甘えん坊と従者
誤字・脱字を訂正。内容に変更ありません。
「(イラジャ―ル様、今日は連れて来てくださってありがとうございました)」
「気にしないで良いよ。ぼくも畑が見られて面白かったし」
公爵家へ帰る道中、馬車の中でルーがぺこりと頭を下げる。だが、礼を言われる筋合いはない。俺のせいでハウスの子供たちが人さらいに目をつけられたんだからな。
「(チャドとも仲良くなったんですか?)」
「ううん。畑を案内してもらっただけ」
どうしてだか、話が続かない。いつもは楽しいルーとの会話なのに。ルーの視線が、不安げに揺れている。それが、分かってるのに、ルーが心配しないよう、もっと明るく話さなくちゃダメだって分かっているのに、気持ちが鉛みたいに沈んで浮き上がらない。
その時、ルーが俺の手に触れ、クズの感触を思い出し、反射的に振り払ってしまった。
「あっ、ごめんっ!ルー、ちょっと考えごとしてて、急に触られたから、びっくりしたの。それだけだから!」
「(こっちこそ、びっくりさせてごめんなさい。え、と。邪魔にならないよう、もうちょっと離れた方が良いですか?)」
すっと距離を取ろうとしたルーの腕を咄嗟に掴んで、握りしめた。
「もう大丈夫だから。離れて行かないで」
「(……分かりました。じゃあ、もうちょっと近づいても良いですか?)」
うん、と頷くと、ルーは横にぴったりとくっついてきた。腕と腕が触れ合っているところから、温もりが、じんわりと伝わってくる。その温かさは、ルーが怪我一つなく、ちゃんと息をして、俺の傍にいるということだ。安堵から、ほっと息を吐いた。
「(私、子供たちにハウスに戻って欲しいって言われた時、咄嗟に、イヤだって思ったんです。イラジャール様たちと離れたくないって)」
「ほんと?」
「(ええ、本当です。酷いですよね、何年も一緒に頑張って生きてきた仲間を見捨てるなんて)」
あの時、ルーは、声が出ない自分が戻っても迷惑をかけるから、本当は戻りたいけど戻らないのだという感じで話していた。けど、ちょっとでも俺たちと一緒にいたいと望んでくれていた?
「(共同ハウスにいた時、私がみんなを守ってました。あ、私、おっちょこちょいだから、守ってるなんて偉そうに言って、本当は迷惑をかけていただけかもしれないけど、でも、どうやったらお金を稼げるだろう、どうやったらみんながお腹いっぱい暮らせるだろう、雨露をしのげるだろうって、毎日毎日、そればっかり考えてました)」
「うん、ルー、よく頑張ったね」
思わず、自分からルーの手を握っていた。少しでも俺の想いが伝われば良いと。ルーもぎゅっと握り返してくれた。
「(でも、公爵家に来てからは、毎日、美味しいものが食べられて、暖かいベッドで眠れて、生活のことを考えなくても良くなって、おまけに、イラジャ―ル様と一緒に勉強までさせて貰って、この世界のことが色々分かって、そうしたら、どんどんやりたいことが増えてきて……)」
「うん、うん。ルーのやりたいこと、これから全部やろう!」
ルーの夢は全部叶えてやりたい。今まで苦労した分も、もっともっと楽しんで欲しい。それが、俺の希望だから。でも、ルーは、目を丸くして、そして、仕方ないなぁというように笑う。
「(もうっ、甘やかさないで下さい。私、公爵家でみんなから甘やかされて、ダメになっちゃいますよ。あ~つまりですね、共同ハウスにいた頃は、みんなを守ってばっかりで誰にも頼れなかったんです。自分が何とかしなくちゃ、自分が頑張らなきゃみんなに迷惑をかけちゃうって不安ばっかりで。毎日、毎日、怖かったんです)」
「うん、うん」
ルーの目に涙が浮かび、背の低い俺は、ルーの膝によじ登って袖で涙を拭いてやった。ルーが、落ちないよう俺の背中を抱いてくれる。それとも、ぬいぐるみように温もりを感じたかったのかもしれない。幼児は体温が高いからな。
「(公爵家では、公爵様や奥様はとっても頼りになるし、イラジャ―ル様にもいつも助けて貰ってる。だから、もう怖くないんです。毎日がとっても楽しくて……とっても幸せです)」
ルーの言葉に、不覚にも涙が浮かんだ。ルーは気付ているのか気付いていないのか、ぎゅっと俺を抱きしめる。
「(だから、イラジャ―ル様にも頼って欲しい。私、イラジャ―ル様より年上だけど、何にも知らないし、全然頼りにならないだろうけど、でも、イラジャール様が独りで頑張って、怖い思いをしている時、黙って見ていたくないの。勿論、私に言えないことも沢山あるだろうから、そういうのは言わなくて良いよ?多分、聞いても分からないだろうしね。……でも、辛さや痛みは分けて欲しい。一緒に背負いたいよ)」
ルーの言葉を聞くために、ずっとルーの唇を見ていたが、どんどんぼやけてきて、しまいには見えなくなった。代わりに、俺の頬を熱い雫が流れ落ちていく。ルーは、今度は優しく俺を抱きしめ、とんとん、とんと不器用なリズムで背中を叩く。
止めろ。好きな女の腕の中で泣くなんて、カッコ悪いだろ。フツーは、男の腕の中で女が泣くもんだろ。俺、カッコつかないじゃん。と、心の中で思うのに、何故だか、その度に大丈夫、大丈夫とタイミングよく言われて、心の決壊が総崩れとなり、タガが外れたように泣き喚いた。
俺は、そのまま泣きつかれて眠ってしまったらしい。気が付いたら、翌朝で、ルーのベッドの中で、ルーにしがみついていた。
「(おはようございます。イラジャ―ル様、よく眠れましたか?)」
「うっ、あっ、あうっ、ぉぁょぅ」
昨日の醜態が脳裏によみがえり、小さな声でおはようと言った後は、恥ずかしさでシーツに潜り込んでしまった俺だった。いいんだ、俺、まだ子供だからな。ふん。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
私は、あの男が大嫌いだった。
世界中で大ヒットしたゲーム制作者で、大金持ち。加えて、顔もスタイルもモデル並みで、毎月、どこかの雑誌の表紙を飾っていた。あの男の特集記事が出る度、街中でポスターがべたべた貼られ、嫌でもあの男の笑顔や澄ました顔が目に飛び込んでくる。
個人的に話したことはない。私にゲーム関係者の伝手はないし、今や雲の上の人物だから。だが、どうせ、ゲームが偶然ヒットして、顔が良いからちやほやされているだけで、直ぐに落ち目になって世間から忘れ去られるだろうと思っていた。
自分が面白いと思ったゲームに、悉く、あの男が携わっている事実は無視して。
やがて、あの男の公私ともにパートナーをつとめていた恋人について、週刊誌が騒ぎ立てた。私は、ゲームを通じて、彼女と知り合いになり、その人となりを知っていたから酷いことをすると思っていた。それが、原因だったのか良く分からないが、彼女が突然、事故にあって亡くなった。
すると、あの男も彼女の後を追うように亡くなったとニュースが流れ、自分でも驚くほどショックを受けた。と思ったら、この世界で、別人になっていた。バラッド・ナーレンデル子爵という人物に。
パニックが落ち着くと、徐々に色々思い出してきた。そうだ、ゲームの記憶が切り離され、新しい世界、つまりゲームの世界がリアルに構築された。それで、私は、代々、ナトゥラン公爵家の護衛を務めるナーレンデル子爵に転生したのだった。
彼女がいつも憂いていたナトゥラン公爵夫人の暗殺を阻止したかったから。そして、事件当日、無事に暗殺を防ぐことが出来た私は、新たな事実に衝撃を受けていた。
まさか、イラジャール・ナトゥランが、あの男の転生した姿だったとは。まあ、よくよく考えれば、あの男の彼女への執着は、転生しても一緒にありたいと思うほどの強さだったのだろう。ストーカーと紙一重の行動に狂気を感じる。しかも、世界の管理者として、この世界では絶対の力を持っているのだ。
万が一、彼女が現れ、イラジャールに無体をされたら命を挺してでも守ろうと誓う。
それから、公爵に命を受け、私は彼女の捜索に当たった。もしも彼女が前世のままだったら、ただの浮浪児ではないだろう。彼女の放つ光に魅せられ、周りには、いつも人が集まっていたから。そうだな、彼女こそ、本当の意味でのカリスマというやつなんだろう。
案の定、彼女は直ぐに見つかった。浮浪児たちを集めて聖歌隊を作り、収入を得ていた。しかも、自らの髪と瞳を隠し、視界の自由を犠牲にしてまで。
私は直ぐに公爵へ報告したところ、一家で彼女を見に行くと言う。一瞬、暗殺者を危惧したが、上手くいけば暗殺者をおびき寄せ、一気に退治することも可能と判断し、計画を練った。想定外だったのは、暗殺者に気付いた彼女が人殺しだと叫んだこと、彼女のそばにも暗殺者の仲間がいたことだった。
彼女が斬られた時、私は最後の暗殺者を手にかけていた。だが、あまりの遠さに近づけない。命を賭しても助けると誓ったのに、何も出来ない無力な自分。と、その時、「とまれっ!」と叫ぶ声が聞こえ、全身が金縛りにあったように動かなくなった。
ただ、公爵夫人とイラジャールだけが動け、ステージへと近づいていく。彼女の元へ辿り着いた夫人は直ぐさま、倒れている彼女の手当てを始め、イラジャールはただ茫然と突っ立っていた。やがて、イラジャールはふらふらと暗殺者の男へ近づき、足に手をかけた。
すると、奇妙なことに男が、手にした剣を自らに突き刺し、自害した。体に剣を突き立てる度、血がイラジャ―ルに降り注ぐが、彼は身動ぎ一つしなかった。そして、公爵が息子を止め、抱き上げ、その場にいた群衆の硬直が解けた。
自由に動けるようになった人々は、血まみれの惨劇に悲鳴を上げて逃げ惑うが、誰一人、金縛りにあったことは覚えていないようだった。
それから、公爵が近づいてきて、馬車を手配するよう命じた。夫人は、彼女を連れて公爵家の馬車で病院へ向かったので、新たな馬車がいるのだと。直ぐに、近くの馬車屋へ向かい、一番上等な馬車を借りる。広場へ戻ると操作に駆けつけた軍隊が仕切っており、公爵も事情聴取を受けていた。
だが、私が馬車を手配して戻る姿を認めると、直ぐに話を切り上げ、近づいてきた。私の配下の者に公爵家へ向かうよう伝え、私にも馬車へ乗り込むよう命じる。馬車の扉を閉めた途端、イラジャールが小さく「消去」と呟くと、私たちの体に散っていた血飛沫が綺麗さっぱり消えてなくなった。
借り物の馬車だから汚さなくて助かったよ、と公爵は息子に礼を言うが、イラジャールは無反応のままだった。公爵は、息子の奇妙な様子に肩を竦めて、いつものことだからと苦笑した。
「この子はね、前世でも私たちの子供だったんだ。5人兄弟の長男で、初めての子だと言うのに手間のかからない、とても優秀な子だった。だから、私たちも安心してしまったんだね。息子が大丈夫だと言うから、甘えて私も妻も自分の仕事に打ち込んだ。と言ってもしがない公務員と看護師だったから、2人で一生懸命働いても5人の子供を養うのは大変だったけどね」
そういって、公爵は昔話を始めた。曰く、気が付いたら、周りの面倒ごとを引き受け、文句ひとつ言わないでさくさく処理していく息子になっていたのだと。そして、直ぐに親の手を離れ、あっという間に近寄れない有名人になっていたのだと。
「けれど、有名になったからと親兄弟を蔑ろにした訳じゃないよ。寧ろ、新しい家をプレゼントしてくれたり、留学を希望する弟や音楽学校に入りたいと望む妹を援助したり、下の子供たちにとって下手すると親より頼れる兄だったのかもしれないね」
寂しそうな、でも誇らしげに笑う公爵は、良い父親だったのだろう。無表情で抱かれている息子を優しく撫でる今と同じに。
「まあ、こんな頼りない親だから、余計に息子は頑張ったんだろう。全てを自分独りで背負い込んでしまうほどにね。能力があるから何でも出来てしまう。すると、周りは助けを求めて頼る。頼られれば頑張ってしまう。頑張れば出来てしまう。すると、余計に周りが頼ってくるという悪循環だった」
端から見ていて、次第に息子の背負う荷物が重くなっていくのが分かっていても、ただ見ているだけで止める術などなかった。だから、彼女が現れて、息子の荷物を軽くしてくれた時、とても嬉しく思ったんだ。
でも、神様は残酷だよね。息子のたった1つの希望を取り上げてしまったんだ。本当に息子にとっては彼女だけが生きる原動力だったんだろう。彼女を失ってから、生きることを止めてしまった、というか、出来なくなってしまった。
食べ物を受け付けず、お酒ばかり飲んで……自分では立ち直れないだろうと入院させても、衰弱する一方だった。挙句、君も知っての通り、呆気なく命を落として、でも、親バカとしては、これで息子も漸く解放されると思ったんだよ。それなのに、世界の管理者なんて一番の重荷を背負わされるとはね。
重荷、といった公爵の言葉を本当の意味で実感したのは、ついさっきだった。子供の人身売買の捜査をして、主犯である伯爵家に乗り込んだ時、この、まだ小さな世界の管理者は、顔面を蒼白にしながら、些細な事象も漏らす事なく指示を出した。精神感応で犯行の全てを自らの内に抱え込み、尋常じゃない苦痛を感じている筈なのに。
何とかしたいと思っても、私に出来る事は何もなかった。ああ、公爵も同じ気持ちだったんだろう。でも今、イラジャール様とルー様の2人を乗せた馬車の中から子供の悲痛な慟哭が聞こえた。御者が驚いて止まるが、俺は、そのまま止まっているように命じた。
イラジャ―ル様が、少しでも重荷を減らせるなら、少しくらい屋敷に到着するのが遅れたって構わない。その細やかな幸せを守るのが、私の仕事なのだから。
いつの間にか、世界で一番大嫌いだった男が、世界で一番大切な主人になっていたが、本当は自分でも分かっている。大嫌いだと思ったのは、自分が凄い奴だと認めた男から、存在すら知られなかった悔しさの裏返しなのだと。そう受け入れてしまえば、世界はすっきりと晴れやかだった。