十六 若井
「宇宙の上位にある者、高橋裕美が命ずる! 出でよオッサン声!」
「はぁ!?」
何となく一度言ってみたかった、よくある召喚フレーズを叫ぶ。
すると、薫の左隣の辺りで光が点滅したりして、スモークがどっかから湧いてきて、そして何かが出現した。
ちなみにライトとスモークは、私が用意した演出だ。ああ、魔法陣も書いておくんだった。
「………………」
「…………オ」
「ゆう……、やっちまったのか」
「てへっ」
薫の隣に、年齢五十歳ほどと推測されるオスの生物が立っている。身長一七〇前後、中肉中背、黒いビジネススーツに黒い革靴。馬面顔で白髪交じりの黒髪は、文明開化の音がしそうな散切り。
その姿は、まさしくオッサン。
人によってはオジサンとかオジサマとか加齢臭とか表現するかも知れないが、中高年男性と認識される。
その当人は恐る恐る口を開き、薫は硬直し、光安は事務机に肘をついている。
「………ゆうちゃん、これは夢?」
「この宇宙の原住民よ、……災厄だ。高橋裕美は,お前たちの世界に現れた災厄なのだ」
「しゃ、しゃべってる!」
「だから災厄はアンタだって言ってるでしょ」
オッサンは、光安の頭の中にいた別人格。読者の皆さんに分かりやすく言えば、前作の語り手、今作でも番外編にしゃしゃり出ていた。薫にもそう教えてあげた…けど、さすがにこの説明だけで納得するはずはない。まぁそのうち分かっていくはず。
突然の実体化に、一応は周囲を見渡したオッサン。しかし、元語り手らしくすぐに鬱陶しく演説を始めた。今まさに生まれたようなものなのに、たいして動揺していない。それほどこの声は明確な自我をもっていたのだろう。
そう。
今日は光安の別人格を救い出す記念日。
このオッサンは、そもそも最近まで光安と会話することすらなかった別人格。だから光安も、彼の分離に異論は唱えなかった。
「名前はどうする? オッサンでいい?」
「良いわけなかろう。というか、相変わらずデタラメな女だ。お前はきっとこの先、世界に災いを…」
「今主張したばかりでしょ、それ」
「………」
なぜこの世界に出現させるのか。
別人格を、いつまでも光安の頭に封じておくことは、たぶんできない。元々がイレギュラーで、しかも私の力にあてられたせいか、日々成長している。いずれ光安の脳のキャパを超えてしまうだろう。
妄想扱いにして消去する…というのは、ここまで自立した以上はあまりやりたくない。
意識を殺せるなら、地球においては完全犯罪。だけど、犯罪の香りがする時点でアレだし、光安の自分の一部を殺すようなものだ。
となれば、造るしかない。普通は候補にも上がらない選択肢だけど、できるのだから。
「ゆう」
「私の一存では決めない。アイディアを募集。採用者は何とハワイ旅行!」
「ハワイ…?」
地球で生み出せば、まさしく人造人間。神をも恐れぬ所業。いや、私が神だと言えば神なんだろうけど、一応地球では女子高校生でいたい。
じゃあ、この世界なら?
「うむ…。オマエワ・オッサーンとかどうだ。なお賞品はいらん」
「何でよ」
「どうせ誰かがついて来るんだろ。罠だ」
「というか、……私と行かないで誰と行くの?」
私と光安は、この世界に存在していなかった「異物」。そして、目の前のオッサンも「異物」。対応する肉体が地球にあるかどうかは、「異物」であるという共通点の前ではどうでもいい話だ。
きっとその論理は無茶だと思うし、光安が完全に納得はしないだろう。しかし、無茶は承知の上で、より言い訳が成立する形を選択する。
十五代目神さま、という大義名分も、使えるものは何でも使おう。
「待ちたまえ高校生、私はそのような名を許容するものではない。たとえばこのきりりとした眉、高く盛り上がった鼻、仏のような福耳…」
「口裂け女のような唇、アントニオのような顎」
「話に割り込むでない!」
「うす汚い無精ヒゲ、血管の浮き出た両手、……どう? 生きてるって素敵でしょ?」
「ゆうは頭のネジが緩んでるよな」
バカバカしい口上を途中で奪ってやったのだが、オッサーンはそれほど反撃してこない。それはそうだ。だって、生きてるってそういうことなんだから。
今までのオッサーンは、例えていうなら二次元の萌え絵みたいなもの。何一つ萌える要素がなかったことはさておき、完全無欠の萌え絵は、その代償として血が通っていない。
しかし、この身体は違う。「宇宙の上位にある者」特製、オーダーメイドの逸品だ。
自分で言うのも何だけど、地球人類の平均を遙かに上回るハイスペックな肉体。さすがに目からビームを発射したり、腕がロケットパンチしたり、胸からミサイルが発射されたりはしないけど、世が世ならニュータイプと呼ばれる程度の素質はある。オッサーンだけど。
「とりあえず、オッサンが嫌ならナウ・ナヤングにしておけば?」
「お前は相変わらずバカな高校生だ。良いか、私はそもそも中年男性ではない。それはお前たちが勝手に作り上げ…」
「若けりゃいいんでしょ。うん、決まった、若井」
「き、貴様」
「貴様じゃなくて神さまよ、若井」
「…………」
名前は決定した。問答無用で既成事実を造ってやった。
そして、黙り込んだ若井。
別にそれは、この名前に文句があったわけではないだろう。いや、文句はあるかも知れないが、どうせどんな名前でも簡単に納得などするはずはない。
もっとそれは、本質的な問題だ。
考えてみたら、この男が人類の仲間入りできるかどうかは私次第。ということは、どんなに口が悪くとも、最終的には私に逆らえない。まるで奴隷だ。
……………。
正直、私次第でどうにでもなるのは、別に若井に限った話ではない。私が作ったかそうでないかという違いはあっても、私次第で人間をやめさせられるのは同じ。だいたい、この星を消してしまえば自動的に滅亡するのだから、逆らえないというなら全人類は私に逆らえないだろう。
……話が堂々巡り。このままじゃ、また私は「消えて」しまうんだ。
「ゆう」
「……何よ」
「合意事項、忘れるなよ」
「ん…」
ああでも、そうか、合意してたんだね。
あれは光安の精神安定のためだと、私は勘違いしていた。
「俺から言うぞ。若井」
「何だ高校生」
ムッとした表情のまま、光安は立ち上がった。
若井と向かい合うと、急にむさ苦しい景色になる。「三バカ」のそれより密度が濃いのは、やはりヒゲ面の為せる業というものか。
なお、若井のネクタイは石碑柄だが、今のところ誰もツッコミを入れていない。
「お前の肉体は、ゆうが造りだした」
「知っている」
「しかし、今後お前に俺たちは干渉しない」
「………」
「この宇宙にとっては、ゆうも俺もお前も同じ異世界人だ。だから異世界出身者として生きてくれ。一応、お前の母体だった俺から言えるのは、それだけだ」
「うむ…」
父親が花嫁に言うように、無駄に格好つけた台詞。光安らしくはない。ない……けど、光安はこういうヤツなんだ。だって私も…、その「被害者」だから。
しかめっ面の光安と、同じような表情の若井はしばらく黙って向き合い、やがて離れた。
よく見ると、薫は泣いていた。
ぐすぐす鼻をすすりながら、若井を見つめていた。これじゃまるで結婚式だ。自分の脳に巣食った意識と結婚するなんて―――。
………。
それはありうるんだった。光安、恐ろしい子。
「しかしだ、高校生」
「光安と呼べ。あと、こいつも…」
「ゆうちゃん」
「それは遠慮する。裕美」
「まぁいいでしょ。オッサンだし」
若井は自分の身体を確認するようにため息をつき、空いていた椅子に腰をおろす。
事務所には事務机が六つ、椅子も同じだけ揃っている。誰も使う予定もないだろうに、無意味に体裁だけ整えた官僚仕事のおかげで、まだ二人分の余裕がある。
窓口側にも椅子があるから、椅子マニア垂涎の地。物置にはパイプ椅子もあるし。
「私はどこに住めば良いのだ」
「あー」
適当に声を出して、天井を眺める。
あんまり考える気がない…けど、衣食住の確保はしなければ。見た目はできるビジネスパーソンでも、さっきまで影も形もなかった存在なのだ。
んー……。
「薫の家?」
「えええっ!」
「冗談であろう」
「冗談だろうな」
「冗談よ」
「…………」
さすがにこの二人が恋におちる未来は想像できないが、できないわけではない。肉体を得たばかりの中年男と、ピチピチギャルを一つ屋根の下に置くなど…って、ああまた死語を口にしてしまった。
この事務所の物置には折り畳みベッドがあった。一人ならそれで済むけど…。
「ゆう」
「何?」
「十四代目はどっかに住んでただろ」
「おうっ」
さすが光安、我がダーリン。思わずときめいてしまうが、微妙な視線も感じて冷静さを取り戻す。
なるほど。十四代目は居住していた。しかもあの河童様はもう帰したから、もしもその屋敷があれば今は空家。
…まぁ、そうでなくとも私が住む家は確保されていた。私は要らないと断わってしまったから、既に何かに転用されている可能性はある。うん、さっさと連絡をとっておこう。
「とりあえず、家は夕方までに私が確保する。それでいいよね、若井」
「構わない、よろしく頼む」
「よ、良かった…」
少し空気が和らいだところを逃がさず、今日の予定を進める。
そう。これはまだ前菜みたいなものだ。
「さ、それでは次行ってみよー」
「ゆう!」
「……私にとっても大事な子よ」
「ああ…」
※誤字訂正。いやいや、魔方陣だもんね。




