無力者
幼児と幼児の口喧嘩って難しい。。。意味が通じてると良いんですが。笑)
あいつが見つかったと一報が入ったのは、獅子の月に入った頃、王太子が生まれるというので国中がお祭り騒ぎだった頃だった。
その間にも俺を狙った賊が現れたりして、最初の馬車の襲撃以来、全然屋敷から出られなかった。オフクロもお茶会から夜会、全部、キャンセルして一緒に屋敷に閉じこもっていた。といっても、屋敷の中で使用人たちも招いてピクニックをしたり、バーベキューをしたりして、閉塞感は全然なかった。
屋敷の使用人も、公爵家への忠義なのかあいつへの忠義なのか分からないが、ずば抜けて優秀な奴らばかりだった。あ、そうそう。あの女にも会った。ゲームの中で、俺の婚約者だったタラハシー・ダラヤム伯爵令嬢。
「あんた、シーラをしゃがしてるんでしょ?」
「だったら、なんだ?」
オヤジは、勿論、俺の婚約なんて片っ端から断っていたが、このダラヤム伯爵だけは食い下がって来たらしい。何でも毎日毎日、娘から公爵子息に会わせろとせっつかれてノイローゼになりそうなのだとか。オヤジ曰く、ものすごく人の好いオッサンでゲームの記憶はないらしい。
だとすれば、娘の方に記憶があるのだろう。イラジャールは攻略対象者だ。くだらない玉の輿を狙っているに決まっている。将来、俺の邪魔をしないよう早いうちから叩き潰してやる、つもりで会った、のだが、2人っきりになった途端、女はシーラの名前をぶつけてきた。
「あんたのしょーたい、ばれちぇるのよっ。おとなちく、わたちをシーラのじじょになちゃいっ!」
「……おまえ、ササエトだにゃ!」
「ふん、いまごろ、きじゅいたの?おしょいのよ、あんたは。いちゅだってね!」
ぐぬぬぬ、この上から目線、正にササエトだった。因みに、『ササエト』とは、この世界でも希少な花の名前だ。その花弁は、石楠花のような美しい形態を持ちながらも毒の香りを放つ毒花のこと。あいつは、その可憐なアバターに近づくと毒舌にやられてしまう所が似ていると受けていたが、本当にムカつくヤツだ。
「ミルミラは、どーした?いにゃいのか?」
「いるにきまってんじゃないっ!いいこと?シーラがみちゅかったら、ただちに、わたちとミルミラをじじょにしゅんのよっ!」
「はっ、ばかかっ!シーラは、もう5しゃいだ。おまえみたいにゃチビ、じじょにゃんかできりゅかっ!」
今度はササエトの言葉が詰まる番だった。ざまあっ!と思ったら、背後で、噴き出す音が聞こえた。振り返ると、ドアに隙間が出来ていて、笑い転げるオフクロの姿が見えた。公爵夫人がノゾキかよ。俺が睨みつけると、降参とばかりにオフクロが入ってきた。
「サエちゃん、お久しぶりね。おばちゃんのこと、覚えているかしら?」
「おばしゃまっ!」
俺の正体に見当がついても、オフクロまでは予想外だったらしい。目を丸くして驚いている。
「そうね、貴女が働ける年齢になったら必ず侍女にするわ。だから、それまで、しっかり大きくなって、前世みたいに、あの子の味方になってちょうだいね」
「あいっ!」
ササエトは、オフクロの言葉に感極まって泣き出した。どうやら、周囲にゲームの記憶を持った転生者はいないらしく、彼女の言動は、かなり危ないものとして距離を置かれていたようだった。まあ、当たり前だよな、と思う。俺も、オヤジとオフクロが記憶を持っていなかったら、色々ヤバい奴だったんだろう。
ああ、さっきオフクロがササエトに言ったのは、前世で週刊誌がくだらない記事を書いた時の話だ。あいつの生い立ちを面白おかしく書いてマスコミが騒ぎ立てたせいで、ゲームの中でも不穏な空気が流れた。だが、ササエトもミルミラも、週刊誌の記事を笑い飛ばし、頭から信じなかった。
俺もそうしてりゃあ、良かったのかもな。何にも聞かず、受け入れてりゃあ、あいつは笑っていたのかもな、と殊勝にも反省したが、次の瞬間、無理だと反発が起きる。だって、好きな女のことは、全てを知っていたいだろう。
例え、週刊誌の内容が事実だったとしても、それを彼女の口から聞きたかった。どんな事実でも、彼女が本当に保険金目当てで親を殺したと言われても俺は受け入れた。何故なら事実は重要ではなく、直接話をするという行為が、信頼の証しだと思うからだ。
とはいえ、今更、過去のことは聞かなくても構わない。ほんと、言葉通りの過去だし、今はただ抱きしめたいだけだ。あいつが、俺の腕の中にいると実感したいから。
俺が、あいつと実際に出会ったのは、それから直ぐの事だった。オヤジの言う通り、ナーレンデル隊長はいい仕事をしたようで、あっという間に、王都に盲目の孤児が現れ、子供たちを引き連れて聖歌隊をしていることを突き止めてきた。
「盲目って、目が見えないってこと?まさか、虐待っ?!」
「いいえ、布で目を覆って杖を突いているので盲目だろうと。実際、誰も彼女の目を確認した者はいません」
「髪は、黒いのかしら?あ、でも染める手もあるわよね」
ナーレンデル曰く、髪も布で覆っているので確認できないとのこと。それ故、余計に周囲では虐待を疑われ、町の者たちの同情を集めているらしい。
「けれど、あの聖なる歌声。確かに声は異なりましたが、歌い方はシーラ様そっくりでございました」
くそ、コイツ、本当にムカつくっ!あいつが歌ったのなんて、最初の頃だけだぞ。俺だって、たまにしか聞かせて貰えなかったのにっ!
オヤジとオフクロが、興味津々といった感じで食いついている。まあ、そうだよな。オヤジたちは聞いたことないだろうからな。かといって、三人で盛り上がるなよ、余計にムカつくからさ。
「噂ですが、その孤児は、今度の週末に行われるステージを最後に町を出ていくとか。勿論、誰もが望んでおりませんが、あまり強く引き留めては出ていく日が早まるのではないかと心配しているようです」
「今度の週末って、明後日か」
「ねえ、みんなで行ってみましょうよ!あの子が歌う所を見て見たいわ」
もし、この時、何が起きるか分かっていたら、俺は全力で、それこそ力を使ってでも止めただろう。ああ、本当に、いつもいつもあいつに関しては後悔ばかりだ。
言い訳にしかならないが、俺が外出することで、暗殺の危険が高まるのは十分承知していた。俺も、オヤジも、ナーレンデルも。ただ、あいつの歌声を聞いて、姿を目にして、隙が生まれたのは否定できない。その一瞬の間に、全てのことが起きた。
歌っていたあいつの様子がおかしくなったかと思うと、いきなり「危ない!人殺し!」と叫んだ。そして、男がステージに飛び乗り、彼女を切りつけた。遠くにいたのに、その鮮血だけは、はっきり見えた。その間にも、ナーレンデルとオヤジが、襲撃者たちを倒していく。
突如として起こった騒動に、広間にいた見物客たちが我先に走って逃げようとして、パニックになっていた。
「通してっ!ステージに行かせてっ!」
オフクロが俺を抱えたまま、彼女の元に駆けつけようとするが、群衆の波に押され、一向に近づけない。
「とまれっ!」
俺があらん限りの力を振り絞って叫ぶと、全ての群衆が凍り付いたように動きを止めた。オフクロが、その隙間を走り抜け、ステージに飛び乗った。あいつを切りつけた男も凍り付いている。オフクロは、俺を床に下ろすと直ちに手当を始めた。俺は、何も出来ず、ただあいつが血にまみれ、蒼褪めていくのを見ているだけだった。
「大丈夫だから、イラジャール、彼女は助かるからっ!」
懸命に手当てを施しながら、俺を宥めるオフクロの声が遠くに聞こえるが、心臓の音が煩すぎて何も聞こえなくなった。
オレカラ、アイツヲウバウノワ、ダレダ?
ゆらっと体が、剣を持つ男へ向かう。男は、体が動かないまま、意識はあるのだろう。俺を見て、その顔を恐怖に歪めていく。
なあ、いつもいつも俺だけが、俺とあいつだけが痛みを味わうのは不公平だよなあ?そう思うだろ?……なら、お前も同じ痛みを味わわなきゃ嘘だよな。
俺は、男の体に触れ、ずっと心に巣食っている感情を解放した。ただ、それだけで男は、男の心は、耐えきれずに手にしていた剣で何度も己を傷つけ、絶命した。だらしねえヤツ。
「イラジャール、もう良いだろう」
オヤジに声を掛けられ見上げると、全身のあちこちに血飛沫が散っていた。俺自身も男の血肉が飛んでいるだろう。手で顔をぬぐったら、ぬるりと滑った。
「おふくりょ、は?」
「彼女を連れて病院へ向かったよ……彼女は大丈夫だそうだ」
それを聞いても、さっきの血まみれの姿しか浮かばなかった。何とか冷静を保とうと、辺りを見渡す。そういえば広場の群衆が凍り付いたままだった。俺は、たった今使った俺の能力についての記憶を群衆から消し、それから動くよう命じた。
「皆から彼女の記憶を消さなくて良いのかい?」
「こりぇで、いい」
オヤジが俺を抱き上げ、何事もなかったかのようにステージを下りた。群衆は、今しがた起こった事件に騒めいている。
本当は、オヤジの言う通り、彼女の記憶をなくそうかと思った。けど、そうすると、あいつが今まで独りで生きてきた月日も全て消えうせてしまう。それは、やってはいけないことのように思えた。オヤジは、俺の返事に満足そうに頷く。なんか、ムカつく。
「ナトゥラン公爵、ご子息はご無事でしたか?」
「ああ、問題ない。ただ、犯人が目の前で自害したことにショックを受けているようだ」
この町の自警団団長のイルデファン・ナードゥが近づいてきた。俺は幼児らしく見えるよう、大人しく呆けていた。
「それは、良かったです。あの、奥様が連れて行かれた、少女は?」
良かったっていうのは、単なる受け言葉だ。目の前で男が自害して、その返り血をだばだば浴びて平気な幼児などいないだろ、フツー。まあ、こいつには関係ないことだ。あいつが、これからどうなるかもな。オヤジも、その辺は共通しているようで静かに威嚇している。
「病院へ連れて行ったよ。一刻を争う怪我ではないようだから、傷が癒えたら我が家へ迎えるつもりだ。彼女は、私たちの命の恩人だからね」
市井の孤児を王弟でもある公爵がどうしようと、たかが自警団の団長ごときに意見を言われる筋合いはない。それだけ言うと、オヤジは、ナーレンデルたち警護を引き連れて広場を後にした。
家に着くと、オフクロが帰っていた。事情を聴くと、市井の病院は、不衛生で問題があったとのこと。結局、家へ連れ帰り、公爵家お抱えの医師を呼んで治療したと言う。
「この世界は、問題だらけね。今回の件で初めて知ったわ。病院が不衛生極まりない場所で、孤児院もなく、ストリートチルドレンになってるなんて!」
俺が作ったゲームだけに居たたまれない。知らず、落ち込んでいたらしい。父親に、問題があればこれから変えていけば良いと励まされた。
「まだ、この世界が生まれて、5年しか経ってないのだから焦ることはないよ。ゆっくり進めていけば良い。それより、お姫様には会わなくて良いのかい?」
「その前にお風呂よっ!そんな不衛生な状態で病人に会わせませんからね!」
一応、馬車に乗り込んだ時、こっそり血飛沫は消しておいたのだが、オフクロ曰く死臭がするらしい。まあ、俺も自分の服を見るとどこに血が飛んでいたとか思い出すから素直にバスルームへと向かった。
それから、着替えをして、彼女の部屋へ向かった。オフクロが直ぐに駆けつれられるように、公爵夫妻の部屋の隣だった。オフクロに連れられ、彼女の寝ているベッドの脇に立った。正確には、母親に抱きかかえられたまま、立っていた。
「おりりゅ」
「え~でも、イーちゃんの身長だと降りたら見えないわよ?」
「べっどにおりりゅっ!」
ああ、本当にカッコつかねえ。そっとベッドに降ろされた俺は、彼女の横にハイハイで進み、彼女の腰までありそうな長い黒髪を掴んだ。
いつも、ふざけてあいつの髪を掴み、キスしてやると恥ずかしそうに笑っていたのに、今は血の気の失せた白い顔で横たわっているだけだ。喉にぐるぐる巻きにされた白い包帯が痛々しい。
「あのね、イーちゃん。落ち着いて聞いて。ルーちゃん、命に別状はないけど、声帯が傷ついてしまったの。だから、もう声が出ないだろうって。勿論、国中探してでも、もっと腕の良い先生を見つけて治療して貰うつもりだけど、それでも、あんな綺麗な声には戻らないと思う」
この世界に神はいないし、怪我や病気で苦しむ人を救う魔法もない。それは俺が決めた。無能な管理者である俺が。こんな無能なヤツ、要らない。
……気が付くと、俺は自分で自分を叩いていて、オフクロに連れ出されていた。あいつの傍にいると訴えたが、聞き入れては貰えなかった。オフクロが大丈夫と判断するまで、俺はオフクロに抱きしめられていた。昔からそうだ。俺は、滅多なことでは泣かない子供で、辛さも苦しみも全て飲み込んで自らが傷ついてしまう。
オフクロは、そんな痛みに苦しむ俺を何も言わずに抱きしめる。そうすると、体の中で暴れていた痛みが、段々落ち着いてくる。何で苦しいのか、何が辛いのか考えられるようになって、そうしたら、オフクロがもう大丈夫だと笑うのだ。今の俺は、当分、笑わすことができそうにないけどな。ごめんな、いつまでも手のかかる息子で。
余談ですが、イラジャールの前世は5人兄弟の長男で両親は共働きの為、親に代わって弟妹達の面倒をみたりして、自分の感情や我が儘を押し殺していた部分があります。オフクロさんは、その辺り気付いているので、しっかり者の長男を一番心配していたという訳です。