人生設計決まってますか?決まってますよね?決まっていると言って下さい!
翌朝、体全体にのしかかる重みと安心する匂いに包まれて目が覚める。最初のうちはちょっと重くて暑苦しいと思ったけれど、前世も同じ体勢で寝ていたなぁと思い出してからは、積極的に腕の中へ潜り込んでいる。
しかし、イラジャール様が世界の管理者とは……って、世界の管理者って具体的に何するんだろう?ゲームみたいに世界中を歩き回って、パーティを組んでダンジョンを攻略するとか、争いごとを解決するとか?公爵家はどうするのだろう。跡継ぎはイラジャール様だけなのに……はっ!!もしや分身の術が使えたり?!
いいなぁ、それ。もしも私に分身の術が使えたら、美味しいものが2倍も3倍も食べられる。うう、まずは王都で評判のチョコレート専門店へ行って……と考えていたら、背後からくすくすと忍び笑いが響いた。
「そんなに甘いものが食べたいのか?」
「だって、あのお店は前世でも有名なショコラティエが監修している……って起きてたんですか?!盗み聞ぎなんてマナー違反ですっ!!」
「盗み聞ぎなんかじゃないさ。ルーの独り言が大きくて目が覚めたんだ」
え、起こしちゃった?!と焦る私に、こんな甘い起こし方なら毎朝でも大歓迎だと呟きながら首筋や頬、耳、鼻、目じりなどに啄むようなキスを落とされる。少しかさかさした唇が肌に触れる度にくすぐったくて身を竦めてしまう。
やがて、骨ばって剣だこのある大きな手が、リラックスしてというように背中や肩、ついでに胸のふくらみを撫でていく。ふわ、無理無理っ!リラックスどころか、全神経が接触部分に向けられて、いっそう敏感になってしまう。その一方で脳細胞は仕事を放棄して、されるがままに身を委ねた。
「はぁ、ん」
「くくっ、ルーはどこもかしこも甘いな。病みつきになりそうだ」
いつの間にか前開きワンピース仕様の寝間着のボタンを外され、全身を隈なく触れられた。タラたちは妊娠してドレスのサイズが変わる事を心配していたけれど、実のところ最後まで致していない。まあ、揉まれているから胸囲が大きくなったのは否めないが、イラジャール様のせいではないハズ。多分。……まさか、世界の管理者としての能力を婚約者のバストアップに使うなんてありえないよね?うん、ないない。きっと、いや絶対!
「何を考えている?」
寝起きで何度も刺激を受けた頭は、夏のアイスよりもデロデロに蕩けている。ついでにちょっとの隙間もないほど全身でイラジャール様に抱きこまれているので体も蕩けてぺったりと密着している。抜群の安心感だったから質問の意図を考えることすらせずに、つるりと言葉が滑り落ちた。
「世界の管理者ってコーモン様になるの?」
世界中のいざこざを収めて回るなら、それって諸国漫遊したコーモン様だよね?スケさんはウパニかな?カクさんは私がやってもいい?一度、インローを出してみたいと思っていたのよね。ヒカエオロー!ハハーッ!ってサイコーだよね。むふふ。
私の世迷い言をあっけにとられた表情で耳を傾けていたイラジャール様は、ついに耐えきれないとばかりに吹き出した。朦朧としていた私の脳みそは、楽し気な笑い声と伝わる振動によって覚醒した。えっと、私、今何を言ったっけ?自分の言動を思い出すと羞恥でじわじわと顔が朱に染まる。
「そっ、そろそろ笑いやんでも良いのではっ?!」
「くくくっ、悪ぃ……いずれ俺がインローを持つことになったら真っ先にルーへ渡そう」
「あうっ、あ、あり、がとうございます」
絶対に揶揄われていると思ったけど、自分が言い出したこと。ムキに否定するより早く会話を終わらせよう。そんな意図を察したのか、イラジャール様がまた肩を震わせている。もう、笑い上戸だなぁ……でも、確かにカクさんってちょっと変だったかも。
自分が懐からインローを取り出す姿を想像して、思わず吹き出してしまい、その後は2人で心ゆくまで笑い合った。一頻り笑った所でイラジャール様が口を開く。その真剣な思わずぎゅっと口を引き結んだ。
「ルーは、俺が世界の管理者でいるのは嫌か?」
予想外の問いに目を見開いてしまう。けれど、直ぐに首を振った。
「私は、どんなイラジャール様でも嫌いになりませんよ。前世で食事も忘れてゲームを作っていた姿も、公爵家の跡取りとして頑張る姿も……幼い頃、私のベッドにもぐりこんで来た姿も、どんなイラジャール様も、好きです」
世間に出ると圧倒的に堂々としているイラジャール様は、本当はとても繊細で、前世から自分が正しいことをしているか悩むことがある。そんな時、肩や腕に手を置いて、そのままで大丈夫と伝えるようにしている。案の定、イラジャール様は、ほうっと息をつき、幼い頃と同じ顔で笑った。
あ、でもちょっと待って下さい。ちょうどいい機会だから質問してみよう。
「世界の管理者って具体的には何をするんでしょう?」
コーモン様は違うと分かったけれど、今度はS字マークの全身ぴたぴたタイツにマントを羽織ったイラジャール様の姿が浮かぶ。それとも、指先から蜘蛛の糸が出る方かしら?イラジャール様は、そんな私の妄想に気付いたようで、嫌な顔をしながらも口を開いた。
「何もしない。俺は正義の味方じゃないからな」
「でも、魔獣の件とか竜王の件とか、色々動いてますよね?」
「あれは、王都で起きた魔獣被害の復興と隣国グランパルス公国の立て直しだ。つまりは、ラヴィヌス陛下の名代に過ぎない」
予想外の拍子抜けする回答に、ぽけっと開いた口が閉じられない。いや、正義の味方になって欲しい訳じゃないけれど、宝の持ち腐れというか、困った人にも手を差し伸べる前世の彼からは想像も出来なかった。
「俺が世界の管理者の力を使うのは、ルーだけだ」
真摯な言葉に胸がドクリと掴まれた気がした。
「ど、して?」
「世界の管理者は、実際のところ神の力だ。俺は前世から考えていた。神とは何なのだろうと」
ここでいう神とは特定の宗教のことではない。人知を超えた存在のこと。地球にいた頃、人は悲劇が起こるたびに「神は人間を見捨てた」とか「神が存在するなら、こんな酷い事を許す筈がない」と嘆き、神など存在しないと信仰心を捨てたり、頭から信じない人たちが大勢いた。
かくいう私も無神論者だった。それでも、あの時、トラックの前に飛び出した時、確かに願った。どうか幸せそうに笑っている子供から笑顔を消さないでください、と。
「結論から言うと、神は人の都合で左右されてはならないものだ。嘆き悲しむ個々人に手を差し伸べるのが神ではない。もっと大局的な存在であるべきだと思う」
イラジャール様がそうと決断を下すまで、どれほどの苦難があったのだろう。かつて、周囲の人々から頼られることに苦痛を感じながらも自分の心を押し殺して無私の奉仕を続けた人だ。今はそれより万能の力があるのに使わないと決めたのだ。
人によっては、イラジャール様のことを冷血漢とか人非人と詰るかもしれない。けれど、神様だって万能ではない。例えば、人が10人集まれば10通りの意見や考え方がある。それぞれの思惑が同じ方向、或いは全く別の方向を向いていれば良いが、衝突した場合、どちらが正しいか判断することはとても難しい。誰もが納得する妥協案を見つけるのは至難の業だ。
「能力は万能であっても所詮、人の浅知恵でしか判断が下せない。好ましい人間がいれば肩入れしたくなるし、好ましくない人間が悪人とも限らない。だとしたら、全員平等に放置するのが公平な采配だろう?」
「じゃあ、私も放置するのが公平なのでは?」
純粋に分からないと首を傾げると、ルーは特別だと返された。
「ルーは俺の命だから。ルーが、俺の前からいなくなったら俺も死ぬ。世界なんかどうでも良いし、人族や他の種族が滅びようとも構わない」
知っているだろう?と耳元で囁かれ、ぞくりと震える。あれ、こういうのも俗にいうヤンデレ?いや、いや、そこは追及しないでおこう。ドツボにはまりそうだから。
「ええと、私のことを思ってくれるのは嬉しいけど、私は、この世界が消えてしまうのは嫌かな。シャヒール様もカマリ様も大好きだし、タラやクシュナとコスプレしたいし、いつかはマハシュとも遊びたい。それに、イラジャール様と結婚して子供も孫も沢山欲しいから……」
最後の方は息が漏れるだけの小声になってしまったけれど、イラジャール様にはちゃんと聞こえたらしい。にんまりといった擬音が聞こえそうなほど唇が弧を描いた。
「お許しも得たことだし、じゃあ早速……っうぼふぇっ!」
「ここでドレスのサイズが変わったらタラに一生、文句を言われるから!」
のしかかってきたイラジャール様をふかふかの羽枕で押し返し、その隙に寝間着のボタンを留めてガードする。イラジャール様も本気ではなかったらしく、枕に顔をうずめ、くすくすと笑っている。
「俺ならドレスのサイズを変えることなく、ルーのお願いを聞いてあげられるけど?」
「いやいや、嘘偽りなくバージンロード歩きたいし、今直ぐ願いを叶えて欲しいとは言ってないしっ!」
めっちゃ真剣に説得してくる。やっぱ『能力でバストアップ』説は捨てきれないかも。もうちょっとマシな使い方あると思うんだけどなぁ。
「イラジャール様、先ほどの神様の存在意義ですけれど」
「うん?」
いつの間にか背後からぎゅっと抱きすくめてくる彼に、世界一、守られていると実感しながら先ほど過った考えを言葉を選びながら伝える。
「神様って、でも好きです。それは、願いを叶えてくれるから好きなんじゃなくて、沢山の人の祈りや願いが降り積もっていると感じるから好きというか、神聖なんだと思います」
無神論者だから信じてもいない神様の立派な建物、つまり神社とか教会を訪れるのは気が引けたけれど、道路の隅っこに祀られたお地蔵様に花が活けてあるのを見たり、山道にひっそりと佇む神社に雑草が一本も生えてないのを見たりすると、無償で世話をしている人の想いや訪れた人の祈りが感じられる。
「人々の生活の中で一緒に暮らしている神様って良いなぁって。願いが叶うかどうかは二の次で、一緒に笑って一緒に泣いて、普段は全然役に立たないけど、時々、ほっこりするような神様だってありだと思うんですよね。依怙贔屓する神様だって人間らしくて好きかなと」
脳裏に子供の頃、テレビで好きだったコントが浮かぶ。何度、願い事を言っても『あたしゃ神様だよ!』って耳が遠くて聞こえない神様。実際にいたら怒る人もいるだろうけど、笑う人もいるだろう。もしかして、自分の悩みがバカらしくなって元気が出る人もいるかもしれない。そういう神様でも良いんじゃないかな。
「あ、勿論、イラジャール様になって欲しいって意味じゃないですよ?ただ、神様だから全ての人を救わなくてはいけない訳じゃないってことです」
イラジャール様は真面目だから、何もしない、誰も助けないと決めた所で悩むに決まっているし、助けると決めた所で全員を助けられない自分の無力さを嘆くに決まっている。まあ、そこがカッコ良いんだけどさ。私なんて基本的にちゃらんぽらんだし、自分の好きなことしかしない。それが正しいか間違っているかなんて考えない。だって、考えても『みんな』が正しいと認めることなんて出来ないと分かっているから。
正否や善悪という観念を捨てること。それが、ヒトゴロシと蔑まれた私の生きる術だった。生まれた時から両親や親戚、使用人たちから押し付けられる否定的な思惑に振り回されて、ある日、息が出来なくなった。家から一歩外へ出た途端、喉が詰まって呼吸が出来なくなり、心臓が破裂する勢いで鼓動を打ち続けたのだ。
原因は、弁護士の先生から、義務教育の間は学校へ行かなくてはいけない、と言われたから。何度試しても学校へ『行かなくてはいけない』と思うたびに呼吸が出来なくなった。とうとう弁護士の先生も諦めたみたいで、行かなくて良いと言わたら楽に呼吸することが出来た。その時、一生、好きなことだけして生きていこうと決めた。本を読んで、お菓子を食べて、ゲームをして、ネットをして。
そうしたら、一本の乙女ゲームに出会った。それは、メチャクチャ難しくて複雑だったけれど、面白くて楽しくてどんどん惹かれていった。もっともっとゲームをしたい。ゲームをしている人と話がしたい。ゲームの世界を実現したい。次から次に好きなことが増えて、気が付いたら今ここにいた。大好きなゲームの世界で、大好きな人たちに囲まれて、大好きなことが出来る世界。
「元々、この世界は私たちみんなで作ったゲームの世界だから、イラジャール様も好きにして良いと思う。神様だって地球と同じじゃなくたって構わない。寧ろ、ここには魔獣も妖精も魔族もなんだっているんだから、もっともっとハチャメチャな神様だってありだよ、うん」
私一人話をしているのに気づいて背後を振り返ると、イラジャール様が固まっていた。あれ~つまんなかった?お~い、と目の前で手を振ると、イラジャール様がぶはっと吹き出した。
「そうだな、今更カッコつけても仕方ないか。くくっ」
にんまりと笑ったその顔は、前世の、『絶対王者』とか『世界覇者』とか厨二病のキャッチフレーズが踊りまくった週刊誌や女性誌が好んで取り上げた顔だった。いつだって自分に自信があって、周りの人間を圧倒させてしまう、私の大好きな人。
「この世界はまだまだ未成熟だ。陛下やオヤジたちも出来るうちに色々と整備したいと努力なさっている。俺も出来る限り協力するが、いずれは落ち着く時が来るだろう。そうなったら2人で冒険者をして世界中を旅しよう。ハクとシーラの2人で」
「良いですよ。まあ、私としてはシーラよりトバリが良いですけどね」
なんちゃって~と笑っていたら、突然、トバリに変身しちゃって、イラジャール様がぎょっとして飛びのくわ、私も呆然とするわで元に戻るまで一騒動あり、イラジャール様ばかりか私も世界の管理者だったと分かってびっくりするのは、それから数刻先のお話だった。