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一等国の冷徹妻と三等国の憐憫夫  作者: 崎ちよ
第1章 切なさの夏
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第1話「マーレ・トランクイリタティスのソル、きみの妻になるものだ」

 大陸東北部の荒野を襲歩(ギャロップ)で駆け抜ける一頭の軍馬。

 濃紺の陸軍軍衣――肋骨服――を身につけた男が鞍にまたがっている。

 その男が生まれた島国の夏に比べれば、この土地の気候は遙かに涼しいはずだが、額の汗は水しぶきができるほど流れていた。

 遠くに聞こえる単発の銃声。

 しばらくして凄まじい発射速度の破裂音が鳴り響く。

 単発の銃声をかき消すように。

 ――今までの虎賊(フーゼ)とは違う。

 戦場の音を聞いて直感的に感じるものがあった。

 男が所属する小銃(ライフル)しか装備していない大和(オーワ)帝国陸軍とは明らかに違う。

 正式の軍隊でもないフーゼがそんな武器を装備しているはずがないという認識だった。

 だから覇道を突き進む北の蘇国(ソコク)が国境を越え攻めてきたのではないかと肝を冷やしたのも事実だ。

 だが連隊の危機を伝えるために要塞に駆け込んできた伝令は『我が連隊は優勢なフーゼと交戦中』と確かに言っていた。

 まさか敵が噂に聞く機関銃を装備しているということだろうか。

 焦り、緊張から出る汗を彼は肋骨服の袖で拭った。

 その袖には金の太線の上に五条の線で描かれたクローバー型の刺繍。

 陸軍少将であることを示す階級章だ。

 虎州(フーシュ)国境守備隊長の月代(つきしろ)少将。

 フーシュは大陸の覇者と言われた(ジェン)の支配階級の先祖である遊牧民の虎族(コゾク)が住む土地だった。

 この土地はジェンの弱体化に伴うソコクの台頭に、オーワ帝国が対抗するための重要な拠点でもあった。

 大陸に進出したオーワ帝国がこの地に要塞を築いて一年。

 フーゼとの戦闘以外、本格的な野戦の経験がない国境守備隊。

 いつもの嫌がらせ程度の襲撃か、食料調達のためのものか。

 そんな雰囲気で出撃する若い連隊長に上司として釘を刺していたつもりだった。

『敵は馬鹿じゃない、油断は禁物である』

 と。

 ――やはり、任せるには早かったか。

 二十年前の革命戦争で、反乱軍の月代を取り立てた東雲(しののめ)大将の弟。

 豪胆、沈着な兄とは真逆の性格でいっさい戦闘経験もなく官軍の一員として革命に参加しただけで出世をしている青二才。

 プライドだけ高く使い物にならないため、中央は月代に彼の面倒を押し付けていた。

 大隊本部(ケツ)の四個中隊で正式歩兵連隊の半分にも満たない編制である要塞歩兵連隊。

 三流装備の連隊とはいえ六〇〇名の兵士たちを預けている。

 ――本当に油断していたのは僕だな、賊を駆逐するだけだと任せていたが……。

 後悔してもしょうがないことはわかっている。

 だが、自分の判断ミスで多くの将兵を死地に送ってしまった。

 そのことは彼の心に重くのしかかっていた。

 四十三歳という若さで陸軍少将まで取り立てられたことを、未だに身分不相応だと思っている。

 まして辺境とはいえ、時代が違えば一国一城の(あるじ)と言ってもいい。

 一度は(ミカド)に刀を振り上げた身である月代。

 そんな過去があったとは思えない厚遇だった。

 彼はそこまでしてくれた帝国に本心から忠誠を誓い、すでに命を捧げていた。

 だからこそ、虎州国境守備隊長という出世コースとは程遠い報われない役職に抜擢されたのかもしれない。

 ――だが、まだ捨てる場所ではない。

 敵が確認できるとこまで近づいた彼は手綱を引いた。

 火器の射程ぎりぎりの場所で馬から飛び降りた彼は今にも突撃しようとしている中隊長の首根っこを押さえる。

「突撃をやめさせろ」

 二〇代後半の若い中隊長は守備隊長のその言葉の意味が理解できず目をパチパチさせる。

「命令! ラッパ手! 突撃中止っ!」

 ラッパ手は即座に反応して煤けた黄銅のラッパを口に当てた。

 突撃中止のラッパの演奏が響き渡る。

 前奏に守備隊長命令を意味する号令も混ぜて。

 通常、隷下部隊のそのまた隷下に直接命令することは越権行為と言われている。

 非常時と判断した上での行動だった。

 警備所の襲撃を受けた守備隊は、唯一の歩兵部隊である要塞歩兵連隊に『敵を駆逐せよ』という命令を出していた。

 撃滅とは言わなかったのは、敵を深追いすれば罠があると踏んでいたからだ。

 もちろん命令の『駆逐』だけでは誤解があるかもしれないと思い、彼は連隊長に直接口頭で指示をしていた。

 だが、連隊長は忠告を聞かず敵を深追いしたため見事に罠にかかってしまう。こうして一個中隊が敵中に包囲を受けることになった。

 要塞で執務をしていた月代にその一報が入り、慌てて駆けてきた頃にはもうこのような状態である。

 今までの敵なら十分連隊で対応できただろう。

 だが、明らかにいつもと毛並みが違う敵だった。

 機関銃。

 突撃をしても敵陣地に到達するまでにすべてが薙ぎ倒される危険極まりない小火器。

 敵の狙いは囮を餌にして、救出しようと突撃してくるオーワ兵を機関銃で撃破する算段だった。

「連隊長は?」

「この方向、後方三〇〇ほどの場所に」

「っ……」

 月代はつい「あの小心者が」と出そうになった言葉を呑み込む。

 さすがに彼の部下の前で悪態をつくわけにはいかない。

 彼は気を取り直し姿勢を低くして走りだした。連隊長がいるという場所に向かって。

 敵の火器の射程外にも関わらず地面には急いで掘ったような(タコツボ)がある。

 その中で頭を出したり下げたりしている男が彼の視界に入った。

 東雲大佐。

 三十六歳で大佐というのは出世頭と言ってもいい。

 タコツボの中で震えるような性格とは真逆に、顔は(いか)つく、背格好も平均よりも高く太かった。

「守備隊長、なぜ止めるのですか! ここは戦機です! 突撃を!」

「正面は機関銃の十字砲火が準備されている、成功はしない」

 ギロッと睨む東雲。

「我が連隊の死を恐れぬ突撃をすれば」

 月代は彼のその根拠のない自信はどこからくるのだろうかといつも不思議に思う。

「連隊長はどこに敵の機関銃が配置されているか確認しているのか?」

「……中隊長が突撃できるといいましたので」

「質問をよく聞け、どこに機関銃が配置されているか聞いている」

「把握していません、ですが戦機であることは間違いありません」

 敵情も知らず、ただ突撃せよという恥知らずが。

 激高しそうになる心を落ち着けた。

「わかった……あなたが先頭を切って突撃するなら許可をしよう」

 のけぞる東雲、その瞳は怯えの色が浮かんだ。

 その後、見苦しい言い訳を並べると、現場を見てくるといったまま東雲は消えていった。

 月代はまた這うようにしてさっきの中隊長――衛本(えいもと)大尉――のところへ急いで戻った。

 衛本が敵の射線のど真ん中に匍匐(ほふく)しながら進もうとしていたからだ。

「死ぬ気かっ!」

 同様に這いつくばりながら敵の射線に入った月代が衛本の足を掴む。

 悲痛な顔をした衛本が振り返る。

「部下が……」

 トン! トン!

 至近弾が通過する音に身をすくめるふたり。

 目と鼻の先には足に銃弾を受け地面に横たわっている兵士。

「山砲中隊の展開まで待て、砲撃であの機関銃を叩くまで飛び出すな」

 衛本は泥だらけになって止めに入ってきた陸軍少将の言葉を無視するわけにはいかない。

 泣きそうな顔をして元の位置に戻った。

「衛本、そういうのは嫌いじゃない、だが今は我慢しろ」

 月代は優しい笑顔で軍帽の上から彼の頭を撫でる。

 その時滑り込むように現れた副官。

 有線電話を手にしていた。

「山砲中隊長との直通です」

 守備隊唯一の山砲中隊長に短く命令を出すため月代は手に取る。

 異変が起こったのはその時だった。

 彼我の銃声が一瞬にいて()んだのは。

 異変の空気に気付く兵士達。

 敵の銃弾を避けるためトカゲのように地面を這いつくばっていた月代達が侮辱されていると思うほどの光景。

 戦場を散歩するかのように歩いている女性がいた。

 体のラインが浮き出るような漆黒の軍服。そして、真っ白な肌、髪の毛だけでなく、眉毛も白い。

 まるで世界から色彩がなくなったような姿だ。ただ、細く開かれたまぶたの内側にある瞳だけはエメラルドのような透き通った色があった。

 ゆったりと歩いてきた彼女は、地面に伏せている月代と衛本の近くに来ると無表情のまま見下ろしていた。

 うなじまである癖のない白い髪の毛が風に揺れている。

「あいにきた、オーワ帝国のツキシロ少将に……フーシュ要塞への道をおしえてほしい」

 抑揚のない声。

 西洋人の顔立ちからオーワ語が発声される違和感。

 月代は見上げて口をひらいた。

「その月代は僕だが」

 彼女は首を少し傾げた。

「……そうか」

 彼女はその泥だらけの顔を月代をじっと見ると、呆れたのかフッと笑った。

 一瞬だけの笑み。

 それから少し息を吸った。

静かの海マーレ・トランクイリタティスのソル、きみの妻になるものだ」

 月代はその言葉の意味をまったく理解できなかった。

 こんな非現実的な光景に彼は驚いていたため、数秒思考に隙間ができてしまった。

 気を取り直し硬直した体をなんとか動かす。

 彼は無表情に見下ろす風変わりな若い女を見上げる。

 見たこともない人種。

 幻想的な美しさを持った(あやかし)

 彼は『きみの妻になるものだ』の意味を理解し絶句した。


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