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第二章 その2 記憶喪失と正体不明の襲撃

前回の続きというより直後です!

 疲れた様子を見せる主を横目に見ながら、ヒロは内心で安堵していた。

 彼女が失敗するとは露いささかにも感じていなかった。けれど、万が一にもそのようなことになった場合、執事である彼らにも責任が及ぶ。主の無事が実感できたことに安心したのだ。

 車は邸宅に向かっている。隣ではクレスが庶務作業に没頭している。万能時計を介して彼女の前に画面が現れており、指をしきりに動かしている光景は彼にとって珍しいものだった。ちなみに、ヒロは知る由もないが、アキトを始めとする多くの『転生者』にとって、この光景はむしろ馴染みのあるものであり、彼らの言うコンピュータに精通するものがある。

 隣で仕事に勤しむクレス。後ろで休んでいるメーディス。執事の中でも席次の低い彼に与えられた役割は、主の護衛のみ。ただ、この車に施されている科学・秘学技術により、乗員の安全は確実と言っていいくらいには保障されている。手持ち無沙汰なヒロは、乗っている車を観察し始めた。


 車内はおよそ六人分の座席が前部・中部・後部と三段で構成されている。座り心地は良く、彼に理屈は分からないものの身体に負担のかからない構造になっている。なお、中部座席と後部座席で向かい合わせにすることも可能だ。

 この車に御者あるいは運転手の存在は基本的に不要である。主な動力は電気で補助的な役割を秘学技術が担っている。乗車した後に人がすることは、行き先を指示して必要であれば道順を設定することだけ。想定外の事態に対応するため手動による制御も可能だが、実際に使ったことはこれまで一度もない。


 『転生者』と言われているヒロは、他の『転生者』と違って前世や異世界の記憶や知識がない。自動車や万能時計といった文明の利器が果たしてどれくらい凄いのか比較対象を持っている訳ではない。故に関心や興味ではなく如何にして理解し使いこなすか、という視点でこの文明の利器を見ていた。

 だが、ただ単に見たところで分かることは少ない。早々にして彼は観察を諦めた。

 ヒロは覚えたての万能時計を使って、『転生者』に関わる資料を表示させる。その真意は自分が一体何者であるか探る、という一点に尽きる。

 とはいえ

(ダメだ。やはり頭が痛くなる。全然分からない)

 学者が発表した研究論文は、彼の決して良いとは言えない頭では読むのさえ一苦労だった。計算式になるともうお手上げである。信頼度が高い情報であるため、理解できない事がどれほどもどかしいことか。ここから推測できるのは

(ワタシの前世は学問に秀でた人間でなかったことは確かだ)

 という分かっても全く嬉しくないことだった。

 次に、ヒロが実際に戦ったという転生者アキトについて調べてみる。

 まずアキトが何者か調べていたのだが、その過程で驚きの事実が見つかった。――アキトの本当の能力について知っている者が少ないのだ。

 世界中の不特定多数の人間が使用する仮想図書館(「『インターネット』に近い」とアキトは評している)というものがある。そこで散見される考察は多様だった。

 最も多いのが念動力を使う超能力者。ついで天才秘術士。あるいは科学と秘学の両方に見識のある凄腕の技術者という憶測もある。その理由も、宙に浮き自動で彼を守る大剣がどのような理屈かに焦点が置かれていた。

 しかし、そのどれを見ても何か違うような気がしてならなかった。

(違和感があるのは何でだろう?)

 それが確信に変わるには彼の持つ情報が足りなかった。それもそのはずで、アキトの戦いに関する映像記録はいくつか消されているからだった。その一つがヒロとアキトの模擬戦闘であるのも痛い。

(やはり、あの戦いに手がかりはあるはず)

 結論はそこに行き着く。

 しかし、それ以上何をしたら良いか分からない。今の自分がどうしたらその記録を手に入れられるか、その見通しが全く立たないのだ。

(お嬢様なら、もしかしたら可能かもしれない。けれど、記憶喪失を隠し通せる自信はない)

 それが一番の懸念だった。


 記憶喪失とは言っても症状は様々である。彼の場合、記憶が何処まで抜け落ちているのかその線引きが難しかった。

 自身の体験に関する記憶はない。思い出もない。この部分は明確に失われていると断言できた。問題は知識の部分だ。この世界の知識はない。けれど、食器の使い方や食べ方は身体が覚えていた。お手洗いの使い方も分かる。しかし、何故と問われれば答えに窮してしまう。

 半月ほど前に医師に打ち明けたところ、思った通り難しい顔でしばらく診療録を睨んでいた。その後で彼に告げた言葉は思いもよらない内容だった。

「記憶喪失の原因は様々です。よって明確な治療法はありませんし、記憶が戻らない可能性は大いにあります。そしてあなたの場合、記憶喪失は少なくとも二度目です」

 最後の一言が衝撃的だった。

 呆然とする彼を諭すように医師は話を続けた。

「失われた記憶は他人の記憶や記録から補完が可能です。焦らずに少しずつ戻していくのをお勧めします。そして、今後についてですが」

 医師は一旦、言葉を区切る。

「将来的に、あなたが再び記憶喪失になる可能性も出てきました。周期的記憶喪失も視野に入れなければなりません。そのため、あなたには日々の言動を記録していただきたい」

 理解し受け入れるまで幾ばくかの時間が必要だった。厳密に言えば、受け入れるというよりは諦めると言った方が適切だった。


 それが、ヒロの今置かれている現状だ。

 話が大き過ぎて、メーディスやクレスのような身近な人に話せずにいる。彼自身まだ整理できていないうえに、そんなことを考えたくもなかったというのが本音だ。どうして医師はそんなことを告げたのか呪いたくもなる。

(『転生者』だからなのか……)

 『転生者』はいわば英雄と同等。過去そして現在において『転生者』と呼ばれた彼らが成した偉業は数えきれない。艱難辛苦を乗り越え、不可能を可能にし、悪を打倒してきた『転生者』に対して人々が抱くのは、どんな困難にさえ立ち向かうことのできる頼もしいまでの超人的英雄像であった。

(ワタシはそんな偉大な人間じゃない)

 いつまた記憶が失われるか分からない。自分が誰でどんな人間か分からないのに、その自分を喪う可能性という漠然とした恐怖と戦わなくてはいけない。それに立ち向かっていける心の強さは彼には備わっていなかった。 

 理想を言えば、記憶を失った直後である、病室で会ったあの日に告げるべきだったかもしれない。そうすれば、この恐怖を半月の間も一人で背負い込まずに済んだはずだ。だが

(お嬢様のあの笑顔を見たら、言えるものも言えない)

 そんな状況で今更になって「実は記憶がありませんでした」などと言えるほど図太い精神を持ち合わせていない。彼女の笑顔が崩れ去るのを見るのは忍びなかった。

(もう一度やり直せたらいいのに)

 誰しもが思う願望である。

 ただ、この世界ではその意味合いが少し変わってくる。過去に干渉できる能力者がいるかもしれないのだ。

(『やり直し』の能力は……。そんな都合のいい能力も技術もないか)

 よく考えてみれば、過去改変の技術に関する情報が、不特定多数の人間の目に触れる仮想図書館で見つかる方が問題である。時間を遡り歴史さえ塗り替えてしまう技術が普及するには、この世界はまだまだ発展途上であった。

(いよいよ手詰まりだな)

 ヒロが得られる情報には限度がある。突如湧き出た甘い考えも現実によって一蹴され、調べる気力はこれ以上続かなかった。

 万能時計で出した資料を片付ける。空中に映し出されている画面から、表示されていた資料を閉じて万能時計にしまう。多くの『転生者』は今ヒロが行った動作に驚くのだが、生憎と彼はその例から漏れていた。

 無駄に頭を使った気がしてヒロは若干の徒労感を覚える。背もたれに体重を預けて暫し宙を仰いだ。

『……ミツケタ……テキ……』

 ヒロは驚いて周囲に目を配る。しかし、見知った人間以外誰もいなかった。メーディスもクレスも特に変わった様子はない。

(気のせいか。よっぽど疲れ――)


 衝撃。

 轟音。

 閃光。

 地響き。

 

 前方から目が眩む光と激しい振動が車内を襲った。

 咄嗟に目を瞑ったり片手で視界を遮ったりする三人。直後に音の暴力が窓を軋ませながら襲来。不快感と危機感で顔を歪ませる。

 緊急事態と判断した車は即座に自動停止する。この停止機能はまず使われることはない。そもそも人身事故や車両事故は極力発生前に回避するよう設定されているからだ。

 予想外の事態に慌てて外に出ようとしたヒロは、クレスに腕を掴まれた。振り返るとクレスは横に首を振っている。降車せず車内に留まるようにという意味だ。

 この自動車は専用の防護設定が施されている。耐刃、耐熱、減音、遮光、耐震などその内容は多岐にわたる。つまり、下手に外に出るよりは車内の方が安全ということである。

 ヒロが席に戻るとクレスは後部座席のメーディスに声をかけた。

「メーディス様、外の様子は」


 二度目の衝撃。

 爆音と激震が襲来する。


 車は梃子でも動かない。対照的に周囲の道路は穴やひび割れが発生していた。

 声を張り上げながらメーディスは答えようとする。

「今必死に探知しています! でも――」


 爆発の衝撃が連鎖する。

 後方と前方で爆発。上方から轟音。左側面から強烈な閃光。右前方から爆風による破片。


「探知できない! 見えません!!」


 恐ろしい事実がメーディスの口からもたらされた。

「それは爆発物ですか?! それとも」

「何もかもです! 分かるのは爆発した後――」

 間髪入れず爆発の揺れが襲ってくる。

 クレスは絶句した。爆発の場所や正体が事前に察知できず、仕掛けられていたのか飛来しているのかも不明。これでは対策の立てようがない。

 ヒロは実感できていなかった。この状況に陥ったことが如何に深刻なのかを。だから次のように尋ねてしまったのは仕方のないことだろう。

「一旦爆発が落ち着くまで、待てば良いのではないでしょうか?」

 この車はいわば要塞。持久戦とまでいかなくてもある程度の時間なら耐えられると判断してのことだ。加えて、これほどの爆発が続けば警察や軍がすぐにでも動く。そうなれば相手も攻撃を止めざるを得ないはずだ。

 しかし

「それは推奨できない。今回のような苛烈な攻撃を受ければ、自動車への負荷は相当なものになる。防御を突破される可能性の方が高い」

 クレスの推測は厳しいものだった。さらに

「爆発物の種類が複数確認できます。爆発系の秘術を織り交ぜていますし、相手は恐らく長期戦も見据えているのでしょう。私≪わたくし≫の見立てでは時間が経てば経つほど危険ですね」

 メーディスもクレスと同様の意見だった。

 彼女はただのお嬢様ではない。父は国防軍少将の肩書を持ち、母は軍情報科所属大佐である。有事の際の心得は並々ならぬ程に教わっていた。

「私≪わたくし≫たちと相手との持っている情報量の差が大きい。圧倒的に不利な状況ですから、対抗するのもましてやこちらから攻撃するのは得策とは言えないでしょう。クレス、離脱は可能ですか?」

 爆発にさらされるたびに車が軋み悲鳴を上げる。堅牢と思われた防壁が崩れ去るのは時間の問題だ。

「承知致しました」

 クレスは前を向き、車内前部に取り付けられた画面を操作する。程なくして彼女の目の前に平手二つ分の大きさの液晶板が現れる。自動車が手動操作に変わったのだ。

 クレスが手をかざすと液晶板が反応して一瞬光る。いつでも発進できる状態になったのを確認して、それをメーディスに無言のまま目で伝える。

「分かりました。それでは、5、4、3、2、1――今!」

 液晶板が再び発光する。続いて身体が慣性の法則で後ろの背もたれに引き寄せられる。自動車が再び走り出したのだ。

 それは車内の変化。そして外の状態は

(?!)


 視界がなくなっていた。


 走っているはずの道路が見えない。道の両端にあるはずの建物も見えない。辺り一面、目の前すら分からないほどの濃霧に覆われていた。

(これは秘術? もしやお嬢様が?)

 驚いたヒロは振り返ってメーディスを見た。彼女は真剣な表情で目を閉じている。秘術を行使していると察したヒロは、集中力を途切れさせてはいけないと再び前方に視線を戻した。

 遠くで爆発音が聞こえる。しかし、車には何の衝撃も襲って来ない。濃霧で視界を遮ったことが功を奏したようだ。

 程なくして爆音が聞こえなくなる。襲撃者の正体や意図は不明のままだが、危機を脱したことはヒロにも理解できた。同時に、あの状況で打開策を思いついたメーディスに尊敬の念を抱いた。

(確かに、相手も視界が悪ければ攻撃できない……)

 実のところヒロの考えは的確ではなく、霧の発生による湿度の上昇も関係している。どちらにせよ、メーディスの采配が効果的だったのは疑いようのない事実だった。

 走ること数分。霧が作り出した魔境を抜けることに成功する。生きている心地がしなかったヒロはようやく一息ついた。

「ありがとうクレス。走り出してからは爆発に当たっていません。恐らく撒いたはずです」

「了解です。お疲れ様でした、メーディス様」

 クレスの労いにメーディスは笑顔を見せた。その表情に些か無理をしている印象を受けたのは、ヒロの単なる見間違いではない。

 霧が発生する原因は、端的に言えば大気中の水分が飽和水蒸気量に達したことによる。つまり、①過度な量の水蒸気を用意して、②温度を低下させれば人為的に霧を作り出せる。秘術においてもこのようなメカニズムで霧を発生させており、煩雑な行程は一切ないのである。

 今回、メーディスはこの濃霧発生の秘術を広さにして五百ジン(SI基本単位換算で約半径五百メートル)の範囲を対象に使用した。難度は低めでも気象操作に準じる規模で行使したうえに、探知秘術を使用し続けていたのだから若干の疲労があって当然だ。

「街の皆さんには多少迷惑をかけてしまったのが心残りです。無事だとよいのですが」

「この時間に出歩く人は少ないはずです。あまり心配しなくてもよいでしょう。それよりも――」

 クレスは一旦言葉を区切る。ヒロが天井前方に取り付けられている鏡に目を向けると、メーディスは後ろで疑問符を浮かべていた。 

「帰宅後にどう説明すべきか考えた方が良いでしょう。特にセルマ様に対しては」

 その瞬間、メーディスの顔が強張った。

 セルマ様というのは彼女の母親のことである。軍関係者であるからメーディスのしていることを理解できない訳ではない。しかし、娘が危機に瀕したとなれば、母として心配するのは当然であろう。叱ることもあるかもしれない。

「こっそり戻ってはダメですか?」

「当方には報告の義務があります。結局のところ変わらないと思いますが」

 メーディスは大きく肩を落とした。そして、顔を上げて憂鬱そうな表情で外を見る。どのように言ったらいいか考えているようだ。

(家族か……。羨ましいな)

 ヒロはそんな彼女を微笑ましくも少し寂しげに見るのだった。

 隔週更新みたいな感じですが、そんな幻想はぶちこr……、おっといけませんね。危うく更新が遅くなった理由がバレる所でした。リセマラ? 何の話でしょう?

 さて、この章では正体不明の襲撃に立ち向かうことになります。科学でも秘学でも捕捉できない敵に対してどう戦っていくのか。そして、次はいつ更新されるのか。お付き合いいただければ幸いです。

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