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一等国の冷徹妻と三等国の憐憫夫  作者: 崎ちよ
最終章 消えていく春
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第11話「……」

「鼠山と牛山の陣が敵に奪取されました! 逆襲による奪回の許可を!」

 要塞歩兵連隊長である東雲大佐からの直通電話。

 彼は防御陣地に張り付いている歩兵たちの指揮をとっている。だが、生来の臆病さのため穴の中の指揮所に引きこもり、状況を報告するぐらいの存在になっていた。

 月代は要塞前方にある観測所から、そのふたつの山を見ている。

 要塞へ続く道路を挟んで両側に存在する山。

 生き残ったオーワの兵士たちが斜面を下り後退している。その奥の方で、山頂の空際線上に現れる敵――ソコク兵――の姿があった。

 山の頂上まで進出し、遮蔽物も何もない場所に躍り出た裸の敵。

 山砲中隊が次々と放った砲弾が吸い込まれるように落ちていった。

 一瞬にして土煙と火薬の煙に包まれる山頂。

 敵の姿は死を予感させる煙の中へ消えていった。

「逆襲及び陣前出撃は禁止している、苦しいと思うが態勢を維持せよ」

 そう言って月代は受話器を副官に渡した。

 東雲大佐は逆襲する気など毛頭ない。

 勇ましさをアピールして格好をつけただけだった。

 それに逆襲をかけるにしても、味方が完全に後退した後では戦機を失している。

 そんなことは百も承知している月代は断固として要望を拒否した。

 ソコク軍が要塞への攻撃を始めて七日目。

 二つの山を守備していた歩兵二個中隊は、牛山を守備していた中隊長の戦死をはじめ、多数の損害を出しながらも七割以上の戦力を後退させることができた。

 要塞の外郭に位置し、要塞に抜ける道の門柱のように並んでそびえ立つ標高一〇〇メートル程度の山。

 そこで四日は持久するつもりだった月代にしてみれば、期待以上の成果をだしていた。

 だから後退も止む得ないと判断していた。

 じわじわと攻められている日々。

 兵士達は暗い穴の中に籠る日々よりも、フラストレーションを一気に発散する攻撃行動に出たいという欲求がつのるものだ。

 それが日に日に強くなっていることは、前線を回るたびに彼は感じていた。

 ――そろそろ覚悟を決めるか、俺はどこで腹を切ればいい。

 東雲大佐はそんなことを言っているらしい。

 彼は何があっても生き残ろうとする。そう確信している連隊幕僚や兵士たちは冷ややかな視線を向けるだけだが。

 ――逃げ出さないだけましか。

 月代はそう評価している。

 さすがに指揮官が戦線離脱をすると、士気が大きく下がる。

 それを回避できれば十分だろう。

 東雲大佐と月代はソコク軍が進出する前にも衝突があった。

 邦人達を避難のために出発させた後。

 東雲大佐の命令で要塞歩兵連隊の一部が、要塞付近にある虎族(コゾク)の集落に行って食料の調達をするらしいという報告が入っていた。

 月代がまた馬を駆けさせ、現場に行く前に止めたからよかったが。

 ――敵に食料が渡ってしまうのを阻止するためです。

 自信満々の顔をして東雲大佐が言ってきたのに対し「ただでさえ、圧倒的に不利な戦力差なのに、わざわざ敵を作るバカがいるか」と一蹴していた。

 副官が東雲大佐の言う事にも一理あると言ってきたが、コゾクの逞しさを考えればないと答えていた。

 生きるための食料をソコクに渡すはずがない、と。

 ――まあ、うまくやるだろう、彼らなら。

 そう言って月代は笑っていた。

 敵の砲弾に耐えながら、鉄条網を破壊しようとする敵を狙撃する。

 オーワ軍の火器を避けようとして敵が密集すると予想される場所に重点的に監視の目を置き、そこに敵が集まったら砲弾を集中する。

 それでも敵はいくつもの罠を搔い潜り、ひとつひとつトーチカ陣地を落としながら、じわじわと攻めてくる。

 ソコク軍はオーワ軍の数倍の犠牲を出しながらも攻撃の手を緩めることはなかった。

『虎州要塞正面への攻勢については半月の所要あり、虎州国境守備隊は引き続き要塞以北に侵攻する敵を阻止せよ』

 そういう命令書が届いた。

「遅刻するらしいね」

 月代は副官にそう言って笑いかけた。

 当初は二週間もすれば援軍がくるはずだったので、あと一週間という目標だったが、あと二週間持久となれば話は別だ。

 次の日になるとまた別の命令書が届く。

『虎州国境守備隊の奮闘を讃え(みかど)から感状を賜る名誉を与う』

『虎州要塞正面への攻勢は再考中、虎州国境守備隊は引き続き敵の侵攻を要塞以北に阻止せよ』

 月代はそう書かれた紙をサッと読むと、机上に置いて文鎮を乗せた。

「遅刻どころかサボることにしたらしい」

 そう言って笑う月代が、スッと表情を変える。

「ありったけの馬車を使い、負傷者を乗せれるだけのせて後退させろ」

 そう指示をした。

「住民たちが無事避難できるまであと一週間か」

 副官は頷く。

 戦死者や負傷者の数が膨れ上がる一方、望みはどんどん絶たれていく。

 月代は戦況が絶望的になるにつれ、前線に足を運ぶ回数が増えていった。

 時には砲弾が近くに落ちたために崩れた塹壕の土砂に埋もれ、兵士たちに掘り出されたことも、浸透してきた敵の小部隊と白兵戦になったこともある。

 それでも足を止めなかった。

 穴熊連隊長と揶揄される東雲大佐とは対照的に、月代は第一線で散っていく兵士たちの姿を目に焼き付けていった。

 日に日に後退する陣地。

 回収もできず、野ざらしになっていく兵士たちの遺体。

 その数倍の敵の血を大地は吸い込んでいるが、それでも攻撃の手は緩むことがない。

 十日目、初日から鼠山で防御し、後退後も奮戦していた要塞歩兵連隊の第一中隊長が戦死した。

 十三日目になると、とうとう山砲中隊の砲弾が尽きた。

 月代は中隊長に山砲の破壊準備を命令するとともに、再編成して後方の予備陣地に配置させた。

 十六日目、また新たな命令書が届く。

『虎州国境守備隊長は要塞を死守せよ』

 その短い文を見て、月代はため息をついた。

 それは絶望のため息ではなく、安堵のため息だった。

「守備隊ではなく守備隊長……とは……どういうことでしょう」

 月代はハハッと軽快に笑う。

「文字通り僕個人への命令だよ」

「……?」

 月代は幕僚を集め、(あらかじ)め準備していた後退計画の指示をする。

「……中央は死守せよと」

 作戦幕僚が不安な顔を見せた。

「ああ、僕には死守せよと言っている、守備隊は死守せよと言われていない」

 その言葉の意味を理解した作戦幕僚は目を見開いて月代を見た。

「私もご一緒に」

「だめだ、あなたには東雲大佐を補佐してもらわないといけない」

 月代は後退を決心していた。

 中央が求めているのは、対ソコク作戦の緒戦である彼の部隊が無様な姿をさらけ出し、陸軍全体の士気低下をさせないようにすることが目的だろう。

 当初はここで守備隊は死ねといわれていたが、東雲大佐の兄あたりが動いたのかもしれない。

 そこで妥協したのが『守備隊長は死守せよ』なのだろう。

 自分ひとりの命で足りるのなら十分だと、月代は考えていた。

 後退の要領を手早く指示をする。

 殿(しんがり)は志願を募り一個中隊弱を残す。

 東雲大佐は残りの部隊を率い明日未明に出発。

 そういう内容だった。

 東雲大佐が出発前に月代に対して「無事に到着したら自分も腹を切って後を追います」なんて言っていたが聞き流していた。

 二十年前の戦争でもそう言っていた奴らはほとんど腹を斬っていない。

 彼の生死は月代にとってどうでもいいことだった。

 二週間が過ぎ、住民たちは無事街についたことだろう。

 その中にいたソルも。

 守備隊の勢力は当初の半数までに減ったが無駄に死なせる必要はない。

 そう考えていた。

 十八日目になり、死兵となった殿中隊は奮闘している。

 その夜の守備隊本部。

 月代に会いに室内に入ってきた泥と埃にまみれた肋骨服を着た青年。

 志願して残った衛本大尉だった。

「ご挨拶を」

 そう言って彼は左手で軍帽を外すと頭を下げた。

「衛本、右手が……」

「ハハッ、砲弾の破片で指をそぎ落とされました、運よく体には突き刺さりませんでしたので、まだ大丈夫です」

 彼はにっこり笑う。

「だが……絵は描けないな」

「残念ながら……ですがソル殿の絵を最後に描けましたので悔いはありません」

「ちょっと来い」

 月代は手招きをする。

 懐から金平糖を取り出した。そして、怪我をしていない左手を出すように催促した。

「衛本大尉の部下には内緒だ……将校の特権だからな」

 いたずらっぽく笑い三粒だけ、彼の手のひらに乗せた。

「ありがとうございます」

 笑って彼はそのお菓子をギュッと握った。

 彼は気を付けをしてお辞儀の敬礼をする。

「それでは失礼します」

 踵を返す後姿を見送る月代。

 閉じられた扉の方を向いたまま彼はゆっくりと息を吐いた。

「……もったいないなあ」

 隣にいる副官が微かに聞き取れるぐらいの声で彼は呟いた。

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