十九 十四代目の記憶
住宅見学をいったんやめて、五人はぞろぞろと道に出る。
誰も見かけない道。都市部ですら歩行者は少ないのだ。ここはそもそも人口希薄だから、そうそう村人に会えるものではなさそう。
「ここは…、駅跡か」
「たぶん」
つぶやきながら、彼氏は私の腕をほどこうとグリグリ動かしている。どうやら元気になったようだが、残念ながら彼氏の願いは叶わないのである。ふっふっふ。
最初に降り立ったポールから十メートルほど、一応は十字路になっているその近くに、鉄道のホームらしきものがあった。
ホームと言っても、ほとんど高さはなく短い。せいぜい路面電車ぐらいしか止まれなさそう。レールはないが、枕木らしきものがわずかに残っている。いずれにしろ、地球の廃線跡マニアなら涙を流して喜びそうな光景だ。
「付与がなければ、今も走ってた?」
「それは分からないけど、電車よりは車の方が便利だから」
「ここでも、地球と似たような現象が起きるんだな」
もっとも、この星の場合は大半が廃線になっている。鉄道マニアがそのまま廃線跡マニアだと言っても過言ではなさそうだ。
空を飛ぶ自動車の国で、路面電車がそれ以上の利便性を保つことは難しい。地球と同様に、交通弱者をどうするかという問題はあるから、一定年数は補助金付きで営業して、どっちにしろ今ごろは廃線かな。
高橋という集落は、せいぜい二十軒ほどの家がある程度。さっきの屋敷の手前の道に、道標らしきものが見えたから、たぶん登山口なのだろう。土曜日の昼、登山者らしき人影はない。
……本気の登山なら早朝スタートだから、私たちが来た時間では遅すぎる。だから、皆無ということはないと推測するけれど、それで賑わうような状況にはならないだろう。
「あ、あそこは何だろう、お姉ちゃん!」
「えっ?」
「あー…、お店かも」
ここでも先頭の曜子が、遙か遠方を指差しながらにっこり笑う。薫の反応は、その笑顔の破壊力が半分と、遠すぎて何も見えないのが半分。
地味に視力も上げすぎたようだ。というか、無意識に能力で強化している可能性がある。これも後で教え込まないと。
ともかく、見つけてしまった以上は歩いてみる。
一応、周囲が田畑しかないような一本道でも、ポールは立っている。だけど、別に私たちは急いでいない。知らない星の景色を、せっかくだから眺めていたい。
ついでに、二人の歩く訓練にもなるだろう。どっちもオーバースペックだから、慣らしは要らないはずだけどね。
「……これ、は」
「何て書いてあるの?、お兄ちゃん」
「分からん」
田んぼに囲まれた一軒家。日本で最近よくある、リタイヤ組が採算度外視のお店を出しました的な雰囲気が濃厚な景色に、まさかの看板が立っている。
光安が読めないのは、これが十四代目の文字だから。
私も、さっきの表札で初めて見た文字。さて、言語データを拾って…。
「インナースペースとは何だ」
「何の店かなぁ」
「な、何で読めるの!?」
まさかの展開に驚いたが、若井が看板を指差している。
…………。
ふりがなが振ってあった。異言語探し損だ。それにしてもアレな店名だ…と思いつつ、建物に近づく。まるっきりの民家だが、軒先がずいぶん立派に思われる。豪農の屋敷なのだろうか。
ただ、その軒先とは別に、飾り気のない金属製の引戸があり、そちらに看板がついていた。そこには「軽食」とも書いてある。いろいろよく分からないけれど、さぁて、蛇と出るか…。
「こんにちわー」
「……………」
安っぽい扉を開け、代表して私が挨拶してみたが、何も返って来ない。
少し待ってみるが、何も返って来ない。留守か…と思ったけれど、付与の力が働いているなら、そもそも扉は開かないはず。
「なんだお前たちは」
その時、外で声が聞こえた。
慌てて振り向くと、農作業中という格好の老人が立っている。うーん、これはますますリタイヤ組だ。
「看板があったので、何か食べられないかと思って」
「今日は営業していない」
老人は不機嫌そうに答えて、手袋と帽子を外して、近くの蛇口をひねった。
上半身は薄汚れたTシャツ、そして地球でいうところの「もんぺ」に似たズボンを履いている。今から客商売をするとは到底思えない格好の老人は、蛇口から勢いよく水が噴き出すと、まずは手を洗う。
そんな姿を見て、私は一歩前に踏み出した。
「その野菜は?」
「これは自家用だ」
「なら、それでよろしく」
「ああ?」
あからさまに接触を避けられている。
そんなことは分かっているけど、こっちにも都合はある。
「十四代目の話、聞きたいから」
「…………シゲオか」
わずかに態度が変わったのを確認して、私はさっさと店内――というか家――に入る。後から四人もついてきた。相当に強引なやり取りなのに、誰も何も言わないのは不思議だ。
不思議…ではないか。
たぶん、みんな興味があったのだろう。あの館の主だった者のことに。というか、シゲオ?
「自己紹介するわ。私は高橋裕美。十五代目」
「……あんたが」
勝手にあがりこんで、長テーブルを囲んで座る私たち。老人は私を睨みつけ、それから奥に消えた。たぶん、そこにはこの家の台所があるはずだ。
開口一番「私は、神だ」なんて言うヤツを、地球人類なら絶対に信用しない。しかしここでは、身分証明「神さま」を覗かせれば何の問題もない。私なら、それでも疑うけどね。
座っている部屋は、どことなく十四代目の家に似ている。それは単に、この辺の古い民家の特徴なのかも知れないが、薫は物珍しそうにきょろきょろしている。
あ、曜子も挙動不審レベルできょろきょろしてる。まぁ、こっちは人間初日だし。
「すぐに出せるものは、酒の肴ぐらいだ」
「それでいいわ。えーと、薫」
「私たちはお酒はダメ」
「なるほど、そこも一緒なのね」
仕方がないので、お茶を出してもらう。
お茶は…、どうやら付与の茶ではない。一口飲むと、何だか懐かしい。ああ…。
「まるでお茶だな」
光安の一言に、その場は微妙な空気に包まれた。
彼はもちろん、地球の茶に似ているという意味で言ったのだが、ここでは単にお茶をお茶みたいだと言った形になる。頭がいかれてしまったみたいだ。
「それでー、おじさんはシゲさんと仲が良かったの?」
「年に一度か二度、店に来るのを親しいというなら、そうだろう」
無邪気に質問した曜子は、いささか予想外の返答に当惑気味。この世界の洗礼を受けた格好だ。
私も正直言って脱力したけど、この際、構わず話を続けることにする。
なお、シゲオと呼んでいるようなので、曜子はさっそくシゲさんと応用している。特に訂正が入らないから、私もそのままいかせてもらう。
やたら長い本名のどこかに、シゲオと空耳できる箇所はあった気がするが、いくら発音しにくいとは言え、よくもこんないい加減な略称で呼んだものだ。私が思うに、気難しいのは顔だけだよね。
「シゲさんが元の宇宙に帰ったことはご存じですか?」
「ああ。一応挨拶に来たからな」
「へぇ」
「またな、って言ってたが、もう来ないんだろう?」
「そうでしょうね」
帰したのが私だという点はぼかしながら、とりあえず確認作業。
この老人――ヒデさんと呼ばれているそうだ――とシゲさんのつき合いは、何と百五十年前に遡るという。シゲオが呼び出されたのが百九十七年前らしいから、その四十数年後の出会いという計算。
地球人類の感覚ではアレだけど、この星では数十年は大した時間ではないようだ。そりゃあ、みんな無気力にもなるだろう。
というか、百五十年の付き合いが「またな」で終わるのか。まぁそもそも、二百年も住んだ世界なのに、何の未練もなさそうだったからなぁ。
「インナースペースは、シゲさん命名ですか?」
「いや、看板だけ書いてもらった。何だか謎めいていいだろう?」
「……いいの?」
我慢のできない薫のつぶやきに、またもや微妙な空気。
うーむ。
でも、そうか。私はちょっと分かって来たぞ。
「あのふりがなはダメだろ」
「然様。あのようなものは子どもの落書き同然である」
「私みたいな子どもでも読めるから、いいと思いまーす」
「…………」
しかし、今日のメンバーは営業職に向かないようだった。
曜子はともかく、薫も若井も全く遠慮というものがない。少しは十五代目の立場も考えてほしい。
光安はしょうがない。そういうとこも含めて彼氏なので。
「十五代目は…、あそこに住むのか?」
散々な言われようのヒデさんが、不機嫌そうに尋ねる。
田舎は人付合いがすべてなんだから、少しは自制してもらわないと。
「まだ迷ってますが、住むとしたら、この二人です。私の友人だけど、別に異世界人じゃないですよ」
「ほぉ」
「一応言っておくけど、異世界人は二人だけだ。俺とコイツ」
「一応言っておくけど、神さまをコイツって呼ぶなバカ」
とにかく、出されたつまみで茶を飲む。といっても、私しか手を出さない。地球でいえばイカの塩辛のようなシロモノで、昼間に食べたいものではない。
この機嫌では、あとから食事が追加されることはないだろう。光安にお弁当を買いに行ってもらおうかな。
………。
だけど、その前に。
「ヒデさんは、神さまでしたね?」
「…………」
さすがに脈絡がなさ過ぎて、誰も口を挟んで来ない。
しかし、ヒデさんの表情はそれが間違いではないと言っている。
「自己啓発系の新興宗教の教祖様が、神さまを名乗る異世界人に出会った。そして、どちらも信者を獲得することもなく、疎遠になったのでしょう」
「……十五代目も占い師なのか?」
「これはただの推理ですよ」
あのベタな店名、使われていない立派な入口、それはこの家が農家ではなかったことを示している。しかも、今ちょっと話しただけでも、この人物には教祖になれるほどの話術がないことが推察される。
そんな人間と、同じく誰も神さまとして扱わない十四代目が出会ったなら、どうしようもなく小さな化学反応が起きたことだろう。年に一度会う程度の、どうでもいい関係だ。
「せっかくだから、祭壇見せてもらってもいいですか?」
「…それも十五代目の仕事か」
「引き継ぎの一つだと思っています」
どこがだ、とツッコミが入らないのは、一応緊迫した交渉の場面だと認識されているからだろう。でも、私はもうヒデさんとは分かり合えた気がする。向こうはそう思ってなくとも。
何十年というレベルで使ってなさそうな祭壇を、他人に見せるのは恥辱以外の何者でもない。けれど、そんな恥辱なんて感情が湧くほど、教祖だった過去は近くもないはず。長寿って本当に幸せなんだろうか、と余計な疑問すら抱いてしまう。
ともかく、勝手な論理で振り回してみる。
それに、やはり現地の信仰は確認しておきたい。かすかにであれ、自分の先代と交わったなら尚更だ。そうさそうだよ世界は友だちなのだ。
「くさっ」
「さっきの二階の部屋みたいに、曜子がやったらいい?」
「やるな。絶対やるな」
「お兄ちゃん、どうして?」
「そういうのを、余計なお世話っていうんだ」
居住スペースと祭壇は、うす汚い扉で隔てられている。
ヒデさんがよそ見しているのを確認して、触れずに開ける。掃除しない理由は、光安の言う通り。当人が使える力を使っていないのだから、そこに介入するのは失礼というもの。
祭壇は木造で、一部に金箔が貼られているらしい。
らしい…というのは、この星の物質が地球の金と同一か分からないという意味であって、表現としては金箔と呼ぶしかない。既視感漂う祭壇は、観音開きの扉がついている。
扉は閉まっている。秘仏のようにカリスマ性を高めるのか、公開をやめてしまったのかは分からないけれど、今さら隠す価値はない。
「ごかいちょー」
「黙ってやれよ、ゆう」
相変わらずヒデさんが見ていないのを確認した上で、離れた扉を開く。「宇宙の上位にある者」として、扉に開けと命じたので、錆び付いた鍵も問題なく御開帳。
そこにあったのは―――。
「薫、これは一体何?」
「こ、工作?」
鎮座するのは、薫の言うように子どもの工作みたいな木像。どうにも表現しづらい表情は…、ヒデさんだよね、これ。
全員無言のまま、たぶん一分ぐらいが過ぎた辺りで扉を閉めた。曜子すら何も言わない辺り、なかなか衝撃的だった。
なるほど。
こんなものでこの国の信仰が分かってたまるか! というか、何のインナースペースなんだ。ヒデさんの頭の中がトリップしてるの?
………冷静になろう。私だって信仰対象にならない神さま。同類なんだ、たぶん。
ヒデさんの家に滞在して、そろそろ一時間。いろいろ諦めたのか、当人は客を置いたまま畑仕事に出掛けてしまった。
いくらなんでも不用心が過ぎる気がする…けど、まぁ私の素性が素性だから、ある意味の信用はあるのだろう。神さまが窃盗犯になったらまずいし。
「で、十四代目が残したのは、これだけか」
「キュビズム…かな」
「何それ、ゆうちゃんの星はこういうのが普通なの?」
祭壇の横に飾られた一枚の絵。そこに例の読めない字で何か書いてある。はい、もちろんふりがな付きで。
タイトルは「神像」。
ガタガタに崩れた顔、なのにしっかり頭の頂点は禿げている。素晴らしい自画像だ。いや、ヒデさんが描いた可能性もあるが、その方がもっとアレだよね。
教祖ごっこがうまくいかずに郊外に移り住んだ男と、十四代目と祭りあげられたものの何もできない男。互いに無視はできず、かといって意気投合もしない二人に、語るほどのエピソードはなかった。
まぁでも、わずかな同族意識はあったのだろう。こんな落書きを飾るなんて、普通は頼まれてもごめんだ。
「裏に何かありますよー」
「曜子、他人の家を勝手に物色しないで」
「ほら、これ、人の頭」
「えっ!?」
…………。
不穏な台詞に、慌てて駆けつけてみると、曜子はスイカぐらいのサイズの何かを持ち上げていた。
ああ。はい。分かりましたよ。
製作途中で投げ捨てられたヒデさん。仮にも自分の顔をほこりまみれにして気にならないのか。まぁそれが気にならなくなるのが百五十年という時間なのかも知れない。
「ここに置いたらいい感じですね」
「さらし首じゃねーか」
本人の黒歴史をさらすのはさすがにかわいそうだ。仕方ないので祭壇の裏に戻しておく。ついでに汚れだけは落としてあげた。いずれ、肝試し用のアイテムとして使おうかな。
それにしても、重さ数十キロはありそうな仏頭を平然と持ち上げるとは。曜子には教えることが沢山あるなぁ。
「ここは……キ、キャーー!」
「な、何?」
今度はいきなりの悲鳴と…、すごく嫌な音がした。爆発音のような…。
曜子は扉のすぐそばに座り込んでいる。見たところ、生きているようだ。いや、死ぬわけはないけど。
「曜子、何が…」
言いかけて、目に入った景色。
その瞬間、とりあえず神さまの能力を使う。時を止めた。
「大丈夫か、曜子」
「うん…」
「というか、ゆう」
「見る前に深呼吸してよ。一応、見ない方がいいと、あなたの彼女から忠告しておくけど」
「………」
のっそりと現れた光安。時間が止まっていることには気づいているから、ある程度、事態の深刻さも分かっていただろうが、曜子の奥の光景を見て、そのまま時が止まったように静止する。
その部屋は、ペットの飼育部屋だった。
そう。あの黒くて平べったい、Gの部屋。
今は飼育棚が滅茶苦茶に破壊され、……Gの破片も散らばっている。
「曜子がやったのか」
「あの…」
「私が悪いわ。もう少し威力を調整しないと」
意識のみとはいえ、地球人類の常識を備えている曜子が、Gの部屋に放り込まれたらどうなるか。彼女は生命の危機を感じて、それに応じて相手を排除する力が働いた。
私並みの力だったら、星の一つや二つでは済まなかっただろうから、ちゃんと力は弱めてある。Gはともかく、人間が即死するような威力ではない。ないのだが…。
「曜子は忘れろ」
「………」
時間を止めた時点で、例外としたのは私たち三人。それはもちろん、この状況を「修復」するためだ。曜子の発動を、なかったことにする。それでGの皆さんも元通り、飼育棚の破損も消える。
あとは、この出来事の記憶をどうするか。
光安は、曜子の記憶を消せと言っている。記憶操作にはものすごく抵抗のある彼が…だ。
「分かったわ。お兄ちゃんの要望、私もそれがいいと思うから」
「二度とないように…」
「少しずつ開放する。私の指導の上で。それでいい?」
「…頼んだ」
曜子の時を止めた上で、兄を納得させて、そして「修復」する。
作業はあっという間だ。曜子が扉を開けて、Gに驚いて、そして座り込む。衝撃波は発動させず、ただ曜子がびっくりして叫んだ。
「そうならなかった」時間は、光安と私の記憶に留めておく。
「び、びっくりした、お兄ちゃん!」
「フフフ、お前は俺の頭の中にいた時に、こいつらに一度遭っているぞ」
「えっ?」
「妙齢のご婦人は、黒光りするペットが好みなのよ」
「ペット!?」
違和感を隠しながら、見事な連係プレーで止まった時間を動かしていく。
今さらだけど、光安は並みの男じゃない。私が惚れるのも当然だよね。
「ヒデさんって、ペット屋もやってるの?」
G騒動でさすがに盛り下がってしまったので、店を出ることになった。
京都のぶぶ漬け並みの扱いしか受けていない気がするけれど、ちゃんと支払いはする。情報料と迷惑料を合わせて、日本の通貨価値なら二万円ぐらい。その金額で、多少はヒデさんの態度も軟化したようだ。
「あれは売り物じゃない。うちの可愛い家族だ」
「なるほど…」
思いがけない返答に、何とか言葉をひねり出して、ポールの立つ車道に戻った。
ものすごく疲れたけど、まだお昼も食べてない。曜子の訓練もあるし、今日は多忙だなぁ……。
※要修正かも。




