お坊ちゃま
誤字・脱字、文章の変な所を修正しました。内容に変更はありません。
あいつが目覚めたと聞いて、家族全員であいつの寝ている部屋へと急いだ。
部屋の中の大きなベッドに、小さなあいつがちょこんと座っている。ここがどこだか分からないのだろう。あちこち見回していて、リスみたいだった。じっとこっちを見ているので目があった、と思ったが、オヤジを見ている。おいおい、シャヒール押しだったかもしれないが、中身はただのオッサンだぞ。
オヤジにも嫉妬するとは小さいなと自嘲ていると、今度はバッチリ目が合った。黒い髪と黒い瞳で、クロのいう通り、シーラのミニチュア版だった。でも、大人のシーラの豪胆さがなくなって、頼りなげな感じで、ちんまりしている。
かっ……可愛いかも。
「貴女が注意してくれたおかげで、私も主人も息子も事なきを得ました。本当に感謝しても、し尽くせませぬ。ありがとうございます」
ぶほっと噎せそうになった。オフクロがちゃんと公爵夫人らしく見える。驚いた。と思っていたら、あいつが、何か書くぞぶりを見せた。どうやら筆記用具が欲しいらしい。オフクロに伝えると、窓の傍に置かれていた机から紙と羽ペンを持ってきた。
それから、お袋と筆談しているようだった。何を書いているか見えないけれど、オフクロのことだから上手くやっているのだろう。あれよあれよと俺の遊び相手として公爵家に留まることとなった。最後に、オフクロがあいつの長い黒髪を撫でてやると、ぼろぼろと涙を零した。ただ、あいつはもう声が出せないから、泣き声が聞こえることもなく、ただ、空気を吸ったり吐いたりする音しか聞こえない。
その事実に、俺もオヤジもやり場のない怒りを感じた。
それから数日後、オヤジがマルカトランド子爵家から念書を捥ぎ取ってきた。その様子を隠れて見ていたクロは、興奮して一部始終を話して聞かせてくれた。
「そりゃ、もうすっげえええカッコよかったんだぜっ!最初、ルーのことを散々誉めちぎって、ヤツらが公爵家と繋がりを持てると期待した瞬間、二度と会わないよう、血縁関係も断絶するよう念書を書かせたんだ。その時の、あいつらの愕然とした顔っ!すっきりしたな~も~!」
なんか、話を聞いているうち、イラっとした。確かに俺は2歳児だ。中身が三十路男だろうが、見かけは2歳児だ。そんな幼児が中身も外身もオッサンのオヤジに勝てる訳もない。くそっ!何で俺、オヤジにまで嫉妬してんだよ。ふん!
まあ、いい。2歳児の俺は、2歳児にしか出来ないことが出来るからな。俺は、いつまでもオヤジを絶賛しているクロを放置して、ルーの部屋へと向かった。クッソ重たい扉を全身で押し開ける。と、突然軽くなった扉に驚きながらも見上げると、ルーがにこにこしながら立っていた。
「ありゅいてりゅ!」
驚く俺に、ルーの桜色した可愛い唇がぱくぱくと動いた。そして、声が出せないことを思い出したのだろう。がっくりと肩を落としてしまった。
「もっかいっ!」
もう一度言ってと催促すると、ルーは、今度はゆっくりと唇を動かした。『坊ちゃま』と言っているようだった。
「うっ、あっ、あ~……」
生れて初めて言われた言葉に、羞恥と戸惑いで顔が赤くなった。何しろ、この屋敷では言葉を紡げるようになった途端、赤ちゃん言葉だったが、文章を喋り始めていた俺だ。誰も子ども扱いすることなく、イラジャール、或いはイラジャ―ル様と呼ばれていた。
束の間、ルーにも普段通りに接するべきか迷ったが、咄嗟に、前世がバレたら?また悲しませて、逃げられるのでは?という不安が過った。
「イラジャ―ル、でいい、よ?」
2歳児ってどんな風に話すのか、見当もつかないが、とりあえず、可愛らしく小首を傾げてみた。ルーは、無意識だろうが、可愛いと呟き、鼻を抑える。そのポーズ、前世で良くやっていたよな。可愛いコスプレーヤーを見かけた時とか。
「ルーって呼んで、いい?」
「(はいっ!ぜひっ!これから宜しくお願いしますね!イラジャ―ル様っ!)」
「うん、よろちく」
ボスっとルーに抱き付いてみた。流石に4歳差だ。ちょっとぐらついたけど、しっかりと抱きしめてくれた。どうだ、これが2歳児の技だ。オヤジには出来まいて!……なんて、強がりを言ってみたが、勿論、分かっている。ルーにとって俺はただの弟、所詮は雇い主の坊ちゃんだってこと。
扉の向こうで立ち聞きして笑っている奴ら、そろそろ笑い止まないと減俸するぞ、という意思を込めて睨みつけると、蜘蛛の子を散らすように去っていった。ふん。今は弟かもしれないが、あと16年もすれば成人してルーと結婚できる。それまでの辛抱だ……16年って長いけどな。ふん。
ルーが我が家に来て、漸く生活にリズムが出来た頃、ルーの為に家庭教師を雇った。俺の為じゃない、ルーの為なのだが、正直に言うとルーは固辞するだろう。なので、表向きは俺の家庭教師で、遊び相手のルーも一緒に勉強するという形をとっている。
理由は、ルーが学園へ行かないからだ。俺は、13歳になったら全寮制の学園へ通う。仮にも、いや仮じゃないが、公爵家の跡取りだからな。だが、ルーは孤児だ。本当の出自は子爵家令嬢だが、絶縁しているので家がなく、孤児という扱いだ。
当初、オヤジもオフクロも、どこかの貴族の養女にして学園へ通うわせることを検討していたが、貴族の養女になるには、その家に実際に住んでいるか実態調査を1年ほど行う必要がある。13歳で学園へ入るためには、どんなに遅くても10歳になる前に養女とならなければならない。学園へ入学する手続きに時間がかかるからだ。
やっと出会えたルーを、ましてや声の出ない状態で知らない家に預けるのは、絶対に嫌だった。いずれ俺と結婚するために貴族籍を取らなければならないのは必至だが、それは、俺が成人するまでに取れば良いのでルーが成人してからでも問題ない。
そんなことを何度も話し合って、結局、家庭教師をつけることで収まった、のだが。
「ルー様、素晴らしいっ!満点ですっ!」
「(えへへへっ)」
おい、そこの家庭教師。テストを返却するのは良いが、そんなに長く手を握る必要あるのか?!
「イラジャ―ル様、1つ間違ってます。公爵家を継ぐのであれば、もっと頑張らなければなりませんね」
「……」
コイツ、俺とルーとで態度が違い過ぎないか?家庭教師ごときにイジメられても屁とも思わないが、普通は、雇い主の息子におべっか使うだろ?息子の遊び相手の使用人に媚びる必要、あるか?まさか、コイツ、ルー目当てなんじゃあ……なんてな。俺も考え過ぎかな。どいつもこいつもロリコンの変態って訳じゃないだろうし、うんうん。
なんて思っていたが、やっぱりルー目当ての変態だった。コイツ、俺がちょっと幼児の振りして昼寝をしていたら、今度の休みに王都を案内して欲しいとルーに頼んでいた。しかも、美味しいおやつを買って俺を喜ばせたいから誰にも内緒で出かけようと誘っている。
俺は、眠気も吹き飛んで起き上がり、家庭教師の男を追い出してやった。勿論、公爵家での一切合切を忘れるよう暗示をかけて、な。
「ルーッ!なんでOKするんだっ!明らかに怪しいだろ、今の遣り取りッ!」
「(え、そうかな?だって家庭教師の先生だよ?疑うなんて失礼じゃないかな?)」
ルーは訳が分からないと首を捻っている。くそ、こうなりゃ奥の手だ。
「ルーは、誰に仕えているの?」
「勿論、イラジャール様だよっ!」
ちょっと目をうるうるさせて、それから、嬉しそうに含羞む。ルーは、ちょっと恥ずかしそうな表情に燃えるらしい。ふ、ちゃんと習得済みだぜ。
「じゃあ、内緒話はメッ!でしょ?」
「(……!!!そっ、そうだねっ!駄目だよね!分かった!ちゃんと気をつけるから!)」
「約束だお」
こてんと首を傾げてみる。と、ルーは「(辛抱たまらん!)」と叫んで鼻を押さえ、全力で化粧室へ駆けていった。俺たちの護衛をしていたバラッドが、苦笑しながら近づいてきた。
「恥ずかしげもなく良くやりますね。イラジャ―ル様」
「恥ずかしいに決まってんだろっ!俺が素と違うことを気付かないの、あいつだけだぜ、まったく!」
けど、俺の羞恥心を投げ捨てることでルーが守れるなら何だってやるさ。そんな俺の意気込みを、バラッドが事も無げに叩き折る。
「そういえば、町の自警団団長から聞いた話ですが、ルー様は何度も攫われそうになったそうですよ。本人、全然気づいていないようですが」
「……どういう意味だ?」
話を聞けば、子供たちの住む家に、道に迷っただとか、落とし物を探して欲しいとか言って、見知らぬ大人がやってくるそうだ。声をかけるのは決まってルーだけ。まあ、ルーが子供たちを率いていたから当然と言えば当然だが、何度も続けば怪しいと思わざるを得ない。
当然、ルーは何の疑問も持たずに、相手に着いて行こうとする。それを見た他の子供たちが、仲間内の幼い子供が迷子になった!と叫んでルーの外出を阻止。みんなで迷子を捜すふりをしている間に、自警団が男たちを捕縛していたらしい。手順が確立するほど危機が多かったのかと、思わず遠い目になる。
ルーが来た頃、オフクロが孤児になって大変だったことはないかと聞いていたことがあった。その時、確かルーは、面倒を見ていた子供たちがしょっちゅう迷子になって大変だったと言っていた気がする。そうか。面倒を見ていたのは、他の子供たちの方だったのか。
「バラッド、今日からお前をルーの警備隊主任に任命する。誰でも、こき使って良いからしっかり警護しろよ」
「ありがたきお言葉ですが、責任重大ですな」
ルーが来てからこっち、彼女の起こす騒動に振り回され、いつの間にか、バラッド・ナーレンデルは同志になった。お互い、ルーには振り回されているけど、それがまた好いというダメダメ同盟の同志だ。しかも、コイツ、めちゃくちゃ強いんだ、これが。
言っておくが、ゲームの話じゃない。この世界でのリアルな強さだ。オヤジも強いと思うが、基本的に貴族が教わる宮廷剣技だ。式典や御前試合で見せるため、より華やかで、より優雅にという理念が主体になっている。バラッドの剣は、その宮廷剣技の華やかさや優雅さを削ぎ落とし、速さと強さを重点的に鍛えている。
何でも、前世で居合抜きをやっていたとか。だから、彼の剣も日本刀に近い形になっている。その無駄のない動きに惹かれ、今では俺の剣の師匠もして貰っているほどの仲だったりするのだ。
「そういえば、今度、ルー様を町の共同ハウスにお連れするそうですが……」
「ああ、ルーは怪我した状態で家へ連れて来てしまったから、孤児仲間にちゃんと挨拶してないって気にするから……別に、会うなと禁じたわけではないぞ」
禁じるどころか、オヤジもオフクロも、孤児院建設に大乗り気だ。ルーが来た翌日には、病院の立て直しにも着手しているし。その為の色々な許可や資金など、特例を作って直ぐに着手できるよう陛下を脅しに脅しまくっていた。
そういえば、驚いたんだが、陛下の前世は、毎年、世界長者番付に載るような超有名な実業家だった。一代で富を築いた人物で、大成した後は、慈善団体を設立、自ら先頭に立って慈善活動に勤しんでいるという、それこそ自らの力でチートな人生を送っていた。
俺も、ゲームが爆発的に売れ、世界中飛び回るようになってから会ったことがある。当時すでに、60代だったが、俺なんかより圧倒的に存在感があり、対面していると自分の矮小さに縮み上るようだった。しかも、緊張している俺をリラックスさせ、対等に接してくれるという男の俺から見ても、カッコイイと憧れる男性だった。
オヤジ、そんな方と普通に話すどころか、脅すとか、すげえ。
「え~だって自分に疾しいことがなければ、必要以上に委縮することもないよね。金があるから偉いってこともないし。それに、今世では一緒に育った兄だったから、前世を持ち出して他人行儀にするものどうかと思うよ」
ぐっ。正論だが、自分の作ったゲームのせいで、沢山の人の人生を変えてしまったのだと思うと居たたまれない。初めて陛下に謁見した時は、比喩ではなくガチガチに固まっていた。
「君が、私の甥の、イラジャールだね。ふむ。初めまして、と言った方が良いかい?それとも、久しぶりの方が相応しいかな?」
「貴方、幼気な子供をイジメるなんて大人げないですわよ」
「イジメてなんてないさ。私は、親愛の情を示しているだけだよ」
頭を垂れながらも、王妃様も転生者と知り、震えと冷汗が止まらない。だが、その時、隣に立つ父の手が背中に添えられ、じんわりと体が温まっていく。同時に、震えが止まって力が抜け、自然に頭を上げることが出来た。
「お久しぶりです。今世でも、ご指導いただけるとは僥倖です。これからも宜しくお願い致します」
陛下と王妃の顔は、にこにこと微笑んでおり、謝罪は必要ないのだと知る。ああ、今世でも全然勝てないなぁ。
「私もかつては、自分の設立した会社の帝王と呼ばれたこともあったが、本物の王になるとは思わなかったよ。しかも、誰もが幸せになれる国を作ることは、帝王でいるより、もの凄く難しい作業だ。君の父上は勿論、君の力も借りなければ実現できない。こちらこそ宜しく頼むよ」
「御意に叶いますよう精進いたします」
この時の俺は、まさか文字通り、色々と力を貸す羽目になるとは思わなかった。その点に関しては、陛下の方が一枚上手ということなんだろう。まあ、最終目的地は俺も同じ思いだから不満はないがな。ふん。