恋に落ちました。
ふっと目を覚ますと、懐かしい天井が見えた。辺りを見渡すと、クシュナが枕元の椅子で転寝している。
「ミルミラ……」
小さな呟きだったのに、クシュナは直ぐに目を開けた。ミルミラは、クシュナが前世で使っていたアバターの名前。シーラの一番の仲間だった……そして、クシュナがミルミラだとすれば、タラは、
「やっと起きたの?愚図シーラ」
「ササエト」
そう、ササエトという名前だった。前世を思い出そうとしても無理だが、ゲームを介在してならするすると記憶の紐が解けていく。ササエトとミルミラは、初めてのオフ会、いや、その前からゲームやゲーム板を通じて知り合った仲間だった。シルファーディアンを立ち上げたと言っても良いほどの人たちだ。
勿論、ずっと私も一緒だった。オフ会やコスプレの撮影会、お茶会に舞踏会も開催した。もしかしなくても、ゲーム制作者だった彼よりもずっと長い付き合いだった。私がトラック転生してしまうまでは。
ああ、そうか。ササエトのイチオシは、騎士団長のカマイラ様だったもんね。イラジャール様とはタイプが全然違う。ぷぷっと思い出して笑うと、ササエト、いや、タラから拳骨が落とされた。
「な・に・を!呑気に笑ってるのか~?!この死にかけたお嬢様は?!」
「痛い、痛い、痛い~っ!!」
ベッドサイドに立って眠っている私の両耳をぐいぐい引っ張る。マジで手加減なしだ!
「タラ、じゃれるのも程々にね。それより、ルー様、スープでも召し上がります?」
スープ、と聞いて、ぐうっとお腹が返事をした。とりあえず、起きるか。
「よっこら、……うっ、思ったより筋肉痛がっ!!ぐがががっ!」
「当り前!ゲームじゃないんだから、素人がいきなりポーションがぶ飲みしたら死んじゃうんだからね!」
おや、もしかして心臓止まってたらしい。そうだよね、シーラのコスプレ着て、シーラになりきった気がしてたけど、実態はニートなお嬢だもんね。剣なんて一度も持ったことなかったわ。はははは、と乾いた笑いを漏らせば、再びタラの手がこめかみをぐりぐり締め付けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい~っ!!もう二度としませんから~っ!!」
「ったく!マハシュがいて良かったよ」
「あ、マハシュに会ったの?」
確か、私と竜王の取引では、人族と魔族は国交断絶したんじゃなかったっけ?
「当分、シーラと会えないからお別れにって、シーラグッズを山ほど持って来たわよ」
「ええ?」
言うなり、クシュナがクローゼットを開けると、洞窟にあったシーラの衣装がずらりと並んでいた。うげ、タラとクシュナの瞳が輝いている!
「後でシーラのコスプレしたら許してあげるわ」
「じゃ、じゃあ、ミルミラとササエトもコスプレしてよ!」
「良いわよ。マハシュの作ったシーラの衣装ほど完璧じゃないけど、まあ、そこそこ改良を加えて良くなってるからね」
なんと、2人は私に内緒でコスプレしてたらしい。ずるい~っ!!と抗議するも、タラからぐにーと頬を引っ張られた。
「あ・ん・た・がっ!何も思い出さなからでしょーがっ!」
「ひょもっともれしゅ(ごもっともです)」
それから3人で、私は軽食を食べながら衣装の話をしていると、外から馬のいななきが聞こえた。
「ちっ、イラジャールが、帰ってきやがった」
「タラ、言葉遣い、言葉遣い」
窓の外は、さっきまで夕日がさしていたけれど、今はとっぷり暮れている。帰って来たって学園から帰って来たってことかな?
首を傾げて尋ねる私に、2人とも微妙な顔をする。え、何か変なこと言った???
「おほほっ、詳しい話はイラジャール様から直接聞くと良いわ」
「では、ルー様、おやすみなさい~」
「あ、ちょ、まっ……うぉ、たたたっ!」
待てとばかりに腕を上げると、びきびきと酷使された筋肉が悲鳴を上げた。からっぽの食器を乗せたワゴンを押して無情にも2人は出ていく。それと行き違いに、イラジャール様が入ってきた。てっきり授業が終わり、学園の制服のまま帰って来たのかと思ったけれど、ロングブーツにコートの裾を翻して駈け込んで来た。いや、別に、授業が終わって着替えてから帰って来ても良いんだけど、なんか、その落ち着きぶりがショック。
「……学園の制服じゃないんですね」
皮肉も込めて憮然とした口調で言うと、イラジャール様の片眉が器用に持ち上がり、序に口の端もくいっと上がった。あれ、なんか失敗した時の顔だけど?う、や、ヤバかったかな?
「制服は、捨てた。三か月前に卒業したからな」
「え?さ、三か月……確か、私がグランパルス公国へ連れて行かれたのが入学して4か月とちょっとだったから……」
指折り数えるも、指が足らない。うーんと、うーんと、
「お前は、318日眠っていた」
「え?そ、そ、そんなにっ!!……デスカ?!」
アラハシャ・ソワカ、何も言わなかったじゃない!見えないけれど、見ている筈の黒猫をキッと睨んでおく。それにしても、ポーション飲んだだけで、そんなに?!
「まさか、ポーション飲んだだけとか思ってないだろうな?栄養剤に筋肉増強剤、それに、起爆剤を飲んだ上、他人の魂を受け入れたのを、だけ、とか思ってないよな?」
「……スミマセンデシタ」
言われてみると、我ながら無謀だった。素直に頭を下げると、固い腕に抱き竦められる。
「俺が着いた時、お前の心臓が止まっていた。その時の俺の気持ちが分かるか?」
腕の強さと反比例して、声が弱弱しく震えている。脳裏にアラハシャと見た、葬儀の時の様子が浮かぶ。ああ、また私は、この人を悲しませてしまったんだ。そう思うと、ぎゅうっと胸が締め付けられた。
「ごめんなさい、いつも無茶ばかりして、ごめんなさい……あと、いつも私のことを思っていてくれて、ありがとう」
言いながら、腕を伸ばしてイラジャール様の背中へ回し、二度と離れないとばかり爪を立ててしがみ付いた。全身で抱き付くと、外から帰って来たばかりのコートは、冷たくひんやりした。彼の心も同じなのかもしれない。私の熱を全て奪っても構わない。だから、
「泣かないで。もう離れないから。ずっと傍にいるから。大好きだから」
何か言うたびに、イラジャール様は私の肩に顔を埋めたまま、頷いていく。うわ、ちょっと昔のイラジャール様みたいで可愛い。思わず、ふふっと笑ってしまった。
「なに?」
「ううん。……ずっと、ずっと長い間、傍にいてくれて、ありがとう、って思ったの」
「……もしかしたら、ただの執着かもしれない。捕まえたと思ったらいつも、すり抜けてしまうから」
「ずうっと傍にいられたら、飽きちゃう?」
私の何気ない質問だったが、イラジャール様は、がばっと顔を上げた。あ、怒ってる?もしかして?
「そんな殊勝なセリフで誤魔化されないからな。お前の事だ、どうせまた直ぐどこかへ行くに決まってる」
「そんなことない、と思うよ?大体、いなくなるのは私の意志じゃないからね?不可抗力だからね?」
頑張って言い訳してみたが、イラジャール様の瞳は冷たくなっていくばかり。藪蛇だった?
「へー、ふかこーりょく、ね。そもそも俺は化粧品を調べろと言わなかったか?食堂を見張れと言ったか?」
「……イエ、イッテマセン」
「食堂の調理室には正規の騎士を見張らせていた。彼らが犯行を目撃して、隠れ家を突き止めようとしたら、お前たちが捕まったという訳だ」
だとしたら、私のしたことは邪魔でしかなかった?うわ、ごめんなさいっ!!なんか、いっちょ前にしゃしゃり出て、実は足手まといだったとか、最悪っ!!
「チームで動くのは、各人の安全のためだ。犯罪を調べることは重要だが、そのために無茶をして命を落とすのは本末転倒だろ」
「仰る通りです。すみませんでしたっ!」
謝って許されるものでもないけれど、ベッドの上で土下座してみる。緊張の時間が過ぎ、許して貰えないのかと不安になった時、そっと頭に手が乗せられた。
「まあ、今回は、お前が出てきたことで竜王が尻尾を出したから不問としよう。けど、もう二度とするな」
「はいっ!畏まりましたっ!」
「……なんか、返事が軽いんだよな」
失礼な。これでも、十分反省してますから!反論しようと、がばっと顔をあげたものの、じっと見下ろす瞳に絡め捕られてしまう。そっと伸ばされた手が、まるで壊れ物に触るように、するりと頬をなぞった。
「本当は、一生、部屋に閉じ込めて出したくない」
「……貴方がそうしたいのなら、それでも良いですよ?」
さらっと飛び出した私の返答に、イラジャール様の目が見開く。あれ、そんなに驚く?だって、今回の件で思ったけど、やっぱり私ってインドア人間なんだよね。外で大捕り物を繰り広げるより、家の中で本を読んだり、コスプレの衣装を作る方が良いなぁって思う。
「あ、タラたちと会えないのは困りますけどね」
ぼっちでコスプレしても面白くないよね。コスプレ仲間がいて、切磋琢磨するから面白いんだよ、うん。コスプレの意義を訴えていると、イラジャール様が脱力した。
「なんか、色々考えて損した気がする」
「ええ~何ですか、それ!あっ、でも監禁して良いのはイラジャール様だけですよ?他の人に監禁されたら、速攻で逃げ出しますからね」
本音は本気だけど、冗談にするつもりで、へらっと笑う。だって、多分、いや絶対そうだと思うけど、イラジャール様が私に執着するのは、私のせいなんだよね。私にそのつもりはなかったけれど、今世で何度か死にかけたし、前世では実際に死んじゃったから、だから、イラジャール様は私が傍にいることが信じられないんだと思う。
言葉で、どれほど大丈夫って言っても信じられないことってあるよね。そんな時は、じっと待つしかないって分かってる。イラジャール様が、私はどこにも行かないって信じてくれるまで。信じてくれるためなら監禁だってなんだってバッチオッケー!全然大丈夫です!
「本当に、もう俺から離れて行かないか?」
「はいっ、本当です!ご飯の時も、仕事中も、びったり貼り付いてますっ!なんなら紐で結んでも良いですよ」
「ふっ、じゃあ、風呂に入る時も、寝る時も一緒なんだな?」
ぼわっと赤くなった私を、くくくっと喉を鳴らして笑う姿に、ちょっとドキドキする。でも、ここで引いたら負け(?)だ!頑張れ、私っ!
「い、良いですよ。背中、洗ってあげます。あと、子守歌も歌ってあげます。昔みたいに」
「……ふうん、昔みたいにね。知ってるか?俺は、生まれた時から前世の記憶があった。無知な子供だったことなど一瞬たりともないからな」
ん?それって……え?じゃ、じゃあ、暗がりが恐いから一緒に寝て、と私のベッドに潜り込んで来たのは???
「お前と寝るための口実に決まってんだろ。お前、寝相が悪くてしょっちゅう腹出して寝てたから、何度も起きて布団かけ直してやってたんだぜ」
「うぎゃああああああっ!いやああああああっ!イラジャール様酷いっ!デリカシーがないっ!乙女のお腹をっ!!」
叫びながら、私だって5歳の時から子供じゃなかったけど、でも、寝相が悪いのは前世っからだもんっ!
「安心しろ。俺が布団の代わりをしてやるから」
「布団の代わりって、どうするのっ?!イラジャール様、全然、ふかふかじゃないじゃないっ!」
言い終わらないうちに、長い腕が伸びてきて、ぎゅうっと背中に巻き付く。体と体がぴったり隙間なく密着する。
「ほら、こうすれば温かいだろ?」
「ひゃん、んゃぁっ!」
止めて、耳元で囁かないで。くすぐったいから。あ、だめ、匂いもかいじゃだめ。お風呂入ってないのに。やあん、なめるのもだめぇ!
「ダメ、ダメ、ばっかり。じゃあ、何なら良いの?」
唇と唇が触れ合わんばかりの距離で、言葉を紡がれる。私は、魔法にでもかかったみたいに、彼の唇の動きから目が離せなくなり、気が付くと、自分の唇を押し付けていた。
そっと、壊れ物に触れるような優しさで唇と唇が重なる。何度も確かめるように、啄むようなバードキスが続いた後、誘うように口を開いた。
大丈夫だから、ここにいるから、壊れないから、だから、もっと近づいてきて。
直ぐに、熱い舌が侵入してきて、余すところなく犯していく。私も催促するように舌を絡めていく。
彼とキスをするまで、映画やテレビで見る恋人同士が、どうして鼻息を荒くしてキスをするのか全然分からなかった。バードキスの方が、ちゅっちゅっと可愛い音がして良いのにと不満だった。
でも、実際に体験すると分かる。舌を絡ませ合うようなフレンチキスは、好きな相手とじゃなきゃできない特別なキスだって。だって、唾液を飲んじゃうんだもん。生理的に気持ち悪かったら吐いてるよね。
不思議だけど、好きな人だと気持ち悪くない。それどころか、もっともっとってなって、唇が溶けちゃったみたいに離れない。結果、鼻で息をするから荒くなっちゃうんだよね。
「んんっ、ふぅ、ぅぁっ」
せめて可愛く喘ごうと鼻を鳴らしてみる。なんかエッチっぽい声になっちゃって、止まらないし、イラジャール様も興奮してきたみたい。そのまま、どさりとベッドに押し倒され、
「ぐぎゃあっおぉっ!!!」
変な声が出たけど、酷使された筋肉がベッドに当たった衝撃で悲鳴を上げた。序に私も悲鳴を上げた。イラジャール様が驚いてパッと離れた。
「あ、う……色気がなくて、ごめんなさい~」
情けない声で謝ると、眉間に皺を寄せていたイラジャール様が、声を挙げて笑った。うわ、大声だして笑ってるのって初めて見たかも。新鮮で、ちょっと、いや、かなりドキドキする。ヤバい、恋に落ちたかも!