十五 答えのない問い
「おはよう、ゆうちゃん、光安!」
「いらっしゃいませ薫さま、なんで俺は呼び捨てだ」
「逆に聞くけど、なんで呼び捨てにしたら悪いの?」
土曜日の朝。朝九時の事務所に、さわやかな挨拶の輪が広がった。
私も光安も、もう服装で悩むのはやめた。というか、面倒なので薫に相談して、この世界の服装を一式揃えてもらった。おかげでもう異世界人には全く見えなくなったのだ。
……Yシャツもスカートも、地球のそれと見分けがつかないのは内緒なのだ。
「アクミ市ではこんなデザインが流行ってるのか」
「そ、そうよ」
「へぇ…」
プリントTシャツを着せられた光安は、少々不機嫌に見える。
その理由はいろいろあるだろうが、とりあえずプリントされているのが例の石碑という点に不満があるようだ。こんなTシャツを喜んで着るのはよほどの人物だろう、と言いたくなるシロモノだ。
無駄に鮮明な印刷で、石碑の文字が読めそう。この世界の技術水準の高さを感じさせるが、光安がそこに感心することはないと予想できる。
「まぁいいじゃない。観光客って感じがして」
「ならお前が着ればいい。男女兼用だ」
なお、薫は十五代目窓口のバイトと、アクミ市委託の神さま監視員を兼ねている。後者は、要するに薫の叔父がコソコソやってたやつを、正規の業務に格上げしたわけだ。
監視活動は危険が伴う業務だから、それなりの報酬を求めるのは当然だ。その代わりに、定期的に報告する形にする――と、全部私の入れ知恵。
監視対象とズブズブ、およそ無意味な業務に、公費が支払われる。アクミ市の危機管理のほどが知れる。きっとそれだけこの国は平和なのだろう。
「私が着るとほら…、石碑が歪むから」
「あ…、それ見たいかも。見たい見たい!」
「薫は本当に女なのか?」
相変わらずの薫。現時点では、荒瀬くんや曽根くんと同レベル。光安が疑問に思うまでもなく、メスには違いないけれど…。
ちなみに、全くの異世界だから、生物が雄雌の染色体を交わらせるとは限らない。実際、過去十四名の神さまの中には、地球でいうところのプラナリアみたいな知的生命体もいたらしい。巨大ムカデみたいな六代目は、両性具有だった模様。
地球にそんな姿の神さまが出現したら、大騒ぎというレベルでは済まないだろう。アクミ市の危機管理はさておき、この宇宙はなかなか肝が据わっている。
「ゆうちゃん、今日も見学に行く?」
「ちょっと今日はやることがあってねー」
「…………」
そう。今日は用がある。だからわざわざ光安の分身まで作っておいた。
今ごろ、地球の光安は曽根くんの家で勉強中。で、こちらが本体だ。
彼の分身は、一応以前にも作ったことがある。とはいえ、試しに本体の隣に作っただけで、数分で消したから、まともな運用は初めてだ。別れている間は各個体がそれぞれ思考行動して、元に戻る際に記憶を統合する予定。その時にどんなことになるかは…。
「重大な秘密を抱えることになるからね、薫」
「えっ?」
「…………」
「納得したんでしょ、光安は」
「感情として納得はできない」
「まぁそれは…」
いきなり脅されてたじろぐ薫の隣で、むすっとする光安。分身の違和感に耐えているわけではない。そっちはどうせ、合体するまでは別個に動いてるだけだし、二倍の時間を生きているに過ぎない。
過ぎないというには大きすぎる話だけど、それぞれが特別なことをやってるわけじゃないから…。
「ゆうちゃんって、光安に気を使うのね」
「…そこになぜ驚く」
「驚くでしょ、だってゆうちゃんと光安でしょ?」
薫は本気で驚いている。なんだか複雑な気分だ。
私と光安のスペックがどれほど違うか、そんなことは知っている。そして、「出逢った」頃の私が、光安をオモチャにしていたのも事実。
あの関係のままならば、薫のイメージ通りになるだろう。
そしてあの関係のままならば…、私はもう「いない」だろう。
「言っておくが、俺は世界を救った英雄みたいなもんだからな。もっと崇めよ讃えよ」
「さすがの光安も、英雄と断言はしないのね」
「そこは聞き流せ、ゆう」
「…仲がいいのは分かるけど」
まぁいいや。彼氏も話を切りたいようだし、利害の一致だ。カウンターではなく、奥の事務所スペースの机にお茶入りカップを並べて、さっさと座る。隣の椅子に光安も座り――無言のまま――、取り残された格好の薫が向かいの席に座った。
付与のお茶は、微妙な味だ。できれば煎茶かコーヒーにしてほしいが、どうもこの事務所のカップにそんな飲み物は付与されていないようだ。
まぁ、そんな飲み物があるかどうかも不明だけど、これだけ似たような環境なのだし、きっと似たような味は見つかるはずだ。
…………。
……………。
光安は相変わらずむすっとしている。
薫も何となくつられて無言。
壁掛けの時計のかすかな音だけが聞こえている。
なお、この世界は一日三十時間ある。一秒の長さが地球と違うようなので、細かい違いはよく分からない。星そのものが地球より大きいし、地球の二十四時間より長いとは思うけど。
……どうでもいいことを語ってしまった。いつの間にかカップが空になり、数秒で再びお茶が満たされる。勝手にされると、わんこそばみたいで落ち着かない。
澱んだ空気のまま、二杯目を飲み干して、深呼吸。
光安と私は毎日話し合った。いちゃいちゃしたい気分を抑えて、かなり突っ込んだ話し合いの末に、いろいろ条件付きでどうにか合意に至った。
うん。合意に至った。
「光安」
「…もうやるのか。昼飯後とか、どうだ」
「そのお昼ごはんを食べられずに、悲しんだりしない?」
「…………」
土曜の朝。無駄話をはじめてまだ三十分も過ぎていない。もう少しお茶を飲みながらくつろいでみるのも悪くはない…と、光安はまだ抵抗している。
私は急いでいる。
彼に時間を与えれば、それだけ迷いが復活するだけだ。元から結論の出る話ではないのだから。
「な、何の話なの? お昼ごはん食べないの?」
「食べる。凄腕現地案内人薫の推薦で出掛けるぞ」
「ええっ、そんなお店知らないけど」
薫が不用意なツッコミを入れて、他人にイヤミな台詞を言わずにはいられない光安が、思わず会心の一撃を食らわせる。
そうだ、今しかない。
「薫」
「は、はい」
「びっくりしないでね」
「な、何を?」
「ふっ」
私は立ち上がって、光安に背を向ける。
単に、そちら側が空いていただけだが、彼の視線を無視することもできる。一石二鳥。
「宇宙の上位にある者、高橋裕美が命ずる! 出でよオッサン声!」
「はぁ!?」
※誤字訂正




