二十 異世界の試行錯誤
十四代目の家に戻った後、光安と若井に買い出しを頼む。光安は弁当屋を知っているし、若井は経験を積む必要がある。その辺は特に本人からも異論はなかった。
その間に、私たちは居間を片づける。
十四代目は、生活道具の大半をこの家に残したまま帰って行った。一応、愛用の湯飲みや茶碗は無理矢理に持ち帰らせたけど、大量の調理用具や皿などが積み上げられている。箱に入ったままのものも多い。
これが日本だったら、中には骨董的価値のあるものも隠れているだろう。古い物は二百年前だから、江戸時代の陶磁器があるようなものだ。残念ながら、平均寿命三百年の世界では、何の価値もないが。
「この辺の食器なら使えそうじゃない?」
「曜子、こんなのもあったわ」
「えっ! それは絶対嫌です!!」
とても写実的にGが描かれた湯飲みも発見された。むしろ日本に持ち帰りたいぐらいの逸品だが、一応持ち込み、持ち帰りはしない予定なので、棚に戻しておく。
買い物帰りの彼氏に、後で一杯のお茶をあげよう。どんな顔をするか楽しみだ。
「ただいまー」
「おかえり…って、アンタ手ぶら?」
「当然だ」
しばらくして、買いだし組が帰ってくる。さすがにポール移動は早い。ちょっとその辺に行く感じで、十数キロ離れた店で買い物できるのだ。この家の前にポールがあれば、あと数分は短縮できそうだ。
ポールが立ったのは二十年前。
仮にも神さまの居住地なのだから、ここにもポールは立って当然だ。シゲオが拒否したのは、よほどこの世界が嫌だったのだろうな。
「問題ない。私の体力を確認していた」
「…言っておくけど、普通の人間でも持てるからね」
五人分の弁当と飲み物を、若井は軽々と持ち歩いている。まぁ実際、成年男子なら持てない重さではない。若井は片手でダンベル百キロぐらいは持ち上げられるはずだが、一応は人類の範疇だと思うから当人に任せればいいか。
「初めてのごはん~♪」
「曜子、弁当は手に持つものだ」
問題はこっちだ。
当たり前のように手に触れずに弁当を動かす曜子。一応は光安の頭の中にいたのだから、そんなことが普通じゃないと分かりそうなものだが、こちらは教育が必要だ。
…もっとも、どこまでが本人の身体能力で、どこからが「宇宙のちょっと上位にある者」なのかは、意識しなければ区別がつかない。どこかでスイッチを入れるとか、ギアが変わるわけじゃないのだから、その境目は人間社会で暮らした経験に依る。
身近なサンプルが私では、そういう学習は難しいのかも。
「これ、若井が選んだの?」
「私にはまだ食べ物の味が分からない」
「………文句があるなら自分で買え」
とりあえず長テーブルに弁当と湯飲みが並べられた。前回と同じ野菜炒めの他に、まるで海苔弁のようなもの、まるでトンカツのようなものもある。全体的にカロリーは高そう。
烏鳳茶と書かれた、ペットボトルのようなものも。素材が何かは分からないけれど、見た目はペットボトルによく似ている。透明で割れにくくて軽い素材を求めるのは、どの文明であっても必然のことのようだ。
この家の湯飲みには、付与の力がない。なので、謎のお茶を注いでみる。黒い鳳凰が何者なのか気になるが、そもそもそれらしい文字というだけで、本当は龍なのかも知れない。
――――そう。
今さらだけど、漢字のようで漢字ではない。読者の便宜を図るために、私はすべて日本語に置き換えているし、実際「方言」なみに似ているけれど、異世界異言語。未だに距離感をつかみかねる。
まぁいいや。彼氏は無言で別の湯飲みに取り替えている。反応したら負けだと思ったに違いない。可愛い彼氏だ。
「いただきまーす」
よくある食事光景が始まる。
ただし、いろいろ不自然な会話付きで。
「すごい、口に入れると味がします!」
「すごいでしょ。若井もびっくりした?」
「び、びっくりはしないが…」
そう。二人は初めての食事体験。インナースペースではお茶しか飲んでなかったから、口に入れて噛んで飲み込むのは史上初。こればかりは、私たちには全く想像できない瞬間だ。
食事のベテラン三人は、しばらくは新人二人の動作に釘付けになる。
というか、にこにこ笑顔で小さな口を動かす曜子は……、ちょっと反則的に可愛い。私までよだれが出そうになる。
「お兄ちゃん、これなあに?」
「む、それは…、薫よろしく」
「えっえっ。……えーと、ヒラタケ。茸」
「ふーん」
茸と言えば、地球では子どもが苦手な野菜に数えられたりするが、曜子はもぐもぐ食べている。十二歳をそういう意味の子どもに含めていいのかは分からない。
光安は、自分で答えたっていいと思うんだけどね。
地球の野菜じゃないから…と自制したところで、結局はほぼ同じようなものばかり。名前までそっくり。私もいいかげん、「ようなもの」の連呼は疲れた。
「おいしい!」
「良かった。今のところは嫌いなものはなさそうね」
「うん! どれもおいしい。お兄ちゃんありがとう」
「お、おう…」
ああしかし、この表情はいけない。ものすごく素直な子どもなのに、男女を問わず無自覚に魅了してしまう。世が世なら、傾城の美女と呼ばれることは間違いない。
というか、私を魅了するってどういうことよ。一応、本気を出せば私の方が上なのだ。文化に関係なく、「宇宙の上位にある者」の容姿はそのまま宇宙の基準になる、という意味で。
「宇宙のちょっと上位にある者」は、一定の範囲では容姿の基準になってしまう、ということだろうか。大変だな、これは。
「じゃあ曜子、お願い」
「はい。押すなよ押すなよ、ぽち」
「…………」
「誰がこんなの教えたんだよ!」
食後は例によって、食器のボタンを押して返却。これも曜子に練習してもらう。
余計なアレは、もしかして先週の私のマネだろうか。あの時、光安はわりとぼーっとしていた気がするけど。
脳内時代の話も、いずれはいろいろ聞きたい。あ、若井の話はいいや。
遅めの食事が終わると、曜子と若井の訓練の時間になった。
もっとも、若井はほぼ問題ない。特別な能力がないのもあるが、やはり五十の中年男は、それ相応の常識を備えているようだ。
……いや、どっちも光安の脳内にいたわけだし、二人がほとんど知識を共有していないことが不思議なんだけど。いったいどんな形で存在していたのやら。
「では、訓練の前に産みの親から一言よろしく」
「いちいち引っかかる言い方しないでよ」
「そうだよお兄ちゃん」
「む……、すまん」
光安はたぶん、少女が中年男を訓練するという違和感を和らげようとした。だからまぁ、本当は少し感謝してるんだけど、残念ながら生まれついての毒舌は止まらない。妹にまでたしなめられた分は、後でなぐさめてあげよう。
考えてみたら、今日はちょっとしか手もつないでない。まぁでも、今は姉としてがんばるよ。
「二人の頭には、この国のいろんな競技の記録を入れてるけど、分かる?」
「ああ…。あまり興味のないデータだが」
「はい。確かにあります」
自分の頭を抑えながら、ありますありますとはしゃぐ曜子が可愛くて困ってしまう。一回しか言ってない言葉が重なって聞こえるぐらいに。
ともかく、これはデータとして与えたもの。地球人類と違って、脳に一定量の電子データを受け入れることができる。それは別に、私が与えた「特別」ではなく、薫もヒデさんもそうなのだ。
「そのデータは、二人が超えてはいけない数値だと思ってね。いずれは身体が覚えてくれるだろうけど、人間離れしないように」
「むむ。私は問題なかろう?」
「人間の範疇だろうけど、いろいろ記録は作れるはず。アンタが五十代アスリートを目指すなら、それは好きにすればいい」
「む、なるほど。よく分かった」
そもそも、この星の人類の五十代は、地球人類の三十代程度でしかない。そこから二百年近くは、ほぼ似たような身体を維持するのだ。五十代アスリートという概念も存在しないはず。
若井は五十歳設定、だけど生まれたのは今日。たぶん今から三百年は普通に生きるのだ。
「私は十代アスリート!」
「…できればそれはやめて、という意味なんだけど」
ノリノリの曜子は…、いったいどれだけ生きるんだろう。
「宇宙のちょっと上位にある者」の影響は、現段階では何も分からない。当面は、十二歳の少女として成長するはず。
「どうしてですか?」
「そりゃあ…、曜子の身体は特別なんだから」
「うーん…」
どんな成長するかも、要観察かな。私みたいにとんでもないことになる可能性も、ないとは言えない。
………。
例によって、前作を読んでいない読者のために教えてあげよう。私の本当の身長は、現時点で二メートルを遙かに超えている。そして、年に七センチぐらい伸び続けている。それは「宇宙の上位にある者」としての力が、身体を異常成長させているからだ。
私はそれを一八六センチに縮めているが、曜子の身体が似たような状況になれば、それも私が責任をとるしかないだろう。一応、曜子自身にも変身能力はあるはずだけど。
「とりあえず、曜子は訓練。まずは芽が出たばかりの木を飛び越えて」
「ゆう、曜子を忍者にする気か」
「アンタもよくそのネタ知ってるわね」
「………何それ」
さすがにこのジョークは薫に通じていない。生態系も文字も名前の付け方もそっくりなのに、文化面はいろいろ違う。
いや、忍者みたいなものはいるだろう。あれはデフォルメされているとはいえ、かつての職業だ。忍んで何かを成し遂げる職なら、今だってどこかに転がっているはず。
この国のテレビ番組もチェックしなければならないのか。まぁくノ一みたいなものは、きっと薫に聞けば教えてくれるだろう。
「えーと、じゃあここを飛び越えるの?」
「そう」
「はーい」
曜子が飛び越えたのは、高さ二〇センチほどの石。これは飛び越えて当然、という意味だ。
「では、次はあれ」
「はーい」
「………あ」
十四代目が剪定していたと思われる生け垣を、曜子は軽々と越える。
うん。これはダメですね。
「曜子。この高さは、人間は飛び越えられません」
「そうなんですか」
「そうだよぉ、いくら何でも無理」
ものすごく困った声の薫が面白い。飛び越える曜子に見惚れながら、その無茶苦茶さに呆れている。
ということで、常識を教えていく。生け垣は、人が入って来れないように造られる。だから越えた時点で人間ではない…とか。
いや、そんなことは知識として知っているだろう。彼女の意識に見合っただけの頭脳なのだ。すぐに理解はしてくれる…。
「何とかトルネード!」
「やめい!」
轟音が響く。屋敷に転がっていたボールを曜子がオーバーヘッドで蹴ると、針葉樹の森が切り裂かれた。
……そりゃまぁ、あれをリアルにやったらこれぐらいの威力はあるけど、あれはリアルじゃない。ゴーエンジなんて存在しない。
嘘、大袈裟、紛らわしい。
早く区別を付けてもらわないと、ファンタジーの世界まで現実化させてしまう。
「サッカーボールで人を吹っ飛ばせるって話、あれは嘘よ」
「えっ、そうなんですか?」
「ゆう…」
少しずつ知識を修正していくしかなさそう。ものすごく何かを言いたそうな光安と、目と目で会話しながら、ポリポリと頭をかいてしまった。
あ、もちろん森林は私が修復した。これは非常識だと言い聞かせながら。
…………。
………。
……………。
一時間後。
曜子の頭脳は、ほぼこの世界に適合した。見せてはいけない力は、ちゃんと隠す。その程度のことが分からないような身体は造っていない。やれば出来る子なんだ。
今は屋敷の裏の畑を耕している。今年になって耕作放棄されたエリアだ。
「えーと、こう?」
「おお、すごい、曜子ちゃん!」
「…ここ以外でやるなよ」
「ふふーん。大丈夫、お兄ちゃん」
もちろん、ただ使わせないだけ、というわけにはいかない。いざという時に暴発されたら、もっと困る。誰も見ていないプライベート空間で、どういう条件でどのぐらいの能力なら大丈夫か。最終調整中だ。
曜子は念動力で土を掘り起こす。もう力の加減は覚えているから、ちゃんと鍬で耕した形になった。
それから、高菜の一種らしい種をまいて、軽く水やり。一歩も動かずに作業を終えた。ものすごく優秀だった。
「お姉ちゃんも、これで心配ないでしょ?」
「まぁ…、よくがんばりました」
頭をなでなでしてあげると、私の腕に頬をすりすりさせてくる。いけない、行動がいちいち可愛い。でもこれは指導したってしょうがない。人間に可能なことはやったって構わないのだから。
「ゆうちゃんと曜子ちゃんが…」
「いちいち興奮するなよ薫…」
ともかく、初日のうちに常識的なレベルに持ち込めたことにほっとする。
その上で…。
「今日の訓練は…、最後にもう一つ」
「まだやるのか」
「光安、あれよ、ビデオよ」
「ええ…」
こんないい加減な会話が成り立つぐらいアレな能力。曜子はもちろん蘇生術など備えていないけど、使える範囲のことは教えておかないと、いろいろ危険なのだ。
なお、何のことか分からない読者は、ぜひ前作を読んで戦慄してほしい。戦慄させた本人が言う台詞じゃないけどさ。
「曜子。この辺の畑を見て」
「はい」
「育てって命令して」
「え…、はい」
言われた通りに、畑の隅の一角に立った曜子は、無言で目を閉じた。
すると…、何ということでしょう、蒔いたばかりの種が芽を出して、蔓をのばして行く。もう花も咲いている。地球でいう三度豆のような種らしい。
「す、すごい」
「…猛烈に嫌な記憶が蘇ったぞ」
「曜子、この能力は一番危険なものだから。分かった?」
「はい!」
曜子が時間を操作できる範囲はごく狭い。それでも、能力を完全に開放すれば、直接触れた相手を白骨にすることはできる。
もしもそんなことになれば、私が尻ぬぐいするけど、何ができるかを知った上で、本人には気をつけてもらわなきゃ。
「曜子ちゃんすごすぎ。…ゆうちゃんって、もっとすごいの?」
「そりゃあお前、正義のヒロインが何も出来ずにやられてバッドエンドだ」
「ええっ、そんな!」
「薫。私と戦う側が悪でしょ。私は神さまなんだから」
「ええっ!」
「そこで驚くのか」
この星の住民には刺激の強い見世物だった。それは否定できない。
とはいえ、現時点の曜子と若井は、たった二人だけの異世界系住民。いくら私たちがいると言っても、心細さを和らげる何かはほしいはず。
そしてもう一つ――。
この宇宙には、まだ具現化可能な付与の力は存在する。曜子の能力のごく一部は、そうした隠れた付与に重なるだろう。
いずれは薫でいろいろ試してみるつもり。ふっふっふ、曜子よりすごいことになったりして。
…………。
というか、薫は――。
夕暮れ時。
光安は分身とコンバイン…じゃなく合体しなければならないので、いったん地球に戻ってもらう。明日の朝に呼び戻す予定。
薫ももちろん自宅に帰る。いや、かなり抵抗されたけど、曜子と初夜を過ごしたいとか恐ろしい台詞も聞こえたけど、帰すことにする。
不満たらたらの薫が、それでも諦めて玄関の戸を開けながら、こちらを振り向いた。
「そういえば、曜子ちゃんは学校に行くよね」
「学校?」
「学校か…」
すっかり忘れていた。私たちは地球の高校生だけど、曜子はこっちにしかいないのだ。しかも十二歳。これだけの文明社会で、学校教育がないはずはなかった。
とりあえず、薫には居間に戻ってもらい、確認する。
この国では、八歳から十年間の義務教育がある。初等学校と高等学校が五年ずつ。曜子は初等の一番上になるようだ。
学校には、公立と私立がある。受験がある分、私立の方が多少は学力は上だという。まぁその辺はピンからキリまである。地球とだいたい似たようなもの。
「ちなみに、薫はどんな学校に通ってるの?」
「わ、私の?」
「中高一貫みたいなのってある? ああ、こっちだと初等と高等か」
「えーと」
薫は私立の一貫校に通っているという。十年間の授業料は、公立でも私立でも無償だから、別にお金持ち…というわけではないようだ。
もちろん、私立校は受験しなければならないけど。
まだ数日のつき合いだが、薫はそこそこ切れ者だ。雑学レベルの話が多いとはいえ、知識もわりとあるし、何より説明がうまい。彼女の通う学校のレベルも高いだろう。
「…つまり、私の学校に編入させようということ?」
「私が決めるのもおかしいけど」
私だって地球の現役高校生。曜子は将来の妹だけど、今は戸籍上は他人なのだし、そもそも子どもが子どもの世話をするのがおかしい。
かといって、若井はオッサンだけど生まれたばかり。しかも、曜子とは私以上に他人だ。光安はこの際論外だし、ここは十五代目の私が世話するしかない。
その上で、曜子は初等五年だが、半年後には高等になる。数ヶ月後には私立受験という状況だ。それならば、一貫校に入ってそのまま高等部に進む方が、本人も楽だろう。誰一人知り合いのいない世界に飛び込むのだし。
そこに薫がいれば、さらに心強い。
「でも、ウチに編入ってどうするのかな」
「そういう子は、全然いなかった?」
「確か…、提携校から移った子はいたけど」
前例があれば何とかなる。しょうがない。そこは神さまがどうにかしよう。
曜子は頭脳もハイスペックだから、どんな学校だろうと、授業について行けないということはないはず。一般常識もあるから、能力さえコントロールできれば大丈夫。
「薫ちゃんの後輩になるの? やったー」
「いやん、そんな嬉しいこと言わないでー」
薫がすっかりデレデレになった。これなら今日は黙って帰ってくれそうだ。
できるだけ遠くの提携校から転校する形で、書類を偽造。遠い親戚という設定で、若井を保護者に指定する。その上で、提携校の事務職など、関係者の記憶を最低限はいじっておく。したくはないけど、記憶操作なしでごまかすことは不可能だから仕方ない。
転校先の側の記憶はさわらない。その代わり、突然の転校手続きに疑問を抱かないよう、ピンポイントで思考を低下させてもらう。まぁこれは、そのうち必要なくなるだろう。
あとは…、どうやら制服があるらしい。せっかくだから、明日に用意しよう。兄者も見たいだろうし。




