二十一 ふたりの郷
翌朝。
十四代目の屋敷で、私たち三人は、板の間に布団を敷いて眠った。
さすがに男女一緒とはいかない、というか、男女は離れて眠るという常識を教えなければならないので、若井は隣の部屋。幸い、無駄に部屋数はあるので何も問題はない。
――私はなぜ帰らなかったって?
さすがに、昨日生まれた二人だけというのは少々まずい。それに、私の分身はちゃんと地球の高橋裕美として暮らしている。リアルタイムで記憶は共有しているから、どっちが本体でも大差ないのだ。
「おはよう曜子。初めての朝はどう?」
「おはようございます! ……何だかぼんやりしてます。これって寝ぼけてるってことですか?」
「そう。曜子は朝が弱いのかもね」
「ふーん、これがあの、朝が弱いなんですね」
曜子が生まれてもうすぐ一日になる。二巡目に入るまでは、まだ不思議な会話が続く。
兄の光安は、もちろん寝坊の常習犯。なかなか目を覚まさない…から、脳内の曜子がたびたび呼びかけて起こしていた。その曜子も朝が弱いというのは不思議だ。
別にそれは、私がそういう身体にしたわけではない。どちらかと言えば、光安のアレな部分が曜子に引き継がれたのだろう。だからといって、引き離された光安が早起きするはずもなく…。
「これがパンの味というものか」
「ちゃんと口を開いて、上下の歯を合わせたり離したりして」
「ひらいてとじてひらいてとじて」
「既に食事は二度経験している。今さらそのような赤子の真似事なぞ必要あるまい」
若井をからかいながら朝食。パクパクさんはさすがに無理があった。
これでも脳内にいた時よりは、口数が減っている。自分ののどを振るわせて声を出せば、しゃべりすぎという自覚も生まれるようだ。
私もたいがいおしゃべりだよね。若井のことをどうこう言う資格はない。むしろ私の方が遙かに深刻だ。
「豚乳飲んだら背が伸びるー」
「伸びなくたっていいでしょ」
「お姉ちゃんぐらい大きくなりたい」
「曜子よ、それだけはやめておくべきである」
「アンタに言われると腹が立つわ」
パンは、ほぼ地球のパン。地球の分類でいえば、小麦とは同属別種ぐらいの類似種が原料だし、作られたもののその味も大差ない。
今食べているパンは、薫に教えてもらったパン屋に、さっき買いに行ったもの。私の能力で移動したけど、ポールを使っても時間は変わらない。その気になれば、毎朝違う店に行けるのだから便利な話だ。
ただし、パン屋にとっては痛し痒しだろう。評判になればどこからでも買いに来てくれるが、近所だからという選択はなくなるのだ。
豚乳は…、およそ名前の通り。この世界の牛っぽい生き物の乳は、人の飲用には向かないそうだ。Gもそうだけど、どうでもいい部分でいろいろ地味に違う。
「お兄ちゃんはいつ来るの?」
「そこの時計で九時よ」
「一緒に泊まったら良かったのにー」
相変わらず屈託のない笑顔。光安も幸せ者だ。
もっとも、昨夜の彼はうなされていたようだ。曽根家での三バカ勉強会と、こちらの濃厚な一日、双方の記憶を合わせた彼は、そのまま泡を吹いて倒れてしまった。
まぁ泡を吹いたのは、彼の彼女がそういう演出をしてあげただけ。彼氏は、要は一週間が八日になった形だ。今日も同じことになるから、一週間が九日。だからといって、他人より先に老けるわけではないし、当人が慣れれば大丈夫。
慣れた頃には、もう光安も「宇宙の上位」にあるようなものだったり…するよ、たぶん。
「昨日も、お姉ちゃんのこと考えておねんねしたんだろうなー」
「……え」
「すっごい幸せそうに寝るんだよ、お兄ちゃん」
「そ、そうなの」
この告白は、さすがにちょっと返答に困った。
脳内にいるってことは、アレだろうか、まさか彼の青春のマグマとか…。
「私もそれは知っている」
「素直な感想を言えば、かわいそう」
「然様、私もあの妄想から離れられて、正直ありがたい」
何だかものすごく私は良いことをした気がする。オッサンに監視されながらなんて、拷問のような状況。というか、この状況で私と……、十八歳未満お断りな関係になってしまったら、あれだよね、曜子はともかく、このオッサンに一部始終覗かれて―――――。
悪寒が走った。
というか、光安ってもしかして超人なのでは? 元から惚れてはいるけど、見る目が変わってしまいそう。
「この地図、もしかして古いんですか?」
「間違いなく古いものだ。私の見立てでは、恐らく五十年以上は前のものであろうな」
「そこに発行年あるでしょ」
食事が終わると、今の長テーブルに地図を広げた。昨夜、居間の整理棚を漁ってみたら発見されたやつだ。
十四代目は、手ぶらで帰ろうとしたという表現がぴったりなくらい、自己申告の荷物が少なかった。あまりに少なかったので、彼の愛用の品――当人に「愛」があったかはさておき――と思われるものは、私の判断で一緒に送った。ヒデさんの家にあったような化け物絵画も、問答無用で送ってある。おかげで今の屋敷は肝試し会場にならずに済んでいる…って、何の話だっけ。
…これじゃ若井と一緒じゃないか。
「お前は相変わらずツメが甘い。我々はまだ、今年が何年なのか知らぬ」
「えーっ、今年は二六四五年だよ。まさか知らなかったの、若イー」
「おかしな呼び方をするな、港の女よ」
「どっちもどっちだと思うけど…」
若井は切れ者のはずだったが、身体をもってからは案外頼りない。ヒデさんの店にもカレンダーは貼ってあったし、そもそもこの家の玄関にも日めくりが置いてある。全くめくられてはいなかったが。
もちろん、地図に関する見立てはおおむね正しい。
付与の力が働いているおかげで、この地図は昨日書店で買ったかのように新しく見える。しかし、一目で気づくのは、張り巡らされた黒い線、つまり鉄道だ。ポールに駆逐された鉄道路線が網羅され、昨日目撃した高橋駅もはっきり記されている。
ものすごい既視感。二十年前の某母襲来がなければ、この星の文明は今以上に地球そっくりだったはず。
「それにしても、この島は山が多いものだな。三千メートル級の山脈とはなかなかのものだ」
「若イーは山好きなの?」
「ん? そ、そうだな、あるいはそうなのかもしれん」
母…といえば、この私の神さま活動についても、もちろん知っている。隠すことでもないし、むしろ話そうにも他に話せる相手もいないから、逐一報告もしている。今も、地球の分身は母と話し込んでいる。
私と母はほぼ同じ力をもつけれど、母がそうなったのは成人後。普通の人間として成長したから、「宇宙の上位にある者」の力は、後から与えられた道具という感覚になる。しかし私は違った。だから苦しむことになった―――というのは前作の話。
光安と曜子のおかげで、…というか、母は母で別方向に協力してくれていたのだけど、今の私はそれなりに「宇宙の上位にある者」をポジティブに受け入れている。その様子はきちんと伝えなければいけない。
「私は何が好きなんだろ」
「お前はまだこれから成長するのだ。焦らずともいずれ見つかるであろう」
「若イー、お父ちゃんみたい」
「そう思うなら語尾をのばさないことだ」
改めて地図を見る。確かに山が目立つ。アクミ市の人口が五百万、西側のもう一つの都市も二百万近くの人口。当然、巨大な市街地が広がってはいるが、それでも島の二割に満たない。
これが日本なら、そこらじゅうの山の緑が剥ぎ取られ、リゾート地という名で破壊されているだろうが、昨日眺めた限り、それも限定的のようだ。環境保護の意識は明らかに上らしい。
人口が減っているのに宅地開発が続くような社会と、どこで分岐したのだろう。うらやましい話。
「おはよう曜子ちゃん!」
「薫お姉ちゃん、おはよう!」
「ずいぶん私の地位は下がったものね…」
まだ九時にならないが、案内役の薫はもう現れた。週末二日間すべて私たちと一緒で、大丈夫なんだろうか。
当人が望むなら、分身を用意してあげる…けど、同じ街にいるんだから、ばったり出逢ったりするかも。
まぁ現時点では、高校生がただ友人宅に遊びに行くだけだから、気にすることはないかな。そもそも彼女のバイト先でもあるのだから…って、窓口は閉まったままだ。
「今日はどうする?、ゆうちゃん」
「神さまは巡察するよ。行き先は任せた」
「任されても困るんだけど…」
ぶつぶつ言いながら、広げられた地図を眺める薫。数十年前の情報だけで歩くわけにはいかないけれど、漠然と方向性を決めるぐらいの役は立ちそう。
今日の段階では、別に異世界の最新ファッションをチェックしようとは思わない。思わないから薫に買ってもらったのだし、まずはアクミ文明――そんな呼び名があるのかは不明――数千年の歴史を知っておきたい。遺跡の類なら、数十年でそんなに変わったりはしないはず。
結局、市内の遺跡をいくつか巡って、市場見物しながら昼食という所まで予定が決まった。何だかグラサンのおじいさんのテレビ番組みたいだ。
「お、おはよう」
「お兄ちゃんおはよう!」
「相変わらず貴様は寝坊なのだな」
「ゆうが呼ぶのを忘れただけだ。それと若井、リアルな会話で貴様とか言うな」
「貴様は貴様で構わないだろう。私は貴様の一部として…」
「私も呼んでいい?、貴様お兄ちゃん」
「いいわけあるか!」
出発直前に光安を呼ぶ。うっかり忘れていた。それでも相思相愛なのかと言われれば、そうだと答えるけど、今は新人教育の方が大事だから仕方ない。
とりあえず機嫌は直してほしいので、ガッチリ腕を組んでみる。
「わりと恥ずかしいんだが」
「いいの。この世界では遠慮しないと決めたから」
「決めたのはお前の勝手だろう」
ぶつぶつ言いながらも、ほどこうとはしない。というか、思ったほど光安の機嫌は悪くない。いや、むしろご機嫌?
ああ、もしかして脳内から二人が消えたから? 妄想監視のプレッシャーが消えたら、そりゃ嬉しいよね。
………。
今度は私が監視してあげようかな。
「またこれを使うのか。理解できぬものに身を委ねるのは…」
「お言葉ですが若井さん、貴方が現れたことに比べたら」
「あの女の力は、私は最初から理解しようと思っていない。お主もそうであろう、薫殿」
「それはまぁそうですけど」
「多少は否定してよ、薫」
指パッチンじゃなくてポールで移動した先は、例の初代記念公園。光安のTシャツに敬意を表したわけではなく、その辺が旧市街だからである。
というか、今日の光安は半袖のチェックのYシャツ。まさかアレを連日着るはずはないのだ。汚れなら私が落としてあげるから、百年はいても破れない…は鬼のパンツだった。
……余計な話はさておき、公園の中には入らず、正面から南にのびる道を歩いて行く。
道幅はそれなりだが、高層マンションはなく、たぶん古そうな建物が並んでいる。
「ここは…、電車道だな」
「お相撲さん?」
「えーと、お相撲さんって何?」
いろいろ頭の痛くなる会話だが、何だか楽しい。
例の地図を広げた若井と、初めての街歩きに目を輝かせる曜子は、まるで親子だ。そして読者のために補足しておくと、路面電車を走らせるために幅を広げた道を、電車道と呼んだりするのだ。絶対に今どきの話じゃないけどね。
「ゆう、人が多いな」
「そうね」
「恥ずかしい、という感情がわかないか?」
「全然」
光安の指摘通り、この道はそれなりに人が歩いている。それも、特に用のなさそうな人たち。これは地球で言うところの観光客だろう。
観光客の中だったら、腕を組むくらい問題ない…でしょ?
「さて、ここは地図によれば前沢院。ここで院というのは病院ではないぞ。この国に信徒の多い宗教の施設なのだ、曜子」
「へー、じゃあお姉ちゃんの敵?」
自分も初めて見た場所なのに、ガイドのように解説する若井。すっかり父親になっている。
学校に通う予定の曜子とは違い、現時点で、若井には明日からのビジョンがない。今の彼にとって、曜子の保護者という役割しかやることはないのだろうが、別に不満を覚えている気配も感じない。
…曜子の保護者に不満なんてないよね。
「お姉ちゃんはね、どんな信仰も包容するのよ。排除ではなく、受け入れる」
「すごいすごい」
公園からここまでの短い距離でも、曜子への注目はすさまじい。このまま曜子教を立ち上げたら、全世界を席捲しかねないほどに。私と同じように、気配遮断の必要がありそう。
「そもそもお前、信仰されてねぇだろ」
「どうもこの彼氏は信心が足らないのねぇ」
「あのー、お二人とも。一応ここは邪心を捨てる場所なんですけど」
光安の頭を胸でグリグリしたら、さすがに薫にたしなめられた。全く、困った神さまだなぁ。
他教を排除する宗教もあれば、包容可能な宗教もある。
私は別に信者といえるほど何かを信仰はしていないけど、どちらかといえば後者の側。どんなに矛盾していても、両方が正しいという結論に導こうと、無理をするような側でありたい。
「前沢というのは、この辺りの地名だな」
「そう。近くには市役所があるし、昔は大きな駅もあった」
「今は…、大きなポール?」
「ポールの大きさは関係ないって、知ってて言ってるでしょ、ゆうちゃん」
まぁ、それはそれとして、十五代目に信者がいないのは事実。
でもまぁ、仕方ないだろう。神さまと一口に言っても、私が引き継いだのは「人類とは異なる力を宿している」という定義のそれだ。そして、宿していることに意味があるだけで、能動的に使えるかは考慮されていないし、使えた試しはほぼなかったらしい。いったい何を帰依するというのだ。
「ここに神さまがいるの?」
「そう。教えによれば、私たちの前に姿を見せてくださる神が十五神、ただしその他にも無数の神さまがいるとか」
「お姉ちゃんはその中に入るの?」
「さぁ…というか、それはゆうちゃんしか答えられないと思う」
公園というほどではないが、都心には珍しく木々に囲まれた場所。その中央には、何となく地球の仏教寺院を思わせる建物があった。
大きな庇のある建物は、カラフルに塗られていて、全体的に地味な色合いの街の中では場違いなほど。屋根の上にも人形のようなものが沢山並んでいる。この異様さは、分かりやすく宗教施設であることを示している…のは確かだ。
とりあえず、薫に合わせて拝んでみる。五体倒地しろと言われたら嫌だったけど、手を合わせるだけのようだ。
「無数にいるというなら、私が条件に合うなら含まれるだろうけど」
「条件に合わないから違う」
「なんでアンタが断言するの?」
「こんな欲望のかたまりみたいな女、それが条件に合うなら、むしろその宗教が終わるだろ」
「……………」
「薫、納得したでしょ、今」
「え? えーと、何のことかな?」
それにしても、薫は大したものだと、今さらのように感心する。十五神の神像をここで拝むのは誰でもできるだろうけど、十五神が仮の数と理解するのは、たぶん相当に難しい。だってそれは、未確定の部分が残っているという、宗教にとっては致命的な欠陥につながるのだから。
もちろん、その未確定な部分を保持しているから、この宗教はケンカせずに異教を取り込める。私自身は取り込まれようと構わないし、戦う理由もないので神さまだけど神頼み。
ただ、自分のことで頼みたい何かがみつからないので、曜子と若井の今後を頼んでおく。どうせだから、後で薫も拝んでおこう。もっと男に興味をもつように、とか。
彼氏のことは拝まないのかって?
さすがにそれは、余所の神には頼めませんねー。
「なぁ薫。これはまさか…」
「まさかです。というか、こんなに可愛いのに」
「その辺は見解の相違だろう。なぁ曜子」
「ど、どっか捨てちゃダメ?」
拝殿の奥には、黒い石像が置かれている。
見事に細工された、あれだった。
まぁこれは動かないだけマシじゃないかな。たぶん供養塔みたいなものだろう。愛されてるのは間違いなさそう。
「曜子は慣れる必要があるかもね。というか薫、本当に誰でもコイツを可愛いって言うの?」
「さすがに誰でもってわけじゃないけど」
「手っ取り早く、クラスで何人ぐらい?」
「う、うーん、………数人は嫌いって言うかな」
青ざめた顔の曜子を、地球人類としてはどうにかしてあげたいけど、こればかりは仕方がない。
だいたい、これはGのように見えてGではない。生物としての特徴は限りなくGだが、おとなしく散歩ができる程度の知能がある。そして何より、コイツの名前は違うのだ。
ゴエ。
ゴエモンとか呼んでみれば、親しみもわく…かな。絶景かな絶景かな、とか。結局GはGだけど。
「市役所の場所は確認しておく?」
「二人のために必要でしょうね。転居届とか出さなきゃいけないし」
それからしばらく、前沢地区を歩いた。古い街道筋以外はビル街になっていて、市役所もその中に建っている。窓口は開いていないので、眺めて終わり。
明らかに人口の多いビル街よりも、街道筋の方が歩行者は多い。この宇宙で最後に残った産業が観光? まぁそれは冗談にしても、これがなくなったら全く活気のない星の完成だ。
ああそういえば、例のゲームの集団は近くの交差点にもいる。
ただし、その数は実際のユーザーの一割にも満たないらしい。家にいたままでも遊べるけど、その地点に行かないととれないボーナスポイントを用意しているという。そこまで用意しないと、「用のない」道を歩かないというから事態は深刻だ。
「と、ところでゆうちゃん」
「何?」
前沢院に戻って、次はどっちの方向に行こうか若井と曜子が相談している。その背後から、薫が小声で呼ぶ。
なぜ小声?
振り返ってみると、どことなく薫の視線が泳いでいるような…。
「そろそろお昼ごはんにしませんか」
何だこの可愛い声は。曜子に対抗…するはずはないよねぇ。




