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第一章 ヒロアキとリヒト

 夜空と言えば、墨より遥かに漆黒の天井に煌めく星が散りばめられている、そんな風に想像するのが一般的だ。実際、ヒロもその例に漏れることはなかった。

 だからこそ、彼は夜空を見て寂しさと物悲しさを感じた。

 空には一つの星もなく、鼠色を限りなく黒に近づけた雲が空を覆っていた。もうじき雨が降る。そんな予感さえする。

(嫌な天気だ)

 ヒロは空を見上げていた。すると程なくして視界が僅かに霞み始めた。慎ましく照らす街灯が雨粒の存在をヒロに教える。

(雨の感触がしない。ここは夢の中なのだろうか)

 手を伸ばしたり腕を動かしたりして確認する。彼の予想通り、雨は彼の身体を通り抜けてそのまま地面に落ちていく。少なくとも現実ではないことが確認できた。

 自身の置かれている状況を把握したヒロは、今度は周辺がどうなっているか見渡してみる。煉瓦とは違う材質の塀や家と、綺麗に整備された真っ黒な道。見たことのないものばかりだったが、それ以上に人気ひとけが全くなかった。

(あの人も見当たらない。何処に行った?)

 ついて来たはずなのに何時の間にか見失っていた。誰もいない夜の街。強烈な孤独感が襲ってくる。

(実はずっと一人であの人はわたしの妄想だった、なんてことは……)

 記憶を遡って二人の会話を思い出す。その人の顔も服装も声も忘れてはいなかった。

(有り得ないか。大方はぐれたに違いない)

 そう結論付けてこれ以上考えないことにする。そうでもしないとこの街の雰囲気に呑まれるような気がした。

 ヒロはまた夜の道を歩き始める。辺りの建物は平屋か二階建てが多い。遠くの方に目を凝らせば、十階以上の建築物が確認できる。窓から明かりが漏れている以上、誰か住んでいるとみて間違いない。

(わたしの知る家屋とは少し違う。もしや人間の集落ではないのか? 一体どんな種族が住んでいるのだろう?)

 ヒロはこの街とその住人に興味が湧いた。同時に、その者たちが見るもおぞましい怪物だった時のことを考えると少しだけ怖さも覚えた。

 その答えは程なくして現れた。

(誰か来る?)

 およそ五軒くらい先にある曲がり角から何者かが姿を現した。人の頭部にあたる部分が横に広がっている。茸のように見えるし、円形の盾を上に掲げているように見えなくもない。

(どう見ても戦争とは縁遠いような街に感じる。盾ってことはないだろう)

 その者は近づいてこないでその場に立ち止まっている。ヒロが不思議に思っていると、程なくして同じ格好で背丈が半分ほどの存在が現れる。そしてお互いにを繋いだ。

(そうか、頭部だと思っていたあれは雨避けの傘で、親子二人で歩いている。同じ人間だ)

 ヒロはその親子に駆け寄る。ここが何処か分かるかもしれない。誰もいないと思えるような寂しい街で見つけた一筋の光明に気分が高揚した。

 二人の前で立ち止まったヒロは声をかける。

「すみません」

 しかし、親子は彼に気付いた素振りはなくそのまま通り過ぎた。ヒロの身体をすり抜けて。

(……忘れていた。ここは現実じゃない)

 雨はヒロの身体に当たらないのに、親子は雨傘を差していた。それはヒロと親子が会話できない証拠であるとともに、この場所についてのヒントになり得る。

(わたしの知る傘とは形が違う。家も道も馴染みのないものばかり。ここはわたしの知らない土地に違いない)

 そして、同時に彼が置かれている状況についての手がかりでもある。

(わたしは幻でも見ているのだろうか。既に死んでいる可能性もあるけど)

 ヒロは振り返って親子の背中を見た。髪を肩まで伸ばした親と対照的に耳にかかるくらいまで短い髪の子供。母と息子が手を繋いで雨の夜道を歩いている。仲良さそうだが二人とも俯いているようにも見える。

(そういえば、子供の方は泣いていたな。母親の方も辛そうだった。一体何が)

「その答えはこっちだよ」

 どこかで聞いた声が頭に響く。次の瞬間、辺りの景色が渦を巻くように歪み始めた。



 歪みはすぐに収まる。ヒロはまた見慣れない場所に立っていた。

 雨は降っておらず、陽の光ではなく人工の明かりが周りを照らしている。見上げれば白い綺麗な天井が見える。この場所が建物の中であることは分かった。

 ヒロは今度は周囲を確認する。白い床の廊下の先に椅子があり、そこに人が二人座っていた。先ほど見かけた母子である。そして廊下の先に大きな扉の部屋があった。扉の上には光る板の上に横文字で何か書いている。ヒロが今まで見たことのない文字だ。

 もう一度親子に目を向ける。母親は目を瞑って手の平の中にある何かを強く握り締めている。子供の方は目を赤く腫らしてすすり泣いていた。口を閉ざして声を上げないように努めているのが手に取るように分かった。

「ここはね、君がいた時間より少し前の時間なんだ」

 ヒロは驚いて隣を見る。そこには先程はぐれてしまった、例の自分と似た容姿の謎の人物が立っていた。

「この場所は、大きな診療所みたいなところだ」

「……病院ですね」

「病院ね。うん、その言葉の方が正しいね」

 ヒロはその台詞に引っかかりを覚えた。違和感と言うには何が違うのかよく分からなかったが、そのことについて尋ねようとする。

 しかし、それは未発に終わった。

 廊下の奥にある扉の上、横文字の描いてある板の光が消える。そして扉が開き、中から変わった服装の人が出てくる。髪をほぼ完全に覆うような帽子をして、全身青一色の服を着ていた。ヒロの知る病院とは雰囲気が違っていたが、その人が医者なのだろうと想像に難くはなかった。

 母親が立ち上がり医師の前に立つ。そして、その人の告げる言葉を真剣に聞いていた。

 ヒロの知らない言語でやり取りされる会話。彼には理解できないが、隣の人物はそうでもないようだった。

「あの母親にはもう一人子供がいてね。この病院まで運ばれて治療を受けていたみたいなんだけど……」

 台詞が途切れる。目線を戻すと頭を下げた医師がそこにいた。

 母親が持っていたものを落とす。しかしすぐに拾い上げると、そのまま傍に座っていた息子を抱きしめた。

『母さん、カナタは? ねえ、カナタは?!』

『あのね、ヒロアキ。カナタは先に、お父さんの所に行ったの』

『父さんの所? でも、父さんはもう』

『大丈夫! 大丈夫だから!』

 母親が強く抱きしめる。ヒロアキと呼ばれたその子の目から、涙が堰を切って溢れ出した。



 無音。無臭。白色。

 ヒロはまた何も存在しない空間に戻っていた。

(夢、じゃないし。一体何だったんだろう?)

 ヒロアキの母親がその子を抱きしめたところで場面は終わってしまった。謎が多すぎて何を考えていいのかもよく分からなかった。

(ヒロアキ、ね。偶然なのかな)

「意味はあると思うよ」

 例の謎の人物が現れた。名前を教えてくれない、自分とどこか似ている容姿の人。

「君の前世の記憶と考えるのが一番だろうね。もしくはアキト君か」

「それか、あなたの可能性も」

「そうだよね。それを言い出したら切りがないんだけど」

 ヒロの指摘をその人は否定しなかった。声音が幾らか優しい。会ったばかりの時より落ち着きがあるようにヒロには思えた。

 母子の会話が頭をよぎる。自分が『転生者』だと聞いてからというもの、転生前の彼やその家族について思いを馳せることがたびたびあった。前世の記憶はないが、気にならない訳はなかった。

 彼の口から出た言葉は、しかしながら好奇心の類のものではなかった。

「例え誰の記憶であっても、二人も家族を失ったヒロアキに悲劇はもういらない。この後の人生は幸せであってほしい」

 これは純然たるヒロの願い。人の不幸は望まず、皆が笑顔でいることを願う。それが彼の為人ひととなりであり本質でもあった。

「ワタシもそう思うよ。けど、実際どうなるのかは分からない。もし君の前世の記憶なら、また思い出す機会があるはずで、さらなる不幸を目の当たりにするかもしれない。その覚悟はある?」

 ヒロの理想に対してその人は現実を突きつける。

「覚悟なんて大層なものはないです。真実を知ることがわたしのすべきことであるなら、それをするだけです」

「随分と謙遜するんだね」

「わたしの人生と呼べるものなんて薄くて短いですから」

 この世界にいる転生者たちと違い、ヒロは生まれる前の記憶を覚えていない。20歳にも満たない彼からすれば、それは自分の人生は一般人と変わりがないということだ。加えて特筆すべき技能を持っていないともなれば、自分は普通の人々より劣っているのではないか、と思ってしまうこともしばしばあった。彼の台詞はその気持ちの裏返しでもあった。

「ところで、いい加減あなたの正体を教えてくれませんか?」

「ワタシのこと?」

 ヒロは首肯で返す。

 彼の目の前にいるその人は、その場でくるりと向きを変えて背を見せる。

「散々思わせぶりなことをしてきたわけだし、もう教えてもいいかな。そろそろお目覚めの時間のようだし」

「え?」

 ヒロの視界が霞み始める。目の前にいる人の輪郭がぼやけて、彼の意識が朦朧としてくる。

「ワタシのことは、そうだね……。リヒトでいいかな」

「リヒトさん、ですか……」

 ヒロの頭は働きが鈍くなる。視界が狭まり見ているはずのリヒトが何処にいるか分からなくなった。

「思わせぶりなことを言って、その実、的外ればかり言うただの謎の人物さ」

 本来であればヒロはここでリヒトの台詞に色々と突っ込んでいるはずだった。けれども、彼の脳はリヒトの言葉をそのまま受け入れてしまう。違和感が仕事をしなくなっていた。

「またね、ヒロ」

 言葉を返す余裕は失われていた。リヒトの別れの言葉が頭の中で何度も反復されて、やがて耳から出て霧消する。

 ヒロの意識はこの何もない空間から現実へと帰還した。

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