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一等国の冷徹妻と三等国の憐憫夫  作者: 崎ちよ
第2章 すれ違う秋
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第5話「……ふむ、これがわたしか」

 虎州(フーシュ)の十月は寒い。

 冬になれば零下十数度になるこの土地。

 今のうちに準備することはたくさんあった。

 生き残るために必要な準備を。

 虎賊(フーゼ)の拠点つきとめ、冬になる前にあの無法者たちを駆逐することもそのひとつだ。

 冬を目前にしてフーゼたちの略奪が激しくなる時期なのだ。

 住民たちの食料を確保するためにも、先に手を打って弱体化させるのことが必要だった。

 このため虎州国境守備隊は大規模な狩を計画し実行に移していた。

 目標は北部山間の町、フーゼが潜伏する拠点。

 東雲大佐の要塞歩兵連隊主力――三個中隊基幹――と国境守備隊直轄の騎兵中隊を率いて月代は出動している。

 すでに町を囲みはじめてから一週間がたっていた。

 時間は掛かるが、じわじわと包囲環を圧縮し賊と市民を振り分けていく作戦だ。

 この作業にひと月はかけるつもりだった。

 包囲を突破し脱出を企図しようとした敵の攻撃も数度あった。だが、ソルの精霊を使った攻撃を活用して、味方の損害がゼロのまま敵を制圧していた。

 すでに敵も抵抗は無駄だと痛感しているはずだ。

 このため賊は住民の陰に隠れて、時間切れの冬になるまで耐えることしかできなかった。

 それは月代の読み通りである。 

 そういうわけで要塞歩兵連隊がじわじわと包囲を(せば)めるなか、月代とソルは軍馬に跨り隷下部隊の指導にまわっていた。

「衛本! ご苦労!」

 馬上から顔見知りの中隊長に声をかける月代。

「異状ありません」

 キレのいい動作で敬礼をして、ハキハキした声で報告するのは衛本大尉だ。

 月代はゆっくりと右手を挙げて答礼をした。

 ニッと笑顔を作る。

「連隊長は?」

「連隊長は第一線中隊の位置に前進しております」

 衛本の中隊は包囲環の一番後ろに位置し、予備の任務を受けていた。

 敵の攻勢があったときの増援、最終的に突入して敵を倒す任務など付与されている。

 臨機応変に対応できる中隊長だから予備の任務を与えられているのかもしれない。

「そうか、わかった」

 そう言って月代は馬首を返そうとした。

「司令……」

「ん?」

 衛本が何か言いたそうにして言葉を呑み込んだ。そして、その代わりに視線を微かに月代からずらす。

 その視線の先にはソルがいた。

「いや、その」

「はっきり言え」

「あ、その……ソル殿の絵を、描いてもよろしいですか! いや、奥様の絵を描きたいとか、そういうのは失礼だということを重々承知しておりますが」

 月代は衛本が元々画家志望だったが、武家の出だったため軍人になったと聞いていた。

「申し訳ありません、司令の奥様を」

「いや、問題ない」

 そう返事をした月代。

 ソルが不思議そうな表情を微かに浮かべる。

 一応気にはなっているらしい。

「どうした?」

 彼女は馬をゆっくり歩かせ近づいてきた。

「衛本大尉があなたの絵を描きたいといっている」

「絵?」

 首を傾げるソル。

 マーレ・トランクイリタティスに絵画の文化はない。

 芸術とかいったものは不必要であった。

 写真に比べると不完全――彼らにしてみれば――な絵画を見て喜ぶ感性が理解できないのだ。

「問題ないが」

 ソルはそっけなく答えた。

 そもそも絵を描くことだけでなぜ許可を貰おうとするのかわからなかった。

「よかったな」

 月代は笑う。

「あ、ありがとうございます」

 ソルを前にすると緊張してカチコチになる衛本の仕草が面白かった。

「ん? 実はもう描いているのだろう」

 意地悪い顔をする月代。

「あ、その」

「怒らんよ、ちょうどいい、ソル殿に見てもらうといい」

 月代はそう言って手を伸ばす。

 彼は衛本がソルを見ては何か描き込んでいる姿をみたことがある。

 懐に入れている手帳を取り出す衛本。

 彼は恥ずかしそうにそれを月代に渡した。

 月代はそこに描かれた妻の絵を見て感嘆の声を上げる。

「すごいな、衛本」

 何度か首を縦に振りながら彼は感心している。

「ん、どれ」

 ソルは催促するように手を伸ばした。

 彼女が手帳を手にした時、衛本は彼女を見上げながら顔を真っ赤にしていた。

 心臓の音が月代にも聞こえるぐらいの緊張で。

「……ふむ、これがわたしか」

 鉛筆で描かれた彼女の繊細な表情がアップで書かれていた。

 黒い鉛筆で描いているはずなのに、彼女の白さや幻想的な感覚をうまく表現している。

 彼女はページをめくった。

「わたしはこんな鳥をかったおぼえはない……それに翼など、はえていないが」

 そう言って眉をひそめているが、物珍しそうな反応で絵を見ている。

 草原に座ったソルが翼を広げた鷹を撫でている絵だ。そして彼女の背中には大きく透明な翼が存在していた。

「衛本大尉、この翼はなんだ」

「……その……翼が生えているように思えたからです」

 月代は笑った。

 面白いことを言う奴だと。

 彼が言ったことはなんとなくわかる気がしたからだ。

「理解できない」

 そっけなく全否定。

 首を傾げたソルは月代に視線を向ける。

 笑うのをやめ、彼は向き直った。

「ソル殿、僕はとても素敵な絵だと思うが……あなたの魅力を表現している」

 芸術というのはよくわからないが、翼がついたソルの絵は確かに彼女そのものだった。

「もっと描いてもらってもいいだろう」

 彼女は少し考える素振りを見せる。

「わたしなんて描いてなにが楽しい」

 素直な疑問。

「……いや、その」

 衛本が言葉を濁すのを見て、月代は笑顔を作った。

 二〇代後半の若く凛々しい軍人の姿とソルを見比べる。

 ――お似合いだ。

 ありふれた言葉。

 そう頭の中で浮かんだ表現に納得した。

「ソル殿が了解しているのなら、屋敷で描いてもらったらどうだ」

「べつにいいが」

 そっけない返事。

「ありがとうございます!」

 パッと笑顔が咲いた衛本が頭を下げた。

 その時だ、騎兵伝令が馬蹄の音を響かせて走ってきたのは。

「守備隊長! 要塞歩兵連隊の主力が集落の一部に火を」

 一瞬にしてにこやかだった月代の顔が軍人の顔に戻る。

 パンッ。

 破裂音が響いた。

 右手の拳を左手の掌に打ち付けた彼は歯を食いしばる。

東雲(しののめ)……っ!」

 町の方から煙が上がっているのが見えた。

「衛本中隊長! いつでも火事を消火できるよう、一個小隊を準備しておけ」

 彼はそう指示すると馬を駆けさせた。

 一瞬にして鬼の形相に変わり慌てて走り出した夫を見ていたソルは、不思議そうな表情だ。そして一歩遅れるようにして彼女は彼に続いた。

 最速で目的地にたどり着いたものの、すでに住宅の一部は焼け落ち、高く火柱が上がっていた。

 炎に照らされた連隊長の顔。

 その陰影が傲慢な表情を更に増長させたいた。

 そんな東雲大佐を見つけ馬から飛び降りる月代。

「何をやっている! 東雲!」

 殴りかかる勢いで迫る。

 その剣幕にふてぶてしい態度をとっていた東雲は怯えの表情に一転させ、逃げるように後ずさりをした。

「包囲中の兵卒が二名、便衣兵に殺傷されました! 放っておけません!」

 それでも粘着質の声は変わらない。

「まだ住民がいるんだ、巻き込むな」

「守備隊長は甘すぎます! これでは一〇〇年かかってもフーゼを殲滅できません」

「だれが殲滅しろと言った!」

 あくまで月代が命令したのは駆逐――追い払う――である。

虎族(コゾク)の民を無為に殺せば新たなフーゼを生むだけだ、なぜそれがわからん」

「それをまた殲滅すればいいだけです」

 東雲は下がらない。

「守備隊長はコゾクの民の方が、帝国陸軍の兵よりも大切だとおっしゃるんですか」

 月代は呆れた顔になる。

 いつもこうだ。

 比べれないものを比べ、複雑な事情を単純化し物事を正当化しようとする愚かな選択。

「論点をすり替えるな」

「ですが……」

「いいから火を消せ! 守備隊長命令だ!」

 月代は珍しく強い口調で東雲大佐に迫っていた。

 ソルはそんな夫の姿をみてやはり首を傾げていた。

 何を怒っているのか理解できないからだ。

 東雲大佐がやっていることが間違いとは思えない。

 効率的な方法をとらない夫の姿を見ながら、彼女は少しだけ苛立っていた。

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