二十三 とある星の生存証明
午後の街歩きは、短時間で終わった。
市場が並ぶ地域を巡り、プリンのようなスイーツを売る店でもいろいろ買い込んだ。
それから――、曜子と若井の服を揃えておく。
曜子の服装は、最初はできるだけありきたりな方がいいだろうと、量販店でいわゆるマネキン買いを敢行。かなりの量になったので、「いったん家に持ち帰って、また戻る」ふりをする。実際には、私の能力で送っただけだ。
なお、曜子の転入先の制服はオーダーメイド。仕方がないので、私が作ることにした。できるだけ無から物を生み出す能力は使いたくないけれど、これは曜子を造った時点で織り込み済み…と考えるしかない。曜子のことなら、まぁ光安も黙認するだろうし。
なお、この宇宙の均衡には影響が出ないよう調整してある。というか、歴代神さまが歪めた分も、だいたい直した。歴代の分なんて微々たるものだけど、くしゃみ一つで世界は変わるのだから。
「若井はこれで」
「こんなことは言いたくないが、ずいぶんぞんざいな扱いではないか」
「自分で買いに行く時間があるでしょ」
若井の服は、下着とジャケット、ズボン、Yシャツを買って終わり。オッサンの服装には関心がないし、そもそも未成年じゃないんだから、店さえ確認させれば、あとは勝手に揃えるだろう。親でも結婚相手でもない私たちが、中年男のファッションに口出しする方がアレなのだ。
だいたい、世界を滅ぼすとか何だとか、光安の脳内で言いたい放題だった中年男だ。その邪悪な神に弱みを握られるとは、ざまぁかんかん河童の屁…って、いくら何でも古すぎ。
「これがセイセイ?」
「ポールがさばいてマイケルが焼く」
「光安って時々おかしなことを言うよね」
「同感だ」
ともあれ、一通りの用を済ませて帰宅。購入品の整理と確認をはじめる。
市場はまぁ、私たちが眺めるのは観光客用のエリアなので、結局は日本と大差がなかった。
せめて珍しい魚――どうやら魚類はほぼ地球と同じ身体構造らしい――でも食べてみようと思ったが、それも難しかった。既にこの世界で何度も食事して、食べ物の違和感がほとんどないことは判明している。つまり、地球とそっくりな生き物が、この星の人類の食材なのだ。
セイセイは、その中では比較的珍しかったので購入。光安は地球のスーパースターでボケたつもりだが、セイが一つ足らないし、私は助けてやらない。
「で、こちらは若井さんおすすめのアクミジョク」
「わ、私が勧めたわけではない」
「若イーが独りで探しまわっただけー」
「昨日生まれたとは思えない行動力だよね、正直」
「我が意識は昨日生まれたわけではない」
アクミの名が付く山菜がある――。魚屋でそんな情報を得た若井が、一人で探しまわったのは事実。さすがに五十のオッサンだし、単独行動はいけませんなんて言わないけれど、その執着にやや違和感を抱いたのは間違いない。
…当人に言わせれば、さっきの食事会で山の話で盛り上がった続きみたいなものらしい。
彼の山好きは、光安から受け継いだわけでもない個性。違和感はあっても、この星の人類として生きていく若井が、そういう形で生後一日を送った。それだけだ。いつまでも、造った時のことを考えている私が、乗り遅れているのだろう。
「脚がのばせる環境っていいよね」
「このまま昼寝していいか」
「えー、お兄ちゃんと一緒に寝たい」
「それはダメだ曜子。お前は可愛い妹なんだ」
「相変わらず説得力のかけらもないのね」
ともかく、買い込んだものを片づけて、居間でくつろぐことにする。
一言で表わせば、疲れていた。
そもそも朝から歩いていれば、誰だって疲労する。
その上、予定になかった接待で、初対面のおっさんたちの相手。ぐったりするのは仕方ない。
「これが蒸し卵…」
「おいしい!」
「ゆうちゃんの口に合わない?」
「ううん、おいしいよ」
薫の推薦で買ったスイーツは、見た目もプリンだったが、味もプリンだった。
蒸し卵か…。言われて見ればその通り、的確に製造方法を示している。英語がさらに訛って生まれた日本名は、さすがにこの国では使われてはいないようだ。
「さっきのおじちゃんたち、若イーと同い年ぐらい?」
「そ、それは…、難しい質問だな」
「一言で済ますなら、若イーは赤ん坊」
「何の一言だ。そもそも、貴様が若イーなどと呼ぶものではない」
「だから貴様もやめろって」
若井の顔にも疲労感がある。
彼は設定年齢五十歳。ただしそれは地球における基準であり、平均寿命三百歳なら二百歳ぐらいの外見…ということになる。なるのだが、あくまで五十歳。
つまり、この星基準では、とんでもない老け顔男。せっかく生を受けて、いきなり二百年も寿命を削られても困るだろうし、そのギャップは我慢してもらうしかない。というか、老け顔で蒸し卵を食べる、いわゆる一つのギャップ萌え?
「それはそうと、明日は何をすれば良いのだ」
「昼寝…じゃなかったか。保護者かぁ」
光安が遠い目をする。昨日の朝まで自分の頭で勝手に騒いでいたオッサンが、妹の保護者になる。言葉にすれば悪夢のような状況だが、今さら反対するつもりもなさそう。
というか、妹も同じく勝手に騒いでいたわけだし。
いきなり全幅の信頼とはいかないけれど、若井はそれなりに大人で、順応も早い。曜子との関係も、明らかに親子。一応、あの魅了だけは遮断してあるけど、まぁイケナイことにはならないだろう。
…というか、別にイケナイことはない。二人は遠い親戚となっているが、近い親戚でも結婚は可能なのだから、二人には何の障害も…って、それこそ悪夢だ。
「裕美よ、お前がどのようにお膳立てしたのか分からぬであろう」
「一応、私も同行はするけど、そうね、薫も聞いて」
「曜子ちゃんのことね」
「私?」
地球上の私は、保護者を必要とする未成年。そんな高校生が、ここでは保護者を用意して、転校する少女の世話をしなければならない。
「宇宙の上位にある者」だから、大人の真似事ぐらいわけはないけど、高校の教室でだらけてる自分の意識のままで…とはいかない。どんどん二重生活が難しくなっていく。
明日の予定は、別にどうというものではない。
既に転入に関する書類は送られて、事務的な処理は終わった形にした。明日は職員に挨拶、残る手続きを終わらせるだけ。明後日から曜子は教室で学ぶことになる。
「明日は教室に行けないの?」
「曜子、明日は地獄の一日だからね」
「えーっ!?」
事務的な問題は、淡々と処理されて終わるだろう。何の引っかかりもないように、それだけの準備――不正アクセスともいう――を済ませたのだ。若井の保護者の件も、何ら問題はない。
大変なのは、曜子だ。
明後日から教室、ということは、いきなり教科書の途中のページを開いて続きを進めるのだ。今まで、一秒も学校で学んだ経験がない曜子が。
「とりあえず、明後日の時間割確認したら、帰ってハチマキしめて猛勉強ね」
「ハチマキ?」
「俺たちの星のレアアイテムだ。身につけるだけで集中力が十ポイントアップする」
「す、すごい」
「薫は少しは他人を疑った方が良いと思うが」
もちろん曜子の記憶には、この国の十二歳相当の勉強内容が入っている。だから明日受け取った教科書を確認しておけば、教室で戸惑うことはないはず。最初だけ、入学式の日の一年生みたいな反応が混じるだろうけど、すぐになじむだろう。
それにまぁ…、きっと同級生も世話を焼いてくれるに違いない。今のままの曜子を密室に放り込んだら、給食の時間までに全員を魅了してしまうはず。そこで耐えた者がいたら、前途有望な若者としてスカウトしてもいい。
うむ。何のスカウトだ。だんだん話がずれてきた。
「何かあったら薫を頼るのよ。一応、十五代目の補佐ってことで」
「そんなことまでバイトにしなくていい。曜子ちゃんのためなら…」
「俺たちの世界では、そういうのをミイラ取りがミイラになるって言うんだ」
薫には一応お願いしておく。初等と高等はエリアが違うらしいから、対応するといっても限界がある。それでも、困った時に頼れる上級生は貴重だ。
どっちかと言えば、心配なのは曜子の能力絡み。これは薫には頼れない…というか、薫に頼むほどの時間的猶予がないから、直接私に連絡する形にする。
今日の曜子は、特に能力で問題は起こしていない。コントロール自体に不安を覚えることはないだろうが、初めての環境で何が起きるかは想定できないわけで…。
夕方まで居間でくつろいで、買ってきたマイケル…ではなくセイセイの調理をはじめる。
魚は地球でいうところの冷蔵庫に保管してある。ただし、電気で何かが動いているわけではなく、そもそも冷やされてもいない。その代わり、中に放り込んだ時点で付与の力が働く。テイクアウトの弁当と同じで、時間停止の作用ということになる。
正直、これを地球に持ち込んだら、悪用される未来しか想像できない。誰でも時間停止能力を扱えるなんて、どっかの猫型ロボットの世界じゃあるまいし。
「薫に任せていいの?」
「えっ? あ、えーと、その…」
この星の魚なのだから、この星の住人に任せようと思ったが、薫はスイミングアイしている。どうやら料理が得意ではなさそうだ。
できれば手本を示してほしかったけれど、それなら仕方が……。
「それなら仕方がない。我らが地球の技と心を見るが良い」
「お兄ちゃん、格好いい!」
なんて見事な連携。
ま、まぁ妹は昨日生まれたばかりだから。
「…いつも思うけど、何で眺めてるだけのアンタがそれを叫ぶの?」
「お前が言わないからな」
「言わないでしょ、普通」
軽く溜め息をつきながら、まな板にセイセイを載せる。
体長二十センチぐらいのほっそりとした身体。皮は薄く、はぎ取れそうにないので、黙って三枚におろす。料理人を名乗ったことはないけれど、「宇宙の上位にある者」はだいたい何でもできるので問題ない。
うん、これは魚だ。生物としての構造も、地球の魚類と何ら違いはない。知能が高いとか、そういう部分の違いもなさそう。
「生でも食べられるの?」
「うん。家でもよく食べるよ」
「へぇ…」
さっそく切り身にして、一口放り込んでみる。
…………。
白身でそれなりに脂ものってる。ただし身が硬い。
「地球では、少し時間をおいてから食べるものだけど、この国では?」
「あー、そういえばそんな話もあったような」
「薫は食に関しては頼りにならないのね」
「うぅ…」
「気にすることはない。薫は山に詳しいではないか」
若井のなぐさめに複雑な表情の薫を横目に、別の一尾を取り出す。山に詳しくてどんなメリットがあるのかよく分からないけど、まぁこの世界の住人同士が仲良くなるのは歓迎すべきだろう。
「今からやることは、曜子は真似しないでね」
「はーい」
どうせなら究極の味に挑戦したい。どこかの料理会の皇が「精進せえよ」とかほざいても真似できない方法で、至高の調理に臨む。
まず、セイセイの身の時間を半日進める。外気から遮断し、血抜きして、ついでに腐敗につながる微生物類もすべて取り除いたので、イノシン酸が無事に増えたことになる。
「分離」
「ええっ!?」
「グロいな」
包丁も何も使わず、命令する。一瞬でセイセイはバラバラになる。薄い皮も剥がれて、切り身になった状態で宙に浮き、皿に移動した。
グロテスクという感想はまぁ…、自分でも否定はしない。その気になれば、人間だって同じようにさばけてしまうのだから。
「味見するよ」
「………おいしい!」
「す、すごい。さっきと全然味が違う」
能力調理は完璧だった。こんな付与が広まれば、魚の消費量が激増する。というか、肉の熟成だって思いのままだ。
しかし、どう考えてもグロ。そして殺人事件の元。
曜子には絶対にさせられない。
夕食はセイセイの刺身、煮付け、アクミジョクのおひたしなど。
一人を除いて十代の面々には、やや渋めの献立になったが、特に不満の声はなかった。食べ盛りの曜子すら、大人しくもぐもぐしている。
「この葉っぱ、ちょっと苦いよー」
「葉っぱと言うな。アクミジョクは程よい苦味とシャクシャクした食感が素晴らしい」
「まさに若井のようなオッサン向けだな」
大人しく…はないか。相変わらず、曜子の反応が初々しくて可愛い。
もっとも、アクミジョクは薫以外全員初体験。薫も一年に一度ぐらいしか食べないらしい。日本のウルイに似ている味だ。緑の葉よりも、少し太い柄の部分に甘みがある。
「この星は確かにある」
「はぁ?」
「光安は、これからそんな臭い台詞を吐く予定」
「言うか」
何か言いたそうな彼氏の機先を制してみる。
嫌がらせではない。自分もそう思っていた、というだけ。
光安も、それ以上の抗議もなくお茶を飲んでいる。記憶を覗かれたとは思っていないだろう。今の私たちには、その程度の相互信頼はある。覗かれなくとも考えてることなんて丸わかり、という信頼も。
「お兄ちゃん、どう? どう?」
「曜子…。立派になったな」
「なんかこの人泣いてるんですけど…」
食事も終わり、光安と薫、そして私はそれぞれ帰宅することになる。今夜は初めて、若井と曜子が二人で過ごすのだ。
帰宅前に、曜子の制服披露。いわゆる地球でいうブレザータイプで、これまた地球に持ち込んでも全く違和感のないデザイン。紺色の服にスカートをはいた曜子は、とてつもなく可愛い。可愛いけれど、それを見る薫は冷静だった。
そりゃそうだ。
目の前で嗚咽する兄がいるのだから。
「曜子…、こ、これからは離ればなれになってしまうが、しっかり……生きろよ」
「うん。お兄ちゃんも、ゆう姉ちゃんと仲良くしてねっ」
「お………、おぅ」
「なんでそこで口籠るのよ」
少し寂しそうな曜子と、あからさまに挙動不審になるその兄。きっと今までのあれこれを思い出しているのだろう。大丈夫、もう私はだいたい分かってるから。
妹は兄の一部から、本当の妹に。
兄は妹の監視を離れ、名実ともに私の彼氏に? うん、そこは疑問符は要らないな。
「薫」
「……な、何?」
「曜子のこと、よろしく頼む」
「うん…」
それでもすぐに立ち直った光安は、薫に今さらのように頭を下げた。その余りの真剣さに、薫はちょっと引き気味だけど、これもこれで仕方がない。
この兄がどれほど妹バカか。
一応私とは別枠らしいし、私にとっても恩人だから嫉妬はしないけど、シスコンと呼ばれるに十分な言動を繰り返す彼にとって、この二日間はジェットコースターのように過ぎていただろう。
「じゃあ……、私は朝に顔を出すから」
「うむ」
「ゆう、曜子を頼むぞ」
「そんな深刻な顔しないでよバカ」
曜子と若井を置き去りにする。
その責任を私は負い、いずれはこの星の住人たちと否応なしに触れあうのだろう。ご飯粒に侵入していく麹菌のように、十五代目はこの世界に浸透する…んじゃないかな。特に根拠はないし、麹ができて困ることもないよね。




