師の不思議そうな声音が辺りに木霊した。
「白々しいわね、さっき貴女が言ったのよ。探す手間が省けたと」
亜里沙は舌打ちをして後ろを振り返り、カトリーヌに人骨を見せつける。だが、ゆっくり顔を上げたカトリーヌは人骨ではなく亜里沙と璃々を見ながら目を輝かせてこう言った。
「ああ、それは。この呪われた家の元凶をついに見つけた……と言う意味ですよ。まさか、こんなものがあるとは思いもよりませんでしたが、ですが、これで良かった。これで、とうとうこの家の呪いも消えるというものですわ。フフ、ハハハ」
カトリーヌは、狂気を滲ませうっすら笑ってこちらを見ている。
(なんなのかしら、この余裕は? やはりこの部屋の中に協力者でもいるのかしら?)
亜里沙は不気味なカトリーヌの姿に警戒して周囲をさっと見廻す。だが、このわずかなスマホの灯りが届く範囲には、それらしき影は見えない。亜里沙は再びカトリーヌに向き直る。
「では、この骨は貴女のお知り合いではないのですね。私、てっきり貴女の前夫の『二ツ家 玲』さんだと思って掘り出したのです。彼ってずっと行方不明なんでしょう。ご夫婦の再会を手伝ってあげたかったのですが、これは人違いだったようですね」
「……」
「これはね、この屋根裏部屋の壁の柱にバラバラにして埋められていました。すでに漆喰が剥げかけていたので、見つけやすいことは見つけやすかったのですが、代わりに取り出すのがけっこう大変でしてね。ツルハシを使って取り出しましたが、もう骨が折れましたわ。それなのに目当ての人物の物ではないなんて、これではまさしく骨折り損と言うやつですわ」
「……」
「……懐かしいですわ、その名前。もう、ずいぶんと聞いてはいなかったのに」
しばし口ごもって立ち尽くしていたカトリーヌ。再び彼女が言葉を発したときには、その目にあった狂気が薄れ、代わりに浮かび上がってきたのは疲れきった老女のような姿だった。




