十一 石碑の記憶
なかなか進まない探険。
瞬間移動からしばらく経って、ようやく我々はその奥地に分け入ることになる。なお、我々の前にカメラはないが、人跡未踏でもない。
「あ、あれは何だー」
「え…、ベンチって言うんだけど」
「光安、異世界にそのお約束は通じないから」
記念公園は、さっきの高台のそれよりかなり広い。木々が多くて見渡せないから、歩き回っただけでは全容がつかめないほど。
もちろん、私たちは高台でおおよその区画は見ているし、そんな全容はどうでもいい。測量に来たわけじゃないし。
「さっきの公園と変わらねぇな」
「…公園だから」
「何だよ薫、やっぱり俺たちを原始生命体って思ってんのか」
「バカだって思ってるんでしょ。それと、俺たちじゃなくて俺」
生物と生命体を自ら混同するほどのバカが、妙に薫に突っかかる。
彼は――、たぶん焦ってる。
地球人類の中でも、特に秀でているわけではない高校生。だけど、地球人類相互間の差異など、この場にあっては些細なものでしかない。
「えーと、……案内が下手でごめん」
「いや、………下手じゃない、よく分かる。すまん」
自分たちより進んだ文明社会、そして自分たちよりすぐれた身体能力の集団に、たった一人放り込まれたら。
この星の文明レベル自体は、光安が焦りを感じるほどではない。近未来SFや、某青いタヌキみたいな猫型ロボットの世界のように、かけ離れたものではない…と思う。
ただし「魔法」は違う。多種多様な付与の力を使い、その上この星の人類が元から持ち合わせた力もある。自分の身体を強化しうる人類は、知能も体力も光安の敵ではない…はず。薫を見る限り、そんなに強化されてる感じはしないけど。
「あの空を飛んでるのは?」
なんだかんだと、薫には異世界コミュニケーションを仕掛けていく光安。知らない国の知らない街で、立派に地球人類の代表を務めている。
ここに連れて来たのも私の我が儘みたいなものだし、神さま…じゃなくて、彼女として支えてあげなきゃ。
「あれは…カンムリラン」
「ラン?」
「うん、アクミ市の鳥」
「へぇ…」
空を旋回しているのは、地球ならばタカとかワシと呼ばれそうな生物。どうやらこの国では、ああいう生物が「ラン」らしい。単子葉植物の方は、もしも存在するなら違う名前なのだろう。
ちなみに、現在の私は薫と同じ言語で会話している。簡単な会話程度なら、引き継ぎ時に受け取ったデータで事足りるし、とりあえず事務所に備え付けてあった書籍二十冊ほどは、昨日のうちに頭に入れてあるから、留学一ヶ月程度の語学力はあるはず。
光安は…、言語自動変換だけど、固有名詞関係はスルーさせてある。
「巨大な生き物はいるか? 身長二十メートルぐらい…」
「ものすごく昔はいたけど、もう絶滅したの」
私たちの「自動変換」は、例によって「宇宙の上位にある者」の能力で実現しているから、そんじょそこらの翻訳とは違う。違うけれど――、されど翻訳。
置き換えられた異言語が、元の言葉と完全に一致することはない。それは翻訳の可能性、そして限界だ。
「地球と同じだな」
「そうなの?」
「うむ。我々の星では、その生物をゼットンと呼んでいる」
「ゼットン…」
「その呼び名は嘘だからね、騙されちゃダメよ薫」
たとえば「鳥」といった呼び名は、自動ではないにしろ翻訳されたもの。私が今仕入れた知識によれば、この星の鳥は、地球のコウモリなどに似た生物で、一方で卵から生まれるネズミのような生物もいるらしい。
地球でいうところの恐竜が、変温動物で寒さに弱かったらしい点は一致している。
星が温暖になったり寒冷化するのは、宇宙が違っても基本的に違いはない。だから生物が大きくなったり小さくなったりするのも、地球と変わらないようだ。似ているけれど違う星。
「あそこの石碑が、初代を記念して建てられたもの」
「いつ建てられたの?」
「千年前」
やがて現れた、いかにも中央地点という感じの広場に、石碑が五つ並んでいる。近づいてみると、盛土の上に縦長でかなり背が高い碑。普通の人間には、とても上の方は読めそうにない…けれど、違和感は特にない。
何の文化的なつながりもない異世界なのに、何かを長く伝えたいならば石を使う。
文明の道は必然の理、なのか。
「若いのによく知ってるのね」
「学校で習うし、この町に住んでれば遠足で行くから」
日曜の午前十時。
公園には家族連れも、カップルらしい男女も、老人もいる。
遠足も公園も、地球では十九世紀に生まれた概念。大きくすればするほどに都市は浄化されるとか、今となっては何の裏付けもない理論の産物が、まさか異次元にもあるとは。
……いや。
「遠足で聞いた話なんて憶えてねぇなぁ」
「薫は偉いって言うんでしょ?」
「……素直に感心しただけだが」
「わ、私だって普通なら忘れてるから」
この公園が巨大なのは、初代の神さまを讃えるため。近代的公園という現在の姿は、この星に都市衛生の概念が生まれてから、後付けされた結果だろう。
…むしろ、古代文明の墳墓がやたら巨大なのに似ているのかも知れない。
ただしピラミッドや兵馬俑のように、それ自体を神の造作のように見せるのとは、また違う。ここは平地で、石碑以外に目立つものはないから、初代の頃はただの森だったはず。
森を囲うのは、神社のひもろぎに似ている。あれっ、初代神さまなんだからひもろぎでいいのか。
「薫、初代のことは、どんな風に教えられてるの?」
「えーと、………だいたい、そこに書いてあるような」
「何だこれ、漢字に似てるけど違うな」
薫が指差した先には、親切にも案内板があった。
書かれているのは、確かに漢字っぽい。表意文字なのは間違いないし、西夏文字だとか契丹文字だとか適当に嘘をつかれたら信じてしまいそうなほど、似ている。
まぁ実際、そっくりだったから「薫」なんだ。身分証明の文字を、自動変換なしに見た瞬間、そう書くしかないと思ったほどに。
「えーと、付与神来臨及び滞在の…」
「よ、読めるの?」
とはいえ、本物が目の前にあるのだから、まずはそっちを読むべきだろう。
石碑はそもそも自動変換の対象になっていない。それでも、私なら読める。
「当たり前でしょ、神さまなんだから」
「そ、そうなの」
「違うからな、信じるなよ」
「だいたい合ってるでしょ。光安、案内板を読めるようにしていい?」
「…よろしく頼むぜ」
例によって「宇宙の上位にある者」の力を使う。留学一ヶ月の語学力では役に立たないので、学者レベルにランクアップ。光安の頭にも、了承の上でデータを一通り入れて、留学一ヶ月を引き継いでもらう。
ただし石碑を正確に読むには、もう少しデータが必要。千年前の言語だからね。
「全部読めそうなの?、ゆうちゃん」
「読める」
「……未解読部分があるんだけど」
確認する前に断言だけしてしまったけど、私なんだから問題はない。
あらためて石碑を確認する。
一行百字で、四十行。細かく文字が彫られていて、一部はすり減って見えにくくなっている。そして…。
「もっと古い文字が混じってるのね」
「そう、そこはよく分からないって先生も言ってた」
「じゃあ初解読、いっきまーす」
「できるの?」
「できるぜ、神さまだぜ」
「アンタが読むわけじゃないのに偉そうに」
神さまの威を借りるバカはほっといて、解読開始。一番簡単な方法は、それぞれの文面を作成した人間の記憶を取り出すこと。でも、その辺まで種明かしすると、さすがの薫も気味悪がるかもね。光安は……、今さら逃がさないから関係ないや。
…………。
……………。
………………なるほど。
「分かったの?」
「ふっふっふ、崇めよ讃えよ愚民どもよ」
「愚民は何もしてないアンタでしょ」
結局、建造当時の石碑を読み取って、あとは未解読部分に似た言語がないか探して、解決。
死人の頭を覗くよりはましだろう。ほぼ同じようなものだが。




