受難者
そのまま授業をサボタージュして、寮へと戻る。使用人たちが、昼前に帰って来た主を怪訝な顔で見るが、誰も何も言わない。俺は、誰も通すなとだけ告げ、ベッドにダイブした。
「あー、ルーに会いたい。ルーを抱きしめたい。ルーとキスしたい。ルーの匂いを嗅ぎたい……」
入学してから1ヶ月も経ってないのに、もう『ルー』が切れた気がする。いっそ、週末に帰るかなと思っても、ナトゥラン公爵家にルーはいない。そうだな、俺自身が逃げ道を塞いだのだ。ルーのデビュタントまでルーに会わないように、と。
理由は、オヤジの一言だった。
「このままだと、君はいつまでたってもルーの弟でしかないよ」
オヤジ曰く、子供の頃から一緒に育った俺たちは、あまりに距離が近すぎるのだと言う。一度距離を置いた方がお互いをよく見られるようになるよ、と。ぶっちゃけ、俺に対する牽制なのだろうな。ルーがいなくても独りで立てるようになれ、と。
自分でも分かってはいるのだ。でも、やっぱりルーほど大切な人はいないし、ルーほど興味を掻き立てられる人もいない。
基本的に、俺は人が嫌いだ。その自覚はある。そもそもの始まりは、前世で弟たちの面倒を見たことだ。オヤジたちに大丈夫だと言った手前、途中で投げ出すことはオヤジたちを失望させることのように思えた。結果、泣き喚く弟妹達を辛抱強く宥め、何とか彼らの言い分に耳を傾け、解決策を見出してやった。
彼らが幼い頃は、散々迷惑をかけられたが、それなりに大きくなってからは、徐々に聞き分けが良くなり、率先して家のことも分担してくれるようになった。だから、弟妹たちが人嫌いの原因だった訳ではない。ただ、我慢することを良しとしてしまったのだ。
学校に入り、クラスメイトたちに勉強が分からないと頼られれば教えてやり、逆上がりが出来ないと泣きつかれれば放課後、残って練習につきあってやった。先生に頼み込まれて女子たちとフォークダンスを踊ったし、学級委員長でもなんでもやった。
その度に、相手は笑顔になっていったが、俺には疲労感しか残らなかった。よく人を笑顔にできれば苦労が報われるとか聞いた気がするけれど、報われたことなど一度もなかった。小学校も、中学校も、高校も、大学でさえも。
当時は、何故だか分からなかった。人助けに見返りを求める自分がいけないのか、と悩んだこともあった。だが、今なら分かる。俺は助けるばかりで、助けられたことがなかった。多くの人間が、困ったことがあると俺に助けを求めるが、助けられると笑顔で礼を述べ、そのまま去っていった。
それが、何度も何度も繰り返されると、自分が彼らに利用されているだけなのでは、と疑心暗鬼が生まれる。それなら、頼みごとを全て断ったら楽になるだろうと思っても、目の前で苦労している相手を見ているのに助けない自分が人非人に思え、自責の念が生まれてしまう。
二十数年、そんなことの繰り返しだった。やがて社会人になり、ゲームの世界を見つけ、仲間たちと出会ってからは、状況が変わった。動機が『頼まれたから』から『好きだから』に変わったのだ。ひたすら好きな世界に没頭し、周囲には一切目を向けなかった。ある意味で、ニートだったと思う。
その頃、俺はあいつに出会ったのだ。あいつもゲームの世界に没頭していたが、俺は作る側、あいつは使う側だった。ゲームを買い、グッズを買い、しまいには、大金をつぎ込み、自作の服を作ったり、あまつさえイベント会場を借り切り茶会や夜会を催してしまうほどだ。
あいつは、ゲームの世界に執着しているようで、実は何も執着していなかった。人から乞われれば限定グッズを譲ったり、ただで服を作ってやったり、茶会のセットをあげたり、何でもしてやっていた。その姿は、かつての自分を思い出し、最初は、あいつを見るたびイラついた。
ある日、とうとう、お前は利用されているだけなのが分からないのかと怒鳴りつけたことがあった。あいつは、きょとんとして、首を傾げた後、ああ、と言って笑った。
「あのね、私は彼女たちに頼まれたからやっている訳じゃないの。私がしてあげたいと思ったからやってるだけなのよ」と。
そして、心配してくれてありがとうと頭を下げて、また笑った。その笑顔を見た時、それまでの俺の人生が全て報われた気がした。たった一つの笑顔で報われた瞬間だった。それから俺の世界は少し変わった。『俺が好きだから』から『あいつが好きだから』に。
あいつが、これが良いと言えば、何でもその通りにした。その結果が、ゲームの世界的ヒットだった。あいつは、願いを何でも叶えてくれて魔法使いのようだと俺を絶賛したが、俺の方こそ、彼女の考える奇想天外な話に引き込まれて、どんどん夢中になっていった。
俺の仲間たちも、彼女を気に入り、目の前の世界がみるみる広がっていく様に魅せられていった。
「そうだな、だからルーの周りには人が集まるんだ。世界が広いのだと教えてくれるから」
俺だけじゃない。俺の仲間も、バラッドも、オヤジたちも、タラやクシュナ、屋敷の者たち、そして、アンドラ・シッタールも。こんな時、自分の矮小さを見せつけられるようで、つくづく自分に呆れ果ててしまう。こんな情けない自分がルーの隣にいる権利などないのだ。
「イラジャール様、起きていらっしゃいますか?」
扉の外から、久しぶりに聞くバラッドの声がした。バラッドは、本家の護衛をしている筈なのに、どうして学生寮にいるのか?束の間、訝しがったが、もしかしてオヤジやオフクロに何かあったのかもしれない。直ぐに入るよう許可を出す。
だが、入って来たのは、今、一番会いたくない相手、アンドラ・シッタールだった。直ぐ様、叩きだそうと思ったが、それより早くシッタールが口を開く。
「どうか落ち着いてくれないか。バラッドは、私のかつての弟子でね。無理に頼みを聞いて貰ったんだ」
弟子って、どう見てもバラッドの方が20は年上だろうと思っていると、疑問が顔に出ていたのか、シッタールは、あっさりと前世の話だと肩を竦めた。
「ここに来たのは、……君が私に口止めした件をどうしても君に伝えたかったのだ。誰にも、バラッドにも聞かれずにね」
正直、聞きたくなかった。こいつが知っていて、俺が知らないルーの話など。しかし、シッタールはどうしても話す気のようで、勧めもしないのに椅子をベッドの脇に持ってきて座った。
「解除」
「……ああ、ありがとう。その力のことはバラッドから聞いているよ。厄介なことだね」
「別に大したことありません」
教師だが、俺の敵かどうかも分からないうちは、どんな些細な弱みも見せたくなかった。シッタールは、特に何も述べず、本題へ入った。
「私はね、前世であの子の弁護士をしていたんだ」
俺は思わず、驚きに目を見開いた。あいつは、弁護士の先生が親同然に面倒を見てくれたから、まともになれたと言っていた。
「親同然というのは過大評価だね。でもまあ、一番近くであの子を見ていた、とは言えるかな。初めてあの子に会った時、人というのは、ここまで酷いことが出来るのかと驚いたものだ。ああ、酷いと言うのは、彼女の両親や使用人たちのことだよ」
私が、あの子に初めて会ったのは、病院の個室だった。漸く面会謝絶が解かれ、私はあの子に両親の死をどうやって伝えれば良いのか悩みながら病室の扉を開けたのだが、悩む必要などなかったのだと知った。
あの子は、包帯でぐるぐる巻きにされてベッドに寝かされていたが、テレビを見て笑っていたんだ。かっとなって、彼女の手にしていたテレビのリモコンを取り上げ、親が死んで悲しくないのかと責めた。けれど、彼女は、不思議そうに私を見るだけだった。
その時、心配した看護師が入って来て、私に告げた。曰く、彼女は言葉を知らないのだと。両親にも使用人にも話しかけられずに育ってきたから、人と会話することが出来ず、知能の発達が著しく遅れているのだと。
現代社会においてそんな馬鹿なことがありうるのかと驚愕したよ。でも、テレビを見ているあの子を観察していると、聴覚、視覚は問題なく、簡単な単語は理解しているようだった。試しに、持ってきたお見舞いのフルーツ籠からリンゴを取り出し「リンゴ」といって渡すと、あの子は、その赤い物体がリンゴだと理解していた。
まだ間に合うと確信した私は、彼女に言語治療の教師をつけた。あの子は、知能に問題がなく、教えたことは水を吸うスポンジのように吸収していき、直ぐに年相応の知力を身に着けた。だが、外には出たがらず、知らない人や彼女の親戚が近づくだけでも拒絶反応を見せた。
あまりの怯え様に周辺を探ると、親戚連中が、私の不在時にあの子の元へ現れては、人殺しだの親不孝だのと罵り、自分たちに遺産を寄こせと迫っていたらしい。あまりの酷さに、私が引き取ることも考えたが、管財人が保護者になるのは倫理上の問題が生じてしまう。かといって、通常の生活が送れるかどうか分からない彼女にとって、貴重な財産を手放すのも得策ではない。
結局、彼女の母方の祖父が無関心だったので、世間体を盾に名義だけ保護者になるよう説得した。それから使用人も一掃し、あの子に愛情を注げる人たちを雇い入れた。学校へ通わせることは諦めるしかなかった。あの子にとって外界は怖い所でしかなく、家の敷地から一歩出るだけでも過呼吸に陥り、物理的に無理だったのだ。
代わりに、家庭教師を雇い、学校に通わなくても同等の知識を持たせた。正直、一生家の中でみんなに愛されて生きていけば良いと思う反面、外の世界には、辛いこともあるけれど、それ以上に美しい景色や素敵な出会いがあることを教えなくても良いのかと悩んだ。
そんな風に私が何年も何年も悩んだのに、たった1本のゲームがあの子の世界を変えてしまったんだよ。その時の驚きと、嬉しさと、そして、ちょっぴりの嫉妬。ああ、そうだ。君に嫉妬したね。まるで大切に育てた娘を見知らぬ男に取られてしまったようだったよ。
弁護士という職業柄、君のことも全て調べさせてもらったが、良いご両親に育てられ、良い仲間や仕事に恵まれている。それはつまり、君自身が誠実で真面目な男ということだ。娘を取られるくやしさが半分、残りの半分は、娘がやっと幸せになれるという嬉しさだった。
その後のマスコミ等の不愉快な騒動は、今はもう大したことではないよね。それに、あの事故。あの子は、君に全てを打ち明け、受け入れてもらうつもりで出かけた矢先の不幸だった。君のせいではないし、勿論、あの子が君を恨んでいたなど絶対にない。
私はね、君たちに幸せになって欲しいんだよ。あの子と君の2人に。ただ、あの子はまだ、全てを思い出していない。思い出さなくても良いとも思うけれど、もしも思い出してしまったら、またあの時のように怖気づいて君から逃げ出してしまうかもしれない。君を傷つけるようなことをしてしまうかもしれない。
けれど、今度は君がちゃんとあの子を捕まえていて欲しいんだ。君には辛いことかもしれないけれど、あの子はちゃんと君を愛している。君じゃないとダメなんだよ。だから、二度と同じ過ちは繰り返さないで欲しい。
そう言ってから彼は教師の顔に戻り、明日はちゃんと最後まで授業を受けなさいと言って帰っていった。俺は、頭をガーッと掻きむしってベッドの上でのたうち回った。
「あ~あ、俺ってホントに未熟だな。だが、それが今の俺だ。来年のルーのデビュタントまでに、ルーが頼れる男になってりゃいいんだろ、くそっ、やってやんよぉっ!」
オヤジが言っていた、『弟』という意味がやっと実感できた。そりゃそうだ、ちょっと離れただけで、直ぐに姉の名を呼んで泣き出してたら、スカートを掴んで離さない弟と一緒だ。そんなガキをルーが男として見る筈がない。
俺は、ルーがいなくてもちゃんとやっていけると証明しなくてはならない。それが出来て初めて、男としてのスタートラインに立てる。ルーを守るだの他の男に渡さないだの偉そうに言うのは、それからの話なんだ。
よし、頑張るぞっ!!
という意気込みも新たに学園へ登校すると、即座に職員室へ呼び出された。そして、ミスターシッタールに声をかけられる。
「昨日は、突然、体調が悪くなって早退したけれど、もう大丈夫なのか?」
「はい。ご心配をおかけいたしました」
シッタールは、謎めいた笑みをにっこり浮かべ、手にしていた資料を手渡してきた。
「良かったよ。では君、さっそく私が顧問をしている風紀委員へ入り、取り締まり活動をしてくれたまえ。詳細は、この資料に書いてある。では、下がっていいよ」
「……はい」
やられた!と思ったけれど、もう不思議と疲れは感じなかった。ミスターシッタールを信用していたし、俺は、自分が成長するためにやりたいからやるんだという気持ちが生まれていたから。