パートナー
読み直して分かりにくい所を追記。内容に変更はありません。
ルーのデビュタント当日がやってきた。あれから、1年が経つのは、あっという間だった気がする。俺がデビューする訳でもないのに、ドキドキして落ち着かない。
「檻に捕らわれた熊のようだよ。座ったら如何かな?」
王宮の待合室で、次に名を呼ばれると思ったらじっと座っていられず、思わず歩き回ってしまったようだ。奥に据えられたソファの所から、のんびりとした男の声が響く。声のする方を見ると、そこには、深紅でストレートの長髪を肩に垂らした男が、ワイングラスを片手に座っていた。
陛下への謁見は、デビュタントする女性の地位の低い方から始められる。つまり、侯爵令嬢であるルーより上と言えば、以前、俺に突っかかってきたイーシャ・ジャイダル公爵令嬢のパートナーしかいない。しかも、イーシャ・ジャイダルと同じ髪で、恐らくは20代。だとすれば、
「お初にお目にかかります。カルヴァル・ジャイダル殿。本日は妹御のパートナーをされるのですか?」
奇襲をかけてみたのに、相手は眉一つ動かさず、にこりと微笑んだ。
「そうなんだよ。成人したというのに恋人1人連れてこられない妹でね。まあ、未婚の私も同様に不甲斐ないけれどね」
「巷では、王家との婚約が囁かれていますが……」
俺のオヤジが王弟殿下でナトゥラン公爵家へ婿入りしている。今代は、長子である王女は既に嫁いでいるが、二女、王太子以下3人の王子が残っている。二女がジャイダル家へ降嫁するか、イーシャが王家へ嫁ぐか、どちらかだというのが専らの噂だ。
「君は我が妹に会ったことがあるかい?」
「はい。学園で声をかけられました」
「正直なところ、妹と王太子が結婚して上手くやっていけると思うかい?……ああ、答えは必要ない。要するに、そういうことなのだよ」
確かに、イーシャと王太子は、5つという年齢差を鑑みても、イーシャの方が圧倒的に王者の風格がある。王太子は、そんなイーシャを疎ましく思っており、学園に入学して以来、『自称』乙女ゲーヒロインたちと遊びまくっているのが現状だ。
「私の個人的な意見を述べさせて貰えば、王太子とルーファリス・ゴーハルバク侯爵令嬢、そして、君と我が妹が結婚してくれれば丸く収まると思うのだがね」
「それは……」
今日、この場で俺とルーの婚約を公にしようという時に、嫌がらせか!と思って反応しようとすると、カルヴァルは手を上げて、まあ、聞けと諭した。
「ルーファリス嬢は、華があるし、人を引き付ける魅力を持っている。王太子も彼女に持ち上げられれば、ちっぽけな自尊心を満足させて次代の王になる者として奮闘するだろう」
「私たちの意志は、考慮されないのですか?」
むっとして言い返すと、カルヴァルは鼻で笑った。
「政治に恋愛感情は必要ないさ。まあ、今のあくまで俺個人の意見だ。勿論、君とルーファリス嬢が結婚しても構わないぞ。その場合、君の王位継承権は格段に跳ね上がるだろうがね」
考えてもいなかった意見に、言葉を詰まらせて言うと、カルヴァルは初めて面白そうに笑った。
「君ほどの人物が、気づいていなかったとは驚きだな。最も、直ぐに分かるだろう?今現在、王家の血を持つ者で子供のいる次代はいない。第二王女、王太子、下の二人の王子も勿論、我がジャイダル家も未婚どころか結婚する気配もない。もし、君に子供が出来た場合、我が国の法律に則って王太子を押し退け、王位継承権がトップに躍り出るって訳だ」
シルファード王国は、子供が最優先される法律だ。王族と言えど、子供がいない次代はありえず、子供のいる次代へ継承権が移る仕組みになっている。第一王女には子供がいるものの、伯爵家へ降嫁した際、地位の低さから王位継承権を剥奪された。けれど、
「私は婚約は致しますが、成人するまで結婚する気も子供を持つ気もありません。成人までは4年ありますから、その間に貴殿が結婚して子を儲ければ継承権はそちらへ移るのでは?」
「あれ、君は知らなかったのかい?私は、こう見えても種なしなんだよ。子供の頃の病気が原因でね。故に、妹の立場は実に微妙なものでね」
正直、知らなかった。カルヴァルの言が真実であれば、イーシャ・ジャイダルが公爵家を継ぎ、王女がジャイダル家へ降嫁することもないということか。
「いずれにしても、現在、王家には3人の王子がいらっしゃいますから、いずれは彼らが継ぐことになるでしょう。私の継承権が上がっても、それは一時的なものですよ」
「そうかい?まあ、下の2人は幼すぎて未知数だが、王太子は既に見切られているよ。それに、陛下は君を気に入っていて次代に指名したがっているようだ。継承権が高いうちにね」
ふうん。王太子を俺に嗾けるつもりか。大人しそうに見えるのは、外見だけで腹の中は真っ黒だな……まったく油断ならない、ジャイダル家は。
「確かに、陛下には可愛がられておりますが、王位など恐れ多いことでございます。私には、昔も今も、この先もずっと王になるつもりなど毛ほどに思っておりません。さしものジャイダル家もゴシップを掴まされることがあるようで……」
ちょうどその時、俺の名が呼ばれた。
「ああ、残念。君とはもっと話したかったのだけれど、時間切れのようだ」
「こちらこそ、有意義な時間でございました」
にこりと笑って退室するが、頭の中でクロにカルヴァルを調べさせようとメモする。それから、直ぐに不愉快な出会いは脳裏から消え去った。何故なら、2年ぶりのルーが歩いてきたからだ。
「ルー!遅いぞっ!」
「(……イラジャール様っ!どうして、ここに?)」
てっきりオヤジかゴーハルバクの狸がいると思っていたのだろう。きょとんとした顔が可愛い。いや、キラキラとした白のドレスを優雅に着こなし、女王のような佇まいなのに、愛嬌のある表情は変わらないルーに一層の愛おしさが沸き起こる。
ああ、ずっとこの瞬間を待っていた。俺は、内心で震えつつも、極めて軽い口調でルーを諭す。
「どうして、とは酷いな。婚約者のパートナーを務めるのは当然だろう?」
「(こんやくしゃ、の、ぱーとなー、って誰が?誰の?)」
「くくっ、ハトが豆鉄砲くらったって、今のルーのことを言うんだろうな」
ルーの、鮮やかな口紅が塗られた可愛らしい唇が動く。視線が唇に釘付けになったまま、頬にちゅっと口づけをした。
「(わっ、私、イラジャール様と婚約した覚えはないですっ!)」
「もちろん、正式にはまだだ。俺が未成年だからな。だが、ルーはとっくの昔に俺のモノだ。そう決まっている。誰が何と言おうとも、な」
「(何を言って……んんっ、ふ、)」
ルーは驚きの声をあげたが、我慢しきれず、開いた口を俺の口で塞ぐ。ルーの柔らかい舌に自分の舌を絡ませると、漸くルーが腕の中にいるのだと実感できた。王宮の廊下で誰かが見ているのは気付いていたが、ルーは俺のモノだ。誰にも渡したくないという独占欲が、周囲に見せつけ、知らしめろとがなり立てる。
ルーが口づけから逃れるために首を振る。俺から逃げることは許さないとばかりに、ルーの頭を抱きかかえ、仰向けたままキスを続ける。最後にリップ音を立て、ぽってりした愛らしい唇から離れると、ルーは、夢見心地のぽうっとした表情を浮かべていた。可愛いな、うん。
「さあ、陛下がお待ちだ。そろそろ行こうか」
「(まっ、待って!口紅が……)」
ルーは俺の唇に紅が移ったと拭ってくれるが、自分のことには無頓着だ。注意してやっても良いが、このまま如何にもキスしましたという状態で入場するのも悪くない。ルーが誰のモノか分かるからな。
「(さ、行きましょう)」
婚約の話は忘れたいのか、ルーが俺の腕をとって歩き始め、思わず笑みがこぼれた。
「(な、なに?!)」
「忘れたふりをしているのか?俺が婚約者だって」
あっという呟くルーの腰を引き、腕を出す。既婚者あるいは、婚約した者同士は、男性が女性の腰を抱き、前に出された反対の腕を女性が掴むというのが、正式な会場への入場スタイルだ。
「(いや、でも、まだ正式じゃないって)」
「お揃いの服に、デビュタントのパートナー。これで、離れて入場したら笑い者だぞ」
「(うう……)」
しぶしぶ俺の腕をルーが掴んだ時、入場のコールが鳴り響く。
「ゴーハルバク侯爵ご令嬢、ルーファリス様、並びに、ナトゥラン公爵ご子息、イラジャール様ご入場でございます」
さっとドアが開き、王宮の舞踏会場の目眩い光が溢れ出てきた。光に目が慣れると、ルーは、会場に並ぶデビュタントの令嬢を眺め、ついで壇上へ視線を巡らせ、顔を顰めた。きっと、皆が内緒にしていたことを剥れているのだろう。
「俺が、みんなに内緒にしておくように言った。……そうしないと、お前は、あっという間に逃げてしまうだろう?だから、俺から、決して逃げられないように外堀から埋めていく」
耳元で囁き、ぼうっとしているルーをそのまま壇上へと連れていった。
「陛下、本日デビュー致しますゴーハルバク侯爵ご令嬢、ルーファリスにございます」
「うむ。聞きしに勝る美しさよの……うっ、ぐっ、ごほん。本日は存分に楽しまれよ」
余計なことは言うなと圧力をかける。陛下も、直ぐに察して口を閉じた。よし。と思ったら、次はオフクロが、口を開いた。
「イラジャール、口紅ぐらい直してあげなさいよ。気が利かない子ね!」
「ワザとですよ、勿論。彼女は、私のものだと知らしめねばなりませんからね」
くそ、オフクロの言葉に、ルーが狼狽えている。見かねた王妃が、手招きして口紅を直すよう助け船を出したのに、流石、ルーだ。潔く紅を拭い去り、リップ代わりの蜂蜜を塗っている。本人は気付いていないが、しっかりとメイクの中で、唇だけが自然な紅を魅せつけている。そのギャップに、視線が、どうしても唇へいってしまうのだ。
「……イラジャール、貴方、失敗したんじゃなくて?」
「母上、余計なことは口にしない方が賢明ですよ」
俺とオフクロが小声で言い合っている中、ルーは陛下たちと孤児院の話をしていた。いつか、国中の子供たちに安全な暮らしを提供したいと言っていたな、と思い出す。ルーも独りで色々頑張っているらしい……まあ、ルーは俺の事なんて一日のうち20分しか思い出さないからな。ふん。
そろそろ後続のジャイダル兄妹が焦れているはずだ。俺は、もっと焦らしても良かったのだが、ルーが気にして俺の腕を引く。しかたない。俺も臣下の礼を取り、陛下の御前を下がった。
事前に習ったデビュタントの配列を思い出し、升目の一つに納まる。ルーは気付いていないが、基本、デビュタントで婚約を披露するカップルは少ない、というかほぼいない。婚約という内輪の話を公的なデビュタントの場に持ち込むなという訳だ。
だが、まあ、俺もルーもある意味で有名人なので、その方が手っ取り早いということになった。それに、婚約発表と言っても式を中断してアナウンスするのではなく、ただ婚約者同士の衣装を身に着け、親しそうに振る舞うというもの。周囲に知らしめることが出来る上、煩わしい連中がマナー違反だと騒ぐことも出来ない。一石二鳥のアイデアだった。
そうこうするうち、ジャイダル兄妹も隣に並び、披露目のワルツを踊る。と、前奏が始まった段階で、ルーがクスッと笑った。何を笑っているのか尋ねると、ルーの唇が面白そうに動いた。
「(私が男性パートを踊った方が良かったかなって、思い出しちゃった)」
ほう、今それを思い出すか。ぐっと下半身を密着させ、深くホールドすると、ルーは顔を赤くして口を開いた。文句を言うつもりだろうが、そうはさせない。曲に合わせて、くるり、くるりとルーを回す。昔、ルーにされたようにな。
だが、ルーも負けず嫌いだ。態勢を立て直して挑んでくる。やっぱり俺のルーだ。2年間離れていても、いや、前世から変わらない俺だけのルー。嬉しくて思わず笑ってしまったのだが、ルーはバカにされたと思ったのだろう。余計むきになって踊り始めた。ああ、相変わらず、ルーほど俺の興味を掻き立てる存在はない。
後日、鬼気迫る顔でワルツを踊っていたデビュタントと、それを愛おしそうに見つめるパートナーがいると社交界の話題となるが、まだそれは少し先の未来のお話。
デビューのワルツが終わると、後は、通常のダンスとなる。パートナーを代えても良いし、休んでも良いのだが、身のほど知らずにも男が近寄ってきて、ルーにダンスを申し込んだ。こいつ、俺たちが婚約していると気づかないのか。
きょとんとしてるルーの代わりに、追い払ってやった。ルーは、ちょっと残念そうな顔をするが、当たり前だろ!お前は、俺の婚約者なんだからな。ふん。どうせ、1曲だけ踊って帰ろうとしていたのが見え見えだぞ。嫌がらせもかねて2曲目も踊ってやる。
「(イラジャール様、本当の本当に、冗談ではなく、真剣に、私がイラジャール様の婚約者なのですか?)」
無言で踊るダンスに居心地の悪さを感じたのか、恐る恐るといった感じで言葉を紡ぐ。
「俺では不服か?」
「(私ではなく、イラジャール様が不服なのでは?大体、私と結婚しても何の旨味もないですよね?後ろ盾はないし、美人でもないし、色も魔女付きだし、愛想もないし……あっ!イーシャ様なんて良いんじゃないですか?同じ公爵家だし、ボンキュッボンだし……んっ!)」
今はジャイダル兄妹のことなど考えたくもなかったが、踊っているから良く回る口を手で塞ぐことも出来ない。だから、これはルーが悪いんだと言い訳をしながら、ルーの艶やかな唇に己の口を押し当てた。ルーは必死で逃げようとするが、腰をがっちり抱いているから離れることも出来ず、しまいには観念して舌を絡め合った。
ほら、もう、ルーの肩に手が届かないチビじゃない。今はまだ同じ背丈だけど、直ぐに追い越してみせる。だから、もう一度、俺を好きになって。俺に恋をして。俺の傍にいて。
口に出せないありったけの思いを込めて、思う存分、ルーの唇を貪る。曲が終わり、ちゅっとリップ音を立てて離れると、腰砕けになって呆然としているルーがいた。
「ルーの唇は甘いな」
「(そりゃ、蜂蜜塗ってますから)」
「本当だ」
そっと舌で己の唇を舐める。ルーの視線は、俺の動作をじっと見つめている。ダメ押しで、耳元に口を寄せると、またキスされると思ったのか、ルーが真っ赤になって体を竦めた。ああ、本当に可愛いなぁ。俺のルーは。
「いいか、二度は言わない。俺が、お前を妻にと望んだ。誰に言われた訳でもない、この俺が、だ。お前は素直に受け入れりゃあ良いんだ。分かったな?」
勿論、力なんて使わない。ルーが熟して落ちるのを待つ方が楽しいからな。だが、落ちてきた暁には、俺が今まで悶々としていた分、責任は取って貰うから覚悟しろよ。