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一等国の冷徹妻と三等国の憐憫夫  作者: 崎ちよ
第3章 温かな冬
8/12

第8話「夫殿はだいじょうぶなのか?」

 炎が揺らぐ薪ストーブの近くに座っているソル。

 いつもと違って何か困った様な、そして緊張した面持ちである。

 その手前には肋骨服を着た青年が座っていた。

 衛本(えいもと)大尉。

 画家志望の青年。

 革命後に没落した武家の出身であったため、職業軍人の道を選んだ男だった。

 家のため、捨てきれない誇りのために。

 それでも彼は戦場に紙と鉛筆は持ち歩いていた。

 ちょっとした合間にも何かを描けるように。

 描きたい衝動を発散するように、時間があれば何かを描く。

 そうして、彼は風景ばかりをスケッチする日々だった。

 そんな彼が描きたかった人物。

 念願かなって、ソルをモデルにして絵を描いていた。

 彼の目の前で椅子に座ったままじっとしているソル。

 白いアオザイ風の普段着を着て居心地悪い表情を浮かべている。

 衛本はそんな彼女の表情に対してもお構いなく、何かにとり憑かれたように鉛筆を走らせていた。

「なんでわらっている」

 彼女はちょうど通りがかった夫を非難した。

「いや、そういうソル殿を見たら、不思議と顔が緩むんだ」

「それは侮辱か」

「いいや」

 笑った。

 ――それにしても、本当に。

 今日の服装は衛本の要望だった。

 冬の寒い時期だが、部屋を暖めるから夏の格好をしてほしいとお願いしたのだ。

 そういう訳で――わざわざ上司の屋敷に持ってこなくてもいいと言ったにも関わらず――せっせとよく乾いた薪を彼は背負って来た。

 その甲斐もあって燃え盛るストーブは部屋を十分に暖めている。

 オレンジの光が白一色のソルを赤く照らしている。

 月代は衛本が求めたものが何かわかるような気がした。

 鉛筆を走らせる衛本。

 どこか居心地悪そうにしているソル。

 恥ずかしがる姿などあまり見れるものではないのだ。

 衛本がそれを独り占めしているということに対して、微かな嫉妬と小さな安心感を抱いていた。

 ――恋人同士のようだな。

 熱っぽく紙に鉛筆を走らせる彼と少し赤くなっているソル。

 彼は心からお似合いの二人だと思った。

 知的な青年と儚げな女性。

 ――お似合いだな。

 彼はそう感じて、台所へ移動した。

 ちょっと水を飲むために。

 その時だ、屋敷の入り口でなにか騒ぐ声が聞こえたのは。

 使用人の女性が慌てた声を上げている。

「隊長! 守備隊長! 伝令が!」

 その声に反応した月代は走って入口に向かった。

 紺色の分厚いコートを着た男が倒れこんでいる。

 それがまず視界に飛び込んできた。

 軍衣のズボンには萌黄色の縦線が入っており騎兵であることを示していた。 

「どうした」

 片膝をついて伝令の肩に手を置く月代。

 何事かと衛本大尉が、その後ろからソルが続いた。

 肩で息をする兵士。

「……っ……ソコク……国境付近の集落に」

「わかった、ゆっくり話せ」

 月代は使用人に「白湯(さゆ)を」と短く指示をする。

挺身小隊(ていしんしょうたい)は……他には……到着しておりませんか……?」

「今、ここに来ているのは軍曹だけだ」

 月代は晩秋に騎兵中隊の一部をもって挺身小隊を編成させ、国境付近の偵察活動に当たらせていた。

 軍曹はその中のひとりだった。

「小隊長は戦死、他はばらばらとなり……これを伝えよと」

 彼は懐から紙片を取り出す。

 そこには集結部隊の配置状況、野砲の門数、馬小屋の数、炊事場の数などが詳細に書かれていた。

 紙片を握りじっくりと考える月代。

 懐に入っているメモ帳を取り出し、まくし立てる様に何かを書きだした。

 使用人が持ってきた白湯にやっと落ち着いた騎兵軍曹が口をつけたころ、月代は唸るような声を出した。

「少なくとも見えているものは約四千の兵士……一個歩兵旅団、一個騎兵大隊……七〇ミリ級の野砲が二か所……八門と十一門か……」

 頭に手を置く。

「衛本大尉、ソコクの砲兵大隊は……野砲の門数は十二門ぐらいか」

「はい、確か中隊で四門……三個単位ですので」

「見えていないものもあるとして……一個師団はいるな」

 ソコク陸軍の師団には二個歩兵連隊を抱える歩兵旅団が二つと、騎兵連隊と砲兵連隊がひとつづつ含まれている。

「軍曹、ご苦労だった……小隊長が描いたこのメモのおかげで……敵の様子がありありと見えた」

「……っ」

 軍曹は両手で白湯の入った陶器のカップを震える手に持ったまま目を閉じた。

 言いようのない感情が溢れ出す。

 彼は声も出さずに泣いていた。

 月代はその光景を見て、陰鬱とした気持ちと深い謝辞がこみ上げてきて、静かにため息をつきたい気分だった。

 だが、やるべきことがあった。

 軽く咳ばらいをして彼は立ち上がる。

 住居から来たばかりの副官に軍曹の手当てと守備隊幕僚の速やかな集合を命じ、彼はそこから離れた。

 思考する環境を整えるために。

 まだ幕僚たちが集まるまでに時間はあった。

 その前に彼なりの結論を作っておく必要があるのだ。

 彼は脳細胞を総動員して、この事態を考察し始めた。




 ――春になれば、国境の河を渡り一個師団か……いや、本格的な侵攻なら後詰にもう一個師団いてもおかしくない。

 彼は考えながら薪ストーブの目の前にあるソファーに腰掛け揺れる炎を見ていた。

 ソコクとフーシュの境界にある紅虎(コウコ)河は、冬には不完全な凍結と増水を起こす。このため雪解け後にしか大部隊――特に砲兵――は渡河できない。

 彼は今ある情報を整理しながらやるべきことを考察していた。

 あれからすぐに招集した幕僚たちとの会議を短く済ませ、要点は押さえたつもりだった。

 情報の分析と対策について検討するように指示を出していたが、彼自身の答えも用意する必要がある。

 メモをとったノートと鉛筆を手に取り、時折何かをメモするとまた目を閉じ何かを考える。

 そういうことを繰り返していた。

 ギギ。

 不意にソファーがなる。

 衛本が絵を描いている場合ではないと片づけ去ったあと、手持ち無沙汰になったソルが彼の隣に座ったからだ。

「……すまない」

 彼女は赤く燃える薪を見ながらそう言った。

 ストーブの炎に照らされた彼女の表情はいつもと変わらない。

「きのう……国から手紙がとどいていた」

 確かに月代も彼女の国の人間がこの集落を訪れたことを知っていた。

 オーワに向かう途中の休憩だと聞いていたが。

「婚姻関係を解消し、帰国せよ」

 いつにもなく棒読みだった。

「そうか」

 月代は静かな声で頷く。

 これでわかった。

 彼らは合理的だ。

 ルアステンという資源の獲得目的を達成するために最適の行動。

 彼らにとっては『裏切り』ではなく『選択』なのだ。

 ――それにしても、すまない……か。

 彼らの眷属である妻から思いもよらない言葉が出たものだ……と、少し笑う。

 (あやかし)も数ヵ月いっしょに過ごすとこうなるんだろうか。

「きみといてたのしかった」

 月代はソルの言葉の意味を一瞬理解できなかった。

 楽しかった。

 彼女はそう言った。

 首を動かしソルの顔をまじまじと見る。

 彼女はストーブの炎から視線を動かし、じっと彼の瞳を見据えた。

「きみは?」

 控えめな声で問いかける。

 言葉を出しても反応しない彼を見て彼女は心細く感じていた。

 しばらくお互いの心臓の音が聞こえるぐらいの静寂が続く。

「僕もだ」

 彼はエメラルドグリーンの瞳から目を離すことなくそう返事をした。

「夫殿はだいじょうぶなのか?」

「……大丈夫?」

 彼女がまだ夫殿と呼んでくれることがうれしかった。そして、もう少しでそういう関係が消えてしまうことを考えると寂しい気分に包まれた。

「わたしと離れることが」

「仕方が……ない」

 彼は両手の指を組んで、それを自分の腹の上に置く。

「……そうか」

 そう言って彼女は目を閉じた。

 大きく息を吸う月代。

「あなたと話ができて楽しかった」

 彼の声に反応して、ソルがゆっくりと目を開いた。

「世界が広がった」

 はにかむような笑顔の月代。

「女神のように強くて……こんなに美しい人がわたしの妻だというだけで誇りだった」

 一気に言い尽くすと彼はまた大きく静かに息を吸った。

「ほこり」

 彼女は上目遣いで彼を見上げる。 

「……いや、違う」

「めいよ」

「……そんなんじゃない……喜び……嬉しさ……楽しさ」

 ソルはそんな彼の言葉を嚙みしめるようにして目を細めた。

「……僕に……まだ生きていたいと……僕に思わせてくれた」

「そうか……」

「……」

 あれから二十年。

 彼はずっと死に場所を求めて生きていたのかもしれない。

 はやく楽になりたかった。

 あの夢をもう二度と見たくなかった。

「ソル殿は気付いていたのか」

「それぐらいはわかる」

 ほとんど感情がない声だった。だが、なんとなく怒っていることがわかった。

「きみが逢いたがっていることも」

 ソルは棚の上の写真に視線を送った。

「あなたたちはそういう宗教観がないと思っていた」

「わたしたちは魂が消えるとはおもっていない」

 ならわかるんじゃないか、そう彼は思った。

「裏切ってしまった自分が許せない」

 天井を向いて彼はそう言った。

「うらぎり……」

 なにかを問うように彼女はそう呟く。

 彼は言葉を続けることができなかった。

 許せない……だからどうした、と。

 それを言葉にすることができなかった。 

 月代は立ち上がる。

「少しひとりになりたい」

 そう言って寝室に戻ろうと動き出す。そして、彼の後姿をソルは目で追うだけで動くことができなかった。

 寝室の扉がしまった後、彼女は組んだ両手に額を乗せ、うなだれるようにして目を閉じた。

 胸の奥が疼く。

 得体の知れぬ何かが胸の内でぞわぞわしながら這いつくばっている感覚に彼女は襲われていた。

 でも、どうしようなく、ただ目を閉じて耐えていた。

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