第三話 望んだ子
「---で、どうしたいの?結局産むの?産まないの?決めてくれれば此方としては助かるよ。」
「......は、はい、分かっては、います。......けど、...けどッ、やっぱりっ!か、簡単には...決められません。」
「......うむ、まぁそういうものだからね。逆にこういう状況で悩まない人間がいたら、私はきっと手を出すだろう。それはつまり、手を出した私よりも相手の方が人間として下だからだ。別に貴女は間違っちゃいない、寧ろ正しい。だからこそ、私のような老いぼれには心配に映ってならんのですよ、スリカさん。」
スリカ「.........すいません、先生。」
今、神妙な面持ちで医師と会話をしているのはスリカという一人の女性。
後数日で生まれるかもしれない子供を、自分と夫の二人の稼ぎだけで養えるかが心配であったのだ。
......望んだ子ではあった。
最初はそれこそ夫と二人で飛ぶように喜んだほどに。
だが、現実を見てなどいなかった。
いざ自分等の稼ぎを鑑みてみると、出てきた答えは一つ、[餓死]。
夫は稼ぎが悪い。
それは本人も自覚していた。
それはそうだ、何せ夫、スラドは職場では末端も末端、雑用ばかりを押し付けられているのだから。
無論スラドのような人間が居なければ世の中は成り立たないわけだが、スラドのような人間は淘汰されるばかりの不幸者なのである。
産まれてくる子の顔が見たい。
だが、このままでは埒があかない。
どうすれば良いんだ?
スリカ、我が子、君と子を、一体どうすれば養えると......?
私には判らないよ。
スラドはとても悩んでいた。
常日頃から仕事の業務内容は本務の者達の残り片付けとも言える木っ端仕事のみ。
稀に舞い込んでくる多少の本務内容が人生の喜びであった。
たったの1日、たったの1日本務の仕事をするかしないかで月の給料が二割は変わる。
これがどういうことか、分からぬスラドではなかった。
必死に頑張った。
毎日毎日糞を舐めては舌で掬わされるようなゴミみたいな扱いをされながらも必死に、必死に頭を下げ、少しずつ、少しずつではあるがマトモになっていった給料。
以前は月に7万ユース(リアルで言う7~9万)程度であった御給金も、仕事場で働きはじめてから二年、とうとう15万ユース(17万弱)まで上がっていた。
この頃だ、この頃であった、彼が好意を抱いていたスリカに告白をしたのは。
やっと給料も人並みになり誰かと共に暮らせる程に余裕が出始めた。
スラドの職場に居る数少ないよき友もそろそろなんじゃないか?と言ってくれた。
正直見た目も性格も美しい彼女に、自分のような男が釣り合うわけがないと思っていた。
フラれると思った。
だが、夢かと思った。
---は、はい。わたしで、よ、よければっ。
---......ほ、ほほ、本当ですか?
彼にとって、人生でもっとも興奮した1日となった。
それからの彼の人生はとても明るいものとなった。
例え職場で辛い事があったとしても、家に帰れば彼女と温かな食事が待っている。
我慢できそうにないときには夜一晩慰めてくれる。
何でもできる気がした。
ある日、彼女は妊娠した。
嬉しかった。
凄く嬉しかった。
あぁ、私は、いや僕はっ!なんて幸せな人間なんだっ!
そう叫びたくなった。
だけど、給料はあくまで二人しか養うことが出来ないレベルであった。
どうすれば良いと?
これ以上私にやれることは何なんだ?
まだ産まれてくる訳ではない子供の名前を考えているスリカに、心配を掛けるわけにはいかない。
やるんだ、やるしかないんだ、やれることを......やれないことでもッ!!やるんだっ!
やるんだぁっ!!
「サァ!今日のミゲルへの挑戦者はこいつだ!昨今突然のエントリーをしてきたこの男、この町で下働きをさせられてばかりの冴えない男ォ!スラドだぁぁぁぁっ!」
良いぞぉ!ミゲルにボコボコにされちまえ!
喧嘩できんのかぁ!?俺ゃあんたに掛けるぜ!1万!大穴だぜこいつはぁ!
よっしゃあ!俺だって二万!
そうだ、掛けろ、掛けろ、私を崖へ追い込め。
もう後戻りさせる気すら吹き飛ばさせろ。
私が出来ることは、仕事ではない、
スラド「~~~~ッ、ファイトだッ!!」
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!
ミゲル「さぁて、あんちゃんはどれくらい持つのかな--」
ぼぎゃっ。
鈍い音。
骨になにか固いものが当たる音。
「お、おォ!?ど、どうしたミゲルぅっ!?何があったんだ!?」
ぼたっ、ぼたっ。
折れた鼻から垂れる、血の滴。
ミゲル「う、うぐぅぅおっ!な、て、てめぇ!な、なんなんだそりゃぁ!?」
スラド「......分からないよ。溢れてくるのさ、力が。私の握った右こぶしに蓄積されていくのがわかる。これほどまでの体格の差を無くす所か追い越す程の何か、とてつもなく不思議な何かが、ある。私には、あるッ!!!」
どんっ!そんな硬い石を踏み砕く踏み込みだった。
ミゲルは有名なストリートファイターである。
野良の喧嘩で鍛えた肉体と自尊心は、非常に強いプライドを彼に与えていた。
何時しかこの町では彼を題材にした賭け事が行われるほどになっていた。
それに目を付けたのが、スラドであった。
何故だか行けるような気がした彼は、勝てば即金でこれまでに掛けられてきた金額の二割を挑戦者に渡すと言うその道端に落ちていた紙に書かれていたエントリー受付の屋根下に向かい直ぐに後日の午後試合に予約した。
結果は
ぶじゅぅぅぅぅぅっ。
「ミ、ミゲェェェェェルッ!?どうしたんだどうしたんだ?!君の力は何処に行ってしまったんだ?!立て、立つんだァァッ!」
「......いや、彼はもう立てない。先程頭の横を殴ったとき、頭蓋の割れる音が、脳に割れた骨の刺さる感触があったんだ。......残念だが、もう彼は使い物にならない。」
スラドの拳に纏わりついていた赤い煙の様なものは、既に彼の興奮が切れると同時に何処かへと消えしまっていた。
何だったんだ?今の力は。
まるで、素手の赤子を相手に鉄の剣を持って襲いかかるかの様な優越感、圧倒感を身体中から感じた。
.........いや、正体なんてどうでも良い。
ありがとう、助かった、私の拳。
これで家族に、一時の楽をさせられるよ。
スリカ「ど、どうしたんですか?!その血は!?な、何か傷を防げるものを--」
スラド「ううん、僕の血じゃないよ、安心して。」
スリカ「......では...誰の、血なのです?」
スラド「ここいらで最近騒がれていたストリートファイトが有っただろう?その試合に挑んで倒してきたんだ。」
スリカ「......す、すごいっ!!やっぱり貴方は素晴らしいですっ!......ですが、一言くらい、言葉を掛けてください。」
スラド「はは、すまないね。けど、ほら。」
じゃりりぃぃっ。
スリカ「......ひゃ、100万ユース!?100枚の金貨を目にすることなんてもうきっと私の人生にはないですっ!!......ありがとう、スラド。」
スラド「......うん、そうだね、スリカ。一緒に、育てよう。
......スズキ、なんて名前、どうだい?」
スリカ「あら、良い名前ですね!是非そうしましょう!」
恵まれた、家庭であった。