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一等国の冷徹妻と三等国の憐憫夫  作者: 崎ちよ
最終章 消えていく春
12/12

最終話「ばか」

 敵が攻撃を始めて二十日が経った。

 衛本大尉が戦死した昨日の戦闘を最後に、敵との近接戦闘は生起していない。

 散発的に砲弾が落下してくるだけだった。

 二個連隊を並列して攻撃していた敵旅団の損耗が激く、予備旅団との部隊交代を余儀なくされたからだ。

 月代は衛本が残した五十名程度の兵士を、月代以外に残っている唯一の将校である副官だった中尉に任せ後退させるつもりだった。

 その時間を稼ぐために、五人程度で月代自ら夜間の斬り込みを行い、敵を擾乱させ、攻撃開始のための準備を少しでも遅らせようとしていた。

 要塞に部隊がいないとわかれば、敵は騎兵を使って追撃に移るに違いない。

 そうなれば、五十人の歩兵など一網打尽にされることは目に見えていた。

「守備隊長……自分も」

 そう食い下がる中尉。

「軍旗を誰が守る、中尉しかいないんだ」

 男泣きする中尉を追い払うようにして彼はその日の未明に彼らと別れた。

 感傷に浸る暇もなく、残った彼らは斬り込みの準備のために動きだす。

 目標も決まっていた。

 敵は山砲の砲弾が尽きたことを知っている。

 そうなると敵の前方指揮所は見晴らしがいいところを躊躇することなく選ぶだろう。

 砲弾を落とされる心配がないからだ。

 虎州の地形を月代は熟知している。よって敵はこの要塞の様子をよく監視できる鼠山の方を選ぶことを予想できた。

 新月の夜。

 暗夜が彼らを包み込む。

 彼らは自分達が作った鼠山に通じる補給品運搬用の獣道を進んだ。

 その途中で要塞へ続く主要道路の様子を伺うことができた。

 道路に近づくと夜間にも関わらず、要塞の方向へゾロゾロと歩いている鋭気たっぷりの部隊と、逆方向に進む心身共に疲れ切った部隊が交差していた。

 傷だらけの部隊は先ほどまで月代たちと戦っていた者たちだろう。

 彼らが狙うのは交代して体力がたっぷりある旅団の司令部。

 前方指揮所にいる指揮官と幕僚たちである。

 彼らは進む。

 煌々と明かりが灯っている鼠山山頂近くの旅団指揮所。

 彼らは要塞方向からぐるり回って、横合いから接近した。

 ソコク語の会話が聞こえるぐらいまで。

 急造手投げ爆弾の導火線に点火する。

 それをテントに向け投げさせた。

 爆発と同時に突入し、手当たり次第に月代は斬り伏せ、他の者たちは銃剣を突き立てる。

 軍衣に金装飾が多い男を見つけた。

 旅団長か高級幕僚に違いない。

 月代は一直線に走り抜け、男の脇腹を一刺しする。

 男は声も出さずに絶命した。

 よくよく階級を確認すると大佐。

 将官である旅団長ではない。

 月代は派手な軍衣の男を探す。

 だが、そう思った人物は既に背中を向けており、その手前には数人の兵士が立っていた。

「腰抜けが!」

 そう叫ぶが言葉が通じるわけもない、それに通じたとしてもそれを美徳とする相手でもない。

 後は乱戦になった。

 たった五人の襲撃だったが、旅団に対するオーワ軍の陣前出撃という噂が一気に駆け抜ける。

 敵は混乱した。

 未だ初戦を経験していない部隊だったせいもあるが、浮足立った敵の一部は暗闇の中で見えない敵と戦いを始めた。

 その結果、多数の友軍相撃が起きて混乱が生じていた。

 月代は数人を斬り伏せた後、混乱を起こす敵陣地内をすり抜ける様にして要塞へ向う。

 なんとか要塞に戻ったころには夜が明けていた。

 夜襲に参加した他の兵士たちの姿はない。

 敵は混乱しているとはいえ、月代のようにここまで戻ってくることは至難の業だった。

 彼は敵とは逆の方向――要塞の南側――がよく見渡せる場所へ登った。

 ここより南側は視界が開け、凹凸の無い草原が広がっている。

 山など遮るものはなく、地平線の奥まで見えた。

 要塞がなければ、一気に軍を進めることができる地形。

 彼は十数キロメートル先まで見える視界に、中尉が率いた部隊が見えないことを確認した。

 歩き出して十二時間、すでに四十キロメートル以上離れているはずだ。

 不思議だった。

 誰もいない要塞。

 静かな空間。

 朝焼けの空を見上げ彼は地面に正座した。

 ――もうこれでいい。

 刀を正面にゆっくりと置く。

 彼は肋骨服おもむろに脱いで、茶色い染みがところどころに付着している白いシャツだけになった。

 そしてシャツの前ボタンを外し、胸から腹にかけて肌を露出させる。

『虎州国境守備隊長は要塞を死守せよ』

 彼は命令が書かれた文章と衛本が描いたソルの絵を取り出し地面に置いた。

 風で飛ばないように重しの小石を乗せて。

 ――短めの刀にしておいて良かった。

 そんなことを考え、ふと笑う。

 ――やはり準備していたんだな、僕は。

 紙片に目をやる。

 地面から彼を見上げるソルは笑顔だった。

 彼が一番気に入っていた絵。

 ――礼儀作法も何もないが。

 二尺に満たない短めの刀とはいえ、小刀でやるような作法はできない。

 彼は二尺弱の刀の柄を地面に固定する。そして、地面にもたれかかるようにして腹を突き抜くつもりだった。

 ――やっといける。

 そう思った瞬間、あの革命で死んだ同志達の顔が浮かんだ。

 次に息子と娘、そして妻の顔が。

 彼女はあの日と同じ、ひまわりのような笑顔を彼に向けていた。

 気合を入れることもなく、体重を乗せるようにして前のめりに倒れる。

 刀が腹部に突き立てられた。

 音を立てることなく鋭利な切っ先が皮膚を抜け、筋肉を切り裂き、内臓を突き抜ける。

 悲鳴を上げることなく、彼は朝焼けを見上げた。

 苦痛に引きつった顔はなぜか笑顔に見えた。

 血に濡れた白刃が背中から顔を出し、朝焼けの色を反射する。

「すまない」

 彼は声に出してそう言った。

 地面に広がっていく赤い沼に沈みながら、あの草原の向うに行ってしまった愛するもうひとりの妻にそう言った。

 ――未練か。

 彼はそう思いながら刀から手を離した右手を伸ばし、ソルの笑顔に触れる。

 指先の赤い液体が紙に染み込んだ。

 最後の力を振り絞って動く指先。

 彼女の白い頭を撫でるように。

 愛しさを込めて。

 ゆっくりと。

 ゆっくりと。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。

 


「野蛮」

 感情がこもっていない声。

「野蛮な方法」

 彼女は自分の国の言葉でそう呟く。そして、不機嫌な表情のまま眠っている男の唇にキスをして去っていった。

 しばらくして男の指先が微かに動く。

 無くなっていた感覚の一部がじわりじわりと戻りはじめていた。

 不愉快な頭痛。

 カラカラに乾いた喉。

 痺れた唇。

 瞼を開けるのも億劫な虚脱感。

 男は薄目を開けた。

 黒い軍衣と白髪の背中。

 彼は声を出そうと口を動かそうとする。

 息も漏れずに微かに唇が動いただけだった。

 遠くで聞こえるコゾク男女の甲高い声。子供の声も複数聞こえる。

 鶏の鳴き声。

 犬の吠える声。

 そこで男の意識は飛んでしまった。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 彼は自分自身の唸り声で目を覚ました。

 薄目を開けると泣きそうな顔をしたソルが目の前に迫っている。

「ばか」

 彼女はそう言って月代の首に抱き着いた。

「……ソル殿」

 彼はかすれた声でそう言った。

「……」

 感情が溢れ出て声にならないソルは、抱きしめる力を強くした。

「……どうして……」

 しばらくして落ち着いた彼女は口を開く。

「知らん」

 やっと言えた言葉は、ひどく素っ気なく、そして質問に対する説明を拒否していた。

 なんとなく怒っていことが月代にはわかった。

 泣いていることもなんとなく感じた。

「きみは一度死んでいる」

 ソルはそう言った。

「……死んだつもりだった」

「あのくらいの傷じゃ死ねない」

 彼は急に恥ずかしくなった。

 もしかして臆病風が吹いて切腹した幻想を持っただけじゃないんだろうか、と。

 ためらい傷ぐらいかもしれない。

「からだを貫通した刀をぬくのはひと苦労だった」

 そう言って彼女は上目遣いに月代を睨んだ。

 不思議なことに、その言葉で安心する月代。

 彼が心配していたことはなかったようだ。

「そもそもきみは精霊を動かそうという気もなかったからな……つかれた」

「……精霊?」

「夫殿のからだのなかにはわたしの精霊がうつっていた」

「移った?」

「あの行為のお陰で」

「あの行為?」

 バフン。

 彼女は月代が頭を乗せている綿の枕を引き抜き、そのまま頭を叩いた。

「それいじょうはいうな、もやす」

 物騒な事をいって顔を赤くした。

 ソルから月代へと宿った精霊の力。

 腹を切ったあの日。

 彼の中に微かに残っていたソルへの想いが無意識に精霊を動かしていた。

 一方ソルは住民を送り届ける途中、月代の元へと戻ることを決めた。

 途中で引き上げる東雲大佐とすれ違い、要塞から離脱する中尉から話を聞いた。

 彼女は彼に逢いたい想いだけで戻って来たのだ。

 何も考えず、戦場に戻る意味も考えず。

 あの日別れたことを後悔していた。

 あの国にもう帰りたくない。

 確かにそれもあった。

 でも、それは彼といっしょに居たいと思う気持ちを湾曲して言っていただけだった。

 彼女はそのことに気付いてしまった。

 ただ、隣にいたかっただけなんだと。だからもう一度会ってそれを伝えようとした。

 だが、彼女が要塞に着いた時にはもう何もかも遅かった。

 彼女が見た光景は、血の海に沈む月代の姿だった。

 絶望が彼女を襲い、硬直する彼女を朝日が照した。

 脱力した彼女はフラフラと倒れる様にして彼の背中に覆い被さることしかできなかった。

 異変に気付いたのはその時だった。

 刀が突き出た背中の皮膚が修復している様子を。

 彼女は精神を集中し、精霊が月代のなかに宿っていることを知る。

 それでも出血だけはどうしようもできない。

 彼女は彼に突き刺さっている刀を素早く抜き、精霊を使って傷口をなんとか塞ごうとした。

 そうしてソコク軍が再攻撃を始める前に彼を回収し、要塞付近の集落にひとまず逃げ込んでいた。

 そこは昨年の秋にソルの精霊に子供と母親の病気を治癒した家だった。

 恩義を返すために彼らは喜んで受け入れてくれた。

 そうして今に至る。

 その後、順調に月代の回復も進んだが、ソコク軍のフーシュ占領も進んでいった。

 素早く南下する必要があるソコク軍にとって、主要経路から外れた山間の集落に価値はない。

 おかげで二人の存在に気付くこともなかった。

 そうしているうちに時間は過ぎていった。

 コゾクの服を着た月代がゆったりと歩いて庭に出た時には、本格的な春になり、木々や草木の花が咲き誇っていた。

 鶏の糞尿が混ざったような臭いと春の爽やかな花の匂いが混ざった世界。

 麻痺していた五感はすっかり回復していた。

「……ソル殿は」

 傍らにいる女性は白髪ではない。

 真っ黒な髪の毛の彼女が振り返った。

 エメラルドグリーンの瞳が彼を見据える。

 眉毛は染めているが、さすがにまつ毛は白いままだ。

「世界はひろいらしいな」

 そんな当たり前のことを呟いた。

「ああ」

 相槌を打つ月代。

「わたしひとりぐらいあの国からいなくなっても、問題ないだろう」

 少し目を細めてそう言った。

「ああ」

「夫殿は」

「……僕はもう死んだ身だ」

「そうだな」

「僕は西にいってみたい」

「……わたしはきみがいくところについていく」

 月代はやや強引にソルを抱きしめた。そして、唇を求める。

 溢れる感情を注ぎ込むような口づけ。

 しばらくしてお互いの顔を離すと、ソルは少し潤んだ瞳で彼を見上げた。

 月代はソルの頬を右手で触れながら口を開く。

「もう少ししたらできるかもしれない」

 何を言っているのかわからないソルは、数秒間固まる。そして、その意味を理解した瞬間、彼女は両手で彼を突き飛ばすようにして離れた。

 うつむいたままの彼女。

 肩が震えている。

「ばか」

 大きな声だった。

 月代は笑顔で愛おしい女性を見ている。

 そんな彼とは真逆の反応をするソル。

 彼女は耳まで赤くして恥ずかしがり、そしてひどく怒った顔をしていた。

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