二十四 生後数日の新生活
地球では月曜日の朝。異世界の飽海市――アクミだけカタカナも面倒なので、地球の似た地名の漢字表記で置き換える――も、月曜とは言わないが週の一日目。
私は自分の部屋で目覚め、寝起きとともに分身を作る。パジャマを着た、ボサボサ髪の女のまま二つに分裂した。実際には、能力のおかげでボサボサじゃないけど。
「どっちが学校に行こうか」
「じゃんけんする?」
着替え前に、自分同士で相談をはじめてみる。そして、厳正なるじゃんけんの結果…ではなく、検討の末に本体は曜子の方に行くこととなった。
何体あろうと意識は完全に共有しているし、どっちでも能力はフルに使える。分身と本体の違いは、単に本体だと認識したか否かでしかない。それでも、よりややこしい方に本体を派遣するのが妥当な線だろう。
ということで、着替え。一瞬で終わるのは、魔法少女の王道だ。私は自分を魔法少女と呼んだことも、呼ばれたこともないけれど、伝統的な定義は満たしているし。あ、契約して何とかの方向はややこしいのでナシでよろしく。
「何その格好?」
「生徒じゃないから仕方ないでしょ」
飽海側に行く本体は、黒のカーディガンと黒のロングスカート。
半分保護者という感じで、ついでに隠密行動を意識してみた。どうせ認識遮断の能力で対処するのだから、服装なんてどうでも良かったんだけど。
「忍者になってみたら?」
「薫に妙な趣味を増やすだけでしょ」
かつての魔法少女は、少女の憧れだったから、どんなファッションもお手の物。
だけど、認識遮断するのだから、どんなファッションでも誰も見てはくれない。
もちろん、くノ一はダメだ。そもそもそんな格好の忍者は、二十世紀の男の欲望の産物だ。いにしえの魔法少女たちも、忍者の真似事はやっていたけどね。
「それより、シャツの前、気をつけてよ」
「そろそろ百点取れそうなんだけど」
地球側はいつもの制服。ブレザー系ではないが、典型的なセーラー服でもない。まぁ紺色と白主体の、とりたてて珍しくもないデザインだと思う。
一応胸はある…というかものすごくある。シャツのボタン飛ばしは特技。毎週のようにやってるから、最近は飛ばしたボタンを光安のどこに当てるかで遊んでいる。鼻の穴にはまったら百点だが、今のところ成功例はない。
……うん。色気はないな。
能力で身体の成長は抑えているけど、今でも何もかも大きい。スカートの丈が短く見えるし、いろいろ不自由な身体だ。
男性は光安で間に合ってるから、今さら外観で他人を魅了する必要はない。能力が影響する範囲を超えて、魅了しないよう抑えつける手間がものすごく無駄だ。いっそ、曜子みたいな身体に変えてしまおうか――。
それはそれで、別のマニア向けになってしまうかも。
それに…、まぁこの身体で光安に捕まったのも事実だから、ね。
「朝ごはんは、分身の私が代表して食べてあげる」
「はいはい、どうぞよろしく」
そろそろ一人会話にも飽きた。別々に行動する以上、分身同士で会話はできる。とはいえ、最終的には一つの頭で処理するのだ。
なお、食事もそれぞれで可能。「宇宙の上位にある者」の力があれば、食べなくとも生きていけるけど、それって生きてるっていうのかな。
「じゃあ分身ちゃん、光安にたっぷりサービスしてね」
「ふふ、本体もさっさと戻って一緒に仲良くするのよ」
…………。
その発想はなかった。
そうか、ふたりがかりで光安を…って、今はそんな場合じゃなかった。うん、よだれが垂れたけど、それは放課後にとっておこう。
「ゆうお姉ちゃん、おはよう!」
「おはよう曜子。今朝はちゃんと起きたの?」
「夜中に何度も起きたよ。これって普通?」
「楽しみなことがある時は普通かな」
「ふーん」
一人芝居を切り上げて、曜子と若井の元に移動。
曜子はもう制服に着替えて、ぴょんぴょん跳ねながら駆け寄ってくる。
今日は転入手続きだから、別に制服は着なくていいと思う…けど、着てはいけない理由もないか。とりあえず、悪魔のように似合っている。
「わざわざすまない。裕美よ、今日は世話を頼む」
「おはよう若井。アンタはまさか緊張しないでしょ。経験豊富な社会人のオッサンが」
「そのような皮肉は不要だ」
若井もスーツに着替え終わっていた。
もちろん、この星の学校も、朝に登校して授業を受けるシステムになっている。しかし今日は手続きの日。十時に校舎に顔を出せばいいのだから、まだ二時間も余裕があった。
……若井もきっと眠れなかったのだろう。中年男という設定で、相応の知識は持っていても、肉体は生まれたばかり。「これがいわゆる遠足の日の小学生か」とかつぶやいていたに違いない。嫌な絵面だなぁ。
「ところで裕美よ」
「何?」
そんな眠れぬ夜を過ごした中年が、わずかに愁いを帯びた表情で問いかけてくる。
なんだ? 今さら忘れかけてた愛がよみがえっても困るんだけど。
「我が名は何だ」
「……………………」
「…………」
「………………ない」
オゥシット! 十五代目、一生の不覚。
………は冗談として。
若井は若井。これは名字であって、下の名はまだない。猫の我が輩ならさておき、人類の識別記号としての名前は、その社会の構成員となる必須の条件といえる。
神話ではしばしば、名前を持たない者に、主人公が名づけして所有物にする。しかしここは、戸籍で管理されるありがちな社会。
というか、若井はどうやって戸籍登録したっけ。あー。
「えーと、住民登録は仮に太郎にしたわ。若井太郎」
「そーしーてーたーろおがー」
「裕美よ、それは仮だな、仮であろう?」
どうやら若井は太郎が気に入らないらしい。昔から、困った時は太郎と花子と相場が決まっているのに、贅沢なオッサンだ。それに、光安も一時は太郎だったじゃないか。
…まぁ冗談だけど。
曜子の歌の方が悪い冗談だけど。
「若井の好きな名でいいわ。戸籍は修正するから」
「う、うむ」
「じゃあ光太郎!」
「曜子…、それ、学校で言わないでね」
それから若井はしばらくしかめっ面をして、おもむろに地図を広げた。例の五十年前の地図だ。
相変わらずしかめっ面で地図を見つめ、やがて出た結論は、まさかの名前だった。あ、光太郎じゃないよ。異世界という意味でいえば、光の国より遠くからやって来たけど。
「本当にそれでいいの?」
「いいの?」
「無論だ。この飽海岳の道を開いた先達の名、是非受け継ぎたい」
「はぁ…」
若井仁平。
仁平。
にへい。
ニヘイ。
地球人類は通常、自分で自分の名を選べない。それは決して悪いことではない…ような気がした。
予定時刻の十五分前に、三人で家を出る。
基本的にはポール移動だから、三分前でも間に合うと思うけど、みんなそわそわしているから早めに出発。ま新しい衣装の親子風二名と、黒ずくめの怪しい長身女一名は、校門前に移動した。
「ここが…私が通う学校?」
「そうよ」
「カッコイイ!」
石造りの門は、私や光安が通う高校のコンクリート門よりは立派。とはいえ、感動するほどかと言われれば、よく分からない。
まぁ、その辺は人それぞれだし、曜子は初学校だし。
「ここからは若井が曜子を連れて行ってね。私もこっそり跡をつけるけど」
「思うに、お前が姿を隠す必要はあるのか? 十五代目という立派な身分があろう」
「赤の他人がついて来たら、向こうが困るでしょ」
我が家を貸しているという関係はあるけど、借家の家主には何もやることがない。あくまで賃借の契約関係というだけなのだ。公式には。
しかし、今の台詞は曜子を刺激してしまったようだ。
「赤の他人…」
「あ、えーとね。今のところ法的には」
「お姉ちゃんになってくれる?」
「うん。大人になったらね」
とりあえず、落ち込みかけた曜子をなだめておく。
まぁ別に、口から出任せのつもりはない。高校でつき合ったからといって、そのまま結婚することなんて滅多にない…という現実はあるけれど、それとこれとは話が違う。
光安がいなくなれば、私も消える。
消えたくないのだから、私は光安を逃がさない。だから曜子は未来の義妹。やったね………って、いけない、にやけ顔が元に戻らないや。
「おはようございます、青原曜子です!」
「学園長の和田です。元気に挨拶できる良い子ですね。貴方を学園に迎えられることを嬉しく思います」
「どうぞ…、曜子をよろしくお願いいたします」
転入手続きの最初は、要するに教員との顔合わせである。
会議室に案内された二人…と私は、十数人の大人が並んでいる景色に一瞬たじろいだ。学園長、高等部と初等部の校長、教頭、事務長…と、学園上層部が勢揃いしている。授業中だから教員は少ないが、これが放課後とかだったらどうなっていることやら。
まぁ、顔合わせ自体に特筆するような内容は何もなかった。
そもそも、会議室に学園上層部が揃っていたのは、文字通り会議前だったから。その上で、滅多にいない転入生なので、興味をひく存在だった…という感じらしい。
「で、では校内を案内させましょう。青塚さん」
「は、はいっ! あ、青原さん、どうぞこちらへ」
「はい。よろしくお願いします」
「は……、はいっ!」
一応私が側にいるので、曜子の魅了の気はそのままにしてある。昨日の食事会の場でも実験はしたが、彼女一人でどうなるのか確認しておきたい。
案内役の職員、青塚さんはまだ若い女性のようだが、一瞬で魅了されている。真っ赤な顔で息も荒い。どこの変質者だと言いたくなるので、彼女限定で遮断する。
冷静さを取り戻した青塚さんの案内で、職員室を出た。ちなみに、学園長以下の面々も中程度に魅了されていた。一時間も一緒にいれば、変調をきたす可能性が高い。
「きれいな廊下!」
「確かに、よく掃除されているようだ」
「お褒めにあずかり光栄です」
階段をのぼって、教室が並ぶ二階を歩く。ちり一つない校舎は、付与の力のおかげだろうが、生徒の私物などもきちんと整理されている。今のところは良い印象…って、嫌だな、本当に私も保護者の気分になってきた。
私は高校生。高校生。この校舎は高等部のようだから、たぶん同い年ぐらい…と、黙って廊下を歩く。授業中だから教室を覗くことはできないし、本当にただ歩いているだけなのだが、気のせいか教室からざわめきが聞こえてくる。
…………………。
気のせいではなかった。そしてそれは、学級崩壊していたわけでもなかった。
何のことはない。姿を見せないまま、曜子は二階全体を魅了していた。初めての学校で興奮した分、その気も強まったようだ。この調子だと、たぶん上下の階にもそれは広がっているだろう。
うん、調整しないとパニック間違いなしだ。
「立派な校舎ですねー」
「ここは図書館と自習室です。みんな熱心に勉強していますよ」
「わ、私もがんばります!」
学園の敷地は広く、一通り見学するだけで一時間近くかかった。もちろん、曜子がいろいろ質問するからというのもあるけど……。
煉瓦造りと思われる図書館を見学する頃には、すっかり落ちついていたが、そこまでの道のりは壮絶だった。
初等部の校舎を見学中に二時間目が終わってしまい、初等四年の生徒たちが教室から出てくる場面に遭遇した。曜子の一学年下になる生徒たちは、あっという間に曜子に群がった。砂糖に群がるアリのようだった。
わずか十分待てば、チャイムとともに終わる祭。そう思って、最初は眺めていたけれど、そのうち何人かが暴れ出した。魅了が効き過ぎて、互いが敵に見え始めたのだ。
仕方なく、魅了をいったん完全に遮断する。曜子も含めて、集まった面々の記憶も曖昧にしておく。消去したり書き加える方が簡単だけど、光安が喜ばないから…。
初等部に混じって、三割ぐらい高等部の生徒も入り込んでいた騒乱の場は、潮がひくように消えていった。何事もなく見学を再開する三人の背後で、この先どの程度遮断すべきか、私は悩むしかなくなった。
完全に遮断してしまうのもまずいだろう。
転入生、しかも人生初の授業に臨む曜子。教室になじむためにも、それは必要だ。
魅了の気というと、ゲームの中のスキルみたいな言い方になってしまう。だけど、誰だってそこにいれば、他者に何らかの影響を与える、それだけの話。ただし、「宇宙のちょっと上位の者」の力は、強制的に周囲を巻き込んでしまうから、そこは常時カットするのが良さそうだ。
あとは、この星の人類としての曜子が、元から宿している魅力。それだけでも、学園の華と呼ばれるようにはなるはず…って、何だ、華って。
「じゃあ曜子、あとは帰って教科書読んで確認ね」
「えー、こんなに多いのー?」
「私もできることは協力するぞ、曜子」
お昼前に校舎を離れ、私はそこで二人と別れる。
曜子は明らかに疲れているが、今日はそういう一日なのだから仕方ない。まぁ別に、教科書の内容が理解できないことはないはずだし、光安の妄想の中でしか知らない学校に通えるのだから、きっと大丈夫。
「若井仁平。保護者としてよろしく」
「ああ、何とかやっていく」
「光安の頭の中でしゃべってるのと、いろいろ違うでしょ?」
「ふっ」
人が変わったような若井にも、ねぎらいの言葉。ビジュアルがあれだから、私が偉そうにすると違和感がある。早く「頼れる中年男性」になってもらいたい。
…もう、なりつつあるけどさ。
身体ができる前と後で、性格が変わりすぎな気もする。環境が人を変える、それは確かだけど。
学校前のポールに立ち、二人の姿が消えるのを確認して、私も地球帰還だ。
光安には、どこまで話そう。
すべてを正直に伝えたら、通学そのものに反対しかねない。でも、可愛い妹のことだ。騒ぎにならなかったら、たぶん光安は怒るだろう。なんて理不尽な彼氏。
……………。
まぁそんなことは、会って話しながら考えればいいや。
それよりも。
分身と二人でどう攻めてやろうか。ククク、彼氏には優しくしなくちゃ、ね。
第二章終わり




