十四 二重生活者
途切れ途切れの記憶。
おまけの意識。
それが私だった。
雛鳥はその巣から、いつか離れていく。
まだ卵の中にいるような私も、いつかは羽ばたけるのかな。
ねぇ、お兄ちゃん…。
楽しい初異世界交流が終わる。
元の地球に戻って、そのまま眠りに落ちて……、目覚めはあまり良くはない。いずれ分身を使う時は、もっと反動がありそう。
光安はもっと大変だろうな。
「おはよう」
「おう、おはよう、ゆう」
「ゆうちゃんを呼び捨てしないで!」
「…私は別に構わないけど」
月曜日、私たちは当たり前のように学校に通い、見慣れた同級生と再会する。いつも通りにお船ちゃん…こと入船香織に絡まれて、光安の悪友の荒瀬くんや曽根くんにもにこやかに挨拶して、そして退屈な授業。六時間の修行は――、それでも、少しだけ新鮮に思えた。
「ゆうちゃん、それで、いつ別れてくれるの?」
「何の話?」
「……こいつ。バカがうつるって言ってるでしょ!」
お船ちゃんが求めてくるのもいつも通り。そう、私は光安という邪悪な物体に取り憑かれた哀れな女。すぐに足蹴にして、罵倒しなければならない。うん、バカバカ言ってるから罵倒はしてるよね、たぶん。
「お船は自分のことを心配すりゃいいんだ。あれだろ、自分のガラの悪さでヤツに避けられてるから…」
「避けられてないっ! 昨日も部活の後、ちょっとアイス食べたし」
「ほほう!」
「あ……」
光安の誘導尋問に、思わず新情報をもらしたお船ちゃんは、数秒固まって、それから天井に視線を泳がせつつ離脱して行った。なるほど、一方的な片想いという話もあったけど、知らないうちに進展してるらしい。お相手の新井田くんに、彼女がいるという噂はないから、これはもしかしたらうまく行くかも。
…もしかしたら、は失礼か。
バレー部では一年生の秋にベンチ入りという期待の星。私と一緒で口は悪いけど、やさしい子なんだ。
「じゃあな、愚民ども」
「やかましいわ」
それでも時は過ぎる。今は高校一年の秋が終わる頃。もう私たちは十年近く学校というものに通っている。十年同じことを勉強しているわけではないけれど、身にしみたルーティンワーク。ちょっとした違和感なんて、半日もあれば修正されてしまう。
光安たち――世に言う「三バカ」である――の、どうしようもない別れの挨拶も、もう半年以上続く習慣だ。
「貴様が心労で痩せ細るよう呪ってやる」
「自分を呪ったら痩せられるだろ、荒瀬山」
「うるせぇ、ならブクブク太れ光安」
だけど、高校に入ってからの私は……。
思い出したくもないけど、要するに教室から消えかかっていたから、荒瀬くんや曽根くんと話す機会なんてもちろんなかった。というか、光安とだって二学期まで一度も会話したことなんでない。
そう考えてみれば、これはルーティンとはまだ言えないのかも知れない。二人と話すのが新鮮とは、さすがにもう思わないけれど。
「荒瀬くん、別に太ってないと思うよ」
「ありがとう裕美ちゃん、俺たちの天使!」
「せめて悪魔にしておけ」
「光安、貴様というヤツはいつになったら裕美ちゃんの素晴らしさに気づくんだ。週末にみっちりしごいてやる!」
「はは…」
魅了の気を発散しているわけでもないのに、天使だの姫だの言われると正直困る。中学三年間、女子と全く会話がなかった二人だから、どうしても極端になるのだろう…と、光安は言っている。
たぶんそれは、光安自身にも当てはまったのだろう。
お船ちゃん相手ですら、最初はぎこちなかった。私と光安が、ああいうイレギュラーな形で触れあわなければ、彼も天使応援団の一人だった……わけはないか。
現時点では相変わらず帰宅部――正確に言えば将棋部の幽霊部員――の私は、光安といつも通りに校門を出る。
私の身体能力はまともじゃないから、スポーツには向いてない。そりゃあ、隠そうと思えば隠せるけど、わざわざ力をセーブしてやるのは、楽しくないし、きっと相手に失礼だろうし。
あのお船ちゃんがバレー部勧誘を諦めたのも、たぶんその辺が分かったからだろう。
「ゆうは…、連絡とってんのか?」
「誰と?」
ちなみに、学校内では堪え忍んでいたが、校門を出た後は手をつないでいる。もっと密着したいけど、その辺は自重した方が良いという天の声も聞こえてくるし…。
「薫」
「ううん」
兼任神さまに聞こえる天の声って、誰の声だろう。
冗談はさておき、残念ながら、ラブラブな帰宅時間はすぐに終わってしまう。
彼と私の家はほぼ逆方向。まるでロミオとジュリエット…なわけはない。だいたい、本当に会いたければいつでも会える力もある。
「じゃあ任せっきりなのか?」
「どうせ誰も来ないでしょ。薫の自習部屋のつもりだから」
「まぁ…、今はそうか」
なお、もうすぐ私が光安と曜子ちゃんに引き戻されて二ヶ月。
そう、もうすぐ二ヶ月!
………ふふ、ふふふふ。
「というか、話聞いてるか?」
「ちゃんと返事してるでしょ」
「いや、その顔…」
…………。
ものすごく邪悪な表情だったという自覚はある。
でも、それは仕方ない。つきあい始めて二ヶ月は一応お試し期間ということで、お手々つないだりくっつくだけ。それを経過したら―――――、ふふっ、もうここには書けない関係になってしまうの。十六歳の誕生日にまだなってないけど、十八禁になってしまうのだっ。
まだ未体験なのに言うのも何だけど、絶対に寝かしてやらない予定なのだっ………って、良い子も読んでるかも知れないのに、お姉さんはイケナイことばかり言ってるわホホホ。
「何となく悪寒がする」
「全く気のせいじゃないから」
それにしても、薫かぁ。光安の口からその名前が出るのか…と、一瞬嫉妬に似た感情も湧き起こったけど、そこは理性で押し留める。押し留めないと、たぶん地球が危ない。ゴッドマンに飛んでこいと叫ばなければならない。
ともかく薫には、窓口の仕事を押しつけてある。
正確にいえば、事務所に入れるようにして、あとは任せてある。窓口を営業するかしないかは彼女任せ。さっきも言ったけど、どうせ客なんて来ないはず。
もちろん、万が一来客があれば応対はしてもらう。緊急を要するなら、私を呼ぶよう伝えてある。だから現時点で、そういう客は来ていないことになる。
「土日は空いてるでしょ、光安」
「土曜は曽根ん家で」
「あれって約束なの?」
「立派な約束だぞ。マンガ読書会だ」
みっちりしごくという、どうでもいい台詞からそこまで話が具体化するとは、さすが三バカ、あなどれない。
…まぁそれは冗談だけど。
「アンタがいないと困るんですけど」
「バイトならいるだろ」
「ちっちっち」
「…なんかロクでもないこと考えてるな」
その通り、私はかなり非常識なことを考えて、実行に移そうと思っている。
地球では恐らく倫理的にアウトな行為。
いや、あの世界でもダメなんだろう。だけど、神話の時代から異世界は都合よく使われてきた。そう、異世界なら、現世の非常識を顕現させても良い。本当の意味で「切り離された」世界なら…。




