石肥三年
「皆さん、すみません」
勇吉を連れて集落へ入り、深々と頭を下げる。
「おい、遥晃。どう言うことなんだ」
皆で作付を終えた田んぼが横取りをされた。俺が取り戻すと期待していたのだろう。俺にその気が無いことに気付くと皆の表情が一斉に曇る。
「遥晃、俺らが植えた田んぼなんだよ。なんで黙ってるんだ。あいつらはいきなりやって来て奪っていったんだぞ」
「これじゃあまりにも理不尽だ。今から耕しても間に合わねーべ!」
「何とかしてくれよ遥晃!」
口々に懇願される。しかし、彼らを納得させる手段がない。
「……すみません。米は何とか支給します。できれば取られた土地は諦めてまだ手をつけていない土地を新しく……」
「ふざけるな! 田植えまで終わったところに後から来られて許せるかよ!」
「何のために働いたか分からんがや!」
納得できないのは分かる。でもどうしようも無いんだ。既に左大臣の土地と決まってしまった。権力を失った兼家達には打つ手が無い。
「力づくでも取り返してやる。遥晃には任せておけん」
皆が鍬を手にいきり立つ。止めてくれ。争いを広げないでくれ。
「ま、待って……」
「待ってください!」
一際大きい声で沙耶さんが止めてくれた。皆が一瞬動きを止める。
「遥晃様、私達はいきなりこのような形になり納得できておりません。しかし、遥晃様が何も出来ないとおっしゃるのなら理由があるはずです。お聞かせ願えますか?」
「は、はい」
事の経緯を説明する。兼家の父が亡くなり位を剥奪され、朝廷での権限を失ったこと。
左大臣が過去の利権を持ち出して土地の所有権を主張したこと。
断る力が無く、従うしか出来ないこと。
つらつらと起こったことを話す。
「……分かりました。皆さん、田んぼは諦めてまた一から作っていきましょう」
「はあ?」
「何言ってるんだ。おら達は納得できてねえよ!」
沙耶さんが皆を宥めてくれる。
「全ての土地を奪われた訳ではございません。遥晃様も食べ物は恵んでくださいます。去年だけで田んぼを作れたんです。元々広げていくつもりだったじゃないですか。また始めましょう」
「いや、しかし」
「遥晃様、また新しく耕した土地を取られるのでは流石に苦しくなります。それだけは守って頂けますか」
「う……」
そうか。今できている田んぼを諦めて新しく作っても、また奪われる事も考えられるのか。
「遥晃様は争いを諌めて加害者である私達を許して下さっています。きっとこの件も私達が入ってきた者達と悶着を起こすことを良しとしてないんだと思います」
沙耶さんが皆を説得する。
小さな違和感を覚える。既に落ちぶれた家系にさらに攻撃をしてくる?
高々数十町程度の土地を奪うだけで利益を享受できるのか?
争いを誘発しようとしている?
「分かりました。約束します。新しく拓いた土地は私が守ります」
もし闘わせることが相手の思惑ならば乗ってはいけない。領民を抑えなきゃいけない。これが犯人の尻尾ならば、さらに奪って来る前に解決しなきゃいけない。
「遥晃様もこう仰っています。皆さん、どうか気を落ち着かせて貰えませんか?」
「いや、……ぐっ。納得は出来ないが、沙耶達がいなきゃ田んぼも作れなかったしな」
「鍬は土地を耕すのに使いましょう。私はもう、それを使って人を傷付けるのを見たくありません」
沙耶がニコリと笑う。まだ何も手懸かりが無いが、彼らのためにも解決しないといけない。師輔を殺した犯人を見つけ出し、領民を守らなければならない。
今年はもう作付に間に合わないが、来年に向けて荒れ地を耕してもらう。
彼等には申し訳ないが、今は左大臣の送った人夫と揉め事を起こしてほしくない。
「貴様、易々と門の前に立つんじゃない。即刻立ち去れ!」
左大臣がなぜ荘園を奪うことに決めたのか。その理由を探ることが出来れば何か掴めるかもと思ったが、会うことすら叶わなかった。
もはや俺は一庶民に成り下がってしまったのだろう。
藤原家が1つになることをあれだけ喜んでいたはずなのに、師輔がいなくなった途端全てが元に戻ってしまった。
争いに心血を注いでしまうと全てが疎かになってしまう。憂いを消せば政治に集中できて国がよくなるはずなのに。
争いを作ることで何が出来るのだろうか。
戦争を殆ど起こさず、兵器を開発するでもない。後年のような特需なんか見込めないんだ。いざこざはマイナスの作用しか生まないはずなのに。
悶々とした日が続く。沙耶と約束をしたが、いまだ何も分からなかった。
* * *
「遥晃!」
勇吉に急かされ荘園へ走る。そこには耕した田んぼを力なく眺める者、崩れ落ち嗚咽を漏らす者がいた。
「ぐっ」
目の前に広がる光景に声が出る。田んぼには石が投げ込まれ、起こした土は踏み固められていた。
「どうしてこんなことを……」
涙を目尻に貯めて沙耶さんが漏らす。土地を奪うだけではない。なぜ嫌がらせまでしてくるのだろうか。
「遥晃! 守ってくれるって言ったじゃないか!」
勇吉に責められる。どうして領民の努力をことごとく踏みにじるのか。
俺まで怒りが込み上げてくる。しかし。
『きっとこの件も私達が入ってきた者達と悶着を起こすことを良しとしてないんだと思います』
沙耶さんが言ってた事を思い出し、気を落ち着ける。
これは、こちらを動かそうと企む輩の策だ。乗ってはいけない。
「もう許さねえ。いくらなんでもあんまりだ。おらは奴等に仕返しをしないと気が済まない」
「待ってください」
彼らを行かせてはいけない。これくらいならどうとでも解決できる。
「なんだよ! 約束も守れない癖におらたちに指図するんでねえ!」
「いえ、この田んぼ。あちらの人達にも手伝ってもらいましょう」
遠巻きにこちらを見ている人夫たちに目線を送る。
ニヤニヤと俺達の落胆を眺めているのを見るに、これをやってのけたのは人夫達なのだろう。
この惨事を見て分かる。彼らは農業に触れたことはない。1度でも鍬を振るった人間なら、土地を拓く大変さは知っている筈だ。
どれだけ嫌な事があっても農業を知るものが田畑に危害を加えることは無い。
人夫達は領民が植えた田んぼを奪っただけで農業には疎い筈だ。
「彼らを欺きましょう。沙耶さんは動物や人の糞が作物にいいことを知っていますか?」
「え? はい。肥えは元々撒くつもりでしたから」
ちゃんと知識は備わっているようだ。安心して田んぼに術をかける。
「この度はお手伝い頂き有り難うございました」
「は?」
一通り済ませたあと数人を引き連れ、人夫に会い礼を言う。
「石に術をかけ、米の発育を促す作用を付けました。元々入れようと思っていたのですが、あなた達が変わりにしてくれたのですよね?」
呆然とする人夫に偽りを告げ、帰る。去り際、人夫に聞こえるように勇吉たちと話す。
「いやー、良かったな。あれだけの大きさなら3年は術が持ちそうだ。牛糞なんか入れられたら仕事もできなくなるくらい汚くなったんだが、これで来年からは豊作間違いなしだな」
争いは起こさせない。領民の土地も守る。今回の事で確信した。犯人は争いを引き起こそうとしている。
必ず見つけ出してこの不毛な現状を打破してやる。
* * *
後日。
「くそっ!」
迂闊だった。悔しさで地面を殴る。
「ははっ、いい気味だぜ。俺はすっきりしたぞ、遥晃」
勇吉は弾むように喜んでいる。
人夫達は数日のうちに石を取り除き、牛糞を撒いてくれた。やはり、嫌がらせをしてきたのは彼等だったのだろう。
しかし、その石を奪い取った田んぼに投げ入れている。
伸びてきた稲は石に潰され、所々折れていた。
こんなことを求めていたんじゃない。争いは必ず誰かが不幸になる。
わざわざ苦しむ必要なんて無いじゃないか。どうして争いを引き起こす。
こちらの考えなど知らないのだろう。俺の悔しがる様を人夫達は満足そうに見ていた。




