負の遺産1
「もう、終わりにしましょう。不毛な争いは私が止めます」
落胆し、跪く忠行に近付き、諭す。皆の疑心、欲を刺激し、かき混ぜた大元を断つ事が出来ればこれからでも修復できる筈だ。
「ぐうぅ! やはり遥晃、貴様を始末せねばならなかったのか。どやつも怖じ気づいて手を下そうとしなかった。師輔なんぞより貴様を先にやればよかった……」
ひゅっ、と空気が漏れる。平穏だと思っていたが、確かに俺は執拗に動き回っていた。迂闊だった。
術師と言う飾りが気付かぬうちに身を助けていたのか。
狼狽える気持ちを圧し殺し、平静を装う。忠行の幻惑に乗らない事を態度で示さないといけない。
「私には泰山府君の加護が備わっていますので。寧ろこちらに来なかった事を喜ぶべきでしょう」
忠行の言葉をいなし、続ける。
「今忠行様を捕らえ、私と保憲様で進言すれば罪を裁く事は出来るでしょう。しかし、私はそれをするつもりはございません」
俺の言葉に忠行はぴくりと肩を震わす。
「これを立件すると保憲様や光栄様にも悪い影響を及ぼしてしまいます。煽動された方へ改心するよう告げて頂き、陰陽頭の位を保憲様へ移譲して頂ければ表立って糾弾するつもりはございません。余生を都でお過ごしできるよう手配致します。決して悪いようには致しませんから」
少しでも楽になる方へ誘導する。罪を白状した今、刑が無くなることは忠行に取って一番に欲する事だろうからだ。
「なぜ、藤原なぞに手を貸す……。なぜ……」
「このいざこざで兼家様と知り合えたからですよ。あの方がいらっしゃれば国が豊かになれると確信したからです。今からでも間に合うんです。もう、終わらせましょう」
うちひしがれる忠行の肩に手を伸ばした。
その時ふと、1つの疑問が浮かび上がった。
忠行は藤原家を混乱させて何を得るのだろうか。
藤原家に入り込み、進言できるほどのポジションにいたのだ。自分の利を求めるならわざわざ混乱させて貶める必要は無い。
寧ろ藤原の地位を磐石にする方が忠行にとって好ましい筈だ。
何か見落としている?
「貴様なんぞに……」
あっ、まずい……。
「貴様なんぞに邪魔をされてたまるか!」
地に臥していた忠行は砂を掴み、こちらに飛ばしてきた。
「ぐっ! しまっ……」
砂が無防備な目に入り、視覚を失う。
どぅっ
「おぐぅっ!」
体ごとぶつかって来たのだろう。力任せの体当たりを受け、吹き飛ばされる。
「父上!」
保憲の声と、走り去る足音が聞こえる。
しまった。忠行はもう堕ちたと安心しきっていた。
俺たちしかいないんだ。巻いてしまえば逃げれると言うことを失念していた。
逃げる? いや違う。忠行はまだ何か出来ることがあるんだ。まずい。忠行を見失ってはいけない。
「保憲様! 私は構いませんから早く忠行様を追ってください!」
くそっ、こんなところでしくじるなんて。悔やみ、痛む目を擦っていると逆の腕を捕まれる。
「遥晃様、私は今起きていることに頭が追い付いていない。私ではきっと太刀打ちできぬ。父は何ぞ企てを起こさんとしておるのだろう?」
引き上げられ、懇願される。
「私が遥晃の目になる。だから頼む。遥晃、どうか父を止めてくれ!」
「……はい!」
保憲に引かれ、忠行を追った。
息を急き切り、引かれるまま走った。視力は次第に戻ってくる。
「まさか……」
月明かりに照らされた大内裏が目に映る。忠行が目指しているのは内裏?
「保憲様、見えるように、なりました」
腕を放してもらう。忠行を見つける。大内裏に入っていった。
「忠行様は、内裏へ向かわれているはずです。私は、そのまま、門を抜けますから、門兵を、説得してください」
息も絶え絶えに保憲に指示を出す。距離は縮まっているようだが、忠行はまだ遠い。
忠行は何の抵抗も受けず門をくぐる。遅れて、俺達が辿り着いた。
「待て……遥晃か? 内裏に如何用だ!」
「はあっ! はぁっ!」
息が上がり声が出ない。やり取りをしている暇は無い。そのまま抜けようとする。
「待て!」
外郭を越え、内郭の門前で捕らえられる。門の先に悠々と歩く忠行がいた。
「たっ、忠行……忠行様を止めてください!」
必死に声を張り上げた。清涼殿に向かってただろう忠行はこちらの声に振り向く。
衛兵の気配に踵を返し、よれた足取りで紫宸殿に登って行った。
「私の顔に免じて遥晃を通してくれ」
遅れて保憲が来る。
「は、いや、しかし」
「急を要するのだ! 早く通せ!」
保憲の剣幕に俺の袖から門兵の手が離れる。
「あ、明るい……」
2人のやり取りを横目に紫宸殿を見ると中が明るく光る。忠行が中で火を点けたらしい。




