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二十六 そこに山があるから

 六時間の楽しい授業が終わった金曜の午後。

 英語の授業中から、いつになくそわそわしていた光安は、放課後になった瞬間に教室を飛び出した。

 荒瀬くんの「なんだ、トイレか?」の声を聞きながら、苦笑いの私はいつも通りにしばらく友人たちと話して、レギュラー一歩手前のお船ちゃんを見送って、そうしてのんびりと一人で帰宅する―――――わけはない。

 いつもの土手の少し先に、ダッシュで消えたはずの彼は立っていた。いや、立ち尽くしていた。


「ゆう、カバン、うちに送ってくれ!」

「何でよ。入水でもするの? するなら靴は脱いでちゃんと揃え…」

「するか!」


 怒鳴るバカ。

 そう、彼は禁欲していた。

 可愛い妹の曜子が、可愛い制服を着て、可愛い初等部五年生として生きている。可愛いを三つ重ねてもまだ足りない、そんな状況。兄者はしかし、しがない異世界の高校生だった。

 ………なんだろう。ちっともかわいそうに思えないのは気のせい?


「すぐに行くぞ、窓口…じゃなくて家の方か!?」

「まだ窓口…事務所にいると思うけど」

「よし、では事務所に移動だ!」

「…………」

「……………」

「………………」

「…………い、移動させてください、ゆう」

「どうせなら、様ぐらいつけたら?」


 視線が定まらないくせに偉そうなバカ。ちょっと腹が立ったので、からかってから移動する。

 ちゃんとバカ兄貴のカバンは部屋に送…らず、バカの分身を造ってやった。果たして今夜のうちに戻るのかも怪しいし。


 もっとも―――――。

 金曜に様子を見に行こう。そう言ったのは、私が先だった。

 いや、もちろんそれは光安の様子がアレなので、仕方なく提案したのだ。土曜まで待てそうにないのは、現在のこの状況を見ても明らかだろう。

 異世界であっても、私には、本人や若井や薫から随時情報が入っている。分身を送らなくとも、「宇宙の上位にある者」の力を使えば、向こうの景色を見ることだってできる…から、焦る理由はない。けれどまぁ、そんな人づての情報だけで兄者に納得させるのは、さすがにかわいそう。あ、結局憐れんでしまった。


「お兄ちゃん!」

「曜子! 大丈夫か、元気でいるか、街には慣れたか、学校でいじめられてないか!?」


 二人で移動。飽海第一ビル――例によって今後は漢字表記――の階段の踊り場に飛んで、そこから一見さんの客のように窓口に入る。余計な一手間のようでもあるけど、これも気遣いというもの。いくら秘密を知っていようが、目の前にいきなり出現されたら嫌だろう。

 それにしても、第一声がそれか。曜子がひどい目にあってたら、私が黙っていないだろ…と言いかけたが、黙って兄妹の触れあいを眺めた。

 地球の学生服のままの光安は、がっちり曜子を抱きしめている。

 この世界の学生服姿の曜子も、そんな兄の身体に頬をすりつけている。マーキングのようだ。


「学校は楽しい! お兄ちゃんも?」

「あ、ああ…、そうだな」

「いつもお姉ちゃんと一緒なんでしょ?」

「あ、………ああ」


 目の前で若い男女が抱き合って、しかも男は自分の彼氏。なのに嫉妬する気も起きないのは、こういうことなんだ。不思議な感覚だ。

 兄と妹。


「朝はちゃんと目覚ましかけてる?」

「お、おぉ」

「寝坊してない?」

「だ、大丈夫だ」

「お姉ちゃんとケンカしてない?」

「………大丈夫、だ」


 「妄想が一週間前に肉体をもった」という表現も成り立つのに、二人は当たり前のように兄と妹。

 私は―――、やっぱり光安をなめていたかも知れない。

 ただし、お姉ちゃんとは毎日一緒で楽しいと言え、バカ。


「若井もご苦労さま。で、来客はあった?」

「あったな」

「えっ?」


 そんな兄妹を一緒に眺めていた若井からは、意外な発言。

 神さま窓口は私のための場所なんだから、来客はすぐに伝えてもらわないと困る……のだが、話を聞くと事情は理解できた。

 五日間の来客は二人。

 一人は曜子の同級生の女の子。仲良くなってここまでついてきたらしい。今のところ、放課後の曜子は、保護者の若井のいる窓口に寄って、それから帰宅している。友だちにとっては、窓口が曜子の家みたいなものだ。

 そしてもう一人は、この間の会食で同席した大場氏だった。曜子に堕とされかかっていたオッサンではあるが、その日の目的は若井と薫だったという。


「まさか、山登りの話?」

「然様。明日の朝に待ち合わせしている」

「ずいぶんな行動力ね」

「鉄は熱いうちに打て、というではないか」


 日本でいうところの秋にあたる現在。大場氏、若井、薫の三人は、高橋駅跡のポールに集合して、軽く日帰り登山の計画を立てたという。

 曜子の世話は私たちに任せるらしいが、もちろん初耳。本人の同意も得ないまま、性急に話を進めている。

 生まれたばかりで世の常識にうとい? そんなはずはない。好意的に捉えれば、私たちが曜子と一緒にいるのは当然だから、なのだろう。

 むしろ、その日帰り登山に、なぜ私たち、そして曜子を誘わないのかが謎だ。体力的に心配なのは、せいぜい光安ぐらいだろう。


「まぁいいわ。日曜に薫を問い詰めてやるから」

「薫は何もしていないだろう。趣味の話を、興味のない相手にしても仕方あるまい」


 ちなみに、今日は薫は不在。世を忍ぶ仮の高等部学生だから、いろいろ忙しいらしい。

 窓口はとりあえず若井がいるから、薫は暇な時に顔を出せばいいと伝えてある。バイト代は心配するなとも伝えてある。曜子の後見も頼んでるし、まぁあんまり強くは出れないのよね…。


 できる上司のように、若井に報連相の大切さを諭した後、来客のない窓口を閉めて、四人は家――いちいち十四代目とか言うのも面倒なので「家」だ――に移動する。ついでに「日曜は神さま在室」と貼っておいた。きっと誰も見ないだろうが。

 相変わらずポール移動は楽だが味気無い。この世界では、学校帰りにお手々をつないだりする風習はあるのだろうか。なかったら寂しいなぁ。

 移動先のポールから家までの数十メートルほどの距離も、もちろん私は腕を絡める。ただし兄者の左手は妹に貸している。やさしい彼女だからねっ。


「ねぇ、これは若井の趣味?」

「無論だ。なかなか風情があるだろう?」

「若イーはねー、ずーっとぶつぶつ言いながら…」

「曜子、そのような余計な話をするのは、はしたないものだ」

「はしたないの意味が違う気がするぞ」


 玄関に大きな花瓶。

 そして、そこには花がいけてある。ヤナギのような木と、黄色、白、赤紫の花。赤紫の花は……、どう見ても三度豆。黄色も野菜にしか見えない。


「わざわざ買ってきたの?」

「いや、目の前に植えてあるものだ。少し、曜子に手伝ってもらったが」


 若井が目をやった先では、曜子と光安が湯飲みを並べている。微笑ましい兄妹だが、妹は「宇宙のちょっと上位にある者」。その能力で花を咲かせたと、若井は平然と自白する。

 五十のオッサン。地球では融通の利かない確率も高い年齢だが、若井は思った以上に順応が早い。というか、いけばなにしたいから曜子の能力を使うとは、予想外。

 まぁ、肉体をもった時点で曜子や私に囲まれていれば、能力に対する抵抗もなくなるのかも知れない。それがいいのか悪いのか。


「明日はどうしようか、曜子」

「お兄ちゃんとお姉ちゃんと三人?」

「そ、そうなるな」


 上目遣いの曜子に擦り寄られて、兄は動揺している。さっきはただの兄妹だったのに、何かのタイミングで男女の関係に変わるらしい。

 禁断の恋?

 日本の法でいえば、血縁なしとなってしまうし、そもそも兄妹と認定すらされないから大丈夫。というか、曜子の戸籍自体ない。逆に、この世界に光安の戸籍もない。

 それでも、二人はすぐに猫と飼い主のような関係に戻った。血のつながりなんてくだらない。二人が兄妹として過ごしてきた、その時間だけが信じられるものだ。


「午後はちょっとヒデさんのとこに行くから」

「えーーーっ」

「近所づきあいは大事よ、曜子」


 あからさまに嫌そうな顔の曜子。何を思いだしたのかは分かるけど、別に彼らに挨拶に行くわけではない。単に幾つかのものを引き取るだけだ。

 先日の襲撃の際、ヒデさんは厄介払いを求めてきた。

 それを受け入れる代わりに、多少の野菜ももらう。ついでに、種をもらう予定。若井がいけばなの流派を開くのか、地道な農作業を始めるのかは知らないけど、後者ならヒデさんとの交流も増えそうだ。

 まぁ、ヒデさんはヒデさんで、シゲオに負けないぐらいの世捨て人だから、そういうのを喜ぶかはアレだけど、ご近所さんだし。


「じゃあ今日は帰るわよ、光安」

「も、もう帰るのか?」

「えー」


 何だかんだと、曜子の学校生活の話すら聞けていない。兄者の不満は分からなくもないが、どうせ明日も明後日も曜子と一緒。語り合ったり訊問したりする機会は、いくらでもある。

 地球の金曜日は、地球で過ごす。さっきは思わず分身を造ってしまったけど、やはりそれぐらいのルールは作っておくべきだ。このままでは、二人の時間はどんどん異世界側に移って行くような気がする。

 当たり前だ。

 全く未知の新世界、しかもお気楽に楽しめる新世界。それをただ楽しんでいるだけなら、飽海市は二人のオモチャなんだ。


「まぁいい。曜子、明日の朝に会おう」

「……うん」

「それから、あんまり力は使うなよ。ゆうになっちまうからな」

「グーパンチかラリアートか、好きな方を選んで」

「死ぬわ!」

「………」

「冗談だ」


 別れの挨拶。

 だけど、光安は余計なことを言った。私は一応傷ついた。傷ついたんだから、ただでは済まない。加減を間違えて、グーパンチのついでにこの星を破壊しないとも限らない。


「曜子は可愛いんでしょ?」

「そ、そりゃそうだ」

「じゃあ、私は?」

「え…」


 ふふふ。これぐらいやってもいいよね。

 どっかの猫型ロボットに居候されたメガネ君じゃあるまいし、浮かれるのもほどほどにしてもらわなきゃ。


「…………かわいい…さ」

「えっ!? 聞こえなかった!」

「ゆうは可愛いに決まってんだろっ!!」


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