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一等国の冷徹妻と三等国の憐憫夫  作者: 崎ちよ
最終章 消えていく春
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第10話「こんどそんなことを言ったら、ほんきで燃やす」

 ソルは夢をみていた。

 白と黒の世界。

 六十年近く見慣れた世界。

 白い人々。

 黒い服。

 白い服。

 白い壁と黒い屋根。

 白いシーツに包まれ、黒い天井を見上げる。

 白い人々に囲まれ、黒い地面を歩いた。

 そんな白と黒の世界。

 ここにいる彼女は幼く、遺伝子上の兄弟に囲まれていた。

 同じ顔のこどもたち。

 よく見れば、ひとりひとりの顔立ちはもちろん違う。だが、その表情が個性を消滅させていた。

 同じ表情。

 感情が動かない顔。

 決められた時間に決められたことを行う。

 正しい判断をし、正しい決心をする。

 同じ価値観で、同じ思考をする。

 変わらない日々。

 変わらない生活。

 幼いソルはひとり表情曇らせ、その世界にいる。

 色がない世界。

 もちろん本当は白と黒の世界ではない。

 そう見えてしまうのだ。

 人々のつながりが。

 会話が。

 生活が。

 ミスがない。

 むだがない。

 規則正しく、決められた通り動く人々に色はなかった。

 ――怖い。

 逃げようとした。

 でも体が動かなかった。

 夢だとわかっている。

 このころの自分はこんな感情を持ったことはなかったことはわかっている。

 恐ろしさで表情を曇らせたことも、ひきつらせたこともない。

 今の自分しか、この光景の違和感はわからないと思う。

 それがどれだけ怖いかということを。

 効率性もなく。

 感情というわけのわからないものを振り回し。

 理不尽な選択を繰り返す人々。

 正しい判断ができない人々を。

 彼女は知ってしまった。

 その面白さを。

 その刺激を。

 色とりどりの世界を。

 飽きない日々を。

 白と黒の世界にぽつんといる幼い彼女は体を小刻み震わせた。

 目の前にいる人物に気付いたから。

 遺伝子上の父親。

 彼女はそういわれる人物を見上げていた。 

 静かの海マーレ・トランクイリタティスの王にして、すべての国民の父親であり、祖父であり、曾祖父である男。

 目の前で行われている儀式の光景。

 少女から女性に、少年から男性に変わろうという年頃のこどもたちが集められていた。

 精霊(ナノマシン)をこどもたちの体内に移すための儀式。

 分泌物を通じて彼の体内にいる精霊がこどもたちの体内に宿る。

 それは性行為と同じだった。

 細部の記憶はないが、今見ている光景からするとそうだとわかる。

 女性は陰部に、男性は直腸へ。

 今見ていてもそこに不愉快さは感じられない。

 順番を待っているソルがいる。

 未だ少女の面影が残るソルもここで儀式を受けようとしていた。

 遠い記憶にある光景。

 もうすでにあったこと。

 儀式では月代から感じたような幸福感を得ることはできなかったと思う。

 快楽も。

 何も。

 淡々と終わった。

 だから怖がることはない。

 そこに横たわっているソルはそう思った。

 あの時の記憶。

 起こってしまったこと。

 過去ほんの一瞬の出来事。

 彼らが誰しも通る時間。

 精霊を宿し、大人と認められるための儀式。

 でも。

 そこにいる彼女は震えていた。

 白い男に侵入されることを拒みたかった。

 突き出す腕。

 ばたつかせる足。

 嫌悪感に歪む表情。

 彼女は悲鳴を上げて、拒んでいた。

 彼以外が彼女のなかに入ってくることを。

 嫌だ。

 助けて……。

「……うっ」

 目が覚める。

 嫌な汗が出ていた。

 夢を見ていた。

 自虐的に彼女は笑った。

 夢を見ながらもそうわかっていたじゃないか、と。

 小さく息を吸う。そして月代の無精ひげが生えた顎に視線を向けた。

 彼女は密着していた体を彼から少し離した。

 胸に被せられたままの彼の左手は温かい。

 そうしていると落ち着く、そんなことを彼は言っていたが、未だによくわからない感覚だ。

 代わりに彼女も彼の胸を触ったことがあるが、あまり感じるものはなかった。

 ――いつまでも小僧のままなんだ。

 そんなことを彼は言っていた。

 彼の右腕を枕にしているソル。

 ゆっくりと鼓動する彼の心臓の音を聞くと、なぜか安心した。

 夜明けまでにはまだ遠い。

 彼の肌から直接感じる熱も落ち着かせてくれる。

 あれから少し眠っていたようだ。

 上がっていた鼓動もだいぶ落ち着いてきた。

 ――あれから……。

 彼女は眠る前のことを思い出す。

 少し恥ずかしくなり下腹部がほのかに熱くなった。

 何度目だろうか。

 はじめてしたあの日は、終わったら逃げるように自分の寝室に戻って寝てしまった。

 その次のときも。

 行為を重ねるごとにこうして眠ることが幸福に感じてきて……いつのまにかこうしている。

 不意に頭を撫でられた。

 胸に置かれた手が微かに動き、彼女は少し身を引いた。

「おきているのか」

 ソルが小さな声で言った。

「……うなされていたようだが、どうした?」

 少し心配そうな声の月代。

「むかしの記憶のゆめをみた」

「昔の記憶……」

「われわれがどうして交尾を捨てたのか理解できた」

 月代は鼻で軽く笑った。

 彼女の『交尾』という単語を聞くとついおかしくなってしまうのだ。

 真剣にその言葉を使っているからこそ。

 ソルはそんな彼の反応が不服そうだ。

 彼の腕の中で彼女は上目遣いで睨むようにして見上げた。

「笑うところじゃない」

「それじゃなぜそう思ったか教えて欲しい」

「じかんの無駄だ」

 月代は今度は遠慮して小さく笑った。

 ついこの間までだったら、彼女のそんな言葉に憂鬱になっていただろう。

 自分とのこうした時間が無駄だと言われた。

 そう思っていたかもしれない。

「なるほど」

 彼は声に笑いを含んだままそう反応した。

「ただ受精させるだけで、あんな無駄なことをする必要がない」

「そうかもしれないな」

「快楽なんかいらない」

「そうか……なら、今日は気持ちよく感じてくれたということだな」

「……」

 ガブリ。

 ソルは抗議する代わりに、彼のわき腹の上の方に噛みついた。

 情けない声を上げる月代。

「あんな動きもひつようない」

「ああ、若いころに比べると、体が辛くなる」

「では、もっと緩慢にすればいいだろう」

「むりだな」

「どうして」

「そりゃ、あんなソル殿を見たら、止まらない」

 ガブリ。

 また月代は悲鳴を上げた。

「こんどそんなことを言ったら、ほんきで燃やす」

 ソルはそう言いながら、赤くなった顔を伏せ、体を丸めた。

 月代はそんなソルを抱き寄せ、体を密着させた。

 もう、今度はない。

 だから抱きしめた。

 今日が最後の日。

 少し震えているソル。

 白い頭が熱を持っている。

 たまには朝までこうしていてもいい。

 彼はそう思いながらいつもより強めに彼女の体を密着させた。

 もう冬は過ぎ去ってしまった。

 露営でも耐えれる気候。

 夜も零下まで下がらない気温。

 虎州要塞の邦人の住民達が避難ができる季節。

 紅虎(コウコ)河を越えソコクが侵攻できる春。

 紅虎河も水が引き、氷が解けそろそろ渡河できるという報告も入った。

 敵が侵攻する前に、住民達を避難させなければならない。

 明日、彼女はここを出る。

 住民は南の都市へ避難する。

 それに彼女も同行するからだ。

 住民を賊から彼女が守ることは国の決定に反する行為ではないし、とても助かることだ。

 そう月代が提案した。

 彼女をここに残せば国を裏切って戦うだろうし、ここで命を落とすだろう。本当の理由はそれを回避しするための方便だった。

 朝がくれば、別れの日が始まる。

 だからこの夫婦はいつもより長くこの夜を過ごしていた。

 いつもより強く体を抱きしめ。

 いつもより長く体をひとつにしていた。

 この温もりを忘れないように。

 そう思いを込めて。

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