結婚するなら①
結婚と家族についてのお話です。
主人公は結婚したいけど出来ないクール系女子と人間不信気味な元ホームレスの男の二人です。
基本ギャグです。さらっと読めるような物語にする予定です。よろしくお願いします。
「――……結婚相手が、家?」
その部屋の中には、二人の女がいた。
陽に焼けて色の変わってしまった畳の上、敷かれた薄い座布団に座り向かい合う両者の間には、これまた古めかしくも懐かしい昔ながらの木製のちゃぶ台が置かれており、その卓上ではお茶が入ったグラスが汗をかいていた。やがてその汗は流れる雫となって机に落っこち、木目の色をより濃く変える。そんな濃い染みのような沈黙が、たしかに彼女たちの間にも広がっていた。
硬直しきった空間。うかつに身じろぎも出来ない、その状況を破ったのは――
「――ふっ……」
そんな満足げな吐息だった。
うだるような夏の午後。ひねった蛇口から出てくる水のように生温かい空気のなか、四方からは忙しなく鳴く蝉の声が聞こえてくる。庭の木陰から吹き込む柔らかい風は、ほんの申し訳程度の清涼さしか持ち合わせていない。
ゆったり茶を飲み、また、今度は菓子までにも手をのばそうとする相手を見て、ポカンと口を空けたまま固まっていたもう片方の女の体がわずかに動いた。そして次の瞬間、これまでの鬱憤を晴らすかのように勢い良く台の上を叩き、泰然と茶菓子をほうばっている相手に再び問い掛けた。
「亜里沙……ごめん、聞き取れなかったみたい。もう一度、お願い」
「もう、ちゃんと説明したじゃない。やだあ、また言わせたいの? うふふ……私ね、結婚したのよ。それも一週間前の7月1日に。ごめんね~。どうしてもすぐに式を挙げたくなっちゃって、璃々にも事後連絡になっちゃった。やだ、やっぱり……怒ってる?」
そう言ってもじもじと身体をくねらせて、舌をペロリと出ししまりのない顔を披露したのは『亜里沙』という女だ。
対する『璃々』と呼ばれた方は青白い顔をそのままにして、何とかぎこちない笑顔を作り首を振った。
「ううん、いいのよ。そんなこと気にしないで。でも、ちょっと寂しかったりもしたけれど」
「うふふふ、ごめんね~。アイツは別に来なくてもいいんだけど、璃々なら大歓迎よ。いつでも遊びに来てちょうだい」
上機嫌で嬉々として璃々の手を取る亜里沙。まだ瑞々しい若さを保ったままのきめ細かいその肌は、ささくれだった専業主婦の手に重ねられることによって尚一層の輝きを見せる。璃々は、ぼんやりと赤いネイルを眺めつつ無邪気な友の笑みを真正面から受け取っていた。
心温まる穏やかな雰囲気が流れかけるが、だがしかし、そんな状態は長くは保たなかった。笑顔をキープしたままの亜里沙とはうって変わり、璃々の顔色はじょじょに悪くなっていく。終いには体全体を震わせ、うっすら目に涙すら滲ませている。
「――怖っ! うふふふって、なに!? しっかりしてよ、亜里沙!! 亜里沙はそんなキャラじゃなかったでしょ……。うわ~ん高次く~ん。どうしよう亜里沙が変、変になっちゃったよ~」
璃々はとっさに夫の名を叫んだ。助けを求め周囲に視線をやるが、もちろん誰一人助けにやって来ることはない。
それもそのはず。なんせ現在この家にいるのは家主の亜里沙とその客人の璃々だけなのだから、璃々の味方など現れるはずもない。
「璃々、煩いわね。アンタ本人を前にそんなこと言う? もうっ、ほんと失礼しちゃうわ!」
膨れっ面して亜里沙がプイっと顔を横にそむける。だが、それはあくまでポーズだ。怒りよりも喜びが勝っているのか、すぐに目じりを下げてとろけた表情で友人の肩に手をやり、こう夢見がちに告白した。
「そんなの仕方ないじゃない。だって、『恋』は人を『変』にする、人を狂わせるものなのよ。……いいえ、これはもう恋ではない。私の気持ち、私たちの間にあるのはすでに『愛』! 私たち、たしかに永遠を誓い合ったのよっ!!」
「うわ~~! 超絶クールな亜里沙のツンがデレたっ!? ツンデレがデレたらただのデレデレじゃない! あの、亜里沙が『愛』って言うなんて……。凄い鳥肌だよー、おかしいよー、世界が終わるよー!!」
亜里沙が自信を持って発したその言葉がどうやら致命傷となったようだ。璃々は子供のようにジョバジョバと泣きだした。
しかし、あわてず騒がず美しく。あくまでマイペースな態度を崩さない亜里沙は、涙にまみれる友人を見てもまったく動じずに、しげしげと自分の右手を広げて眺めている。
そして、おもむろにその手を顔にあて恥じらうように頬を染めた……ように見せかけて、もちろん、まったく恥じることのない、堂々とした指輪アピールを開始する。
そしてキラキラ光るその輝きに面白いように喰い付く魚、もとい女がいた。
「うっわあ、凄~い! それってカルティーのプラチナリングじゃん。ダイヤモンド入りなんて超贅沢!! 一体全体おいくら万円なの!?」
「ンフフ、教えな~い。婚約指輪は作らなかったし、その分こっちは奮発したのよ。どう? この曲線美、素敵でしょう。ダイヤ入りでもギラギラしてなくて上品だし」
ドヤぁと字幕が入りそうな得意げな顔で、亜里沙は机に突っ伏す璃々を見下ろす。通常の円形の指輪とは違い、上からみるとプラチナがハートの形を作っている。さすがは憧れの老舗ブランド。実物は写真で見るよりも美しいうえに可憐さと上品さを併せ持っている。
そして心なしか、元から高い亜里沙のお鼻の高度もますます高さを増しているように見える。さすがは高級ブランド、メスも使わず美容整形効果もあるらしい(人によります)。
「亜里沙が自分で買ったの? 凄い、さすが!! やっぱ大手広告代理店の副支店長は違うわ~。でも、よくそんなお金があったよね」
「これくらいどうと言うことではないわ。だいたい、私は璃々と違って無駄遣いもしないで貯金はしっかり貯めてきたもの。それに、いままでの男たちから貢がせ――ゴホン。ご厚意で頂いた物を全て処分したら、けっこういい金額になったのよ」
ほくほくとした顔でわりと外道なセリフを吐きながら、自慢の黒髪をフワリなびかせる亜里沙。
一方、さり気なくディスられながらも気にしていないのか、気づいてないのか、璃々がおっとり首を傾けて質問をする。
「だって……これのほかにも大きな買い物、したんでしょ?」
蝉の声がピタリと止まる。
室内が一瞬にして静まりかえる。
璃々の何気ない一言。それが周囲の空気を確実に5度は下げた。
真夏のはずなのに、笑顔の亜里沙からはひんやりとした冷気が放たれている。その異様なまでもの鋭い圧は一瞬にして半径5メートルを瞬間冷凍させた。カチコチに固まる璃々。その姿はまさしく蛇に睨まれた蛙状態。蛙――もとい、璃々の額から冷たい汗が滴り落ちる。
「ええっと、だから……さっきのことなんだけど」
「あら、なんのこと? 言たいことがあるのなら、はっきり人に伝わるようにしないと駄目じゃない。ねえ『桃原 璃々』さん?」
その言葉に璃々の背筋に悪寒が走る。思わず伸びてしまった背中が姿勢を正し綺麗な正座の形となった。だが、口と眉は尖らせて存分に抗議をする。
「もう桃原ではありません! 亜里沙に桃原って言われたら、代理店時代を思い出して嫌な汗かいちゃう!」
ほら脇汗びしょびしょ、と手で仰いで風を作ろうとする璃々に対して亜里沙は腕を組み、うんうんと頷いてみせた。
「懐かしいわね~。あんなに使えない娘は初めてだったもの。よく心が折れずに頑張ったものだわ。偉いもんだわ、さすがは私!」
「またそんなこと言って~。そんなに厳しいことばかり言っちゃうから、皆脱落しちゃったんじゃない。同期なんて全滅……って、そんな話をしたいんじゃないのーーー!」
璃々が頭を犬の尻尾のように、勢いよくブンブンと振りかぶる。そして、ちゃぶ台に両手をつき大きく身を乗りだした。
「だーかーらー、亜里沙の旦那さんって誰なの? 結婚相手の『二ツ家』さんをここに連れて来てよ。今すぐに! 早くちゃんと紹介してよ!!」
いつもはどちらかと言えばおっとりした亜麻色の瞳に、しっかり気迫と気合を込めて璃々は親友の顔を至近距離で見つめる。そのまま両者は一歩も譲らず、しばし無言で睨みあう。
だが、やがてニヤリと一つ亜里沙が不気味な笑みを浮かべる。嫌な予感を覚え瑠璃は怯んだように頭をのぞけらせていた。
「だっかっらっ、ソレはさっき言ったじゃないの。それに『結城 璃々』さんもご自身の口でちゃんと言ったわよ。自分の言ったことくらい覚えておいてよね。いくら専業主婦だからって惚けるのには、まだ早いんじゃないの。アイツ――高次さんが可哀想じゃない?」
揶揄するように、にんまりと笑う亜里沙。
一方、璃々はそれどころではない。結城璃々が言った言葉。きっとそれはこうして二人向かい合ってから最初に言った、あの冒頭の一言で間違いないのだ。
「ま、ま、まさか……本気なの!?」
冗談でしょ、っと言いたい璃々に対して余裕の顔であっさりと頷いてみせる亜里沙。その姿はなんら間違いなどないと自信に満ちた溢れたものだった。
「私は本気よ。だって愛しているもの。あのね……これは一目惚れなのよ。でも、それだけじゃないわ。やっぱり、外見よりも中身が一番大切ですものね。私にしてみれば、逆に不思議だわ。なぜアンタには分からないのしら、この彼の魅力に」
そう言って、うっとりした表情で亜里沙は両腕を大きく掲げた。その魅力、素晴らしさを讃えるかのように天に向かい高らかに称賛を謳いあげる。
「ほら見て!! 逞しくもこちらを丸ごと包み込んでくれるかのような優しさに溢れる無限大の包容力を」
亜里沙は広げた腕を下ろして自己を抱きしめる。恍惚とした表情で目を閉じなおも言い募る。
「そして雨にも負けず! 風にも負けず! 不埒な者からも24時間、年中無休で私を守ってくれる! 父さんのような力強さ、そして母さんのような慈愛。――フッ。これを運命の相手と言わずして、なんと言うのよ!!」
「我が家って言うんだよ! それじゃあ、まさか二ツ家っていう名字は……」
鋭いツッコミに反して虚ろな目で璃々が問う。その問いに返ってきたのは、眩いばかりの瞳の煌めきを含んだそれはそれは綺麗な笑みだった。
「まぎれもない彼の本名よ。最初に出会った時から変わらないわ、あの表札。アンタも見たでしょ、あの気品ある佇まい……さぞかし名の有る家、名家に違いないわよね。まさに完璧、彼は完璧だわ。……まあ、少し年上なんだけれど、愛があれば歳の差なんて気にならないわよ」
「表札って、あのボロっちい使い古した薄汚れた板のこと? でもあれって前の住民の物でしょう、亜里沙の名字に変えなさいよ。だいたい、それって本名って言うのかな……ってか、いったい何歳なのよ」
これだからワビサビの分からぬ小娘は……と吐き捨て、頭を振った亜里沙はゆっくりお茶を啜る。そして、ふーっと息を吐き言った。
「築50年よ」
「築って言ってるじゃん!? 旦那の年齢は築じゃないよ~!!」
「うるさいわね、静かにしなさい。彼に聞こえるじゃない!! こう見えてこの家、すっごくナイーブなのよ。すぐガタガタ震えちゃうんだから!」
思わず家と口にした亜里沙に璃々が素早く突っ込みをいれる。
「家って言ってるじゃん! てか、それって分かりやすく欠陥住宅なんじゃないの!?」
「なっ!? それは言葉の綾よ!! だいたい彼に欠陥、いいえ、欠点なんて一つもないのよ。むしろこれは隙。ちょっと隙のある彼氏なんてご褒美じゃないのーー!!」
こめかみに青筋を立てて反論する亜里沙だったが、逆に目に涙を溜めた璃々に力いっぱい肩を掴まれ前後に揺さぶられる。
「目を覚ましてよ!! きっと亜里沙は悪徳不動産屋の禿げ親父に催眠術でアッーーーー! ってな感じで洗脳されてるのよ。このままじゃ亜里沙の身に大変な事が起きちゃうよ! ――いや、ううん、もう事後? 事後なのね! 亜里沙の身も心もいいように弄ばれた後なのね。……だからこんなに頭がおかしくなっちゃったのね。うわ~ん、高次くん。どうしよう!?」
異様に鼻息を荒くしながら赤い顔で迫りくる璃々の迫力に、思わず亜里沙もたじろぐ。体を少し後退させながら亜里沙が気色悪そうに顔を歪める。
「璃々、ちょっといい加減にして。アンタ、スマホアプリでエロ漫画読み過ぎじゃないの?」
そんなアホなことが有るわけないでしょう、と言って亜里沙は璃々の手を払い除け立ち上がる。慌てて璃々も立ち上がろうとして、無様にべシャリと体ごと畳に前のめりに潰れる。
どうやら長時間の正座が堪えたようだ。足を手でさすりながら、小鹿のように震えている。その姿を見下ろし亜里沙が宣言する。
「もう遅い! アンタがなんと言おうと、誰がどう言おうと、私はもうこの家のもの。そうよ、身も心も……全てを捧げたのよ!!」
と言って、亜里沙がくわっと限界まで目を見開き唾を飛ばす。それに璃々は恐れおののきながらも気丈に言い返す。
「くっ!! 足が痺れて動けない。なんて卑怯な奴なの、『二ツ家』! きっと最初からこれは罠だったのね。私の親友を変態パワーで弄ぶなんて許せない……。この報い、必ず受けさせてやるんだから! 絶対、亜里沙を正気に戻してみせるんだから!!」
亜里沙と璃々、両者同時に振り返る。きしくもそこには黒い影。
――そう、『大黒柱』がどっしりと構えていた。
それはこの家の大事な大事な心臓部。大の大人ふたりでも囲いきれないほどに太くてご立派。それを見据えた二人が同時に宣言する。
「絶対、離れないわ。貴方は私の大事な――」
「絶対、取り返すわ。見てなさい、こんの――」
「「――……家!!!!」」




