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一等国の冷徹妻と三等国の憐憫夫  作者: 崎ちよ
第1章 切なさの夏
3/12

第3話「……それは妻としてやるべきことだな」

 フーシュの夏は寒暖の差が激しい。

 昼間は汗ばむほどの気温になるが、夜は暖房器具が必要になるような気候である。

 ソルは屋敷の庭に出て、眩しそうに夏の空を見上げた。

 体のラインがしっかりでるようなタイトな軍衣。

 首元さえ黒い布で隠しており、顔以外に露出している部分はほとんどない。

 風通しも悪そうで、夏に着ている服にしては暑苦しい感じに見える。

 だが、彼女は詰襟のフックさえも外さない。

 定期的に自分の体に寄生している精霊(ナノマシン)たちに語りかけて、服と皮膚の間にある空気を流動させているからだ。

 このため、汗をかくこともなかった。

 そんな涼し気な表情の彼女は、右手を伸ばし手のひらを空に向けている。

 空気中の水分を凝縮。

 掌の上でだんだん形成されていく球体。

 太陽の光を乱反射させながら空中に浮く水の塊だった。

 彼女は口を微かに開き精霊に語り掛ける。

 するとその表面が白く変色していった。

 表面が凍っていく。

 内側が徐々に個体に変わっていった。そして、白い水蒸気が表面を漂い出す。

「すごいな」

 ため息をつくように出た感嘆の声。

 ソルがゆっくりと振り向く。

 ふわりと真っ白な髪の毛が揺れた。

 彼女の夫である月代が視界に入る。

「夫殿、めずらしいか」

 彼が革命後使っている慎独(シンドク)という名はあるが、彼女はそうよんでいた。

「そう思わない方がおかしい」

「わたしにしてみれば、きみたちのほうがめずらしい」

 月代はフッと笑う。

「未開の地に這いつくばる野蛮人」

「そう聞いてきた」

 ソルはそっけなく答える。

 月代は出会って数週間、彼女のそういう態度に違和感を持っていた。

 でも今はずいぶんと慣れてきた。

 これが自然な態度なのだ。

「僕はあなた達が(あやかし)だと聞いていた」

「あやかし?」

「非科学的でこの世の(ことわり)から逸脱した存在」

「科学はきみたちよりもすすんでいるが」

 何を言っているのか理解できない。

 彼女はそんな感じに首をかしげた。

 もちろん表情はそのままで。

 ソルの国であるマーレ・トランクイリタティス。

 百年前に月面から追放され地上に降りた一族である。

 彼らは高度な科学技術を持つとともに、体内増殖型の精霊を自在に操り、大気の物質を化学変化させることや体内の治療、そして遺伝子操作まで可能にしていた。

 月面世界の保安業務を完璧に行う完全な存在。

 それを生み出そうと徹底的に遺伝子操作をした結果の人種。

 遺伝子レベルで一族という共同体の生存を第一義とし、集団を重んじ煩悩を排除した人間がつくられていった。

 彼らの特徴であるアルビノ体質もその過程で遺伝子に書き込まれたのかもしれない。

 だが、この一族が月面で浮いた存在になるまでに多くの時間を必要とはしなかった。

 何もない荒野に住居を築き、国を作った。

 この百年の間に侵入してくる国もあり、紛争が起こったこともある。

 都市を焼き尽くす地獄の業火を作り出して、彼らは敵対する国家の都市を躊躇なく焼いた。そして、敵の戦意を破砕し常に勝利を得ていた。

 その彼らの能力の元となっている精霊。

 彼らが降り立った土地は人さえもいない荒野だったが、精霊の活動になくてはならない物質(ルアステン)が豊富に採取できた。

 だが貴重なルアステンは近年までに枯渇しつつあり、これを確保するため国の外に出る必要性が生まれたのだ。

 彼らがやっきになって――もちろん傍からみればそういう態度には見えないが――探していたルアステン。

 フーシュの大地に存在することが判明し、過去に彼らが戦ったソコクとジェンと敵対関係にあるオーワに目をつけた。そしてルアステンの発掘を条件に同盟を結んだのが最近のことである。

「お茶でも」

 そう言って月代は庭から建物内にソルを誘った。

 彼は先に屋内に入ると使用人に耳打ちし、丸い木のテーブルにつく。

 少し遅れて部屋に入ってきたソルは椅子に座らず、家具の上にある着物姿の男女と二人の小さな子供の写真に目を向けた。

 写真の前で立ち止まっていた彼女はしばらくして月代の正面に座る。そして、月代の目をジッと見た。

 彼はその澄み切った瞳に吸い込まれそうな変な気分になってしまい、たまらず目を逸らす。

「きみの家族か?」

 彼女は座ったまま首を動かしモノクロ写真に目を向けた。

「妻と娘、それから息子だ」

 月代は静かな声で答えた。

「そうか」

 ソルはなんとなく変な気分になって口をつぐんだ。

 気まずい緊張は月代も感じていた。

「いずれ正妻殿に挨拶しないとな」

 ソルは写真の方を向いたまま言った。

「……え?」

(めかけ)というものなんだろう、わたしは」

「どこでそんな言葉を」

 彼女は活版印刷の本を見せる。

 オーワの風習について書いてあるソコクの本だ。

「一夫多妻制というのは理解にくるしむが……それが文化ならしかたがない」

「挨拶なんか必要ない、妻はあなただけだ」

「あの写真は妻だといった」

「ソル殿との関係があまりに現実離れしてて、ついついあなたが妻であることを忘れてしまう」

 月代が笑う。

 ソルは不思議そうに首をかしげた。

「現実離れ」

「あなたは美しすぎる、西洋画に描かれているような妖精が家に住み着いた感じだ、妻というより」

「変なことを言う」

 彼女は眉をひそめた。

 この無愛想な妻に感情というものがあるということを、彼は最近わかってきていた。

 それにしてもなぜ怒っているのかはわからない。

「だいたい今でも浮世話じゃないかと思っている」

「ウキヨバナシ……」

「ああ、四十過ぎの男にこんなに若くて美しい人が」

「いくつだ? きみは」

「四十三」

「ふむ、わかいな」

「若い?」

 目の前の二十(ハタチ)そこそこの娘がそんなことをいうので、彼は破顔した。

「わたしは六十年いきている」

「は?」

 ――冗談を言うような相手ではないか……。

 彼はまじまじとソルを見つめる。

 どう見ても二十代。

 彼が信じられないのは無理もないが、マーレ・トランクイリタティス人は彼らに比べて三倍の寿命があった。

 成人までは人と同様に成長する。そして、それ以降はゆったりと老いていくのだ。

「……なにかへんなことをいったか?」

「いや、それならあなたの本国に別の家族が……子供がいてもおかしくないな……もし、そうなら悪い思いをさせている」

 もしかして政略結婚のため、そういうものを置いてきたのかもしれない。

「いない」

 彼女はそっけなく答える。

「遺伝子を結合させたことはない」

 必要となれば体外受精と人工子宮で子孫を残すのが彼らのやり方だ。

「そう思った相手は?」

 何気なく月代は聞いた。

「そういう質問はやめたほうがいい、あまりひとにむかっていうべきではない……文化がちがうというのは理解するが」

 彼女は目を逸らした。

 微かに震える唇。

「申し訳ない」

 彼は素直に頭をさげる。

 彼女は席を立った。そしてモノクロ写真の隣にあるガラス瓶に目をやった。

 色とりどりの粒状のものが入っている。

「なんだこれは」

 顔を近づけて彼女はまじまじと見つめた。

 五色近くあるその粒の表面には凹凸があり不思議な形をしている。

「金平糖」

「コンペイトウ?」

 彼の妻が好きだったお菓子。

 大陸に渡るとき、写真とこの瓶を持ってきていた。

「砂糖菓子の一種だ、食べてみるか?」

「……甘いのか」

「ああ」

「わたしはこどもではないから、あまいものでよろこばないが」

「そうか」

 彼女は瓶から目を離さない。

「僕の国のことを知るために食べてみてもいい」

「……それは妻としてやるべきことだな」

「ああ」

 彼は立ち上がるとソルの頭の上から腕を伸ばし瓶を取り上げる。そして、コルクの蓋を抜いた。

 瓶を振って金平糖が転がり、子気味のいい音がする。

 彼は彼女に手を出すように促した。

 ソルが左手を出したので、その手のひらの上に瓶を傾ける。

 赤、緑、白、紫そして黄色のつぶつぶが転がり出た。

 ちらっと見上げるソルの顔は相変わらず無表情だ。

 それでも彼は彼女の上目遣いにドキッとしてしまう。

「どうぞ」

 彼女は躊躇なく粒の一つを口の中に入れた。

 コロコロと言う音が口の中でなる。

 ぼり、ぼり。

 ちらっ。

 彼女はもう一度見上げた。

 月代は少し笑って瓶をもう一度かたむける。

「べつにわたしはあまいものが好きというわけではない」

「どうぞ」

「精霊をつかうと、ひつようになる栄養源なのだ」

 ぽり、ぽり。

 妻の心の動き、照れと喜びというものを初めて見た気がした。

 少しほほに紅がさしうっとりする姿。

 ふと思い出す。

 都から戻った土産に買ってきた砂糖菓子を妻に渡した時の顔を。

 ソルとは真逆の表情。

 パッと咲いたひまわりのような笑顔。

 似ても似つかぬ二人の姿と表情。

 だが、彼はなんだか懐かしい気分にひたってしまった。

 彼女が不思議そうな顔をして見上げていることに気付くまで。


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