十三 鰻のタレのプリンセス
「薫のご先祖さま」
慎重に言葉を選ぶ私。そして――、明らかに動揺している薫。
私の顔を正面で見ても赤面しないぐらい…と形容してみる。
「…そういう言い伝えがある、というだけ」
「私が今確認したから、確かに血はつながってる」
「…………さすが神さま」
目をそらしてため息をつく頃には、やや落ち着きを取り戻した様子。その代わりに赤面するかは不明。というか、一緒に行動している相手に、いちいち赤面されても困る。
そして、いくら辿れると言っても、二千五百年の繫累。
蜘蛛の巣のように広がったそれの末端には、この町の中だけでも数万人がつながっている。薫だけが、薫の家だけが初代の血を色濃く……なんて話はない。あるわけない。
だから、血縁だけでご先祖さまと呼ぶのは、自意識過剰というもの。
―――それだけなら。
「名乗ってる人は沢山いるの。この星を救った英雄だから、彼は」
「薫もこれで堂々と名乗れるな」
「どうやって確認したのか、光安はみんなに説明してくれますか?」
「むむ…」
勝手に話を進める光安が、冷静に返されて黙り込む。ざまーみろ、少しは反省しろ。
たぶんこれは、薫のデリケートな問題。高台からここを見つけた時のあの反応も、自身の話題になったら困るという思いだったはず。
「薫は……、子孫としてどうしろって言われてるの?」
「えっ…」
「まさか異世界人になれってわけはないし」
「そ、それは無理」
初代の子孫なんだから、創業以来継ぎ足し続けたウナギのタレ程度には異世界人と言えなくもない。
だからといって、なってどうするって話だけど。
それこそ、「大きくなったら火星人になれ」って言われても困る。というか意味不明だ。
「まーあれだろ、初代のようにたくましく生きろって感じだろ」
「違います」
何となく光安への当たりが強くなってきた薫。
一言で切り捨てられた光安は、なんだかよく分からないポーズをとっている。たぶん私のツッコミ待ちなのだろうが、私も意地悪なので無視する。
………。
…………。
……………。
「俺の負けだ」
「勝てると思うな。そしてアンタは大事なことを忘れてる。初代の…」
「な、何だよ。俺は今の話はちゃんと聞いたぞ。けっこういい話だと思ったし」
「それ」
びしっと指差してポーズ。
決まった。
………。
今度は無視され返した。もしかして私たちってただのバカップルなのでは。
「学校ではこう教えられてる。初代はすごい学者で、人々のために発明して、讃えられて王と呼ばれた」
「王?」
呆れた顔の薫が口を開く。彼女を落ちつかせる二人の芝居は、どうやらうまくいったようだ…ということにしておきたい。
「この町の女性を妃として、子どもは代々町を守るようになった」
「ふぅむ」
今さらのように案内板を指差す薫。
確かに、薫が言ったことはそこに書かれてある。そして、だいたい同じ内容は、石碑にも確かに刻まれている。ただし、初代が残した文字ではなく、この国の文字の部分に。
私がたった今掘り返した、初代が刻んだ内容、そして当時の記憶とは、いろいろ違う。
初代が王と呼ばれた事実はないし、晩年は一部の支援者以外には忘れ去られていた。どちらかと言えば厄介者として、軟禁されていた。子孫が生まれたことも、歓迎されなかった。
付与の機械に異世界人が必要になるという、システム自体も、不審を抱かれただろう。無理難題に近い、嫌がらせのような条件なのだから。
要するに、宇宙が排除せずとも、その星の社会によって異物は排除されていた。
「でも、今は王なんていないんだろ?」
「連合を組んで、縁組して……」
強大な力をもつ英雄は、その強大な力ゆえに排除される。それは地球のあらゆる文明でも繰り返された歴史。敵を倒す力が、いつ自分たちに向けられるか分からないのだから。
――しかし、死後しばらくして初代は「復権」した。
初代の子孫たちは、最初は同様に軟禁されていたが、何の力も受け継いでいないことが分かると、逆に引く手あまたとなった。
危険さえなければ、英雄の子孫を取り込むメリットは大きい。そうして生み出された「神話」が、千年後の石碑に刻まれた。
「盟主は今の首都の方に遷ったの。アクミは旧都になった」
「首都にはまだ王がいるのか」
「いる…けど、さすがに子孫は名乗ってない」
………。
千年も経てば、何もかも変わる。
そんな一言でまとめられる話じゃないけれど。
「薫は嫌だろうけど、さっさと整理した方が話題を終わらせやすいから、神さまが確認するよ」
「はい」
木立の中にぽつんと置かれたベンチを発見し、私はさっさと腰をおろす。
隣に薫。まだ顔が赤くないから、完全に落ちついたとまでは言えないようだ。
ベンチは三人が座れる幅だけど、袈裟男は立っている。
「薫の親は、王の子孫を名乗っている」
「………はい」
「その割には、王家の娘って育て方でもない」
「ごめんなさい、あの、自称なので」
「よく分からないまま期待だけ背負わされた少女の薫は、いつしかテレビでプリンセスを名乗るヒロインに自分の身を重ね…」
「そ、その通りです!」
「もういいだろ、ゆう」
薫の頭はどんどん下がって行き、地面につきそうな格好で少し震えている。
まぁそうなるのは仕方がない。だけど、そこは曖昧にできることでもない。正統な後継者とされる十五代目と関わってしまったのだから。
……それにしても、こういう時の光安はカッコイイ。見惚れてしまう。まさか、そのために目の前で立って…いるわけはないか。
なんてね。
「けれど、昨日の夕方に高台の公園に行ったのは偶然だった?」
「えっ…」
さて。
赤面させて終われればいいけど、まだ確認することはいろいろ残っている。この場で聞く必要のないことが一つと、聞かなければならないことが一つ。
「薫は親戚のおじさんと一緒だった」
その瞬間、うつむいていた薫が飛び起きた。
脳震盪を起こしそうな派手な動き。髪の毛が宙を舞う。届く距離にいない光安が、思わず避けようとしたぐらいに。
「な、なんでそれを」
「誰でも気づく理由は、少し離れたところに女の子と一緒の中年男性がいて、こちらの動きを見ていた」
「…な、なるほど。さすがゆうちゃん」
「いや、おかしいだろ、それ」
親戚のおじさん…というのは、私の勘だ。
もちろん、その気になれば記憶を覗いて確かめられるけれど、そういうのは対象者が非協力的で、しかも知らないままで済まされない場合に限りたい。今はそこまでは判断できない。
「ほう、光安ともあろう者が何かに気づいたと」
「おうよ」
「ならば申してみるが良い」
袈裟男が目の前にいると、どうにも変なノリになってしまう。
彼氏とかいう前に、異世界の怪人だからね。マントの怪人は夜に叫ぶって言うし。
「もしも一緒に来たなら、俺たちが薫を引き回す時に何か言うだろ。連れに黙って…」
「中年男性はコッソリうなづいていた。それを薫も見ている…としたら?」
「むぅ」
ノリはともかく、光安は探偵の素質がある…と、彼女の贔屓目では思っている。
まぁ、一緒に遊びに来て、断わりもなく消えるなんてあり得ない。そんなことは、探偵じゃなくともすぐに気づくはず。
「お、おじさんも近所に住んでるし、…別に一緒に帰らなきゃいけないわけでもなかったので」
「誘われたのに?」
「誘われるのも、いつものことだから…」
薫は次第に冷静になっていく。
冷静になるということは、この場の状況も理解できるようになる。
「さて、そろそろ遠回しの話はやめようぜ、ゆう」
「えーっ」
そこで、余計なことを言うのが光安だ。
せっかくの探偵ごっこなんだから、もう少し緊張感に身を置いていたい。ミステリーの一番盛り上がる瞬間なのに。
「な、何? もしかして疑われてるの、私?」
「それもさっさと済ませてくれ」
ようやく薫も気づく。
あまりに遅すぎて、それはそれでアレなんだけど。
「仕方ありませんねぇ、この名探偵かつ神さまのゆうが、まるっと真実はいつも一つと見せてあげましょう」
「…………」
「……………」
「ごめん。神さま懺悔」
異世界ジョークは通じないと言った自分が、やっちまったなー。
というか、光安はちゃんとツッコミという役割を果たしてほしい。それが彼氏というものだろう。違う気もするけど。
「気を取りなおして、………薫は無罪」
「無罪…」
「事情を知らされてない、という意味で無罪。いつも通りのようで、いつもと違う公園に遊びに行ったのに何も疑わなかったし、今日のリボンはちょっと重かったのに気づかなかったし…」
「…………えぇ?」
「接触させて様子を見ようと思ったら、さっそく仲良くなるという、期待以上のはたらきだった。…だから薫は私が護る。仲良くなったからね」
「えーーーっと、何を言ってるのか全く分かんない、ゆうちゃん!」
格好良く一気にまくし立ててみる。
動揺して目線が泳ぐ薫が面白くて、もっといろいろやりたくなるけれど、向かいの冷たい視線が邪魔をする。光安だって、自分が暴く側ならノリノリのはずなのに。
「薫はこの星の人類の中では、騙されやすい側だろう。俺でもそのぐらいは想像がつく」
「はぁ?」
「その蝶々みたいなの、外してみろよ」
それでも、探偵の助手役はきっちり演じてくれる、さすが我が彼氏よ。
外してみろよ…って、カッコイイなぁ。頬がにやけて困るなぁ。
「こ、これ?」
二人の視線を避けるように、小さな髪飾りを外す薫。目立たない小さなリボンを手にとって、何かおかしいことに気づいた様子。
私は薫の手からそれを取りあげると、地面に投げつけた。よくある探偵物の真似をしようと……して、制御を忘れかけたけど、どうにか自分の力を思い出して、ちょっと怪力少女程度におさめる。
危うくクレーターができるところだったが、無事にパリンと音がして、髪飾りは砕けた。
そして、砕けた破片の中に、何かがあった。
「これは…」
「地球より技術が少し進んでるから、この大きさで録音と通信ができる。近くにいなくとも、後で回収すれば私たちとの会話はもちろん分かる」
「俺たちの世界では、これを盗聴という」
「…こちらでもそうです」
異世界に盗聴という言葉があるかどうかは…って、あるに決まってるか。
残念ながら、別の宇宙なのに人類は同じ程度に下世話だし、同じ程度にうす汚い。国と国はいがみ合い、人々は他を見下しながら自尊心を保とうとする。
魚も住めない澄んだ水じゃなくて良かった良かった。
「これは、おじさんからもらったもの?」
「おじさんというか…、エミちゃんから」
エミちゃんが誰なのかは容易に想像がつく。まぁ中年男性にリボンをもらうのは、いくら親戚でも不自然だろう。
逆にいえば、それだけ計画的犯行だった、ということになる。
「でも、なんでおじさんが…」
「そこに疑問をもつのか」
「何? 光安はおじさんのこと知らないでしょ」
「おじさんは知らないが、俺はゆうを知ってる」
「………」
邪悪な笑顔の光安にイラッとするが、彼の言うことは間違っていない。私がどんな存在なのかを少しでも知れば、警戒するのは当たり前だ。
昨日の窓口には、薫以外誰も来ていないから、私を知るのは代替わりの場に関わった官僚たちぐらい。
もちろん、私はただ呼ばれて、事務手続きとも言えない程度の引き継ぎをした。官僚たちと触れあったのは、それだけだ。
――といっても、自力でこの宇宙に来たというだけでとんでもない存在。しかも、引き継ぎが終わったら私はさっさと帰ったのだ。
さらに、故郷の宇宙に帰りたいという十四代目を、希望通り送り返してあげた。その事実も、あの場にいた連中なら知っている。
ふふふ。そうだ、私は監視対象第一級。
常に敵のスパイに見張られている。なんだか興奮してきた。
「念のため聞くが、おじさんの職業は?」
「……市の職員」
「やはりな」
「……そ、そうなんでしょうね」
探偵助手の容赦ない追求に、泣きそうな顔の薫。
しかし光安は、追い詰めていることに気づいてない感じがする。彼は彼で、探偵ごっこに夢中なのかも。
「この件は市の依頼なのか、もっと上部からなのか」
「………」
「光安、その手の形は、まさか虫眼鏡じゃないでしょうね」
「ば、バカな、そんなはずはないだろ、ハハ」
いい加減調子に乗りすぎのバカをたしなめる。ついでに少し睨んだら、カエルのように大人しくなった。
……もっとも、大人しくなったのは光安だけではなかった。
うーん、人間社会のコミュニケーションは難しい。
「ごめんなさい、……騙すつもりは」
「薫は騙された側よ」
「そ、そんなこと言っても」
「大して悪気はないでしょ。ただ、新任の神さまがどんな者なのか知りたいだけ」
今のところは、という条件付きだけどね。
私がどんな神さまなのか、本当に分かってしまったなら、全世界を巻き込んでの争奪戦になってしまう。
…そんな野心のない国もあるはずだって?
世の中、そんなに甘くはない。人類が勝手に生み出した「国境」を維持するならば、結局は敵を作るしかないのだから。
「まぁ、前任より私の方が危険そうに見えるかもね」
「お、それは俺様も保証するぞ。ゆうの機嫌を損ねたら大変なことになりますよ」
「そ、そうなの…」
まぁ光安の発言は、おおげさでも何でもない。そしてそれは、争いを終熄させてしまうだろう。
残念ながら、私は人類が抑えつけられるような相手ではない。ちょっと気を抜けば、髪飾りを投げた衝撃で星ごと消してしまう女だ。
薫には…、さすがにまだそこまで教えるわけにはいかない。
「とりあえず薫は、これから平日夕方や週末を中心にバイトする予定」
「バイト?」
「バイトだよ、俺と一緒の」
とりあえず、スパイ問題は打ち止め。そして、創業以来継ぎ足し続けた血筋より、目の前の本物。
十五代目の窓口は、現状では週末の不定期営業。
客がこのまま来ないなら、それでもいい。そして、十五代目が何かをかなえてくれるなんて宣伝するつもりもないけど、異世界交流の拠点ぐらいにはなるだろう。
それに、一応は雇われ神さまとして給金ももらっている。私と光安では、ほぼ使うことはないだろうから、せめて雇用を生み出すのが得策だ、と思う。
「あとで事務所に寄って、契約書書いてね」
「は、…はい」
「ちょっと待て、俺はそんなもの書いてねぇ」
例えば、初代の本当の姿を広めるというのはどうだろう。
どうにかして、私が解読したと分からないように、石碑の内容を伝える方法はないだろうか。
「なんでアンタが書くの」
「そもそも時給いくらなんだよ」
「時給? アンタは私と一緒にいられる権利を得たのに。それはお金で買えないものだと思わない?」
「なんてブラック企業だ」
仕方なく呼ばれただけの十五代目が、この星のありように干渉することが望ましいとは思わない。だけど、初代、そして十四代目までの先輩諸氏の記録を整理するぐらいなら…。
むしろ、異物のことは異物が担当する。それが自然な姿だろう。
「薫、親戚のおじさんにも教えてあげて」
「…はい」
まぁ薫が窓口に立った程度で、この星に変化はない。
私たちにとっては、この世界へのとっかかりができたのだから、大きな進歩。いろいろ考えるのは、またの機会にしよう。
「薫がしくじったら、この星は滅亡するって」
「言うなよ、絶対に!」
「…は、はいっ!」




