謁見しました。
誤字脱字を修正。内容に変更ありません。
「ルー!遅いぞっ!」
「(……イラジャール様っ!どうして、ここに?)」
てっきりお父様が待っているかと思いきや、学園へ通われている筈のイラジャール様が立っていた。2年ぶりに見るイラジャール様は、背が大分伸びていた。以前は私の胸くらいしかなかったのに、今はもう同じぐらい。これで14歳なんだから、まだまだ伸びしろがある。次に会う時は私を越えているだろうなぁと思ったら、お姉さん、感動で胸が詰まってしまった。
しかも、完璧な正装姿で、子供だというのに色気があるというか、大人になったら、さぞやぶいぶい言わせるんだろう。
あ、男性の正装は欧米風のタキシードではなく、ロシアやトルコなどのグルジア地方の民族衣装に近い。ロングブーツと、一見してドレスにも見える長いコートが特徴的。この辺、ゲーム制作者の趣味なんだろうけど、女性ファンの心を鷲掴みにした。生まれ変わると知っていたら女性もグルジア地方の民族衣装が良かったなぁ。残念。
イラジャール様も、白いスタンドカラーのシルクシャツと黒いロングコートを身に着けている。コートは、銀糸で細かく刺繍が入れてあって……あれ?私のドレスと同じ文様だ。よく見たらスタンドカラーのボタンも同じ留め方で、もしかしてお揃いなのかも。お揃いで正装するっていうのは、一般的には結婚式とか婚約式とか、めでたい席の男女がするんだけどなぁ。
訳が分からなくて、思わず、イラジャール様に顔を向けると、公爵様譲りの、サファイアのように透明度の高い瞳が射貫くように私を見つめていた。少し怒ったように顰められた眉に、どきりとする。
この、未来の公爵様は、子供の頃から、難しい顔をして私を見る癖があって、まあ、正直に言うと、ゲームの中の公爵様を彷彿させる表情をするのだ。だから、少しだけキュンとしてしまう。そのせいだろうか。イラジャール様の言葉がぼんやり聞こえて、直ぐに理解できなかった。
「どうして、とは酷いな。婚約者のパートナーを務めるのは当然だろう?」
こんやくしゃ、の、ぱーとなー、って誰が?誰の?
「くくっ、ハトが豆鉄砲くらったって、今のルーのことを言うんだろうな」
イラジャール様は、くすくす笑いながら私の頬に唇を寄せた。ちゅっというリップ音で我に返る。
「(わっ、私、イラジャール様と婚約した覚えはないですっ!)」
「もちろん、正式にはまだだ。俺が未成年だからな。だが、ルーはとっくの昔に俺のモノだ。そう決まっている。誰が何と言おうとも、な」
「(何を言って……んんっ、ふ、)」
抗議の為に開いた口は、あっけなくイラジャール様の唇に塞がれてしまった。そのまま、イラジャール様の舌が入ってきて、腔内を隅々まで蹂躙される。王宮の廊下だというのに、誰が見ているかも分からない場所で、リップ音や淫水の音を響かせながら。
口づけから逃れるために首を振ると、動かないように固定されてしまった。そのまま首を仰向けたままキスを続け、イラジャール様から注がれる唾液を甘い蜜のように飲み下していく。最後に、ちゅっというリップ音で薄い肉付きの、形の良い唇が離れて行った時も、呆然と見つめることしか出来なかった。
「さあ、陛下がお待ちだ。そろそろ行こうか」
「(まっ、待って!口紅が……)」
イラジャール様の唇に、私の紅が移ってしまった。これじゃあ、何をしていたかバレバレで、そんな状態で人前に出る気は更々なかったので、隠しポケットからハンカチを取り出して紅をぬぐった。
「そのままで構わないのに」
「(ダメに決まってるでしょっ!だらしない格好で陛下の御前に出るわけいかないものっ!)」
綺麗に紅をふき取って、一歩下がったところからイラジャール様を見る。髪の乱れなし、服の乱れもなし。よし、合格!
「(さ、行きましょう)」
さっと腕をとって歩き始めると、イラジャール様がくすくす笑った。
「(な、なに?!)」
「忘れたふりをしているのか?俺が婚約者だって」
あっと思ったら腰を引かれ、腕を出される。そういえば、既婚者あるいは、婚約した者同士は、男性が女性の腰を抱き、前に出された反対の腕を女性が掴むというのが、正式な会場への入場スタイルだった。
「(いや、でも、まだ正式じゃないって)」
「お揃いの服に、デビュタントのパートナー。これで、離れて入場したら笑い者だぞ」
「(うう……)」
ここは恋愛ゲームの世界だからか、正式な場面では、やたらとカップル単位で行動することが多い。ゲーム中、言わずと知れた卒業パーティで、悪役令嬢は婚約者と入場するのだが、正式な入場スタイルではなく、家族とするような腕を掴むだけの入場で、生徒や父兄の間にどよめきが起こったものだ。まあ、お定まりの婚約破棄が待っているからなんだけどね。
「ゴーハルバク侯爵ご令嬢、ルーファリス様、並びに、ナトゥラン公爵ご子息、イラジャール様ご入場でございます」
さっとドアが開き、王宮の舞踏会場の目眩い光が溢れ出てきた。光に目が慣れると、既に挨拶を終えたデビュタントのご令嬢たちが整然と並んでいる。二階からは、その家族や親族たちがデビュタントを見下ろしている。そして、壇上には陛下、並びに王妃様や王族の方々、勿論、王弟たるナトゥラン公爵、お父様もこちらを見ていた。
みんな意外そうな顔をしていないってことは、やっぱり私とイラジャール様の婚約は決定事項なのだろう。なんだ、それならそうと言ってくれれば良いのに。私だけ蚊帳の外なんて。
「俺が、みんなに内緒にしておくように言った。……そうしないと、お前は、あっという間に逃げてしまうだろう?だから、俺から、決して逃げられないように外堀から埋めていく」
耳元で囁くイラジャール様に、お腹の辺りがぞくぞくした。あれ、ゲームの中のイラジャール様って、こんなキャラだったっけ?もっと真面目で理知的な感じだった気がするけど。なんて、昔を反芻する間もなく、陛下の前に到着~っ!
「陛下、本日デビュー致しますゴーハルバク侯爵ご令嬢、ルーファリスにございます」
パートナーたるイラジャール様が堂々と挨拶する。お前、14歳だよな?いくら陛下が伯父とはいえ、態度がデカくないか?と思ったけど、誰も叱責しないから普通なのかも。
「うむ。聞きしに勝る美しさよの……うっ、ぐっ、ごほん。本日は存分に楽しまれよ」
「恐れ多いお言葉、拝聴いたします」
私が、顔を上げると、カマリ様が咳払いをして、小声で囁いた。
「イラジャール、口紅ぐらい直してあげなさいよ。気が利かない子ね!」
「ワザとですよ、勿論。彼女は、私のものだと知らしめねばなりませんからね」
今、不穏な言葉が聞こえたけれど、それよりも、自分のことはすっかり忘れていたよ!イラジャール様に紅が移ったってことは、私の紅が取れたってことで、うそっ!私、そんな恰好で入場しちゃったの?!
自らの醜態で赤くなったり青くなったりしていると、王妃様に手招きされた。
「今のうちに直してしまいなさいな。ここは一段高くなっているから誰も気づかないわ。私たち以外は、ね」
さり気なく、公爵様とお父様が傍に立ち、壁になってくれた。隠しポケットに入れていた手鏡で口元を映すと、なんと殆ど口紅が取れているじゃありませんかっ!それは想定外だったよ。だって、クシュナは3色塗りをしていて、表面だけ取れる場合を想定して1色しか紅を持っていない。
もういいや。殆ど塗ってない状態で入ってきたのだから、いきなり塗りましたっていうのも変だよね。覚悟を決めてハンカチで紅を綺麗にぬぐい取った。そして、ポケットに入れていた蜂蜜を小指で唇に塗った。蜂蜜はね、グロス代わりに塗ると艶が出るのだ。あと、切り傷に塗るのも有効。蜂蜜の殺菌作用は凄いのよ。万が一、お腹が空いた時の非常食にもなるしね。んーぱっと唇を動かして塗り広げ、はい、おしまい。元々の唇も赤いから問題ない、と思う、多分。
「……イラジャール、貴方、失敗したんじゃなくて?」
「母上、余計なことは口にしない方が賢明ですよ」
何やらカマリ様とイラジャール様がブツブツ言っている。
「所で、ルーファリス嬢。シャヒールから聞いたのだが、孤児院というのは素晴らしいアイデアだな。最近では菓子の製造販売も行っているのだとか」
陛下が、微笑みながら告げる。そうなの。聖歌隊は向き不向きがあるから、向かない人には、クッキーなどの日持ちするお菓子を作って販売する方をお願いしている。そもそも日々の暮らしの中で料理や繕い物、手芸、掃除を教えているから、そういった技能を生かしても良いし、自警団の人たちも訓練を続けていてくれるから自警団や軍隊に入る子もいる。
孤児院の運営もあるけど、独立した時に何らかの技能を身に着けて欲しいと思うから、町の人たちにも協力してもらって出来る限りのことをしている。自画自賛かもしれないけど、今のところ上手くいっていると思う……思いたい、うん。
「そのお話、私も、とても興味があるの。今度、詳しくお話を聞かせて下さいね」
隣の王妃様もニッコリ笑顔で迫ってきた。決定事項なんですね、はい。まあ、出来れば王都以外の都市にも孤児院を作って欲しいと思っていたから、丸投げするのにちょうど良いかも。
「(畏れ多いことでございます)」
淑女の礼を取り、了解の意を示す。しかしながら、あまり長居しては、後続のイーシャ様をお待たせしてしまうので、イラジャール様の腕を引き、広間へ降りる。升目に並んでいるデビュタントたちの、真ん中二つが開いており、イラジャ―ル様について升目の一つに納まった。
続いて、イーシャ様の名前が呼ばれ、入場してきた。おおっと会場中からどよめきが沸き起こる。そりゃあそうだよね、イーシャ様、すっごく綺麗だし、パートナーの男性もかっこいい。どことなくイーシャ様と似ているからお兄さんかな?2人は、儀礼的に陛下たちへ挨拶を終え、壇上から降りて来た。その時、イーシャ様と目が合ったけど、睨んでいるのか、元々、目つきが鋭いのか悩むところだ。
さて、全員の入場が終わったので、これからお披露目のダンスがある。デビュタントの令嬢たちが綺麗に並び、ワルツを踊るのだ。音楽に合わせ、その場で、くるり、くるりと回っていく。これね、ステップ自体は簡単なんだけど、右に左に回されて慣れないと目が回るんだよ、本当に。
最後まで、姿勢が崩れず、綺麗なステップを踏めると、踊りの名手として社交界で評価される。おばさまたちの厳しい審美眼が、全方位から注がれているから怖いよね。まあ、私は社交界に顔を出すこともないだろうから、どんな評価でも構わない。気楽なものです。
前奏が始まった時、昔を思い出してクスッと笑ってしまった。イラジャール様が、なに?と言った様子で柳眉を上げた。
「(私が男性パートを踊った方が良かったかなって、思い出しちゃった)」
公爵家でお世話になっていた時、勿論、ダンスの練習もしたのだけれど、イラジャール様は私より背が低かったので、男性パートが上手く踊れなかった。それで、私が男性パートを踊ってイラジャール様をリードしたこともあった。その時の、むっとした顔を思い出したら自然と口が緩んでしまった。
「今でも俺を振り回せると思っているのか?」
「(……ひゃっ!)」
曲が始まり、いきなり深くホールドされた。ちょっと!下半身が密着してるし!文句を言おうと思ったのに、くるり、と回されてしまう。くそおっ!私の負けず嫌い魂に火が付いた!腹筋に力を入れて、態勢を立て直す。肘を高く上げて、肩はリラックス!
イラジャール様も気付いたのか、ふっと笑ってリードを続ける。相変わらず、腰は密着したままだ。くそおっ!気合だっ、気合っ!
後日、鬼気迫る顔でワルツを踊っていたデビュタントがいると社交界の話題となるが、まだそれは少し先の未来のお話。
デビューのワルツが終わると、後は、通常のダンスとなる。パートナーを代えても良いし、休んでも良いのだ。とりあえず、デビュタントの義務は果たしたぞ。よし、帰ろう!と思いきや、見知らぬ男性が近寄ってきた。
「失礼、彼女と踊りたいのですが?」
私と踊りたい?なんと奇特な御仁だろうか!
「彼女は、私の婚約者だ」
ああ、イラジャール様に睨まれて奇特な御仁が去っていった。
「あいつと踊りたかったのか?残念だったな」
「(いえ、全く踊りたくありません。そもそも名前も知らない人ですし……)」
寧ろ、イラジャール様とも踊りたくはなかったのだが、次の曲が始まって辞するタイミングを逃してしまったよ。無言で踊るのも何なので、改めて再確認をしておこう。
「(イラジャール様、本当の本当に、冗談ではなく、真剣に、私がイラジャール様の婚約者なのですか?)」
「俺では不服か?」
「(私ではなく、イラジャール様が不服なのでは?大体、私と結婚しても何の旨味もないですよね?後ろ盾はないし、美人でもないし、色も魔女付きだし、愛想もないし…)」
ホールドされているから指折り数えることは出来ないけれど、思いつくまま、マイナス面を上げてみる。というか、プラス面が一個も浮かばないよ。ある意味、スゴイ!
「(あっ!イーシャ様なんて良いんじゃないですか?同じ公爵家だし、ボンキュッボンだし……んっ!)」
良いこと思いついた!とばかり捲し立てていると、イラジャール様の唇が迫ってきた。すげえよ、この人!踊りながらキスしている。いや、ここ、公共の場所だから!みんな見ているから!止めろという意思表示をすべく体を引くも、がっちりホールドされて動かない。
結局、思う存分、貪られてしまった後、ちゅっとリップ音をさせて、イラジャール様の唇が離れていくのを、ぼうっとした頭で見ていた。
「ルーの唇は甘いな」
「(そりゃ、蜂蜜塗ってますから)」
「本当だ」
イラジャ―ル様は、赤い舌でぺろりと自分の唇を舐めた。その唇が仕草が、妙に色っぽくて下半身がきゅんと震えた。それから、イラジャ―ル様の唇が近づいてきて、キスされると思って体を竦めたら、耳元でくくっと笑う声が聞こえた。
「いいか、二度は言わない。俺が、お前を妻にと望んだ。誰に言われた訳でもない、この俺が、だ。お前は素直に受け入れりゃあ良いんだ。分かったな?」
あれ、イラジャール様って、実はオレ様だったっけ?