大舎人
朝、鐘の音で目が覚める。風邪は大分よくなったみたいだ。
この時代には時計がないから各所に置かれた鐘を鳴らして時間を把握する。朝の3時、5時、7時、11時、12時、夕方の4時と5時の7回鳴る。
3時11時と夕方の4時、5時は宮廷の鐘だけ鳴らし、他の3回は宮廷から鳴る鐘の音を聞いてこちらの方でも鳴らす。
今は5時だ。
まだ薄暗い中身支度を整え、朝食を摂る。
家族も風邪はうつらなかった。良かった。
7時の鐘が鳴る前に登庁した。美福門を潜り、大舎人寮へ。大分早く着いたと思ったが、大舎人寮には既に沢山の人がいた。
正宣が駆け寄ってくる。
「よし、今日から一緒にやっていこう。そんなに難しい事は無いからすぐ覚えるさ」
おっさんの頭で理解できればいいけど……
位の高さは服の色で変わる。自分達は薄い水色。一番上の大舎人頭が濃い青。藍色かな。
頭を見つけ、頭を下げる。
「休みを頂き、また仕事に復帰させていただきありがとうございました。これから一生懸命働きます。よろしくお願いします」
「お? あぁ。よろしく頼むよ。やけに礼儀正しくなったな。何かあったか?」
ん? この辺の挨拶はこの時代無かったのか?
「いえ、正宣に教えてもらい、すぐ自立出来るようにします。では」
この時代のしきたりはよくわからないが、休みを貰って働かせてもらうんだ。一言は必要だろ。
段々と服の薄い人達に挨拶を周り、最後に同僚たちに話し掛けた。
「皆、私の休んだ分、穴埋めしてくれてありがとう。まだ半人前だがすぐ動けるようにするよ。これからも宜しく」
「なに畏まってるんだよ遥晃。これだけいるんだ。対した負担じゃないって。俺らも正宣と一緒に助けてやる」
記憶無くなったんだって? 俺覚えてるか?
血迷って走り回ったりするなよ
皆が話しかけてくる。遥晃さんは人望が厚かったようだ。
仕事は思った以上に簡単だった。タイムカード代わりに名簿に名前を書く。自分は半額の給料になるので一番下に。本来来た順に書いていくのだが、一番下の欄に記入した。
夜勤組との引き継ぎを済ませ(これも異常なしとかあっさりしたものだった)大舎人頭から仕事を指示される。
部屋の掃除と、昼、食事を運ぶだけで終わった。
頭がちゃんと仕事の指示を出すし、やることも難しくない。人も大勢いるから1人当たりの仕事量も大したことなかった。
今は半分だが、1人でやっても問題無さそうだ。
おっさんに覚えきれるか心配したけどなんとかなりそうで安心する。
覚えよう覚えようと意気込んでいたからなのか直ぐに時間は経った。宿直の人達に「異常なし」と告げ、助(頭の下。副リーダー)から半券を貰い、穀倉院で給料を貰い家に帰る。米の束を懐に入れて帰路へ。
成る程。それでこの時代に来た時服の中に米が入っていたのか。
この帰路で石にぶつかり俺の魂が乗り移ったと。
一体何があったんだろう。
皆、怨霊怨霊と騒いでいるが事実自分も非科学的な現象を起こしている。
やはり怨霊だの呪詛だの存在しているのだろうか。
いや、病気も天災も解明されていない時代。それを呪術のせいにして納得しようとしてるだけなんだ。
呪術なんてあるはずがない。
足取りは軽かった。仕事も溶け込めそう。生活も、お金を使わずに少しずつ改善できるかもしれない。そういう希望が呪いや怨霊をオカルトとして楽観視させていた。
* * *
「魚には『旨味』成分が入っているから、水で煮ると『出汁』が取れて汁物が美味しくなるんだよ。干物も塩気が取れて美味しくなる」
「う、うまみ? だし……?」
家に帰ると食事の用意を手伝う。梨花さんに料理のアドバイスをしているとたまに言葉が通じない事がある。それまでの料理は単調で、焼く、煮るの二通り。蒸したり、揚げたりといった料理法は無かった。
まぁ、油が手に入らないから無理も無いか。
この時代、電化製品もないから家事も時間がかかる。ボタン1つ押すだけで済んでしまう現代の洗濯も川まで行って1枚1枚水洗いだ。
洗剤も無く、少しだけ食べる玄米から出る磨ぎ汁を少しずつ集め、それを洗剤がわりに使っている。
今回のスープのレクチャーでも新しい発見があった。
旨味の概念が無いのだ。仕事に、家事に追われ、金銭的余裕もない。食に対する興味がないのだろう。庶民にとって食事とは、腹が膨れればそれでいいのだ。
「そう、旨味。説明が難しいな。魚にある味を汁に溶かして汁物に味付けするんだよ」
「草を水に入れたときの色付きですか?苦くて私は好きじゃないんですが」
「それは灰汁だね。魚の煮汁は美味しくなるんだよ。草でも美味しくなるやつもあるけど、今回は魚を覚えよう」
「はい! 遥晃様あれから人が変わったみたいです。新しいこと一杯知ってて……」
「あ? ……あはは! そうだね。いろんな事が頭に溢れてきてて!」
説明した方がいいのだろうか。どういう答えがベストなのか分からない。いきなり聞かれたので変にはぐらかしてしまった。隠してた方がいいのか、打ち明けた方がいいのか……
夜の食事は家族の顔が明るくなっていった。息子たちも美味しい美味しいと喜んでくれている。
少しずつ変わっている。何もないこの状況、こんな小さな幸せが自分には光り輝いていた。