頑張りました。
私が公爵閣下を助ける!と意気込んでから1ヶ月が経った。意気込みだけはあるけれど、実際問題、公爵家と貧乏子爵家には、身分格差という途方もない大きな溝が待ち構えていた。
手っ取り早く公爵様を訪問するにしても、公爵家は王宮に近く、警備も厳重。貧乏子爵家は庶民に近く、警備といっても門番という名のお爺さんがいるだけ。あ、私は門番さん好きよ?軍隊を定年退職した方で、若かりし頃の武勇伝を面白おかしく語ってくれるし、今や屋敷中が周知の事実となった私の不器用さを知って、時々、飴ちゃんをくれるしね。
そうそう。言い忘れたけど、私ことルーファリス・マルカトランドは、ゲームのどこにも出てこない完全なモブだった。勿論、兄上が攻略対象者ということもない。幾らゲームの世界が完璧とはいえ、ゲームと全く関係ない国民全員が描かれる訳もなく、反対に現実世界でゲーム関係者しかいなかったら国が成り立つ訳もない。
最初、どうでも良いモブだと知ってがっかりしたけど、よく考えれば、モブだからこそ勝手に動いても世界に影響は出ない訳で、制約されないことが公爵を救う鍵なんだと考えることにした。貧乏子爵の小娘がうろちょろしても政権には無関係だし、敵もまさか縁もゆかりもない貧乏子爵が動くとは思わないだろうからノーマークだろう。
辛うじて影響が出るとすれば、公爵は奥方を亡くすことで息子に辛く当たり、それがトラウマとなる。つまり、奥方を救えば、公爵は幸せのまま、息子もトラウマがなく育ってしまう。ヒロインが攻略する時にゲームの方法は使えないから大変かもしれないが、それでも息子君を愛するなら、辛い子供時代より幸せな子供時代を送って貰いたいと考えるよね?
自分勝手な言い分だと分かっているが、やはり私に出来るのであれば公爵閣下を救いたいから許して欲しい。足掻いて、もがいて、それでも運命を変えられなければ諦めるから、ヒロインも頑張って欲しい。ほんと、自分勝手でごめんよ。
とはいえ、時間がない。『王室手帳』の記事からすると、そろそろ奥方が襲われてしまう。それだけは、何としても阻止しなくては。
毎日、毎日、不得手な刺繍や庭仕事、屋敷の掃除をしながら考え続けた。思考に気を取られるあまり、手元が一層、疎かになって、母上から毎日雷が落とされたけど、頑張って考え続けた。
単純かつ最善の方法は、何とかして公爵あるいは、公爵家につながる人に襲撃事件の話をすることだが、公爵家と我がマルカトランド家は何の接点もない。突然、はるか格下の、貧乏子爵家の5歳児が事件を訴えた所でまともに取り扱ってくれないだろう。
むしろ、事件に関わっている人たちの耳に入ったら、襲撃を止め、別の方法で奥方の命を狙おうとするだろうし、私自身の命も危うくなる。誰が味方で、誰が敵か分からない限り、他人に口外するのは危険だと判断した。
最終手段としては、襲撃日時と場所は大体割り出してあるので、事件当日、そこで待ち伏せして直訴する。もしくは、馬車の前に飛び出して身をもって阻止するか。いやでも、馬車の前に飛び出すのって怖いよね。馬ってデカいよ、ほんとに。前世でちょっぴり乗馬やってたから分かるけどさ。
え?何で乗馬かって?そりゃ、シルファーディアンたるもの、乗馬は必須だ。だって、乗馬しながら攻略対象者に口説かれる場面があるのだ。現実にはいなくても、馬に乗りながら口説かれている妄想をしたいじゃないか!
しかも、コスプレーヤーの友人が、その場面を撮影したがったから、頑張ったよ。本当に……そう、前世の私は上背があり、攻略対象者のコスプレをやらされていた。ヒロインではないところがミソだ。顔がハンサムだったかって?そんなの、化粧でどうとでも誤魔化せるのだ。ふはははは!
話が逸れたが、訴える前に馬に蹴られたら確実に死ぬだろう。しかも、万一、奥方が馬車を乗り換え、友人宅へ出かけてしまっては命をかける意味がない。私がチートだったら賊を倒してしまう!なんてことも選択肢の一つにあっただろうが、如何せん、名もないモブには無理な相談だ。
そうやって一つ一つふるいにかけると、私に出来る事は、たった1つだけとなった。満月の晩に、『妖精さま』を呼び出すことだった。
え?今、誰か笑わなかった?ぷって噴き出す音が聞こえたんだけど、気のせい?まあ、いいけど。
話を元に戻すと、妖精さまというのは、ヒロインが最初に出会う『助っ人』である。身長30cmくらいで、世界の意志を反映していると言われる。だから、世界の意志に沿うものであれば、3回だけお願いを聞いてもらうことが出来るのだ。
『世界の意志』というのは、私たちシルファーディアンの中でも様々な解釈があった。概ね、神様とか自然の摂理のようなものだろうとされた。要は、死者を生き返らせるとか、モブを主役にするとか、ゲーム進行を阻害するようなことは出来ないが、怪我や病気を治すとか、魅了の魔法を使うとか、それくらいなら全然オッケーだった。
ヒロインは、舞台となる学園に入る直前、14歳のとある満月の晩、バスケットにお菓子やジュースをつめて夜のピクニックに出かける。ゲームをしていた時、何だそりゃ?!と思ったけど、中二病的な何かだと思うことにした。
前世の友人の中には、子供の頃、某雑誌の影響で、満月の晩、妖精さんがティーパーティを開けるようお菓子とお茶を用意したら本当にお菓子が減ってた!と力説した奴がいたから、まあ、子供にはありがちな空想なのだろう。
その妖精さまを呼び出して、奥方襲撃の阻止をお願いする、というのが私の出来る唯一の手段だった。けれど、そう決めるまでは、散々、悩んだ。ヒロインを助ける妖精をモブの私が呼び出してしまっても良いものかどうか。
でも、現時点で、ヒロインはまだ生まれていないし、ヒロインが妖精を呼び出すのは10年以上も先の話であり、私が妖精を必要とするのは、今だ。
だから、大丈夫だと信じている……と思って、満月の晩に屋敷を抜け出してきたが、正直、怖い。だって私、まだ5歳だよ。一応、護身用に先端の尖った移植ごてを持ってきたけど、いうまでもなくリーチが足りない。背も低いし、腕も短い。接近戦にしか使えないだろう。
まあ、貧乏子爵の娘を攫ってもお金は取れないし、地味で可愛くもないから売り飛ばしても大したお金にはならないと捨て置いて下さい。と小さな声でブツブツ呟いた。端から見れば、頭のおかしい子に見えるかもしれないから不審者も近寄らないだろう。うん。
それから、もう一つ心配事がある。それは、ヒロインがどこで妖精を呼び出したのかということ。ゲームでは明らかにされず、だだっ広い野っ原のような背景だった。その場所もファンたちの間で論争を呼んだのだが、私は個人的に広い野原であれば良いのではないかと考えている。
野原というのは、ある意味で木が育たない場所だ。前世の世界中に散らばっていたストーンサークルは、大体において平原の真ん中にあり、鬱蒼と茂った森の中にはない。つまり、広い野原にも何らかの力、例えばレイラインや龍脈のような力が働いていると考えらえる。だとしたら、悪戯好きの妖精がうっかり通りかからないとも言えない。
なんて、全然根拠のない中二病みたいな説を自分に言い聞かせているのは、今現在、私の足で行ける場所が町外れの野原しかないからである。くそう、さすが5歳だぜ。行動範囲が狭い!
しかも、貢物がしょぼい。我が家の食糧庫からくすねてきた父上の安いワインと、明日、朝食で出される予定の食パンだけ。お菓子もジュースも貧乏子爵家にはなかったよ。
野原へ向かいつつも、どんどん足が重くなってくるのは、無事に妖精さまが呼べるかどうかの不安の他に、疲れもある。なにせ5歳児。しかも、屋敷の庭や城下町の広場近辺しかウロウロした事がないのに、いきなり町外れまで来たのだ。幼児の足で、かれこれ2時間近く歩いている筈だ。そろそろ着いてくれないとヤバい。
ふらふらしながらも、何とかかんとか、野原へ着いた。とりあえず、草の上に横たわって休憩しよう。ちょっとだけ。
『ねえ、ねえ、この子じゃない?あの―――――――って』
『そうかも!きっとそうよ!じゃないと、こんなところまで来やしないわ!』
『ぷぷ、これから何が起こるかも知らないで眠ってる』
『ほんとね、可愛い。くすくす』
誰が話してるの?誰のことを話しているの?ねえ、う、う、
「うるさいわっ!」
がばっと跳ね起きると、野原に一人きりだった。空を見上げると、満月が煌々と輝いている。この世界に生まれて初めて知った。満月の明るさを。月に手を翳すと、青白い血管さえ見えるようだった。ヒロインが夜にピクニックをしたというのも満更、奇行ではないかと思い直した。
おっとやばい。朝までに屋敷へ戻らなければ。
とっとと儀式を終わらせようとバスケットを覗くと、丸くて黒い毛だまりが入っていた。はて、バスケットにはワインとパンしかなかったと思ったけれど。咄嗟に手を伸ばし、毛だまりをそっと持ち上げた。
ぷうんとアルコールの匂いがしたかと思うと、毛だまりがごそごそと動いた。びろーんと手の上で体を伸ばしたので、驚いて咄嗟に落としてしまった。
毛だまりは、綺麗に一回転すると、すとっと野原に降り立った。そのしなやかな姿は、紛れもなく黒い猫だった。
「よお」
「……」
「お前の貢物、安っちいな~。もう少し良いワイン飲めよ。同じような値段で美味しいヤツ、幾らでもあるぞ?」
「……」
「おい?いい加減、なんか言えよ。このまま朝まで黙りなら、今すぐ帰るぞ?」
「ねっ!」
「ね?」
「猫が喋った――――――――――――――――――――――――――――っ!」