思い出しました。
ちょっとだけ辻褄が合わない部分を修正しました。ストーリーに変更はありません。
今日は、午前中の苦行を免除された代わりに、母上に言いつけられて物置部屋を掃除している。部屋のあちらこちらに、要らない雑誌や洋服、壊れた道具や家具などが無造作に置かれていて、正直、要らないなら全部捨てたろか~と思うけれど、母上いわく、いつ、何があるか分からないとのこと。
いや、ないから!『いつか』という日は永遠に来ないから!前世を通して経験しているから!……我が家は、断捨離しないから貧乏なんじゃないかと割と真剣に思う今日この頃。
所で、掃除中に要らないものを見つけて手が止まる、なんてのは良くある話で、とある冊子を手に取った時、めったに動揺しない私の心臓がドクンと鳴った。
それは、貴族の家にもれなく配布される冊子『王室手帳』で、私が生まれる前、現在の陛下が王太子時代にご成婚された時の特集記事が載っていた。笑顔で手を振る王太子と王太子妃となった隣国のお姫様。その後ろで、控えめに微笑んでいる王弟殿下。
王太子の名前は、ラヴィヌス・ムイ・シルファード殿下と冊子にはあるけれど、頭の中には、即位後の名前、ラヴィヌス・太陽王・シルファード陛下が浮かんでいる。同じように、隣国の姫は、ミランダ・ザイード・グランパルス妃殿下の筈なのに、ミランダ・太陽妃・シルファード王妃の名前が。
我が国では、子供が生まれたら一人前という考えが浸透していて、子供が生まれて初めて王太子は国王となり、他国から嫁いだ姫もシルファードの姓を名乗ることが出来る。反対に言えば、子供を産むまで正妃にはなれず、そして、子供が生まれたら側妃や愛妾を持つことは許されない。つまり、同時に複数の妃は持てないということ。複数の妃が同時期に懐妊したら跡目争いが泥沼化するのは火を見るより明らかだもんね。
これは、王侯貴族だけではなく、庶民にも適用される。たとえ正式に結婚していたとしても、妻に子がなく、愛人に子が生まれたら愛人に妻の座を渡さなければならないし、妻に子があり、愛人にも子が出来た場合、夫が有罪。家長の座を下ろされた上、全財産は妻と愛人に譲り渡さなければならない。まあ、妻と愛人の奴隷になるって感じ?働けど働けど、稼ぎは全部妻子に取りあげられるから。
ある意味、酷い法律だけど、子供を最優先とする考えから生まれた法律で、世の夫たちも愛人の妊娠には神経を尖らせているらしく非嫡出子を作らない為の抑止にはなっている。浮気防止にはなってないけど……え?あれ?なんで私、法律なんて知ってるのかな?誰にも教わってないのに。
もしかして、ただの妄想?今のが全部?
心配になったので、部屋の隅に積み上げられている『王室手帳』の山を漁ると、王太子が即位された特集記事が出てきた。それによると、私の脳みそに浮かんだ通り、ラヴィヌス・太陽王・シルファード陛下、ミランダ・太陽妃・シルファード王妃と書かれていた。そして、王妃の腕には第一子となる生まれたばかりの王女様が抱かれている。陛下の髪と王妃様の瞳を受け継いだ愛らしい姫様だ。
むむぅ、どうして陛下たちの名前を知っていたのか?
勿論、我が王国で一番偉く、一番有名な人たちだから自然と耳に入っていた可能性はあるけれど、何で文字の綴りまで分かるのか?今年から読み書きの勉強を始めたばかりで、漸くアルファベットが書けるようになったところなのに。そもそも、冊子の記事が普通に読めるのだっておかしくない?
それに、何より、王太子と一緒に写っているシャヒール・ムイ・シルファード王弟殿下の微笑んだ顔を見ていると、どうしても、もう少し年をとって、眉間に深く皺が刻まれた顔が脳裏に浮かぶ。王弟殿下ではなく、シャヒール・ナトゥラン公爵と呼ばれた人の。
そのまま、シャヒール殿下の顔から目が離せなかったけど、視界が歪んだと思ったら、ぼたぼたと水滴が零れ落ちた。思わず、雨かな?と天井を見上げたら流れ落ちた雫が頬を伝って、自分が泣いているのだと気づいた。
―――― 私、シャヒール・ナトゥラン公爵閣下、イチオシ!
―――― それを言うなら、息子のイラジャール・ナトゥラン様でしょ!
―――― あ、私は、騎士団長!ゴータム・カマイラ様!筋肉、最高だねっ!
―――― どうしてシャヒール様の渋さが理解できないのかな?!もうっ!
薄れゆく意識の中で、私は重大な事実を思い出していた。ここは、前世でイチオシだった乙女ゲーム『シルファード王国物語~花の香りで恋をしよう~』の世界なんだって。
始まりは、ただの乙女ゲームだった。けれど、そのゲームは精密にできていて、分岐点がめちゃくちゃ多かった。普通、2択か、あっても3択、4択ぐらいなものだけど、それは、無数に存在していた。だって、重要なシーンだと手入力が出来たぐらいだし。
手入力で綴った言葉がキーワードとなり、場面が展開していく。キーワードがどれもヒットしない、あるいは言葉遣いが間違っていたりすると、場合によってはスタート地点まで逆戻りなんてこともあって、そりゃあもう一筋縄ではいかないゲームだった。
でも登場人物の背景がメチャクチャ細かく設定されていて、やがて、ファンの間でシルファード王国の歴史書や家系図、地図、シルファード語、文化や生活様式など、事細かに世界が構築されていった。
そういったマニアな人たちは、『シルファーディアン』と呼ばれ、あちこちで社会現象を引き起こしていった。まあ、かくいう私もその一人だけれど……ああ、そうか。だから、私、習ってなくても言葉や歴史が分かるんだ。シルファードに関することはすべてゲットしたし、仲間のシルファーディアンたちと衣装を作って、お茶会や夜会など開催したもんなぁ。薄い本もいっぱい作って売ったし。
そんな私のイチオシキャラは、シャヒール・ナトゥラン公爵閣下だった。陛下のたった一人の弟で、とっても兄思いなのに、なまじ出来る人だから後継争いに巻き込まれてしまう。さっきも言ったように、子供が優先というのは王族にも当てはまることで、たとえ長男が王太子となっても子供が生まれなければ、或いは、王弟殿下に子供が先に生まれたら、王弟殿下が陛下になってしまうのである。
故に、王弟殿下は常に欲深な親にけしかけられた女狐たちに狙われるわ、王太子からも疑いの目で見られるわ、散々な青春時代を送る。それならとっとと継承権を放棄して臣下になりたいと思っても、王太子に次ぐ継承権第二位だから陛下に子供が生まれ、その子供に継承権が移るまでは許されない。
まあ、そうはいっても、王太子は隣国の姫と早々に結婚する。公爵家の姫と婚約していたのを破棄してまで。あ、王太子の名誉のために言っておくけど、乙女ゲームにあるようなヒロインに誑かされて婚約破棄した訳じゃないよ?国と国の繋がりを強化する必要があっての結婚で、公爵家の方が譲るのは政治的な配慮ってやつ。
その後、王太子が結婚して第一子を産んだので、王弟殿下は家臣に下って公爵家へ婿入りする。そう、王太子が婚約破棄した公爵家の姫である。公爵家のメンツを保つために王弟殿下と結婚するのは必然の成り行きで、王弟殿下も結婚式の時は晴れ晴れとしていたらしい。そりゃそうだ。王宮なんて王弟殿下には針の筵だったろうしね。
もしも、そこでハッピーエンドだったら、私も幸せになれて良かったね~と通り過ぎただろう。
だが、今度は、子供同士の争いが勃発する訳だな。『王室手帳』にあったように、陛下の第一子は王女様。ついでに第二子も王女様。この国は、表面的には男女平等だが、我がマルカトランド家を見ても分かるように男尊女卑が罷り通っている。
勿論、王女でも女王になることは可能だが、王子がいればなお良し、といったところ。女王が擁立されたのは、戦争で王族男子が全員いなくなった時だけ。今の治世は、隣国の姫が人質同然に嫁いできたことからも伺えるが、完全なる平和という訳ではないけれど戦時下にある訳でもない。
一方、公爵家へ婿入りした王弟殿下、いや公爵閣下のところは、いともあっさり男児が生まれてしまう。これで、次代の火種が出来たって訳だ。それでも、表向き、公爵家は幸せだった。穏やかな公爵閣下に、美人で聡明な奥方、可愛らしい子供に恵まれて。
その幸せが壊れるのは、子供が1歳の時。奥方が息子を連れて、友人宅で開かれたお茶会に出席する。その帰り道、賊に襲われて、奥方は息子を庇って殺されてしまうのだ。賊は捕まるけれど、真犯人を白状する間もなく毒を煽って自殺し、最後まで誰の指図だったか分からずじまい。
一番疑わしいのは、隣国の姫とその関係者だよね。せっかくシルファード王国に姫を嫁がせたのに、次代の国王になれないかもしれないなんて許せる筈がない。憂いの芽は早く摘むに限るってやつだ。
でも、その事件で一番割を食ったのは公爵閣下だった。奥方が生きていたら、万一、長男が殺されても、悲しみが薄れたら次の子供が生まれたかもしれないし、もしかしたら生まれてくる子供は女の子だったかもしれない。それなのに、後継者争いの火種にしかならない長男が生き残り、奥方が亡くなってしまった。
それが憎しみだったのか、悲しみだったのか、いずれにせよ、その日から公爵閣下の眉間には生涯取れることのない深い皺が刻まれ、息子は父親から顧みられず育っていく。
まあ、その息子君のトラウマを解消してあげると、ゲームの中ではハッピーエンドになるんだけど、私は息子君より公爵閣下を幸せにしてあげたくて仕方なかった。ゲームはめちゃくちゃ分岐点があるから、どこかで公爵閣下が救われないものかと全部の分岐点を試した。
その後、ゲームの続編も次々と制作され、そっちも頑張ったけど、最後の分岐点を選択しても閣下は救われることなくゲームオーバーとなった。
前世の記憶は、その時の絶望した所で途切れている。あまりのショックで死んでしまったのか、それともゲームを綺麗さっぱり忘れ去って現実の世界で生きていたのか、その辺りは思い出せないし、思い出す必要もない。
だって、ここはゲームの世界が現実になった世界で、公爵閣下は生まれたばかりの子供と奥方と、幸せに暮らしている筈だ。だとしたら、私が助けてあげられるかもしれない。いいや、絶対に守って見せる!閣下の幸せを、この私がっ!
それは、ルーファリスが生まれて初めて、本気になった瞬間だった。