前世について思い出しました。
私の両親は、2人ともいわゆる、良いところの出というヤツで、親同士が決めた政略結婚だった。だからなのか、私が生まれた後は、お互い、愛人を作って家に帰ってくることは殆どなかった。私は、広い家の中でお手伝いさんに育てられた。
育てられたと言っても、ただ食事を与えられ、洗濯した服を着せられ、お風呂に入れさせるだけの、雇われた人たちだった。彼女たちとは、特に会話もない。結果、一日中誰とも話すことはなく、ただテレビを見ているだけの毎日だった。
そんな子供だから、有名私立の幼稚園入試で初めて両親と外へ出た時、他人とまともなコミュニケーションがとれる筈もなく、病気と診断され、受験に落ちた。それから、両親は私の治療のために時間を取られるようになって、お互いを罵るようになった。その怒りが、やがて私に向けられるようになり、病気は改善するどころか悪化の一途を辿った。
そんな時、事故にあった。もう名前も覚えていないが、どこかの病院からの帰りだった。家の近所だと周囲に私の病気がバレるから、わざわざ県外の山を越えた先にある病院へ通っていた。2人は、いつもの通り、お互いを罵り、私を罵り、車の中は悪意でいっぱいだった。
もうやめて!と心の中で叫んだ時、車がガツンと衝撃を受け、洗濯機の中に入ったようにぐるぐると回転し、気付くと、暗闇と苦痛、悪臭、呻き声の中だった。何時間、その悪夢の中にいたのか、やがて呻き声が聞こえなくなり、次は自分の番だと目を閉じた。
けれど、朝が来て、助け出された私が次に目を覚ますと、病院のベッドの中だった。
死の淵から生還した私に、顧問の弁護士さんが両親が亡くなったこと、莫大な遺産と保険金、慰謝料があるので一生、生活に困らないことを教えてくれた。私に何もしてくれなかった両親は、たった一つ、きちんとした弁護士さんをつけてくれていた。それだけは、両親に感謝している。
退院した私は、引きこもりの生活を始めた。本来なら両親の親兄弟が孤児になった私を引き取るべきなのだろうが、誰も私を引き取らなかった。いや、引き取ろうとはしたらしいが、誰もが財産目当てだったため、弁護士さんが追い払ってしまったのだ。
普段は好々爺といった感じの弁護士さんが、いったん怒ると、閻魔様のように恐ろしい姿になった。そして、閻魔様は、弁護士としても優秀で、何をどうやったのか、私は今まで通り、お手伝いさんたちと暮らす生活を続けることが出来た。
ただし、何故だか弁護士さんは、毎夜、我が家へやってきて、ちょっとの間、話をしていった。最初は、事務手続きの話だけだったが、そのうち、夕食に何を食べたとか、昼間は何をして遊んだとか、普通の会話になっていった。そのおかげか、私のコミュ障は何となく治っていった。
それでも外へ出ようとしなかった私が、外へ出るきっかけとなったのは、ネット通販で買った1本の乙女ゲームにハマったことだった。ああ、今なら分かる。多分、自分の生い立ちと公爵の悲劇がオーバーラップしたんだろう。車の事故と馬車の事故。子供だけが生き残ってしまうこと。親の愛情が受けられないで育つこと。
私は、イラジャ―ル様を、ヒロインが幸せにするんじゃなくて、父親に幸せにして欲しかったんだ。愛して欲しかったんだ。だから、一日中、寝る間も惜しんでゲームを続けたし、ゲーム板も隅から隅まで読み込み、自分の意見も書き込んだ。顔が見えない相手とであれば気楽に楽しむことが出来たのだ。
気が付けば、私は、シルファーディアンの一員と認められ、オフ会に来ないかと誘われた。
初めて参加する時は、弁護士さんに服装や会話に変なところがないかチェックしてもらった。彼は、驚いていたけれど、でも、我がことのように喜んでくれ、親身にアドバイスを与えてくれた。結果、初めて顔を合わせた他人との交流は大成功、とまではいかなかったが、独りでゲームをするよりよっぽど楽しい時間だった。
オフ会で自信をつけた私は、今までの分を取り返すかのように精力的に活動した。幸い、資金と時間だけは使いきれないほどあったので、衣装に、小物に、撮影に、やりたいことは何でもやったし、ダイエットをして、美容にも気を付けるようになった。
そうこうするうちに、ゲーム制作者と会う機会があって、あっという間に意気投合した。彼は、私とは正反対の生い立ちだった。5人兄弟の長男で、どちらかというと資金面で苦労している家庭で育ったらしい。ゲームがヒットした後は、弟妹たちの学費を出したり、両親に一軒家をプレゼントしたりするほど仲の良い家族を自慢していた。
私も、彼の両親から娘のように可愛がられたけれど、やっぱり普通の人の感覚とは異なるらしい。予想外の言動に驚かれることも多々あって、内心、自分の生い立ちがバレるのではないかと怯えていた。
彼は、きっと私の家庭環境が普通じゃないと気付いていたと思う。無理して話さなくて良いと言ってくれて、それから、お付き合いが始まったけれど、ゲームが人気を呼んで世界中で愛されると同時に、彼は一躍時の人となった。
当然、ゲーム制作のパートナーで、プライベートでも付き合っている私のことも記者が追いかけるようになり、ある日、週刊誌に私の過去がすっぱ抜かれた。それは、悪意に満ちた記事で、両親の不仲、私の病気、そして事故の真相が面白おかしく書かれていた。
彼は恐らく否定して欲しかったんだと思う。でも、私には、どうやって説明した良いのか分からなかった。だって、両親の死を望んでいたのは間違いない事実だったから。どうしたら良いのか分からず、悩んでいるうちに彼との間は、どんどんギクシャクしていった。
そんな時、弁護士さんに全てを話すべきだと説得され、その決心が漸くついて彼に会いに行った時、目の前で居眠り運転のトラックが目に入った。トラックの進む先には、仲の良さそうな家族の乗った軽自動車。咄嗟に、体が動き、トラックの進路に飛び出していた。
まあ、後はお察しの通り。ええと、こういうのってなんて言ったかしら?ああ、そうそう!トラック転生ってやつね!
「お、お前なぁ!呑気にすんなっ!」
「ごめん……でも、心配させたんだよね、すっごく」
しっかり抱きしめられていた腕が緩んで、顔を上げると、ものすご~く、しかめっ面のイラジャール様の顔があった。アラハシャ・ソワカは、製作者だった彼の分身。つまりは、イラジャール様の分身だった。
流石に、イラジャール様。登場人物と世界の意志と両方になるなんてチート!と感心したらデコピンされた。
「一番のチートはお前だっつーの!俺は、ただのお目付け役だ」
「ええ、嘘だぁ!」
「嘘じゃねえ」
アラハシャ、いや、イラジャール様によると、そもそも地球でバランスが崩れたのは、私が死んだ故の喪失感だったらしい。マジでかっ?!
「まあ、一番ショックを受けたのは、コイツだろうがな」
今はまだ光の部屋にいる私は、下界の様子を見ていた。さっきと同じような場面。ベッドに寝ている私と、周りを取り囲んで不安げにする人たち。いつのまにか黒猫の姿に戻ったイラジャール様、いや、アラハシャ・ソワカが、コイツと指さす先には、眉間に皺を寄せ、公爵様そっくりなイラジャール様がいた。
余談だが、イラジャール様とアラハシャ・ソワカは、元は同じ人格なんだけど、別たれてからは、全然別の人格になったんだって。だから、学園に入学する時、イラジャール様から隠れようと提案した時も、イラジャール様には本当に内緒だったのだとか。
「そういえば、鬼ごっこってどうなったの?流石にもうバレてるよね?」
見下ろすと、ベッドに寝ている私は、シーラこと、ルーファリスのままだったりする。
「……とっくにばれてるぞ」
「えっ、うそっ!!いつバレたのっ?!」
「お前が、トバリを名乗った時だろうな」
げえっ!まあ、そうだよね。ゲーム制作者なんだから、誰がどのPCでログインしたか分かるよね。でも、だって、あの時は、イラジャール様の前世を知らなかったんだものっ!!不可抗力だよね、ねっ?!
「まあ、お前が登場人物を止めて、世界の意志になると言うなら、それでも良いぞ。俺が、ずっと一緒にいてやる」
「うわ~っ、それ、良いね!魅力的でサイコーな良いことだね!」
「だろ?!」
でもさ、でも、あっちのイラジャール様を放っておけないよ。今ならイラジャール様の気持ちが伝わる。前世からずっと追いかけて来てくれた人。やっと私を見つけても、当の私は何にも覚えてなくて、誰にも愛されないと卑屈になって明後日の事ばっかり考えてた。
それなのに、彼は私の前世の生い立ちを知っているから、公爵家に引き取ってくれて、『家族』というものを体験させてくれた。そして、私が成長し直すのを15年も待ってくれていたんだよね。で、やっと婚約して手が届くという時に、また攫われちゃって、おまけに死にかけちゃってさ。
私が私じゃなかったら、私のこと、めっちゃ叱ってると思うよ、うん。ああ、そうだ。タラとクシュナも同じだね。大人しくしてって言われてたのに、いつだって心配かけてた。公爵様もカマリ様にも心配かけたよね。
こうして、世界の意志の能力で俯瞰してみると、みんなが私を心配しているのが良く伝わってくる。
タラ、クシュナを始めとする公爵家の人たち。ゴーハルバク侯爵家のアニール様、国王陛下、王妃様、イーシャ様、あ、スゴいっ!侯爵家のパティシエ、ラヴィ・スレシュ氏も、前世の記憶があるんだね。あと、自警団のイルデファンさんとイフマールさんも!庭師ティップと門番のスガートも!
ああ、そうか。私は今まで自分一人で生きてきたつもりだったけど、本当は、こんなにみんなから守られていたんだ。
「俺が、お前の髪と目を黒くしたのは、『お前』だという印をつけたんだ。本来は悪魔の色だからゲームを知らない奴はお前を蔑むだろう。けれど、ゲームを知っている奴には、はっきりとお前が分かったはずだ」
「うん、そうだね。みんな、私の髪と目を見ても変な目で見なかったもん。それに、私、好き勝手にいろいろやっちゃったけど、みんな呆れながらも止めなかった。陰ながら見守ってくれてたんだよね」
『私たちも忘れないでっ!』
『そうよ、そうよっ!いっぱい頑張ったんだからね!』
『アラハシャ・ソワカばっかり、ずるい~~っ!!』
甲高い子供の声が聞こえたかと思ったら、ぱっ、ぱっ、ぱぱぱぱっぱっ、と30cmほどの妖精さまが沢山現れた。
「妖精さまっ!」
『私たちだって、ちゃんと見守ってたもんっ!』
『そうよ、ずっと見てたもんっ!』
そういえば、初めてアラハシャ・ソワカに会うために、野原へ行った時、生家を追い出されて路地で眠った時、私を励ます可愛らしい声が聞こえた。だから、勇気を出せた。人前で歌って、力を貰えたんだ。
「妖精さまたち、どうもありがとう」
「どういたしまして!こらからも、いっぱい助けてあげるわ」
「そうそう、アラハシャ・ソワカなんかより、よっぽど強いもんね」
黒猫がシャアッと牙をむく。
「このクソガキどもっ!あっちへ行けっ!消すぞっ!」
「いや~ん、怖い怖いぃ」
「ルーちゃん、またね!」
「ヤツのいないところで、ゆくり遊ぼうねっ!
現れた時と違って、今度はぱっと全員が一斉に消えた。黒猫が、ふっと鼻を鳴らす。
「ったく、奴らも暇でな~。もうちょっと世界が安定したら、奴らの魂も人族に転生させる。そういう約束だったからな」
「……あんた、どんだけチートなの?」
「イラジャールほどじゃねえ。俺は、奴の分身だからな」
うげ、どんだけチートなんだろ。イラジャール様。もしかして、この世界の神様だったりして?!
「言っておくが、チートなんて大変なだけだぞ。後始末ばっかりだ。……今回の件で、被害にあったヤツらの魂も直ぐに転生させる。流石のイラジャールも死んだやつを生き返らせることは出来ないからな」
それを聞いて、ずっと悩んでいたこと、胸につかえていたことを思い出した。
「そっか。……あのさ、私、もしかして余計なことをしたのかな?あの時、イラジャール様がグランパルス公国へ向かってるって言ったでしょ?大人しく待っていれば良かった?そしたら、あの人たちは死ななくてすんだ、のかな?……私は、私たちがあのまま地下牢にいたら、イラジャール様の枷になるから自力で何とかしたかったんだけど……」
たらればの話は好きじゃない。やってしまったことは、変えられないのだから。でも、もしも、別の道があったなら知っておきたかった。自分の犯した罪を。
「……もし、お前たちが捕らえられたままだったら、イラジャールは誰を、どれだけ犠牲にしても助け出しただろうな。勿論、大人しく竜王の言いなりになるという選択肢はないぞ。それでも、もし、助け出すのが間に合わず、お前が死んでいたら、ヤツは、躊躇いもせずに世界を滅ぼしていただろうな」
「…………、マジ?」
うんうんと頷くアラハシャ・ソワカに、よくよく考えればあり得る話だと思った。そうか、それならもう後悔はしない。イラジャール様だけに重荷を背負わせるつもりはないから。私も同じ荷物を背負っていくから。うん。我が儘だけど、ごめん。
「そんな訳だから、お前は、まあモブじゃねえ。ちゃんとしたヒロインだからな」
「う~ん、……でもやっぱりモブのままで良いかな。ヒロインなんて、肩が凝りそうだし。端から見ている方が楽しそうだし」
想像しただけで凝りそうな肩を回して言うと、黒猫は呆れた顔をしてみせた。
「ま、そういう無自覚な所が、お前らしいっちゃ、お前らしいけどな」
「でしょ?!」
おりょ、なんか体が、
「そろそろ目覚めるみたいだな。もう戻れ」
「うん、……ねえ、また名前を呼んだら会えるかな?」
お伽噺で、正体がバレたらいなくなってしまうのは良くある話。もし、会えなくなったとしても、ずっと見守ってくれるのは分かっているけど、やっぱりちょっと不安になった。と、てしっと猫パンチが飛んできた。
「ったり前だ。まだ契約が残っているからな」
「うん!そうだね!……あ、言い忘れてた。大好きだよ~っ!!」
ぼわっと赤黒くなった黒猫は、飛び上がってシャーっと鳴いた。うう、可愛いぞ~と思った所で、意識が飛んだ。