第4話「きみはわたしにたいして、ひどく誤解をしているようなきがする」
城下町が焼けていた。
逃げる人々たちに逆流するひとりの兵士。
必死に走っているせいか息が苦しい。
だが苦しいのはそれだけが原因ではなかった。
彼の助けを待っている存在がいるからだ。
胃液が肺に流れ込んで窒息するような気分。
被服にべっとりついていた返り血も今は黒い染みに変わり、右手と刀の柄を縛り付けている布も吸い取った血が乾いてカサカサになっていた。
妻には逃げていて欲しい。
家なんて捨てて、子供たちを連れて。
そう願っている。
だが、そうならないこともわかっていた。
彼女は逃げないだろう。
武家の妻だから。
町民街を抜け、武家屋敷の通りに差し掛かった。
帝を旗印にした敵に反乱軍と名指しされた彼の国。
世の中の流れは彼が中央で働いているうちに逆転していた。
反乱軍を取り締まっていた自分達が反乱軍になっていた。
屋敷に近づいたところで、敵の兵士を発見する。
三人。
彼は躊躇しない。
音をたてずに距離を一気に詰める。そして、その一人の肝臓を貫いた瞬間でさえ敵に気付かれなかった。
即死状態で崩れ落ちる兵士。
月代は抜きながら返す刀でそのままもうひとりの首を捉えた。
動脈を切り裂き血の噴水で顔を濡らす。
やっと気づいた敵が慌てて小銃を構えた。
月代は左手を伸ばし顔面を掴む。
最初の一撃で気付かなかった時点で命取りだった。
そのまま人差し指と薬指を相手の目に滑り込ませ、容赦なく眼球をえぐる。そして顎を突き上げるようにして押し込み、後頭部から地面に打ち下ろした。
音斬り慎太郎。
肝臓を一刺、悲鳴を上げさせることなく返り血も浴びず暗殺する腕を持つ男。
恐怖の対象として敵につけられた通り名。
だが、乱戦下ではそうもいかない。
返り血を浴び、肩で息をしフラフラと歩く姿は音斬りの異名は似合わなかった。
彼はやっとの思いで自分の屋敷にたどり着く。だが、そこはすでに荒らされた跡が点々と広がっていた。
入口で薙刀を持ったまま倒れている母。
月代は壁に手をつきながら歩く。
自分の母だった人間の生暖かい血で滑りそうになりながら。
彼は叫んでいた。
妻の名前を。
子供たちの名前を。
わかっていた。
返事がないことは。
妻が選びそうな場所に自然と足を向ける。
ところどころ家捜しをした跡が残る廊下を彼は進んだ。
血の付いた襖。
それを開けた瞬間、覚悟した風景が広がっていた。
紅に染まり畳に転がったふたつの小さな体。
視線を落とすと見知らぬ男の背中がひとつ。
被服が乱れた妻にまたがっていた。
その周りで汚い表情をした男達が驚きの声を上げた。
彼が絶叫し男の首を斬り落とす、
横薙ぎに蹴りを入れた瞬間妻と目が合った。
哀しいはずなのに、悲しいはずなのに、でもひまわりのような笑顔だった。
月代は野獣の様な声を上げ、残り四人を切り刻む。
血だらけの部屋で妻を抱き起すまでの記憶はない。
嗅覚が麻痺するような臭気を漂わせる肉塊がボトボトと転がる世界。
自分の息子と娘、他に転がる汚らわしいものとの区別がつかないような光景。
「斬る! 斬ってやる! すべて斬ってやる!」
彼は叫んだ。
ひたすら叫んだ。
「叩き斬ってやる!」
ハッと目が覚めた時は、暗闇の世界だった。
ベットから身を起こしている自分に気付く。
実際に叫んでいたことがわるような余韻。
震える右手と左手を暗がりの中で確認した。
血が固まりカサカサになった布もなければ刀も持っていない。そして、左手に妻の顔はない。
喉がからからだった。
びっしょりと汗をかき、絹の長襦袢が濡れて気持ち悪い。
虎州の秋の夜は摂氏ひと桁台まで冷え込む。
寒気でブルッと体を震わせた。
彼は気を取り直し、ベットから降りる。
長襦袢を脱ぎ褌だけになった。
汗で濡れた長襦袢は不愉快ですぐにでも脱ぎたかったからだ。
彼は寝室を出て、台所に向かった。
水を入れているやかんを探す。
「ふう……」
オレンジ色の琺瑯のカップに水を注ぎ彼は一気にそれ飲んだ。
妻は舌を噛み切って自ら命を絶っていた。
犯された自分が許せなかったのか、子供を守れなかった自分を許せなかったのか、それとも遅かった夫を許せなかったのか。
あの笑顔はなんだったのか。
どうして、自分がいるのに命を絶ったのか。
今でもわからない。
もう二十年近く経つというのに整理がついていなかった。
やかんに再度手を伸ばし、もう一杯飲もうとする。
不意に部屋の隅に設置してあるアルコールランプやロウソクの火が一斉に灯った。
「……ねごとがでかい」
彼が振り向くと、腕と足が露出した寝間着姿のソルが立っていた。
彼女が精霊を使ってランプに火を付けたようだ。
ランプの薄暗い光に照らされ、その透き通るような白い髪がキラキラと光っている。
彼女は寝起きはあまりいいほうではないようだ。
いつもに増してたどたどしい言葉使いだった。
「すまない」
彼は謝ると同時に褌一枚であることを思い出す。
慌ててランプの光が弱い位置に動いた。
「わるいゆめをみたのか、こわいなら子守歌をうたってやってもいいぞ」
意地悪を言ったつもりはないようだ。
自分が年長者であることを意識しているのかもしれない。
彼女はあくびをして眠そうな顔をしているため、表情からその真意は読み取れない。
彼は再度コップに満たしていた水を一気に飲み干した。
「昔の記憶の夢をみた、二度と思い出したくないが、忘れたくもない、そんな記憶の」
「……どっちなんだ」
ソルはあくびをもう一度する。
「確かに矛盾だな……わかってはいるがなかなか整理がつかない」
暗がりのなか、じっと月代の顔を彼女は観察した。
「なみだ」
頬に残っているカサカサしたものに触れる彼。
「泣いていたのかもしれない」
「ねながら泣くなんて、きようだな」
「ああ」
彼は自虐的に笑った。
「ソル殿は夢をみることはあるのか」
ソルが少しだけ眉をひそめる。
「きみはわたしにたいして、ひどく誤解をしているようなきがする」
「もしかして……みないのか、と」
「ばかにしているだろう」
「夢なんか見るのは野蛮な証拠……そう言われるかと思った」
「わたしだって夢ぐらいはみる」
彼女はそう言うとやかんの位置に近づいた。そしてガラス製のカップを取り出して水を注ぐ。
薄いシャツとショートパンツという格好がはっきりと見える。
月代は目のやり場に困り戸惑った表情を浮かべた。
「夢をみても……あんなにさけんだりはしないが」
彼女は声の抑揚があまりないため、感情が読み取りにくい。だが彼を非難しているようだ。
寝起きの悪さと、めずらしく饒舌なことを鑑みるとそうなのかもしれないと彼は思う。
「申し訳ない」
彼は頭を下げた。
「ただ、僕の国の女性はもう少し肌を隠す方なので、身内とはいえ人前にでるときは気を付けた方がいい」
彼女の白い太ももが露わになっていることを彼は指摘した。
だがそんな彼こそ褌一枚だ。
一人暮らしが長かったため、つい同居人がいることを忘れていた。
寝ぼけていたのは月代も同じだった。
「夫殿にそんなかっこうでいわれても、説得力というものがない」
皮肉をいっているようだ。
相変わらず声に抑揚がないから、嫌味には聞こえない。
彼はだんだん今の状況がいたたまれなくなってきた。
指摘を受けてごもっともだと思ったからだ。
「男ひとりでいることが長すぎた……昔の感覚で生活する癖が治らない」
そんな言い訳をする。
ソルは夫の半裸から目を逸らした。
彼女が育った国に、こんな傷だらけの体の男はいなかった。
それにソルの国の男性は筋肉も脂肪も無駄なくついていた。
彼みたいにどことなく隙があるような体型ではない。
もちろんソルも含め女性も。
月代はうっすらと脂肪が乗った筋肉に包まれていて、もちろん引き締まっているが柔らかい感じも残った体型だった。
脇腹などは肉がのっていて、そこを無性につまみたくなる様な気分にソルをさせる。
不完全な体型。
なんだかソルなりに気まずくなっていた。
「……わたしは夫殿のはだかをみたぐらいで動じない、きみの国はそういう文化なのだろう、だいじょうぶだ」
月代はなぜ彼女がそんなことをわざわざ言うのか理解できない表情だ。
少しだけ頬を赤くするソル。
彼はそんな妻の姿を見てますます混乱していた。