信じる、信じたい、信じようっ!
誤字脱字と名称を少しだけ訂正しました。内容に変更はございません。
「泣かないで。もう離れないから。ずっと傍にいるから。大好きだから」
イラジャール様に抱き付きながら、告白すると、イラジャール様はうんうんと頷いた。けれど、次の瞬間、ぱっと顔を上げてにやりと嘲笑った。
「……もういいや。やっぱり、ただの執着だったから飽きちゃったよ」
え、嘘っ!!呆然としている私を置いて、イラジャール様は見知らぬ女性の肩を抱いて去っていく。ちょっと待って、それって、それって、
「話が違うじゃないっ!!」
がばっと飛び起きるとベッドの中で、見覚えのある部屋は、マハシュの洞窟にあるベッドルームだった。夢だったと自分を見下せばお馴染みのバスローブを着ている。身に着けていた黒の戦闘服は、クリーニングされて壁にかかっているようだった。
寝起きのボーッとする頭で前日までの出来事を思い出す。確か、イラジャール様が妖精国に捕まって、マハシュに助けられて、そしたら魔獣族の目的は人族の殲滅で、えー、イラジャール様が管理者で、それから……そうだ。私の他に好きな女性が出来たから妖精国に留まっていると言われたんだっけ。
まあ、そうだよね。私はただのモブだし、前世では恋人同士だったかもしれないけど、喧嘩別れして、そのまま私が死んじゃったから執着してただけだったんだ。喧嘩別れが解消できたから執着も愛情もなくなってしまったらしい……なんて、ね!
私は勢いよくベッドから飛び降りると、戦闘服を着込んだ。コートのポケットを探ると、簡単なメイク道具が出てくる。部屋の隅に置かれていた鏡台に座り、メイクを始めた。目の周りは、黒のアイライナーを濃い目につけ、深紅の口紅を塗った。
鏡の中から『シーラ』が見返してくる。大丈夫。私はもう周囲におびえて隠れていた少女じゃない。独りで立てる。うん。
私は、そのまま部屋を出ると真っ直ぐに出口へ向かった。
「シーラ、起きたのか……っ、どこへ行くんだっ?!」
爽やかな笑顔で近づいてくるマハシュを無視して、出口の扉に手をかけたところで、マハシュに肩を掴まれた。
「イラジャール様を助けに行く」
「昨日も言ったが、奴は自らの意志で妖精国にいるんだ。シーラは信じたくないかもしれないが、」
それ以上、マハシュに言われたくなくて、パンッと頬を叩いた。軽く叩いだだけだし、そもそもドラゴンのマハシュには何のダメージもないが、口を閉じさせるのには成功した。
「イラジャール様は、二股かけるような人じゃない。どんなに大変なことでも、辛いことでも、筋は通す人だから。もし私に飽きて他の女性に惹かれたなら、私との婚約を解消してから相手の女性の元へ行く、そういう人だもの。私が好きになった人は」
前世から何年も何年も、生まれ変わってもずっと傍で見ていた人だ。彼がどんな人かは、私自身が良く知っている。
「何も言わずに帰って来ないってことは、帰って来られない状況にいるってことよ」
だから助けに行くとマハシュの腕を振り切った私に、彼女はふうっと息を吐いた。
「分かった。一緒に行くよ」
「……ありがとう!いつも感謝している」
マハシュの優しさが嬉しくて笑顔でお礼を言うと、仕方がないと肩を竦めて笑った。
それから、マハシュはドラゴンになり、私を掴んで飛び立った。うお、すごい風圧っ!!
ドラゴンの指の間から外を覗くと、ガウラッディ山がみるみる小さくなっていった。ガウラッディ山脈の隣は、カイカラシュ山脈、それからシルファード王国が見える。はるか遠くに見える、塔がいくつも聳えている所は王立学園だ。その向こうには王宮が輝いている。
何となく、もう帰れないような寂しさを感じ、じわっと滲んだ涙を拭った。
やがて、マハシュは旋回し、シルファード王国は見えなくなった。代わりに山脈に点在する小さな国が見えた。頭の中で地図と照らし合わせると、ハルラール連合国なのだろう。妖精国に近づいていると思うと、ごくりと喉が鳴ったが、マハシュはあっという間に山脈を飛び越え、麓の平原に降り立った。
「真っ直ぐ妖精国へ行かないの?」
人型に戻ったマハシュに、浮かんだ疑問をぶつけてみる。すると、マハシュは、ふんと鼻を鳴らした。
「妖精国は結界が張り巡らされている。それに、あの妖精王の事だ。正攻法以外で侵入しようものなら煩くてかなわん」
ナルシスト妖精王のキャラを作った手前、申し訳なく思う。ごめんよ、マハシュ。
「え、と、じゃあ、私たちは、どこへ向かっているのかな?」
平原に降り立った後、明らかに目的をもってマハシュは歩いているようだったが、教えてくれる気配はないのでこちらから聞いてみる。関係ないけど、平原には初めて来たけど、本当に真っ平だ。360度地平線が続いている。
前世は、日本に住んでいたから、どこへ行っても山が見えたし、都会なんて鉄筋コンクリートのビル山脈だ。シルファード王国でも、王都にいたから石造りの建物に囲まれていた。
だが、今は何もない。ただ、見渡す限り草花が揺れ、その向こうに青い空があるだけ。解放感あふれる所だが、世界に独りぼっちになったようで落ち着かないでいると、マハシュが近づいてきて、肩を抱いてくれた。
「このまま世界に2人っきりっていうのも良いな」
「っって、違ーうっ!!私は、どこへ向かっているのか聞いてるのっ!」
もうっ!と怒ってみせると、腕をまわされた背後に、ふわっと布地の感触があった。見ると、黒くて大きな布が頭から掛けられていた。そのまま前で布を合わせると、戦闘服はすっかり見えなくなる。
「この先に、ヨグナ国の国境がある。シーラは、私の従者だ」
言いながらグッとフードの役割をしている布地を引き下ろした。うお、前が見えないけれど、つまりは、顔を晒すなってことなんだろう。しかし、それならば、
「じゃあ、『シーラ』も拙いよね……『シーラン』にしようか」
一字足しただけでも印象は変わる。ヨグナ国は前世の中国をモデルにしている。シーランならありふれた名前だし、咄嗟にシーラと言い間違えても誤魔化しが利くだろう。マハシュを見ると、分かったと頷いてくれた。まあ、シルファード王国じゃないから、ゲーム世界の『シーラ』と気付く人はいないだろうけれど、それでも念には念を。
それから、10分ほど歩いただろうか。目の前に木造の掘っ立て小屋と小さな木戸が見えてきた。
え、これって、まさかの国境?!
内心で前世の物々しい警備体制を思い浮かべていたから、掘っ立て小屋から警備兵と思しき髭面のオッサンが出てきた時には吃驚した。確かに、古い記憶を掘り返せば、ゲームのCGは、こんな感じだった気がする。手抜きのつもりはなかったが、二次元の切り取られた画面で見れば寂れた感じがある抜け道のような印象だったのに、三次元で全体像が見えるのと、国境がこんなに頼りなくて大丈夫なのかと不安に思える。
でもまあ、他国の内情に干渉すべきではない。スルーだ、スルー。
「こんな辺鄙な場所の国境を使うのは、商人くらいだ。だが、お前は商人には見えん。……何者だ」
オッサンが誰何するけれど、マハシュは無言で腕に嵌めたブレスレットを見せた。細いゴールドのチェーンを幾重にも巻き付けた中央には、ゴールドのメダルのような金属がついている。それは、この世界の冒険者の証ですね。
オッサンが、携帯式のバーコードリーダーのような器具を翳すと、メダルがピカッと光った。表示された内容はこちらから見えないが、オッサンの顔色が変わっていく様子からマハシュが何者か分かったのだろう。直ぐに、小さな木戸を開いた。
「後ろの子は……」
「私の従者だ」
私の身元を確かめようとしたオッサンの言葉は、マハシュの短い回答で遮られた。基本的に、人族より遥かに高位のドラゴンが何をしようと人族は意見することはない。所謂、天災のようなものだからだ。駄目だと言って止まるものではないし、止める術もないのだから。
警備兵が無言で脇に寄ったのを見て、マハシュが一歩踏み出した途端、足が止まった。どうしたのかと首を捻るが、マハシュは無言のまま首を振った。脳裏にクエスチョンマークが乱舞する。目に見えない結界でもあるのだろうかとマハシュの前に出て進むが、何の抵抗もなく木戸を通過した。
「マハシュ様、大丈夫です。進んで下さい」
マハシュが足を踏み出すと、そのまま私の所へ歩いてきた。あれ、さっきのは何だったんだろう。まあ、良いか。無事に入国できたんだしね。
国境を抜けると直ぐにマハシュはドラゴンへと変化し、私を掴んで飛び立った。眼下には広大な農地が広がっている。ヨグナ国は穀倉ベルト地帯だ。周辺の国々へ大量の食物を輸出することで経済が潤っているだけあって壮観な景色だ。なんて、ノンビリ空中観光を楽しんでいると、目の前に瓦屋根の高い塀で囲まれた建物が見えてきた。
塀の上には所々、見張り台があり、兵士たちがマハシュを指さして右往左往している。そりゃあそうだよね。ドラゴンなんて滅多に拝める生き物じゃない。それが、突然、空を飛んでいたら吃驚もするよね。
やがて、マハシュは、その高い塀の中へと降り立った。そこは、美しい庭園が広がっており、どことなく中国風の趣は、桃源郷も斯くやという感じだった。庭園に点在する建物は、黄土色の瓦で葺かれ、裾がピッと持ち上がっている。そして、丸く刳り抜かれた窓は日本ではありえない様式だ。
綺麗に刈り込まれた植木の下には池があり、蓮の花が咲き乱れていた。丸い太鼓橋の向こうには、桃だろうか。濃いピンクの花々が今を盛りと咲き誇り、甘い芳香が漂っている。
美しい邸宅にうっとり見惚れていると、あっという間に、兵士に取り囲まれていた。そりゃそうだよね。これだけ広大な庭園を持つ屋敷だもの。高位貴族、いや、下手すると王族である可能性も否めない。
内心、汗だらだら垂らしていると、兵士たちの中から裾の長い着物のような装束を身に着けた男性が進み出た。濃紺のシルク地にびっしりと施された刺繍、腰には同じく刺繍の縫い取りがある白いベルトを前に垂らしている。急いでいたからか、ヨグナ国特有の袖の広がったコートは羽織っていないし、頭巾もない。それでも、その男性が高い位にあると知れる。
「黒龍様、我が王宮にようこそお越し下さいました」
我が王宮、ってやっぱり王族だよね。その王族がマハシュに膝まづいている。だけど、マハシュは、どうでも良いとばかり手を振って、一言だけ告げた。
「我が参ったこと、妖精王に知らせよ」
それだけ言うと、再びドラゴンになって私を掴んで飛びだった。今度はどこへ?と悩む間もなく、直ぐに降ろされた。城下町の商店で賑わう市場のど真ん中に。
え~、なんかメッチャ注目を浴びている気が。私とマハシュを中心に半径5mほど空間が出来、その周囲をヨグナ国特有の中国服っぽい衣装を着た人たちが、取り巻いている。
「シーラン、行くぞ」
マハシュは人型に戻ると、周辺の人々の視線など感じない様子ですたすた歩き始めた。右も左も分からない私は、黙って着いて行くしかないのだけれど、もうちょっと説明があっても良い気がする。ゲームのマハシュの方が、よっぽど会話が成り立っていた気がするのは、プログラムされたゲーム仕様だから?それとも単に過去を美化しているだけ?
次第に胸の中に立ち込めるもやもやを抑え込みつつ歩いていると、剣と杖を組み合わせた看板が見えてきた。あのマークは冒険者を意味する看板で、つまりは冒険者ギルドに向かっているのだと見当がついた。
そういえば、マハシュは、冒険者の証であるメダルも持っていたっけ。きっと優秀な冒険者なんだろうな。最強のドラゴンだし、うん。
他人事なんだけど、自分のことのようにニマニマしながらマハシュの後ろについて冒険者ギルドの戸を潜った。