二 「魔法」とストレス
受付が内職を始めるという非常事態。大学の大教室より授業崩壊しているが、大丈夫、ここは開店休業の窓口。何が大丈夫なのか、我ながらよく分からないけど、読者の皆様も誰一人心配はしていないはず。
静かなフロアで、やることもないから、ちょっと解説してあげよう。
宿題の邪魔するよりは、生産的な営みだろうし。
この異次元宇宙は、地球が所属するそれとは似ているようで、決定的に違う点がある。そう、地球人類が夢想する「魔法」のようなものが、法則として組み込まれている。
それは人類の日常生活にも広く使われており、結果として地球人類より遙かに恵まれた環境を作り出している。
例えば、肉体に生じた傷や病変といった異常は、速やかに発見され、修正する――治療とも呼ぶ――ことができる。だから、寿命を縮めるような「病気」は発生しない。
老化すらもある程度はコントロールできるから、見た目は地球人類みたいな人々の平均寿命は、軽く三百歳を超えるという。
このような肉体コントロールは、少なくとも三千年前の人類が既に獲得していた。
もちろん、コントロールは任意だから、やらなければ病気になるし、老化する。長生きしたくない人は、そうすればいい。
延命拒否の権利を行使する人の気持ちは……、そこは深入りしないでおきたい。
また、電気やガスなどのインフラ問題が存在しない。
たとえば調理用のコンロはあるが、それらに燃料を供給する必要はなく、その代わりに「熱を出す」、「温める」といった機能が付与されている。水なんて、管につながっていないただの蛇口で済んでいる。電気器具らしきものも、それぞれの付与で勝手に起動する。
日常生活に必要な、さまざまな付与の力。
ただし、こちらは生まれつきではなく、誰かが器具に与えなければ使えない。
「魔法」そのものは、この宇宙が元々備えている。だから、コントロールする方法さえあればいい。付与とはそういうものだ。
現在は、各国がそれぞれの端末でライセンス発行を要請し、認可されればその時点で付与の力が備わるという形式……と、先代に一応は教えてもらった。
しかし、それは何も説明していないに等しい。端末はどこにつながるのか? 許可する者は誰なのか? どうやら先代は何も知らなかったようだ。
私は、それを知らないままで過ごせるほど、人間ができていない。なので、神さま…というか私の力でその詳細を探り出した。
「宇宙の上位にある者」だから、宇宙の記憶も歴史も、知ろうと思えばいつでも知ることはできる。まさしく、やればできるけど、やらないだけだぁ。
どっかの協会の人みたいな叫びはおいといて、「魔法」を与える主は、実はどこにもいない。いないのに端末が使えるという、SFなのかホラーなのか謎のシステムから、付与の力は供給されている。
………そもそもこの宇宙には「魔法」はあるが、それを制御する者がいなかった。
ところが、都合のいいことに「魔法」の力を取り出せる者が現れた。そう、この宇宙にいないのだから、異世界から能力者がやってきたのだ。
一人目の能力者が現れたのは、今から二千数百年前。彼は――性別はあってないような存在らしいので仮に彼と呼んでおく――たまたまこの宇宙に現れ、お願いすれば付与してくれる、そんな機械を製作した。
彼はなかなかの実力だったようで、簡単な嘘発見機能をつけて、悪用対策とした。さらに、ライセンス料は取らないことも定めた。まぁその頃にライセンスなんて考え方があったのかは分からないけど。少なくとも、地球にはなかったはず。
以来二千年以上、「魔法」制御器具はそのまま使用され続けた。付与の種類は「熱」と「水」の二種。単純なものだが、組み合わせれば蒸気機関ぐらいたやすい。この星の人類たちは、その無料で無限な力を使って、工夫を重ねて文明を発達させてきた。
そして二人目の能力者は、二十年前に現れた。そう、たった二十年前。
彼女は電気などを付与の対象に加えた。他にも、文明発達と人類の爆発的増加に対応して、いくつかの新たな付与を造りだした。さらに付与の手続きを、二千年前の古代言語ではなく、現代の人類が最も普遍的に使う平易な言葉に変え、端末で簡単に済むようにした。
例の嘘発見機能は高機能化され、蓄財の意思を持つ者と判定されれば、端末に触れることができない形になった。どうやって判定しているのか謎らしい。
ものすごく親切な二人目は、女性であったことが判明している。
判明というか何というか、…………私の母親だった。
我が母は、第二の「宇宙の上位にある者」。いや、順番からすれば私が二番目なのは内緒だけど、ともかくそんな母が、神さまに選ばれたわけでもないのに、なぜこの宇宙を訪問したのか。
母の記憶は私にすら覗けない。だけど母の人となりを私はよく知っているから、想像はつく。たまたま、だろう。
「宿題おわり! 静かな自習室だな、ゆう」
「すばらしい皮肉ね」
そんな宇宙の秘密も知らない地球人類が、まるで高校生みたいに叫ぶ。
おっと、高校生だった。
受付のテーブルには、バカなりに熱心な作業の結晶と、飛び散ったケシカス。神聖な窓口で何さらしとんじゃーと思う間もなく、ケシカスは消えた。バカは気づいていない。これではいつか、光安ごと消去されかねない、ああ困ったなぁ。
……冗談はさておき。これは母が作った新しい付与の力。ゴミ問題に対応したらしいが、具体的なシステムをこの世界の住人は誰も知らない。
所有者の意志を何となくくみとって、ゴミと判断されたものを分解、自然環境に還元するという。その、所有者の意志というのがとても曖昧なのだが、誰が使うか分からないテーブルや椅子でも、その場の利用者の意向を反映するというのだから、もはや付与という次元を超えている。
自立コンピューター制御を、電源どころか何の装置もなく、ただ付与の力を与えたと認定するだけでやらせている。しかも膨大な量が日々生み出される。
…………。
あまり言いたくはないけれど、母はこの宇宙の「法則」以上のものを残して去ったとしか思えない。
一方で、傷一つないテーブルは「魔法」の応用だ。
人体の老化のコントロールは、要するに体内時間の制御と修復だから、原理的には人体だけに適用されるものではない。自宅や工場、あるいはペットなど他の生物をコントロールすることは可能だし、それは各国政府の御墨つきもあるらしい。
だから、窓口のある雑居ビルも、新築そっくりさんだけど築百年。人体と違って、別に二十四時間コントロールする必要はないのだから、わずかなコントロールだけで十分維持できる。
そう考えると、コントロール能力はけっこう恐ろしい。まぁ同級生を白骨にして復元した私が言うのも何だけど、そんな力をもつなんて、全人類が神さまみたいなものだ。
「ゆう、腹減った」
「じゃあ胃袋に…」
「巻き込んだ上に嫌がらせするなよ…」
ただし、十五人の神さまの能力は、今挙げたような「魔法」とはやはり性質が違う。
「魔法」は、この宇宙に元から備わった法則。神さまは、宇宙の外部から干渉する力。宇宙にストレスを与える存在が神さまなのだ。
だからこそ創造主なんて別名もある。
先代も一応、そんな名前で呼ばれていたらしい。
「みつやすくん、初めてのおつかい、よろしく」
「緊張するなぁ」
「大丈夫、何もしなくていいらしいから」
「それが理由分かんねぇから緊張するだろ」
「アンタの妹さんほど理由分からなくはないから大丈夫」
「曜子は曜子だ、分かるだろ」
「はいはい」
話の腰を折り続けるじゃま者を、体よく追い出す。ちなみに、この世界に財布はネェ、カードもネェ。肉体そのものを情報源として、しかも非接触ですべて済むから、買い物は地球の常識でいうところの万引きみたいな状況になる。これも母が残した付与の一つだ。
私もまだ経験していないので、普通人類のバカに最初のサンプルとなってもらう。大丈夫、神さま引き継ぎの際に、相応の資金は受け取っている。宇宙の万引き者にはならない。
……いや、光安はただの地球人類だから、その肉体は無一文状態なのではって?
うん、まぁそれはそうだけど、どうにかする…ということで、行ってらっしゃいダーリン。脳内妹もサポートよろしく。
「なんか悪寒がしたぞ」
「気のせいじゃないから」
話を戻そう。
宇宙にストレスを与えるというのは、選ばれた者のもつ強大な能力。過去十四代の神さまたちは、いずれもその意味では間違いなく特別な存在だった。
ただし、宇宙もまた、異物を排除しようとする。だから代々の神さまもまた、大きなストレスを受け続けていた。小さな石ころ一つを増やす程度の干渉ですら、宇宙からの代償は強大だったという。
………そうなのだ。
過去の神さまは、そんな、ほとんどなんの役にも立たない干渉能力しか持っていなかった。さすがに先代は、多少の未来予知能力――長くて数時間後まで――があり、占い師みたいな営業をしていたらしいが、その程度の神さまでは、窓口が閑古鳥なのも当然だろう。
にも関わらず、神さまは必要とされている。私が就任するにあたっても、この星の各国において、形式的とはいえ承認がなされている。象徴神さま制、だ。
神さまが必要だった、本当の理由。
それは、付与のシステムを稼働させ続けるための生贄だった。
まぁ実際は、そんな深刻なものではない。
付与のシステムは、その性質上、特定の国や勢力の下にあってはならない。そこで二千年前の初代は、ストレスを動作の条件に加えた。そう、宇宙が与えるストレスを感知して動くというトンデモ仕様。
仕方なく呼び寄せた代々の神さまは、システムの管理者となる。ただし管理と言っても、ただ異物としてストレス発生を促すだけで、システムに触れることはできない。結局、システム自体は誰の命令も受けず、勝手に動き続けてきた。
そう。仮に、誰かが神さまを支配下に置いたり、神さまが自身がシステムを独占しようとしても無理。神さまが自殺をほのめかして脅しても、死ねば代替わりするだけだから脅しにならない。
権力のない飾り物に厄介ごとを押しつけて争いを防ぐという意味では、まさしく象徴王制。こんなトンデモなことを考えた初代は、たいした切れ者だったと断言していい。
「ゆう!」
「何ですか観世音様」
なお、過去形にしたのは過去の話だから。
先週その話を聞いた私は、すぐにシステムを改修しておいた。改修といっても、黙って動けと命令しただけだから、その事実を知っているのは私たち二人と、たぶん母親だけだ。「宇宙の上位にある者」が命令した以上、今後はストレスを条件としない。それがこの宇宙の新たな法則になった。
………つまり、私が神さまに就任する理由もなくなっていた。
「聞いて驚け!」
「何ですか観世音様」
そんな「改修」を、なぜ母がやらなかったのか謎だ。
謎……ではないか。
知らない宇宙を書き替えることが、その宇宙にとって幸せなのかは分からない。だから母は自制した。私が自制しなかったのは、宇宙に呼び出されるという大義名分があったから…かな。本当はその場のノリで変えてしまったけど、そういう言い訳で済ませておこう。ちょうどいい具合に菩薩も帰還したし。
※誤字修正