二十七 種の保存
思えば長い人生だった。
人生。そんな単語を知ってからですら、数えようもない年月を重ねた。
さすがにもう、次はあるまい。
久々にはっきりした意識が続く間に、世界におさらばしようではないか。
「いい天気だな、曜子」
「薫お姉ちゃん、今ごろあの辺?」
「俺に聞かれても困るが…」
土曜日の午前中。山々を望む広葉樹の森の中に、三人はいた。
とは言ってもハイキングではない。はしゃぐ兄妹の後ろに、例のポールが立っている。だから曜子の服装も、チェック柄とかニッカポッカではなく、水色のシャツにジーンズ。好きな男の子とデートもできそうな姿なのに、隣が兄者なのは何だか残念ですねえ。
というか、兄者も似たような格好だけど、並んでみるとスタイルにだいぶ差がある。いや、はっきり言おう、脚の長さがほとんど同じに見える。一応、現時点で兄妹の身長は二十センチ違うはずなんだけど。
「何だゆう、嫉妬か」
「お姉ちゃんも一緒に歩こうよ!」
「もちろん」
「むむ………」
曜子に誘われたので、光安の右手をガッチリ組む。これで、俗に言う両手に花が完成するのだが、俗に言うイメージと何か違う。
左から右へ、木琴のように頭は高くなる。そして―――――、脚の並びはあえて言うまい。二人の時は今さら気にしないけど、三人目が加わるとやっぱりアレだ。うん、どうでもいい、どうでもいいけどさ。
「とりあえず、俺は非常に歩きにくい」
「運動会の練習だと思えば?」
「こんな競技があるかよ」
そうして到着したのは、鬱蒼とした森の中に静かに佇む博物館。
正確に言えば、博物館的な展示もしているが、どちらかといえば研究施設がメインの場所で、オシャレな雰囲気のかけらもないシンプルな建物が一つある。
この博物館と我らが家は、同じ山の麓という位置関係になるが、直通する道路はない。一度街に戻らないと行けない不便な立地……と言いたいけど、まぁそこはポールがあるので問題はなかった。
「おはようございます!」
「あらおはよう。こんな季節にわざわざ来てくれるなんて感心ですね」
「…友人に紹介されたもので」
「種の保存館」、そんな控え目な看板の建物は、飽海市民の曜子なら入場無料。私たちも今は市民に偽装中なので、無事にゲートをすり抜けた。
別に、入場料をケチろうとは思わない。何だかんだと、十五代目の年俸はこの国の平均収入以上あるし、十四代目から引き継いだ資産もある。むしろ散財してしまいたいぐらいだ。
「初等部…でいいのよね」
「はい! 初等部五年です」
なお、私たちにとって曜子は「小学生」にしか見えないけれど、受付の中年女性は少し迷ったようだ。たぶん背丈で引っかかったのだろう。
一五〇センチの曜子は、クラスで二番目に背が高いらしい。この国の子どもは、栄養状態が悪いわけでもないのに、日本の同年代より小さめだ。
「展示室は二つあります。奥の部屋に、飽海山地の貴重な植物があります。ただ、今は時期が…」
「ありがとうございます。解説を読んで勉強します」
「は、はい。どうぞごゆっくり」
さて、そろそろ話さなくてはなるまい。
そう、唐突に我々がここを訪れた理由。それは今朝六時の出来事に遡る。
高橋駅跡のポールを待ち合わせ場所とした、若井、薫、大場氏の登山組。私は昨夜は地球に帰っていたし、別にその場に立ち会う必要もなかったけれど、五時に目覚めてしまったので、薫の顔でも眺めようと集合場所に顔を出してみた。すると、二度目の対面となる大場氏が、とある情報を教えてくれた。
そう。
この、種の保存館というマニアックな研究施設の存在を。
そして、十四代目がこの施設に毎年寄付金を贈っていたことを。
「曜子、ちょっと寒くないか?」
「大丈夫だよ。それより、きれいな花がいっぱい」
「確かに…、ウチの山より上かもしれん」
展示室は二つあるが、片方は温室ではない冷室。対して、受付のすぐ先にある第一展示室は、田舎の入館無料の記念館によくあるパネル展示などで構成されている。
もちろん、人影はない。
土曜日の朝といっても、山のシーズンはとっくに過ぎている。飽海市はたぶん、地球側の私たちの町より少し寒い。「こんな季節」なのは間違いなさそう。
「アクミって名前が多いな」
「固有種が多いって、そこら中に書かれてるわ」
「だから、みんな山好きなのかなー?」
「ふぅむ…」
世捨て人の十四代目。そのくせ税金は免除されている――ついでに選挙権もない――から、彼には寄付するぐらいしか金の使い道はなかったと想像はできる。
それでも、彼が定期的に送金していたのは、ここだけだという。私は彼から、結構とんでもない金額を引き継いだから、金銭感覚のない大人ではなかったと判断できる。むしろ、ドケチと呼んでも差し支えない。それなのに、なぜ寄付を続けたのやら。
不思議…といえばそうだけど、まぁ家から一番近い研究施設だ。そもそもあの家は、パネルの高山植物の山の登山口にあるのだから、それほどおかしな話ではないのかも知れない。
「曜子も山が好きなのか?」
「うーん」
「そうでもない、と」
「だって、まだ良く知らないから」
「ま、そりゃそうか」
「うん」
パネル展示されているのは、主に飽海山地の固有種。家の前の登山口から、主稜までは二日を要するらしいから、身近に咲いているという感覚にはなれないが、とりあえず「山上には高山植物の楽園が広がっている」とか書いてある。こういうノリは日本と変わらないようだ。
そして、光安が意味もなくライバル視するのも分からなくはない。
というか、我らの高校の校歌に歌われる山とは、正直レベルが違う。世界有数の花の山とも書かれているし、それだけの環境だから、わざわざ保存館という施設まで作ったのだろうし、そもそも光安の山なんてないし…。
「曜子、若井はもうここを見たんだよね?」
「うん。薫ちゃんと、実川さんと行ったって」
初登場の実川氏。要するに、会席の場にいたもう一人の中年男である。考えてみれば、大場氏ほどはのめり込んでいなかったが、実川氏も山好きのようだった。
……まぁでも、これだけ花が咲いてる立派な山が地元にあるのだ。曜子がつぶやいたように、だから山好きが多くても不思議ではない。ロクに出歩かない人々の中で、二本の足で地面を踏みしめる貴重な人々。別にそれはそれでいいのだ…が。
「ゆう、十四代目の話は聞かないのか?」
「今日はアポなしだから」
……その話題は避けていたのに、彼氏は心配症だ。お父さんみたい?
まぁ、寄付金をお願いされれば、断わるつもりはない。展示を見る限り、この山の植物は貴重なものだ。私は飽海市の神さまではないけれど、縁あって窓口を置いているのだから、地元貢献にもなる。
「お兄ちゃん、アポってなぁに?」
「ああ、それはいにしえのプロレスラーの…」
「しゃべる前からニヤニヤしないで。これだからお船ちゃんに三バカ呼ばわりされるのよ」
ただ、やはりよく分からない。
十四代目の寄付金と、周囲に広がる山好きには、何らかの因果関係が存在するのではないか。
――少なくとも、若井が絡んでいるのはおかしい。
二人は私が造ったから、その性格や嗜好に、わずかに私に似た部分があったとしても不思議ではない。二十四時間自律した人格ではなかったのだから、それはたぶんあるはず。しかし、若井の山好きは私とは無関係だし、もちろん光安のような地元愛を受け継いだのとも違う。
とても馬鹿げた話だが、そこには何らかの力が及んでいるように思えてならない。
「宇宙の上位にある者」の私が造ったのだから、二人の誕生には何も介在する余地はない。しかし、誕生後の若井は普通の人類なのだ。逆に、能力者の曜子が山好きにならなかったことも、そう考えれば………。
「失礼ですが、……高橋、裕美様でしょうか?」
「ええ、そうですが何か」
…と思索にふける間もなく、名前を呼ばれた。
そこに立っているのは、見知らぬ白髪の男性。まぁ見知らぬと言っても、さっきからこちらを覗いていたことぐらいは知っている。伊達に神さまはやってない。
「ようこそいらっしゃいました。所長の小笹と申します」
「はじめまして。プライベートな訪問ですので、お気遣いなく」
「すごいねー、ゆうお姉ちゃんは有名人なんだねー」
きっと大場氏の差し金だろう。地方公務員の鮮やかな連係プレーに、まんまと引っかかったわけだ。
どこかのファンタジーな世界みたいに、命のやり取りをするわけじゃないし、大場氏には全く悪気はないし、いちいち腹は立てない。とはいえ、一応私は地球では高校生なのだ。大人のやり取りを楽しんではいないのだ。
そこら辺を分かってほしいのだが、小笹氏は我々三人を応接に連れて行くのに必死な様子。関係者以外立入禁止の扉を開けて、早足で掛けていく。
ちなみに、小笹氏の身長は曜子より少し高い程度。それは、この国の男性としても低い方だと思われるが、曜子が大きく見えるのはやっぱり不思議だ。まだ十二歳の曜子はとても華奢で、私と比べれば子どもそのものなのに。
―――――私と比べるなって? いいじゃない減るもんじゃあるまいし。
最初に会ったのが薫だから勘違いしてしまったのは事実。
この星の人類も女性の方が小さめのようだから、薫は相当大きい方。その薫より頭一つでかい私は、どんな目で見られているのだろう。あ、異世界人? 神さま?
「プライベートですので、用件は手短にお願いできれば」
「は、はい。その…」
会議室は、確かに会議室とプレートが貼ってあるが、事務室の一区画。扉もついていないので、多額の金銭が動く密談には向いていないように思われる。
…まぁ、小笹氏が密談をしようと思っているのか怪しい。「高橋様高橋様」と、密談相手を大声で連呼するヤツはいない。向いていない性格だと思う。
「大場さんとは事前に打ち合わせていたんですか?」
「え、………ええ。あの、若井様も交えて」
「若イーって偉い人だったの?」
「曜子、偉くなくとも様で呼ばなければならない時があるんだ」
先方には既に牽制したが、今日の訪問もあくまでプライベート。そこを強調しながら話の主導権を握ろうと思ったけど、兄妹と一緒ではそれも難しそう。
それよりも、若井が絡んでいるとは。どういう行動力なんだ。この調子だと、今ごろ登山のついでに謀議を進めていそうで困る。
―――――やはり、おかしい。
隣にいるのは、きょろきょろと会議室を見廻している曜子。自分の身体を得た彼女は、もちろん日々新しい知識を身につけているが、現時点では光安の脳内にいた頃とそれほど違いを感じない。当たり前だ、まだ一週間しか経っていないのだから。
なのに若井はどうだ。
光安が全く山に興味がないとは言わないけど、ここまで執拗に山山と言い出すはずはない。いや、若井は元から光安とは無関係に騒いでいただって? 彼の意識は、私の影響で生まれ、光安の脳内で成長したのだ。二人以外の誰かが介在する余地はない。というか、山好きを植え付ける意味って何?
「このケーキおいしい! ありがとう、おばちゃん!」
「そ、それはどうも…」
「曜子。………おばちゃんは」
「どうぞお気になさらず」
受付にいた女性が、お茶とケーキを運んでくる。ちなみに、お茶は付与のアレで、わりとまずいが、私と光安には、それを思っても声に出さない程度の理性がある。というか、曜子には後で指導が必要だ。おばちゃんと呼んで間違いにならない相手でも、かしこまった場では他の表現にしなければ。
………もっとも、曜子の口から「ご婦人」とか言われるのも嫌だな。まぁ、面と向かっているんだから、ありがとうとだけ言えばいいよね。
閑話休題。
小笹氏の話は、もちろん寄付金のことだった。大量の資料がテーブルに置かれていたが、私はそこから金額が記された紙を一枚取って、現状維持で継続するとまず告げた。
最初に結論を言わないと、恐らく今日はここで夕暮れを迎えるだろう。
異世界人である私に、飽海山地の植物保存の価値をどう伝えるべきか。小笹氏は、当然のことだが私が「無知」という前提で一から説明するつもりだったはず。しかし、私はそこまで無知ではないし、寄付する価値のある施設だとも理解している。
無数の他の研究施設を並べて、ここだけを選ぶというならともかく、価値の有無だけなら絶対的基準で判断すればいい。
「一つだけ質問させてください」
「な、何でしょうか」
「十四代目が寄付するようになった経緯は、どのようなものだったのですか?」
「シゲオ様ですか…」
遠い目で壁を見つめる小笹氏。ここでもシゲオなのか。いい加減、ツッコむ気にもなれない。
それはさておき、小笹氏の知る経緯はシンプルだった。種の保存館が造られたのは三十年前。その開館直後に、十四代目がここにやって来て寄付を願い出た。彼は額を伝えただけで、すぐに去って行った。そして、二度と来館することはなかったが、寄付は続いたという。
「わけが分からんな」
「光安、そこはもうちょっと婉曲表現してほしいわ」
「す、すみません。私も正直、よく分からないところがありまして」
十五代目の体裁を守るため、一応は光安を叱りつけてみたが、おおむね同感だ。明らかにおかしい。まるで、誰かに頼まれて仕方なくやっているかのようだ。
しかし、十四代目は一人暮らしの世捨て人。山好き、植物好きと交流していた形跡もない。これだけの施設に、二度と来ないようなヤツが、そもそもそんな人種と仲良くやれるはずがなかった。
「小笹さん、お話はそれぐらいにして、第二展示室を案内していただけませんか」
「え、ええ」
寄付金の維持に成功して、明らかに機嫌が良くなった小笹氏。何日も徹夜して作成した…かも知れない資料が手つかずのままだけど、こちらの提案を断わりはしなかった。
まぁ何というか、お疲れさま。
「おお、これはすごい」
「お兄ちゃん、どこがすごいの?」
「……時期外れですので、あの、申し訳ありません」
第二展示室は、高山の環境を再現して、そこでしか咲かない花が見学出来るという画期的な施設。岩壁もあれば草地もあるし、中央には高層湿原のような区画もみえる。とてもこだわって造られているようだ…が、現在はほぼ枯れた状態の草木が見えるだけ。
だからって、光安がイヤミを言うほどのことじゃないけどね。
「ここが当館の自慢です」
「ユウノソウ…ですか」
「はい。超塩基性の岩場で、南西方向で霧がたちこめる場所でしか育たない稀少な植物を…」
「夏に来たら良かったんでしょうね」
「は、………はい」
ご自慢のユウノソウ栽培エリア。そこだけアクリル板のようなもので囲われていて、金がかかっていることはよく分かる。肝心の植物は、爪楊枝ほどの茎に、黒ずんだ細い葉がついているだけだが。
うーーーーーーん。
小笹氏は急に饒舌になったし、たぶんこれでいいと思っているのだろう。しかし、わざわざ金をかけて特殊な環境を再現するのなら、開花時期をずらして年中花が咲くようにする方法だってあるはず。
一応、それとなく確認してみたが、小笹氏の反応は微妙だった。
どうやら、小笹氏が望んでいるのは「自生地と同じ環境」。同じ時期に、同じように咲くのが理想なのだという。
裕野岳――裕が一致するけど私とはもちろん無関係――は三千メートルを超える山で、その中でも垂直に近い岩壁に自生するから、登山者でも実物を見る機会はあまりないという。だから、同じように咲く姿は貴重だ。それは分かる。
ただ、その貴重さと、開花時期をずらしてはいけないというこだわりは別だ。
まぁきっと、この人はビニールハウスで花を栽培することにすら否定的なのだろう。人の手で品種改良することすら許されないとか言いそうだ。日本で青いバラを作りだした方法を教えたら、発狂するかも知れない…って、そこはどうでもいいか。
「本日はお越しいただき、誠にありがとうございました」
「わざわざご案内ありがとうございます。例の件は…、必要な書類とかがあるなら、事務所に送ってください」
「は、はい。それはすぐにでも」
曜子があまりに退屈そうだったので、見学を切り上げた。もう二時間も経っているから、切り上げるというのもアレだけど。たぶん、日本の観光ガイドなら、せいぜい見学時間二十分と書かれる程度の施設なのだ。
お見送りは、小笹氏と受付の女性の二人だけ。というか、この時間は、施設に詰めている職員自体が二人しかいないようだ。受付というのも、研究施設の職員がローテーションで担当するだけのようだし。
人員は最低限。予算もギリギリ…となれば、寄付金のウエイトもバカにならない。と言っても、そんな同情だけで額を増やすわけにもいかない。
こちらの資金も無限ではない。
無限ではないが、何だか他でも金をむしられそうな気がする。保存館の寄付金を維持したという情報が、他の施設に伝わって行くのは間違いないのだから。できれば気のせいであってほしいけど。
「次のポールぐらいまでは歩こうぜ。ちょっと疲れたし」
「あのおじさん、学校の先生みたいだった」
「いろいろ言いたいけど、歩くのは賛成するわ」
およそ二百メートルほどの道を、バラバラに歩く。
正直、次は小笹氏抜きでのんびり見学したい。とりあえず、今はこんな凡庸な感想しか思い浮かばないなぁ。まさか、お花がきれいだったとも言えないし。




