婚約者
ちょこっとだけ表記を修正、内容に変更ありません。
「ちょっとそこの貴方、このクラスにイラジャール・ナトゥランは、いるかしら?」
甲高い声が廊下で響き渡り、厄介ごとが近づいているのが分かった。名指しされた男子生徒は、びくびくしながらも、「はいっ!いらっしゃられます」とか変な回答をして教室へ入って来た。俺と目が合うと、助けてくれ~と口パクで要請してくる。
はあ、とため息を吐いて廊下へ出ると、そこには、深紅の髪をたなびかせた女生徒が立っていた。ムカつくことに、俺より背が高い。間違いなく上級生……だとすれば俺を呼び捨てにする人物が絞られるというもの。
「貴方が、イラジャール・ナトゥランかしら?」
「そうだが?」
女は上から下までじろじろ一瞥した後、名乗った。
「私は、サワーブ・ジャイダル公爵が二子、イーシャ・ジャイダルですわ」
「それで?」
挨拶すらしない俺にカチンときたのだろう。だが、俺の名を知っているのだから今更、自己紹介もないし、これから宜しくなることもないだろうから、とっとと用件済ませて帰って欲しい。ジャイダルも、こちらが下手に出る様子がないと分かったのだろう。くいっと眉を吊り上げ、嘲るような口調になった。
「今、この学園で流行っている噂をご存知かしら?」
「それが?」
「私、大変に迷惑を被っておりますの。責任をとって下さいな?」
この女、噂を承知の上で、衆人環視の中、責任問題を問うとはありえない。というか、騒ぎを逆手にとって俺を困らせるつもりか?
「どう責任を取れば良いんだ?」
「はっきり仰って下されば良いのですわ。誤解のないように」
「では、はっきり言おう。私の婚約者は、貴殿より数段可愛らしい人だとな」
「イーシャ様に対して何という無礼なことをっ!!」
彼女の後ろに控えていた令嬢たちが口々に文句を言う。だが、はっきり言えと言われたから、はっきり口にしたまでだ。それに、その方が誤解しようがないほど明確だろう。
俺の元にも、彼女が言う噂の内容が届いている。曰く、俺の婚約者は『伯爵令嬢より遥かに上位の貴族』というもの。俺自身が言った言葉だから間違いはないが、今現在、俺より上位貴族で年頃の未婚令嬢がいる家は多くない。というか、はっきりいって一番の候補は、目の前のイーシャ・ジャイダル公爵令嬢しかいない。後は、ずっと年上の未亡人と、生まれて数年だかの幼児だけだ。
勿論、ルーがゴーハルバク侯爵の養女として社交界にデビューすれば、瞬く間に俺の婚約者だと知れ渡るだろうが、それまでは出来るだけ伏せておきたい。だから、噂がたっても知らんふりしていたのだが、向こうから乗り込んでくるとはな。
取り巻きが口々に文句をいう中、当の本人だけは、にこりと微笑んで、ぱさりと手にしていた扇を広げた。扇というより、ハリセンみたいな気もするが、気のせいだろう。恐らく。
「結構ですわ。皆様、聞きまして?私も、年下男性を愛でる趣味はございませんの。貴方の婚約者と違って、ね」
最後のセリフは、声を落として俺にだけ聞こえるように呟く。流石に、ジャイダル家だ。情報が早いな。公爵令嬢一行は、そのまま高笑いしながら帰っていった。
俺は、やれやれと安堵したが、後に甘かったのだと知る。何故なら、デビュタントの時にルーと邂逅を持ち、王妃を抱き込んで仲良くなり、挙句、結婚式やら何やら、事あるごとに首を突っ込んでくるようになるのだから。ふん。
「何か女帝って感じだな。彼女」
「お前でも無理か、ウパニ?」
「う~ん、もうちょっと可愛い子が良いなぁ」
後ろで成り行きを見守っていたウパニと、タンクことチャンダム・ハミニ侯爵令息が声をかけあう。ゲームのイーシャ・ジャイダルは、俺たちと同じ歳で王太子の婚約者だった。だが、今やもう殆どがゲームと異なるのだから驚くこともないだろう。
「いずれにせよ、これで婚約者騒動は落ち着くだろ」
チャンダムの言葉通り、それから暫くは平穏な日々が続いた。俺的には、だが。
「次っ!」
「はっ、はいっ!」
返事と共に前へ進み出た男子生徒は、へっぴり腰のまま、あっという間に剣を弾き飛ばされた。今は、剣術の授業で、アンドラ・シッタールが生徒たちの実力を知りたいと、自ら練習相手となって剣をふるっていた。だが、殆どの生徒は、基礎がなっていないのだろう。一振り、二振りで剣を弾かれている。
しかも、シッタールは、攻略対象者だけあって顔が良い上、ロングコートを身にまとい、裾を翻しながら剣をふるう姿に、女子生徒たちからうっとりした吐息が漏れる。既に女子たちは立ち合いが終わっている。辛うじてシッタールの剣が受け止められたのは、モナとリリー、じゃなかった、サラティぐらいだろう。それでも、受けるのが精いっぱいで、直ぐに弾かれてしまったぐらいだ。
サラティは、ウドゥオール伯爵の第一子で、武家ではないものの、それでも一代に数人は騎士団に入るほどの実力がある家柄だった。この教師は宣言通り、女子にも手加減をしないつもりらしい。
ゲームのキャラと比べるつもりはないが、シッタールは、予想外に強かった。一見するとストレートの長髪を後ろで一つにまとめ、穏やかそうに見えるのだが、剣を持つと人が変わると言うか、剣技そのものがどうこうというより気合が違う気がする。
まともに剣を握ったことのない奴より、寧ろ、そこそこ剣技を習っていたヤツの方が、その恐ろしさが分かるだろう。男子生徒では、俺の仲間だったブレイズババールこと、カーレ・カヴ子爵令息、ギルグルディブクこと、ジェグ・トゥエハル子爵令息が、そうそうに負かされている。
まあ、2人とも武力でやっつけるタイプではなく、頭脳プレーヤーなので剣技で負けても肩を竦めるだけだった。寧ろ、ウパニ、チャンダム、そして俺自身が、ヤバいだろう。段々と出番が近づいて来る中、握りしめた拳にじっとりと汗をかいている。
「次っ!」
「はいっ!」
チャンダムが、肩を回しながら立ち上がった。ハミニ侯爵家は、歴代の将軍も務める家柄だ。はっきりと聞いたことはないが、それでも手の剣だこや腕の筋肉からかなりの研鑽を積んだと知れる。
チャンダムの構えは、将軍家だけあって、やはり宮廷剣技が基本となっている。だが、馬力があれば、宮廷剣技といえどバカには出来ない。難なくとは言えないが、それでも危なげなくシッタールの剣を受け止める。シッタールも、片眉を感心するような表情をする。
それからの攻防は、凄まじかった。チャンダムが受け止めれば受け止めるほど、繰り出す剣が早くなり、チャンダムが攻撃する隙すら与えず、剣を弾き飛ばした。男子からは、ああ~と残念そうな声が漏れる。とはいえ、今までで一番、試合が続いた功労者に、思わず拍手が沸き起こった。
「次は俺か。くそっ、やりにくいな~」
ウパニの得意技は、正攻法の剣術よりも剣を目くらましに使う暗器だ。それが使えれば活路を見いだせるが、先ほどの速さだと難しいだろう。
「うわっ!それ、ちょっ、ひどっ!」
「何が酷い?早く逃げないと、全部落としてしまうぞ、そらそら!」
開始早々、シッタールの剣は、ウパニの袖や裾を集中的に狙い、的確に暗器を弾き飛ばしていく。ウパニ制服は穴だらけになり、地面にはぼろぼろと小手やらナイフやらが落ちていく。あいつ、どんだけ暗器を隠し持っているんだ?
しまいに、全ての暗器を落とされたのか、ウパニが降参と手を挙げた。だが、シッタールは容赦しない。
「まだ手に武器があるだろう。武器があるうちは諦めるな」
「くそ、しつけーよ」
呟きながら、ウパニは剣を大上段に構え、突撃していく。破れかぶれのような技に、シッタールが鮮やかに剣を弾き飛ばす。が、気付けばシッタールの頬に血が滲んでいた。剣を振りかぶった時、襟の後ろから小手を取り出し、振りかぶると同時に投げていたのだ。
シッタールも剣を弾いた時、気付いてはいただろうが、避けきれなかったようだ。男子からは、おお~とどよめきが沸き起こる。ウパニは、してやったりと片笑む。
「一応、これは暗器の授業ではなく、剣技なのだがな。まあ、初日だし、大目に見てやろう」
さっと血をぬぐうと、肩を竦め、次と声がかかる。最後、俺の番だが、シッタールも30人以上相手にしてきて、流石に息が上がっているようだ。
「ミスターシッタール、少し休憩しませんか?お疲れでしょう」
「ほう、大層な余裕だな。ナトゥラン」
「余裕なんかありませんよ、全然。ただ、疲れた相手と戦うより、万全の態勢で臨む相手と戦う方が面白いですからね」
自分でも、言いながら壊れているなと思う。幼い頃から何度も死線を潜ったせいか、怖いという感覚が麻痺している気がする。いや、違った。ルーを失うことだけは怖い。彼女の笑った笑顔が浮かび、ふっと笑みが浮かぶ。
「これから試合だと言うのに、お前は笑うのか……まあ、良い。私も自分の体力の限界は知っている。お前らのような小僧っこを相手にして休憩を取らせてもらう方が名折れだ。いくぞ」
今まで、ほぼ、その場を動かなかったシッタールが突進してきた。俺の周囲にいた生徒たちが恐怖で固まる中、俺も前へと向かっていく。と、派手な金属音がぶつかり、両者の剣が鍔迫り合う。
なんて、一見格好良く聞こえるが、如何せん、俺の方が背が低い。暫くは受けに専念して、相手の隙を伺う。シッタールの剣は、早い。だが、軽い。それは、疲れから来る軽さなのか、元々の筋力のせいで重みがないのか。
俺がずっと師事していたバラッドは、早い上に重い。あの筋肉で、どうしてあの速さが出るのか。いつも化け物だと思う。とはいえ、今の俺も13歳の成長途中で剣に重さはない。ただ、その背の低さが利点にもなる。
通常、大人同士であれば剣で狙う先は、相手の上半身、つまり手や銅、頭となるが、成長途中の俺は、背が低い。あくまで、成長途中だから低いのだと強調しておくが、それ故に相手の無防備な下半身を攻撃することが出来る。
疲れからか、シッタールの攻撃に隙が見え始める。そこを一気に攻める。シッタールも、足元を攻撃されていると知り、剣先を下に降ろすが、それこそが俺の狙い目だった。がら空きになった心臓めがけて剣を繰り出し、服に当たる手前で止める。
「参った」
「こちらこそ」
俺の腹に、かすかに金属が当たる気配がしている。つまり、全力で心臓を狙っている時、ミスターシッタールの剣は俺の腹を狙っていたということだ。まあ、腹を裂かれたぐらいで俺が止まることはないだろうから、俺も相手の心臓を貫いて相打ちといったところか。
良い勝負だったと握手を交わし、生徒たちが座る場所へ向かうが、俺たちが近づくにつれ、生徒たちが恐怖に打ち震えていた。おや?これは、どうしたことか?
「あのね、あんたたち、その殺気は、まともじゃないわよ!普通の授業で、毎回、そんな殺気を出されたんじゃ、こっちの身が持ちませんからねっ!」
いち早く立ち直ったモナが、苦情を言う。言われてみれば、俺もシッタールも、気付けば本気を出していたかもしれない。全く無意識だった、というか、バラッドとの授業だと、これが当たり前だったから気にも留めてなかった。だって、俺の剣技は、趣味でもあるが、同時に生きるための術でもあったから。
「「悪かった。今後は気を付ける」」
俺とシッタールが同時に頭を下げた。その仕草が、全く同じだったとモナとウパニが爆笑し、やがて他の生徒たちの緊張もほどけていった。
その爆笑の最中、シッタールは俺の耳元で囁いた。
「君は、強くなったね。今度こそ、ちゃんと『あの子』を任せられそうだ」
くそ、こいつもルーの崇拝者かよ。道理で、最初から殺気を飛ばしてくると思った。全くどいつもこいつも、ムカつくぜ。
「あんたに言われるまでもねえ。いいか、あいつのことは二度と口に出すな」
思わず、言葉に力を乗せる。シッタールも、異変を感じ取ったのだろう。眉を顰めるが、言葉は紡げなかった。俺は、そのまま踵を返し、独り、その場を立ち去った。