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一等国の冷徹妻と三等国の憐憫夫  作者: 崎ちよ
第3章 温かな冬
9/12

第9話「やめろ、夫殿を精霊で燃やしたくなる」

 凍った大地を削り、要塞と外郭を強化する日々。

 数メートルの段差を利用して陣地を作っていく。

 コンクリートで特火点(トーチカ)を築き、銃眼口の先には足止めをするための鉄条網が乱雑に張られている。

 昼間の月代は陣地地域をくまなく見て回り、トーチカの位置や鉄条網の位置を指導していた。

 ツルハシがなかなか刺さらない地面に穴を掘らせ、突き刺さらない木杭を打たせて有刺鉄線を張らせる。

 重たいコンクリートの袋を運ばせてはトーチカを作らせる日々。

 夜には会議をして邦人の避難要領を研究し、春に向けて着々と準備を進めていた。

 歩兵四個中隊に対し敵は九倍の三六個中隊。

 野砲四門に対し六倍の二十四門。

 しかも火器などは三等国のオーワに比べ最新鋭の小銃を装備している敵、そしてなにより彼らにはない機関銃を装備しているという。

 勝利の望みはすでに絶たれていた。

『虎州国境守備隊は敵の侵攻を要塞以北に阻止』

 ソコクが侵攻することを予想したオーワ帝国陸軍本部から新たに与えられた命令がそれだった。

 ひと月持久すれば援軍の二個師団が到着する予定。

 そう聞いている。

 だが、九倍の敵に対してひと月もどう戦えばいいというのだろうか。

 死んで三度敵将を走らせるような奇計を使えるような能力はない。

 休憩中の敵大将を討ち取るようなこともできない。

 月代の指揮官としての能力はそんなものだということは、彼自身がよくわかっている。

 そんなぼやきを、酒保で衛本と酒を飲みながらしたことがある。

 ――守備隊長についていくだけです。

 彼はそう言った。

 守備隊は誰も知らない。

 頼りにしていたマーレ・トランクイリタティスはすでに仲間ではないということを。

 援軍など、このような状況でくるはずがないとなんとなく気付いていた。

 それでも彼は、援軍が到着するまでの一カ月持久を目標に掲げ準備をさせている。

 命令を実行するのが軍人の本分だという精神が、骨の髄まで染み込んでいたからだ。

 民間人が南部の都市に避難完了する見込みの二週間を耐えることが彼の(はら)だが、それはだれにも言えない。

 ――衛本はソル殿や民間人の護衛をして下がってくれないか。

 酔った月代は脈略もなくそう言った。

 ――守備隊長はわかってない。

 彼にしては強い口調だった。

 ――宿舎に戻ってから大人しく寝て、起きたらこれを見てください。

 はがきサイズの手帳のようなものを渡された月代はそのままそれを懐にしまった。

 ――自分なんかはあの人の近くにいる人間じゃないんです。

 酔ってはいるが爽やかで、そして諦めたような笑顔だった。


 

 衛本から渡された手帳のことはしばらくのあいだ忘れていた。

 まだまだ寒さの厳しい三月初旬の夜。

 寝室に設置している薪ストーブの揺らぐ炎を見ながら、彼は忘れ去っていた例の手帳を思い出して手にとっていた。

 あの日以来、ソルとはあまり話をしていない。

 彼女が打ち明けてくれたマーレ・トランクイリタティスとの決別はまだ公にされてはいなかったし、そんなことをすれば彼女の立場が危うくなる。

 裏切り者と非難する気にもなれず、お互いを避けるようになっていた。

 彼はそんな状況の中、衛本がくれた手帳を開いた。

 その中身は不思議な絵が沢山あった。

 ソルの驚いた顔。

 ソルの怒った顔。

 ソルの照れた顔。

 ソルの笑顔。

 いろんな角度から描かれていた。

 白黒の絵。

 見たこともない妻の表情。

 ――衛本には……。

 ゾワゾワした気分が彼を包む。

 ――ああ、嫉妬か。

 冷静にその感情を見据え、彼はため息をついた。

 だが、衛本はこういう形でソルとの関係を主張するような人間ではない。

 彼の真意を読み取ってしまった月代は二重の意味で自己嫌悪に陥っていた。

 ――自分なんかはあの人の近くにいる人間じゃないんです。

 彼はそう言った。

 手帳の中のソルは正面を向いていない。

 別の方を見ていた。

 日付はあの日だった。

 挺身小隊の軍曹が飛び込んできた日。

 ため息が漏れた。

 衛本には見えていたが、月代には見えなかったもの。

 ――陸軍少将が、大尉に説教されたってことか。

 自虐的に笑う。

 だが、その瞳は澄んでいた。

 あなたは彼女の何を見ていたんだ……その手帳は言っていた。

「なにをみている?」

 手帳に集中した彼は、ソルがいつの間にか寝室に入ってきたことに気付いていなかった。

「あ、いや……衛本大尉が描いた絵を」

 急なことでびっくりしていたが、そういう素振りも見せず彼は冷静に手帳を彼女に向けた。

 じっとその絵を見ていた彼女は首を横にふる。

「はずかしい」

 そう言ってうつむいた。

「なにかこころのなかを覗かれたようなきぶんになった」

「芸術家というものは、ああいうものなのかな」

「ああいうもの?」

「見えないものが見えて、それを表現する」

「どういうことだ?」

 月代はソルが満面の笑みで描かれた絵を見せた。 

「……こんなかおではない」

「ああ、僕も見えてなかった」

「みえていなかった?」

 変なことを言う。

 そうソルは思った。

「今は見える」

 そう言って彼は自然に手を伸ばし、体を引き寄せた。

 硬直する彼女の体。

「もうすぐ春が来る」

「……」

「ソル殿はすぐに出発した方がいい、巻き込まれたら大変だ」

「……ここにいたら、だめか」

 彼女はそう言うと彼の胸のところに自分の頭を預けるようにして目を閉じた。

 月代は両手で彼女の肩を掴もうとするが、寸でのところで手を止める。

 掴んだら、離さなくなると思った。

 だが、そのまま彼は凍りつくことになる。

 ソルの手が彼の股間の上に置かれたからだ。

「……ちょ」

 情けない声がでた。

 不器用に這っている細い指先。

 そうしているうちに手が止まる。そしてパッと勢いよく目を開けるとソルは上半身を戻した。

「……こうすればおちるときいていたんだが」

 彼女は不満そうな顔をしている。

 それに対し、月代は不審な目を向けた。

「誰に聞いた?」

「慰安所のむすめたちやコゾクの母親たちだ」

 頭を抱える月代。

「いろいろ聞いたぞ」

 ソルは自慢するように言った。

 からかい半分でソルにあることないことを教授する彼女達の姿が目に浮かぶ。

「なにか問題でもあるのか?」

「……いや、ない」

 少し笑って月代は答えた。

 そんな彼の態度が気に食わないのかもしれない。

 彼女は上目遣いで彼を睨んだ。

「ならば」

 月代の視界が動いた。

 後頭部に感じる柔らかい感触。

 ソルは月代の上半身を引っ張り、自分の膝に乗せていた。

「どうだ」

「……」

 何も言わずに見上げる月代を不審な顔で見る。

「……だめか」

「いや、なにがなんだか」

「ひざまくらは効くと」

 月代は笑う。

「笑うな」

「……いや、すまない……ああ……ありがとう」

 月代はそう言って天井に向け腕を伸ばす。そして指先でソルの顔に触れた。

 その手の暖かさに触れてしまったからだろうか。

 ソルの中で何かが解けた感じがした。

「あの国にもどりたくない……」

 ぽつり、ソルは言葉をこぼした。

「白黒のせかい、なにもかんじない……なにもかわらない」

 ソルはそう言うと目を閉じた。

 月代はそんな彼女を見上げながら思い出すことがあった。

 秋ごろ、本国から来た旅の飴職人がつくる金太郎飴の実演を。

 切っても切っても同じ顔ができる、あの飴。

 ソルがボソッと「似てるな」と言ったことを。

「わたしの遺伝子をもった子にはそういう世界をみせたくない」

「……そうか」

 月代は体を起こす。そして、押し倒すようにしてソルの唇に自分のを重ねた。

 彼は彼女が目を閉じ、少しとろけた表情に変わることを期待していた。

 だが、目を開けたままやはりいつものように無表情だった。

「よし、あの者たちがいったとおりだ」

 淡々とした表情のソル。

 月代は微妙な顔をしたまま言葉が出なかった。

 そんなことはお構いなく淡々とした口調でソルは言う。

「どうした、ここからわたしの服を脱がせるのだろう、いや、まずは胸をもむのか……うむ、さあこい」

 雰囲気もなにもあったもんじゃない。

 彼はそう思いながらも、一方で衝動が収まらない自分に驚く。そして、ソルを抱きしめた。

 ソルが何か言おうとした瞬間、もう一度彼女の唇に蓋をした。




「おもったよりかんたんだったな」

「……」

「少しきつかった」

「……」

 ソルは寝具の上で横になったまま不思議とよくしゃべっている。

 不思議な感覚を味わって、その余韻をどう受け入れていいのか混乱しているのかもしれない。

 それに対して月代は上半身を起こして彼女に背中を向けていた。

「聞いていたほどではなかったな」

 そんなソルの言葉に反応できない月代。

 いい年したおっさんの背中がしょんぼりしている。

「……まあ」

「月代少将はうまそうだとか、ながそうだとか、みな言っていたが」

「……」

「あの行為があれでながいということは」

「……」

「あんなに人間の交尾というものが短いものだとはおもわなかった」

 ――たしかに見たことあるどうぶつも、あれは短いしな。

 なんてことをソルは呟いて納得していた。

 悪気がないことはわかっているが、月代の頭はどんどん下がっていく一方だ。

 そんな月代に悪気もなく追い打ちをかけるソル。

「あんなものが股間についていたら邪魔だろう」

 いつもどうやってしまっているのか不思議でならないといった表情だ。

「どれ」

 おもむろに手を伸ばす。

「なんだこれは」

「……伸縮可能なものなんだ」

「たしかに、服のうえからさわったときはあんな感じではなかった」

「すまない」

 月代は頭を下げて謝る。

「なにが」

「いや、早すぎたから」

「そうか……でも、わるいことなのか、それは」

「あなたをもっと気持ちよくさせたかった」

 気持ちよく。

 その言葉を聞いて顔を赤くするソル。

 少し思い出してしまった。

「……へんなことをいうな」

 彼女はそう言って背中を向ける。

 今まで感じたことない変な気分を味わったソル。

「夫殿はわたしがわるくてもすぐにあやまる……もしかして、わたしに過失があったんじゃないか」

 彼女はいつになく自信のない声でそう言った。

「……過失とは言わないが」

「いってみろ」

「……興奮しすぎた」

「こうふん?」

「……その、聞いたことのない声や、表情を見ていたら、こみ上げるものがあって」

 彼もついさっきの記憶を思い出していた。

 前戯で予想していない彼女の反応。

 あの表情。

 ごん。

 横になったままソルは無意識のうちに彼の背中を蹴っていた。

 全身を真っ赤にして彼女は自分自身の体を抱きしめる。

 恥ずかしいらしい。

「へんな気分がしたから、声が出ただけだ、そ、そんなに変なかおをしていたか」

「変とかそういうものじゃないが……その、いつもと違う姿を見て」

「……まて、それいじょう言うな、なんだか脳がかゆい」

 耳まで真っ赤になっている。

「かわいかった」

 月代はそう言いながら横たわると、背中を向けた彼女を抱く。

「やめろ、夫殿を精霊で燃やしたくなる」

「もう一回聞きたい」

 月代に包み込まれたままブルっと震える小さな体。

 しばらく黙っていたが、何かに気付いたのか背中を向けたまま彼女は口を開く。

「……夫殿、それが伸縮可能だということはよくわかった」

 ソルは観念したような声を出す。

「もういちどできるんだな」

「年甲斐もなく」

 そう答える月代。

 四十を過ぎて、十代のように瞬殺され、十代のように復活するなんて彼自身も思っていなかった。

「あなたの声を聞きたい」

 そう言うと彼はソルの背中にキスをした。

 触れるたびに少し震える彼女。

 彼はそれを繰り返して、鈍感な妻に小さな復讐を始めた。

 体だけでなく心も敏感にさせるために。

 極寒のフーシュ。

 少しだけ。

 ほんの少しだけふたりの世界は温かかった。

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