モブになりました。
「ふわ~っ、本当に学園だぁ!」
登校初日、目の前に聳え立つ王立学園の姿を目の当たりにし、思わず、間の抜けた声が飛び出した。画面の中の映像でしか見ていなかったが、立体になるとより一層迫力のある建物だった。
中央に高い塔が建ち、その塔を囲むように建物が乱立している。それぞれが、学年ごとの建物であり、それ以外は科学室や図書室などの専門棟、職員棟などに分かれているのだ。
とりあえず、初日は入学式なので中央に聳える高い塔へと向かった。塔は、講堂兼体育館となっており、中へ入ると白い大理石の床に、天井からステンドグラスを通して色とりどりの光の絵が浮かび上がっている。ただ、今は入学式の為に椅子が置かれているので全貌が見れなくて残念。
体育館として使用する時は、可動式の天井が張られ、運動に適した木の床が現れ、機能的な姿となるらしい。この辺り、現代的な感覚が取り入れられていて興味深い。
そんなことを考えながら、自分の名札が着いた新入生の席へと座った。
「アニラ・シスレー」
そう、学園での名前は、アニラ・シスレー。ルーでもルーファリスでもない。まして、王家に名を連ねるナトゥラン公爵令嬢でもないし、ゴーハルバク侯爵令嬢でもない、ただのシスレー子爵の娘という設定だ。
名前だけではない。姿かたちも肩まで伸ばした茶色の直毛を後ろで束ね、ありふれた淡い水色の瞳は、黒ぶち眼鏡で隠している。読者の皆様はお忘れかもしれないが、元々のルーファリス・マルカトランドがそのまま育っていたら、こんな14歳になっていただろうという凡庸な姿だった。
不思議なのは、髪と目の色を変えただけだから、顔立ちは変わらないだろうと思ったのだが、全然違った。肌や髪の手入れやメイク、容姿を引き立てるドレス。そういった小道具全てが高貴な令嬢という姿を作り上げていたのだと知る。
何もかもそぎ落としてみると、そりゃあもう影の薄い、どこにでも埋没してしまいそうな凡庸な少女となった。そうそう、姿が変わる時、年齢も14歳にして貰ったし、声も元に戻った……とはいえ、10年以上も昔のことだから、こんな声だっけ?という感じだったけど。
「どうせゲームするなら、とことんやろうぜ!ヒロインにとっては、恋人探しのゲームだが、あんたにとっては鬼ごっこだ。期間は一年間。イラジャールから逃げ切れたら、お前の望みは何でも叶えてやる。人間を止めて、世界の意志にだってならせてやるぜ」
ルールは簡単。イラジャール様が卒業するまでの一年間、姿かたち名前も年齢も、何もかも変わった私を学園の中から見つけ出すことが出来たらイラジャール様の勝ち。見つけられなかったら私の勝ち。楽勝だね。ぷふ。
私の新しい姿は、学園の中だけ効果のある魔法。学園の敷地から一歩外へ出たら元の姿に戻ってしまう。裏を返せば公爵家の人間も侯爵家の人間も、誰も私の変身した姿を知ることが出来ない。つまり、イラジャール様に屋敷の人間が情報を与えることは出来ないという訳だ。
同様に、学園にいる限り、私の黒目黒髪の姿は誰にも見えない。ルーファリス・ゴーハルバク侯爵令嬢の籍はあるが、1年間休学するということで学園側には話がついている。勿論、アニラ・シスレーが仮の姿だという秘密は学園側も知らない。
私と世界の意志だけが知っている秘密なのだ。
初めてアラハシャ・ソワカに聴かされた時は、そんなことが可能なのか、ゲームがめちゃめちゃになるんじゃないかと心配したが、彼は、意地悪そうなな顔で、にたりと笑った。
「いいんじゃね?お前には情報も選択肢も与えられなかった。他の奴らは知っていたのにな。だから、今回の鬼ごっこでは、お前だけがキャラクターの選択肢を持ち、変身した事実を知っている。これぞ、公平ってもんだろ」
まあね、しかも、モブからモブになるだけだから、ゲームに影響はないだろうし、モブらしく、高みの見物といきましょう!と乗り気になっていれば、アラハシャ・ソワカが一つだけ注意しろと猫パンチを繰り出した。
「万が一、いや、百万に一つの可能性だが、イラジャールが勝った場合、つまり、変身したお前を見つけた場合、その時は、イラジャールのことを真剣に考えてやってくれ」
「……真剣って?」
いつも真剣に考えている。弟同然、いや生涯仕える雇用主なみに真剣だ。もしも、今すぐ死ねと言われたら躊躇せずに死ねるくらいに。そう答えると、アラハシャ・ソワカは、頭をガシガシかきむしった。猫の手、いや前足で器用だな。
「いや、まあ、その時がくれば分かるだろうが、なんていうか……、つまりだな、外見がどれだけ変わっても、お前という中身を大切に思うヤツがいるっつーか……あーっ!もう、何で俺がこんなことを言わなきゃなんねーんだ!くそっ!」
ぶつぶつ独り言をつぶやく黒猫を呆然と眺めていると、とうとうアラハシャ・ソワカは癇癪を起して、再び猫パンチを繰り出してきた。
「とにかく、イラジャールが勝ったら、もうこれ以上、イラジャールから逃げんなよっ!良いなっ!」
それだけ言い置いて、アラハシャ・ソワカは姿を消した。逃げたことなど一度もないし、考えたこともない。何を言っているんだかと首をひねった後は、彼の、彼なりの励ましの言葉はすっかり頭から抜け落ちてしまった。
「次に、生徒会から新入生へ歓迎の挨拶を」
壇上に並び立つ生徒会の面々に、周囲からキャアっと歓声が沸き起こった。周りを見渡すと、金髪碧眼の女生徒がわんさかいた。ついで多いのはクリーム色の髪と青い瞳。
そう、『シルファード王国物語~花の香りで恋をしよう~』というゲームのヒロインは初期設定がなく、アバターで好きな顔やスタイルを自由に設定できる。但し、髪と目の色で攻略対象者が限定される為、3人の王子や侯爵家の子息たちと恋愛したいのであれば金髪碧眼は必須事項となる。
クリーム色の髪に青い瞳を選択すると、教師、将軍、宰相、学園長など大人な恋に発展する。つまり、大半の女生徒たちは、転生時にヒロイン願望があったという訳だ。
とはいえ、アラハシャ・ソワカによると、ここはゲームの世界ではないので、当然、色による選択は存在しない。加えて、前世の過去持ちである攻略対象者が多いため、寧ろ、ゲームの世界と混同しているヒロイン願望の女生徒たちは敬遠されるだだろうとのこと。
さりとて、一縷の望みにすがりたい乙女心は理解できる。頑張れ、ヒロイン(たち)!
「次に、風紀委員会委員長であるイラジャール・ナトゥランより……」
キャアアアアアアーッ!!
うわ、すごっ……生徒会長である王太子より声援が多い。進行役の声が歓声に掻き消されたよ。と思ったら、イラジャ―ル様が、片手を上げただけで会場が静まり返った。一瞬にして場を把握してしまうのは、天性の才能だろう。こういう所、メチャクチャ凄くて鳥肌が立つ。ほら、周囲を見渡せば、誰もが固唾をのんで彼の言葉を待っている。
これだけ注目を浴びたって、眉一つ動かさない。緊張なんて文字は彼の辞書にないんだろう。誰よりも強く、カリスマ性があって、そして、優しい人。いつだって完璧で、何にも持ってない、ちっぽけな私には不釣り合いな人。世界一、恰好よくて、美しくて、賢くて、そして優しい女性が似合う人。一番近くて、一番遠い人。
いつものように、多大な羨望と、ほんのちょっとの胸の痛みを感じつつ、イラジャール様の声に聞きほれていると、どこからかボソリと呟きが聞こえた。
「みんなミーハーばっかり。つまんないわね」
声の主を辿ると、私の斜め後ろに黒髪黒目の小柄な少女が座っている。うわ、この世界で黒髪黒目をチョイスするとは勇気あるなぁ……と眺めていたら目が合った。
「何見てるの?ウザいんですけど!」
「イエ、何でもありません」
触らぬ神に祟りなし。私は慌てて前を向いた。ふっと、イラジャール様の視線がこちらを向いた。ドキッとしたけど、私を見つけた訳ではないらしい。微妙に視線が後方にずれている。ああ、そうか。斜め後ろの彼女を見ているんだ。
そう気づいたら、いつもより胸の痛みが大きくなった気がした。