第一章 転生者アキト
初めに感じたのは、陽光が照らす屋外特有の微かな眩しさと空気に交じる埃っぽさだった。
「ここは一体……」
ヒロの頭上には快晴の空が延々と広がっている。しかしながら何処からか感じる窮屈さ。その正体は、壁のように周りを囲む無人の観衆席だった。視線を足元に移せば、草一つ生えていない平らな地面。風で僅かに運ばれる砂が埃っぽさの原因だと気づく。そして、何かの境界線を示すように地面に描かれた白線。目で追ってみれば、自分と対峙している相手を閉じ込めるような大きな四角を描いていた。
「闘技場、ですか?」
ポツリと漏らした独り言。答えを求めたつもりはなかったが、視線の先で同じく地面に立っている相手、アキトと名乗る男が口を開く。
「スタジアムとかバトルフィールドと言って欲しかったけど。もしかして人工芝の方が好みかな?」
なじみのない単語が羅列される。それに自己紹介時に聞いた謎の言い回しも気になっていた。ヒロが今まで会ってきた人々とは違う。自分以外の『転生者』と接したのが初めてなこともあり、ヒロは内心で興奮を覚えていた。
「すみません。もう少し分かりやすく話してくれませんか? 高等教育課程は修めてませんので」
自身の感情を悟られないように、口に出す言葉は慎重に選ぶ。普段から感情を表に出さないエドワードの姿を見て学んだことだ。同時に剣を鞘から抜き、両腕を下げた状態で剣を眼前に構える。会話の最中であっても常に注意を怠らない。これは訓練中に彼から直接教わったことだ。
「なるほど、バスタードソードの両手持ちに正眼の構え。盾はなし。剣技に重きを置いていると見ていいのかな」
またヒロにとってなじみのない単語。今回は後半の部分は理解できた点が異なっていた。確かに剣技を磨きたいのは事実だ。
アキトに大きな動きはない。自身の台詞の後に一瞬だけ眉をひそめたくらいである。エドワードと違ってにこやかに笑っているように見えるが、目は全く笑っていない。
「兵士としての心構えは一人前のようだ。彼は教育者として優秀なようだね」
アキトは手に何も持っていない。しかし、飄々と喋りながらも、こちらが仕掛けようとする時にはその目がヒロを確実に捉えている。
(隙が無い)
剣や槍の届く距離にほど遠いが、手の内が分からない以上は迂闊に動くことができない。しかも相手は『転生者』らしい。ヒロが聞いた話では、『転生者』というのは稀有な能力や類まれな才能を持っていると聞く。遠距離戦闘が得意なことも充分に考えられる。
(弓の可能性は低い。もし秘術士なら時間をかけるのは得策ではないはず)
実用面・戦闘面で秘学の扱いに長けている『秘術士』は、遠距離から攻撃しつつ戦場に秘学的な罠を仕掛ける戦法を良く取る。具体的には、突然地面が爆発したり、急に風が吹き荒れたり、おかしな場所に転移させられたりと枚挙に暇がない。秘術士相手に時間を与えれば、罠を仕掛けられるリスクが上がってしまうのだ。
(悠長に待っていては相手の思う壺だ!)
意を決して切っ先を前方に降ろし、アキトの方へ一歩ずつ近づいていく。相手の出方を窺いながら剣の届く間合いまで接近する狙いだ。武器を取り出す、或いは秘術による攻撃の兆候が見えたならば、一気に距離を詰めて近接戦闘に持ち込むことも考えている。
だがアキトは何もしてこない。表情はそのままで視線をヒロから外さない。追い詰められているような気がして何処となく不気味だ。
(嫌な感じだけど行くしかない!)
助走込みで剣の間合いまで近づいた瞬間、足を踏み込んで加速する。
ここで初めてアキトに変化が訪れる。唇が動いて何か言葉を発したようにヒロには見えた。だが既に剣は相手を捉えている。ヒロの耳には何も聞こえなかったが、お構いなしに下段から切り上げる一撃を見舞う。
(!?)
響いたのは甲高い金属音。そして手から腕へと伝わる鈍い大きな衝撃がヒロを襲う。胴を斬った感触では決してない。
予想外の事態がヒロの思考を空白にする。訓練で培った感覚が咄嗟に身体を動かし、数歩下がって相手との距離を取らせた。足元に愛剣が落ちたのを見て、ヒロはようやく状況を把握できるようになる。眼前の光景は、到底信じられるものではなかったが。
「移動系、秘術……?」
何処からともなく現れた五振りの大剣が、ヒロとアキトの間で横一列に並び宙に浮いている。その様は剣よりむしろ盾と言った方が適切に思えた。
「基本的な秘術の知識はあるようだね。いや、経験と言い換えた方がいいかな?」
彼の言う通り、ヒロが持っている知識は、エドワードとの訓練の中で得られたものが多い。演習の中で秘術を使う敵と戦った際に覚えたのであるから、経験に裏打ちされた知識であると言えよう。
そのヒロが口にした移動系秘術とは、連続的に物体を移動させたり、ある地点から別の地点に物を瞬間的に転移させたりする類の秘学技術である。応用すれば人形を生き物のように動かすこともできる。
「だけど、ぼくが知りたいのは君の知識じゃない。実力さ。だから――」
アキトの双眸がヒロを鋭く射抜く。
「これは命令だ。君の秘められた能力を全てぼくに見せてくれ」
ヒロに彼の放った台詞の意図は分からなかった。だが、言葉の意味は理解できる。理解できた瞬間、視界が晴れて頭が冴え渡り、赤く燃え上がる闘志が静かに燃える青く熱い炎へと変わる。戦士として急激に成長したような変化を感じた。
今度はヒロがアキトを見据える。アキトの表情は相変わらず笑ったまま。ただ、その瞳は真剣さを増していた。
「まずはこれかな」
アキトの右手に長銃身の小銃が出現する。銃口がヒロの身体に向けられ引き鉄が引かれた。
(!)
斜めに走って射線から外れる。先程落とした剣を拾いながら、彼の耳は弾の発射音も落下音もないことを確認していた。
(秘流弾か。殺傷性は低いが衝撃と不可視性に優れている。それを小銃で使うということは、近接戦闘が得意でないのかも)
敵の情報と自分の中の知識を照らし合わせ、走っている間に考察まで完了する。剣が届く間合いまで接近し、小銃の射線上の外から横一文字の左薙ぎを仕掛ける。アキトは視線で姿を追うだけで身体の動きまでついてこられないようだ。
(やっぱり無理か)
剣撃は相手の大剣に防がれてしまう。袈裟斬り、切り上げ、横薙ぎと連続で攻撃するが、その悉くを移動する大剣が受けている。
(視線で追っている節はあるけど、攻撃を見切っているかんじではないな)
連続攻撃の合間にアキトの様子を分析する。彼の動きと大剣による防御がどのような因果関係になっているかは見えていない。しかし、少なくとも視認して大剣を遠隔操作して攻撃を受け止めているわけではなさそうだ。
(こうしてみると、彼自身はそこまで身体を鍛えているようには見えないかな。下級兵士程度の筋肉と言ったところか)
相手の体つきを透視でもするかのように下から上へ観察する。すると、アキトが少し焦った様子を見せる。
「君、確認するけど人間のはずだよね?」
「え? 人間以外の何者でもないですけど?」
「それならいいんだ。その視線が気になっただけで他意はない。さあ攻撃を続けてくれ」
「?」
気を取り直してアキトをじっと見据える。この街でも時々鍛え上げられた一級の戦士を度々見かけたが、その者たちと比べれば、彼の身体はほっそりしていた。しかし、今のヒロの眼には分かる。多かれ少なかれ戦場をくぐり抜けて来たであろうアキトの身体は、広大な大地を駆け抜けるのに十分な引き締まった筋肉をしていると。
「フッ」
「待ってくれ、ぼくにそんな気はない!」
アキトは明らかに焦っている。こちらは一切攻撃していないだけに、ヒロは困惑していた。
「何の話ですか?」
「何でもない。君のぼくを見る目が知り合いの夢魔に似ていただけで他意はない」
「酷い話ですね」
「すまない。さあ続けてくれ」
今の会話を水に流してアキトをじっくりと分析する。服の上からで分かりづらいが、今のヒロの目をもってすれば、胸筋と上腕、肩の三角筋は鍛えられており、一般男性より筋肉質でたくましいことが確信を持って言える。
「やめないか! そういうそれっぽいことをするのは!」
「何の話か知りませんけど」
アキトはすっかり動揺していた。
身体の鍛え具合を分析できても、相手の心情までは分からない。アキトが狼狽する展開は予想外だったが、しかし、明確な隙が生まれたことは事実だ。ヒロは攻撃を仕掛ける。手に持っていた剣を相手にぶん投げた。
(『転生者』と言えど、所詮人間。ならば!)
剣はアキトに直撃する軌道を描いている。当然彼の視線は剣に向けられる。そして明確な攻撃であれば、彼の傍を浮かんでいる大剣は、投擲物から彼を守る。
(思った通り)
ヒロから外された視線。その一瞬があれば、今のヒロの身体能力ならば、アキトに彼我の距離まで近づくことが可能だ。気づいたアキトは目を見開いている。ヒロは下腹部をなぞるようにしながら右手を彼の心臓のある場所の辺りに置く。
(こちらの攻撃が防がれるなら、防ぎようのない場所、つまり心に戦いを挑めばいい!)
ヒロ自身、どうしてそのような結論に至ったか分からない。完全なる直感としか言いようがなかった。それでも確信があったのだ。
(本当の戦いは心の中だ!)
周りの景色が変わっていく。空と大地が色を失い、周囲の壁が音もたてずに崩壊していく。
「命令する。大人しく寝ていてくれ」
アキトのその言葉を聞いた途端、視界が暗転し意識が途切れた。