恋人
「……学園の制服じゃないんですね」
1年ぶりに目覚めて最初のセリフが、それか。理性では、1年も眠っていたなんて思いもしないんだろうと思っていても、口が歪むのを止められなかった。俺、この1年で大分、シニカルになったと思う。
「制服は、捨てた。三か月前に卒業したからな」
「え?さ、三か月……確か、私がグランパルス公国へ連れて行かれたのが入学して4か月とちょっとだったから……」
ルーが子供みたいに指を折って数える。全然足りないぞ、それじゃあ。
「お前は、318日眠っていた」
「え?そ、そ、そんなにっ!!……デスカ?!」
口をあんぐりあけて驚いているルーも可愛いが、絶対、ロクなことを考えてないぞ。ふん。
「まさか、ポーション飲んだだけとか思ってないだろうな?栄養剤に筋肉増強剤、それに、起爆剤を飲んだ上、他人の魂を受け入れたのを、だけ、とか思ってないよな?」
「……スミマセンデシタ」
素直に頭を下げるルー。まあ、本当は俺のせいだったりするが、それは言わない。そもそもルーのせいだ。俺に怖い思いをさせるから。あの時の事を思い出して、壊れ物を触る様にそっと抱き竦める。
「俺が着いた時、お前の心臓が止まっていた。その時の俺の気持ちが分かるか?」
この1年、誰にも言わずに押し殺していた声が漏れ出る。ルーはしばらく黙った後、小さな、でもしっかりとした声で言った。
「ごめんなさい、いつも無茶ばかりして、ごめんなさい……あと、いつも私のことを思っていてくれて、ありがとう」
小さな手が俺の背に回り、外から帰ったばかりの冷たいコートをぎゅうっと握りしめる。俺は、花の香りを確かめながら、ルーの言葉に耳を傾ける。
「泣かないで。もう離れないから。ずっと傍にいるから。大好きだから」
久しぶりに聞く『大好き』が昔と異なる意味だと良いなと願っていると、ルーがふふっと笑った。
「なに?」
「ううん。……ずっと、ずっと長い間、傍にいてくれて、ありがとう、って思ったの」
「……もしかしたら、ただの執着かもしれない。捕まえたと思ったらいつも、すり抜けてしまうから」
「ずうっと傍にいられたら、飽きちゃう?」
ルーが目覚めたと告げに来た時のクロの話だと、ルーは過去を全て思い出したようだった。その意味での『ずっと長い間』ということなのだろう。確かに、俺はずっとこの瞬間を待ち望んでいた。何年も何年も。あまりに長すぎる年月に、時々、ルーを好きだという惰性なのかと疑問に思うこともあった。
だが、ルー本人に言われると、納得がいかない。がばっと顔を上げてルーを見つめる。
「そんな殊勝なセリフで誤魔化されないからな。お前の事だ、どうせまた直ぐどこかへ行くに決まってる」
「そんなことない、と思うよ?大体、いなくなるのは私の意志じゃないからね?不可抗力だからね?」
「へー、ふかこーりょく、ね。そもそも俺は化粧品を調べろと言わなかったか?食堂を見張れと言ったか?」
ルーは藪蛇といった顔で、観念した声で答えた。
「……イエ、イッテマセン」
「食堂の調理室には正規の騎士を見張らせていた。彼らが犯行を目撃して、隠れ家を突き止めようとしたら、お前たちが捕まったという訳だ」
俺の説明に初耳だというルーは、あっけにとられた後、しょぼんと肩を落とした。本当は、説明しなかった俺も悪いのだが、その辺りには気づかないルーがまた可愛い。許しても良いが、今後の事も鑑みて、ちょっとお灸を据える。
「チームで動くのは、各人の安全のためだ。犯罪を調べることは重要だが、そのために無茶をして命を落とすのは本末転倒だろ」
「仰る通りです。すみませんでしたっ!」
ベッドの上で土下座を始めたルー。そろそろ許してやるかと、そっと頭を撫でる。
「まあ、今回は、お前が出てきたことで竜王が尻尾を出したから不問としよう。けど、もう二度とするな」
「はいっ!畏まりましたっ!」
「……なんか、返事が軽いんだよな」
失礼な。これでも、十分反省してますから!と反論するため、顔をあげたルーと視線が絡む。無意識のうちに、手が柔らかい頬を撫でる。
「本当は、一生、部屋に閉じ込めて出したくない」
「……貴方がそうしたいのなら、それでも良いですよ?」
さらっと飛び出した予想外の返答に、驚かされる。部屋に閉じ込めたいって、イカれたヤツの発想だぞ。恋人がサイコでも構わないのか?
「あ、タラたちと会えないのは困りますけどね」
だってコスプレが出来なくなるし……と呟くルーに、なんだか力が抜けていく。あれこれ考えていた俺がバカみたいじゃないか。
「なんか、色々考えて損した気がする」
「ええ~何ですか、それ!あっ、でも監禁して良いのはイラジャール様だけですよ?他の人に監禁されたら、速攻で逃げ出しますからね」
監禁という言葉に、淫靡な響きを感じて胸が騒ぐ。だが、どうせルーの事だ。深い意味なんかないんだろうな、ふん。
「本当に、もう俺から離れて行かないか?」
「はいっ、本当です!ご飯の時も、仕事中も、びったり貼り付いてますっ!なんなら紐で結んでも良いですよ」
「ふっ、じゃあ、風呂に入る時も、寝る時も一緒なんだな?」
真っ赤になったルー。前世は、風呂も一緒に入ったのに、今の体に引きずられているのか、まあ、前世も直ぐに赤くなってたけどな。
「い、良いですよ。背中、洗ってあげます。あと、子守歌も歌ってあげます。昔みたいに」
「……ふうん、前世みたいにね。知ってるか?俺は、生まれた時から前世の記憶があった。無知な子供だったことなど一瞬たりともないからな」
きょとんとするルー。くくっ、可愛いなぁ。このまま食べちまおうか。
「お前と寝るための口実に決まってんだろ。お前、寝相が悪くてしょっちゅう腹出して寝てたから、何度も起きて布団かけ直してやってたんだぜ」
「うぎゃああああああっ!いやああああああっ!イラジャール様酷いっ!デリカシーがないっ!乙女のお腹をっ!!」
叫びながら、小さく体を丸める。そんなことをしたって、俺から逃げられるものか。
「安心しろ。俺が布団の代わりをしてやるから」
「布団の代わりって、どうするのっ?!イラジャール様、全然、ふかふかじゃないじゃないっ!」
言い終わらないうちにルーの脇を掬って、ぎゅうっと背中に腕を巻き付けた。体と体がぴったり隙間なく密着する。
「ほら、こうすれば温かいだろ?」
「ひゃん、んゃぁっ!」
ルーの耳元で囁いてやると、花の香りが一層強くなった。ああ、ルーの匂いだ。ダメダメと首を振るが、匂いが振りまかれるだけで、より一層の劣情を掻き立てられる。
「ダメ、ダメ、ばっかり。じゃあ、何なら良いの?」
唇と唇が触れ合わんばかりの距離で、言葉を紡ぐ。ルーは、魔法にでもかかったみたいに俺の唇に視線が釘付けになり、段々、近づいてきて、そのまま自分の唇を押し付けてきた。
そっと、壊れ物に触れるような優しさで唇と唇が重なる。何度も確かめるように、啄むようなバードキスが続いた後、ルーの甘い唇が誘うように開いた。
ルーの柔らかい舌に自分の舌を絡ませ合う。ほんの僅かな隙間もなくなるよう、幾度も幾度も角度を変え、陸み合う。背中を撫でていた手が、次第に下へと降りていく。ルーも柔らかで豊満な胸を俺の胸に押し付け、抱き付いてくる。
「んんっ、ふぅ、ぅぁっ」
ああ、ルーも感じてくれているのだなと思い、そのままベッドへ押し倒した、のだが、
「ぐぎゃあっおぉっ!!!」
魔獣の断末魔かと思うような叫び声が耳をつんざいた。俺が何かしてしまったのかと思い、慌ててルーの上からどいた。
「あ、う……色気がなくて、ごめんなさい~」
情けない声で謝るルーに、思いがけず、声をあげて笑ってしまった。そうだ。ルーは、今日目覚めたばかりなのだ。これから幾らだって時間がある。ゆっくり心を繋いでいけばいい。
「ごめんな。俺が急ぎ過ぎたんだ。ゆっくりいこう」
「……うん。これから、ずっと一緒だもん、ね?」
俺は返事の代わりに、ちゅっとキスを落とす。それから、痛みに唸るルーをなだめつつ、2人でベッドに入った。そっとルーの頭を肩に乗せ、ゆっくりと髪を撫でる。くすぐったがる彼女の額に、鼻に、頬に、耳たぶに、首筋に、ちゅっとキスを落としていく。
ルーは、嬉しそうに目を細めた後、くすくす笑った。
「なんだか、不思議な気分」
「何が?」
「だって、顔も姿も全然違って、しかも生きてる世界も違うんだよ?!でも、ちゃあんと貴方だって分かるの。びっくりしちゃった。やっぱり、貴方は魔法使いなんじゃないかなぁって思う」
いや、魔法使いどころじゃないし。でも、ジョーカーは隠し持っていたいから、まだ、教えない。ずっと不思議がってて欲しい。いつまでもキラキラした瞳で俺を見ていて欲しいから。
思い出したついでに、ちょっとくらいなら良いかなって胸に触ったら、ばちんと跳ね飛ばされた。
「結局、事件ってどうなったんですか?」
「どうって……解決したぞ」
そうじゃなくて詳細が聞きたいって騒ぐから、簡潔に話す。
「実行犯は、何とかいうチンケな商会のヤツだった(多分)。被害者は元に戻った(良く知らんが)。竜王の話は、ムカつくからしたくない(これは真実だ)」
「じゃあ、グランパルス公国は、どうなったんですか?」
「どうって、そのままだ。大公子だった竜王はいなくなったから、大公姫の一人が大公を継いだ」
ルーは、あのメイドちゃんが!と驚いている。メイドってなんだ?俺があった時は普通の格好だったが、まあ、どうでもいいか。と思っていたら、ルーから爆弾発言が落とされた。
「あ、そだ!思い出したんだけど、グランパルス公国の人たち、鉄道と一緒に穴も掘ってなかった?」
「……なんだ、それは?」
ルーの話す内容を聞くにつれ、イヤな予感がぞわぞわと襲ってくる。竜王の次は妖精王かよ。
「ハルラール連合国か。また面倒なことを……」
「ご迷惑オカケシマス」
殊勝なことを言っているが、ルーはいつだって事件に巻き込まれる。これも、世界の中心だから仕方ないことなのか。
「……いいか、お前は何もするなよ?!」
「モチロンデス、ハイ」
「……本当に何もするな。だが、何か思いついたら真っ先に俺に話せ、良いな?!」
「ハイ、リョーカイシマシタ」
……言えば言うほど嘘くさいのは、どうしてだ?ルーも自覚はあるらしい。冷や汗を垂らしながら、ちらちらこちらを伺っている。
「……そうだ、魅力的でサイコーな良いこと見つけたぞ」
「え、何か嫌な予感がシマスケド」
俺は、にんまりと笑うと、ルーの体に負担がかからないように圧し掛かる。
「ナ、ナンデスカ?」
「そろそろ寝るか、な?」
疑問形に開いたルーの唇を俺の唇で塞ぐ。角度を変えて、舌でルーの中を余すところなく犯す。最後に、飲み込めなかった唾液を啜ると、はふ、と息をして、ルーは意識を落とした。
「要するに、余計なことを思いつかないよう忙しくさせておけば良いってことだよな。な、俺の奥さん」
明日はより一層多忙な一日になりそうだったが、漸くルーが腕の中にいることに安堵し、目をつぶった。